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腐男子じゃないけど、ゲイじゃない このページをアンテナに追加

2007-04-30 真理なんていらねぇよ、春。

「人は独りでは生きていけない」? 「人は独りでは生きていけない」?を含むブックマーク

ごめん、まずこの場合においての「ひとり」の意味を限定しといてもらえない?物理的に1人であるという意味なのか。それとも人のいる環境下で孤立無援であるという意味なのか。


えー、でもどっちにせよ一応可能なんじゃねーの?自給自足で自然と戯れて生きるとか?そういや戦争終わってたのに敵が来ないかどうか怯えながら1人で長いこと生活してたなんて人は実際にいたんだっけ?

ていうか、孤立無援で誰も信頼できる人もいなけりゃ信頼もされてない人なんて五万と居るだろうけど、その誰もが自殺してたりするもんなの?んなわけないよなぁ?


でも。独り*1では自信を持って生きられないという面はあるよなぁ。

自分に自身を持って生きるには、やっぱり他人がいないとどうしようもないよなぁ。自分だけで自信持って生きてこうと思っても、自分の中に閉じこもらないとそんなの出来っこない。ていうか、それって一般的に言って「空元気」とか「虚勢」とか呼ばれるんじゃないのか?


だから思うんだけど、このセリフって実は

「人は独りでは生きていけない」じゃなくって「人は独りでは自信を持って生きていられない」じゃないのか?

と思う。


でも私が気になるのは、自分に自信を持てない事情があって、尚且つ自信を持って生きるために他人を信頼することすらできない事情のある人のこと。

そういうひともやっぱり居ると思う。そういう人はもうどうしようもないから、自信がなくても生きていけるようなプランが必要になると思う。(勿論人生を離脱するという選択もあるけどもよ)

だけど物理的だろうと精神的だろうと独りでも生きてける可能性が一個でもある限りは、自信を持ってなくても、さらには希望がなくても、生きられてしまう。それは非常に残酷な事実なんだろうけど、「生きる」ことだけは、生命維持の条件さえ揃ってれば可能なんじゃないか。ただ、精神を蝕まれ不安定な状態でただ生き続けるという実態を「生きている」と評価してもらえるかどうかは微妙だけど・・・。

でもそれは置いといて。自信がなくても、他に糧があるならたとえ比較的難しくても人生を歩むこと自体は可能では?と思うのだがどうなんだろう。


正味、自信がなくても生きてける。

正味、人は独りでも生きていける。

かなしいかな、人はそんな簡単に生きられなくなる生き物じゃないんじゃねーの?と青二才の私はついつい思っちゃうんだけど、私よか老齢の皆様はどう思ってらっさるかしら。

てかウサギみたいに悲しいと死ねちゃう生き物だったら、ある意味楽チンだろうなぁ・・・。ていうかそんなんだったら今頃「孤独死」じゃなくって「悲哀死」とかいう言葉があってもよさそうなもんだ。

謝って済む問題じゃなくても謝ります。 謝って済む問題じゃなくても謝ります。を含むブックマーク

よく漫画じゃ失敗した主人公が上司から「謝って済む問題じゃない!」と叱責されてますが、済もうが済まなかろうが謝るときは謝りますって。

・・・いや、だってねぇ。じゃあ自分の失態でデータ吹っ飛んじゃって会議開けなくなったりした場合さ?一言も謝りもせずに会議までにデータを元通りにして見せてたら、謝らんでもいいの?

解決するにせよしないにせよ、謝るもんはまず謝ります。つーか一言謝るくらいさせてよー。そんな「すいません」の一言くらいで鬼の首取ったように雷落とされましてもこっちどうすりゃいいのか本当にわかりませんて。


類似に。

「言い訳なんてするな!」

とか言う人いるけど・・・(漫画でも現実でも)。えー、だって何かの事件が起きるには事情ってもんがあるわけですから、それの説明くらいさせてくださいよー。そりゃ忙しすぎて事情説明する暇もなかったら、むしろ説明一切無しで解決のための処方箋だけを提示させたほうが良いだろうケドさ。でも、最初に「なんてことだ!どうしてこんな失敗するんだ!」て聞いてきたくせにその事情とか理由を簡潔に説明して見せたら「言い訳するな!」とか言われたら、もうこっちどうしていいやらワケワカランわけよ。そのくらいは情状酌量でよろしくしてやってよ。しかも先にその事情を説明しておいた方が手っ取り早く解決策を組み立てられる場合もあるでしょー?

どのみちミステイクの事情は説明しなきゃいけないんだしさ。時間というコストの問題だろうからケースバイケースで考えましょうよー。そんな頭ごなしに怒らいでも・・・。

つーかなんで事情話したら「言い訳」になるんだろう。それとも言い訳って事情説明って意味なんだろうか・・・。


そうか、今分かったぞ。多分皆それぞれに定型句喋ってる時、何かしらの意図があるのにそれを私が汲み取ってないだけなんだな!そうか、何か奥に深い意味があるんだよね?!なんだー。


・・で、それは結局どういう意味なわけ?*2

*1:←物理的精神的意味に共通する意味として。

*2:こういう屁理屈述べる私は社会で生きてけない社会不適合者なのでしょう。

ハムムーハムムー 2007/05/01 10:02 人は独りでは、生きていけない。って言うのは赤ん坊から考えれば生きてはいけないでしょう。ただ、成人にもなってほかの人と群れようとすることに自分は反対です。

のだだのだだ 2007/05/01 16:09 はい。赤ん坊でなくても(成人になろうとも)一人では生きてけないだろう人はいますよね。でも人の中には一人でも生きてけるケースがありうるのでは?と思ったんです。そういう全般を考えると。“人は「時によって」一人でも生きていける”場合もある。なのに絶対的に“人は”一人では生きてけない、とよく言うのは、「自信を持って」という注意書きつけると、人全般に通用できるんじゃないかなぁと、思いまして。

群れになるのってでも社会で生きてる以上はなかなか難しそうですね。要は緩く共存していけたら特に問題もないのかもしれない・・・。群れ方?てのを考えるところなんでしょうか。

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2007-04-29 腐〜ん。 このエントリーを含むブックマーク

何か聞いたことない名前もあるなぁ。

【気になるトレンド用語】イタイ?楽しい?あなたの知らない″腐女子(ふじょし)生活″ - ライブドアニュース

ていうか用語解説がビミョウ杉。なんでヘテロ腐女子の反語なんだよ。

http://d.hatena.ne.jp/taimatsu_torch/20070427

興味深いです。ノーマル志向について。

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kayocokayoco 2007/04/30 00:15 >なんでヘテロが腐女子の反語なんだよ。
まちゃまちゃ風に「はぁ〜?」といってやりたいインパクトだそれ。こののだださんのつっこみに「はぁ?」と言ってるのでは断じてありません。
どんどん言ったれ!
それは変すぎる!
「なんでそう、なるの!?」(欽ちゃん風)

この言葉の反語は……ないよ。
女の中の分類のひとつだもん。

(最後まで読んで)
そーゆーオチだったの?
あはは。彼女は「隠す」のが当然だと思ってる。
でものだださんはそゆ概念がない。
そこら辺のずれね。
まあ、行きずりの? ただの店員に後で仲間内で「今日こんな客がいてさー」なんてネタにされても痛くも痒くもないなら、それを彼女に言いましょうや。

まとまらんコメだのう。申し訳ない。

nodadanodada 2007/04/30 16:43 kayocoさんどうも。
>女の中の分類のひとつだもん
そういや私が腐男子て言葉すら知らなかったときは自分は腐女子に分類されるんだろうなぁと思ってました。

>それを彼女に言いましょうや。
いや、コッチはコッチで好きなようにやります。別に誰かを不快にさせるとは限らない状況だし、別に自分に隠す義務はないので。
「隠させる」という行為にだって、色んな含意があるわけですよ。
もしかしたら彼女は店員さんから「のだだみたいなホモと一緒に見られたくない!」と思ったかもしれないし、はたまた「のだだがバッシングされないように注意してあげなきゃ!」と思ったのかもしれない。その行為が善意かなんなのかは知らない。けど私は私の好きなように動いても問題がないと判断できるところでは何も隠す気はありません。そこで問題が起こっても私が悪いわけじゃないので。問題があったらあったでそれはそれ。なんとかします。
ていうかいい加減、一方でストレートは自分の異性愛的話題は平気で喋られる状況があるのに、私の方は隠す努力するだなんて真っ平ゴメンだし。恋愛話や性的な話自体されるのが不快な人もいるから、コミュニケーションとしての基本的な配慮はしますけど、正直この程度の内容で多少なりとも相互理解をしてる友達にまでアタフタされましてもねぇ〜。コッチのほうが困惑ですわ。私の本音を言うと、何が問題だったのかもはや意味不明なんですよ、こういうの。

kayocokayoco 2007/04/30 17:08 >ノンケは自分の異性愛的話題は平気で
ああ、自分はまだまだだなあ。
でも、そういうことを「気持ち悪い」と一刀両断されるのは悲しいよね。そんな悲しい思いをいっぱいしてきたよね。

話変わって。腐女子の対義語ですが、一言欠けていたのでは?
「腐女子の求めるものと反対」。
それはそれでビアンの存在は? となってしまうけど、ゲイの人ってビアンを仲間だと思う?(そりゃヘテロより近いだろうけど。ビアンは、男性より女性の方が所得が少ないという部分においては含むものがあるだろうね)
反対とかなんとか言わないで、やっぱ「全天候型」ですよ。
「全天候型」と「みぞれ銀行」。うち発で流行らせたいなー。

nodadanodada 2007/05/01 00:12 私はほげっても問題ない環境に居るので、喋りたい事は喋ります。そんなの当然過ぎるし。別に嘲笑されてもわりとヘイキ。カウンターかますし。

ある言葉の対義語はなんなのか。これってちょっと学問的な疑問点なのかも。私はヘテロと腐を対置にさせるのは変だと思うけど、だけどヘテロの対置にはなにがあるのか?は答えは出せないなぁ。
ただ、ヘテロと云う語を腐という場だけの専門用語にしてしまうのは馬鹿馬鹿しい。ヘテロセクシュアル、というのはセクシュアリティの用語なんだから。別に様々な使い方をしてもいいけど、ヘテロセクシュアルというのは腐のコミュニティのみで使用されるような語ではない。それは言わずもがな。わかって書いてるんならまあいいけども。

ごめん、全天候型、てなに?オールマイティってことかな?
私は出来ないことの方が多い。そういう自分を受け止め、そんな自分が可能な生き方はどんなものがありうるのかをじっくり考えていきたいです。

あと、
>ゲイの人ってビアンを仲間だと思う?
というのは凄く変な質問だと思う。誰も答えようがない。
どう説明しようかなぁ。あのね、私は別に誰のことも常に(!)仲間とは思わないけど、時と場合において連帯できる人も居るとは思ってますよ。
サークルの仲間だろうと職場の仲間だろうと、それはサークルの中で職場の中で仲間ではあるけど、私と常に仲間である人間なんているはずもない。職場の仲間は職場という文脈で仲間。それ以上でも以下でもない。
で、私はゲイじゃないのですが、ゲイだってその質問は意味不明だと思うよん。そもそもゲイだったら皆が同意見を持ってるなんて事、あるわけないじゃん?たとえば女。女は誰も彼もがまったく同じ人間で同じ意見しか持たないものなの?違うよね。「ゲイだったら絶対こう思うはず!」という考え方は変だよ。
すべて文脈依存の形で誰かと仲間になりうるというだけ。
そりゃゲイとビアンは、同性愛者である、という文脈で連帯可能だろうけど、それとこれは話が別では。
仕事してる人は労働者である事で「労働者」として連帯できるけど、「労働してる」という繋がりがあるというだけでしょ?繋がりがある人と運動するために仲間になってもいいけどさー。
そういう基本的な話はゲイであろうとなかろうと変わりない。
どうもその質問はセクシュアリティに関して混乱してると思う。それってなんか「ゲイという人種がいる」みたいな考え方では・・・。もうちょっと考え方をゆる〜く持ちましょうや!w!

kayocokayoco 2007/05/01 01:10 なんかこれ以上書くと恥かきそうなんで、メールにするか、逃げるかします(逃げ道があってよかった)。
>考えをゆるーく
ああ、それでいいんだ。共通点があるだけで連帯できるかわからない。
基本ゆるい人間なんで。

「全天候型」は、男女BL百合、それらにあてはまらんものも何でも読む人のこと。私の造語、というか、そういう意味を与えてみました、という感じ。積極的にこれを名乗っていきたいですが内実が伴っているのか……。

nodadanodada 2007/05/01 16:03 そういう雑食系の人っていますねぇ。そういう人はそういう人で、何かしらの感性があるんでしょうね。BL小説しか読まない人はそれだけが面白い理由があるし、BLと百合を読む人は読む人でそれぞれ面白い理由があったりなかったり。
でも、漫画研究者なんかはまるっと読んでて、漫画全体を研究者の視点で雑食してるんでしょうね。
いろんな読み方がありますし、そんななかにkayocoさんの言う型もあっても不思議はないですね。しかし数多く漫画小説などはありますし、確かに難しそうですねw まあ、私も読む範囲を決めないで読みたくなる日もありますけど^^

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2007-04-28 良い意味で「いつも通り」の山田ユギたん。

おひっこし? (ジェッツコミックス)

おひっこし? (ジェッツコミックス)

[rakuten:book:12020120:image]写影がないので楽天も紹介。

今回は山田ユギたんですが、BLではないのでこちらでレビュー。


どんな物件も事件(?)もおまかせ!

お望みの部屋をお好みの従業員がお探しします!

山田ユギの『賃貸コメディ』登場!!

個性的でちょっと脱力系の従業員と物件お探しのワケアリお客様との交流を描いた山田ユギたんらしいコメディ。

同氏作の「俺は悪くない」や「我らの水はどこにある」的な感触のコメディと似てるかしら?

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同性愛者を笑うパターン増えてくるんだね。 同性愛者を笑うパターン増えてくるんだね。を含むブックマーク

立ち読みー。

となりの801ちゃん (Next comics)

となりの801ちゃん (Next comics)

何かをネタにした笑いと云うものは、えてして「実は自分よりもまず第一に元ネタにしてる他者をバカにしてる」という性質がある。


腐女子に関して。

「あたしらホモなんて好きで、イタいよねぇ。」

と云うのは前からあった。でもこういうのも昔からあったでしょうね。

「あの女の子ら・・・、ホモなんて好きでかわいそう。」

これはどちらも同性愛をバカにしてるんだよね(無論同性愛だけがターゲットじゃないけど)。しかも、まず第一に腐女子ではなく元ネタ(同性愛)をバカにしてる。


で、本作では「ホモ同人誌なんかを若い女性たちが売り買いしてるのは世も末で嘆かわしい!」みたいな話があったけど。

この場合、作者さんは「腐女子を哀れむ」という笑いのモードで、腐をネタにしてる。これも読み方によっては同性愛をネタにして笑ったものだと解釈できる。同性愛などと云う不道徳なものを嗜好してる日本は「どうかしてる」から「腐女子インパクトスゲー」だし「笑える」。


で、本作は「腐女子を哀れむ」という笑い方で同性愛を笑う、というモードを顕在化させた感がある。

自虐であろうと外野からのバッシングであろうと、腐女子を馬鹿にすることで遠まわしに同性愛を馬鹿にするということは往々にしてあるだろう。そしてこういう本が出ることで同性愛を笑うモードの多様性が伺えるのかもしれない。

立ち読みだから偉そうにはいえないけど・・・。(ごめんね、そうそう出費ばっかしてらんないのよ。)


笑いと云うものは、 笑うもの/笑われるもの という構図を取って自己と他者の距離を隔てる場面もあったりするんだろう。そういうのは、有害な面もある。

笑いと云うものの有効性や意義は沢山あるけれど、笑うことでのデメリットも沢山あるだろう。そういう笑いの性質を認めながら、「笑い」をどう扱っていくか。それは難しい問題だ。笑いで変えられるものも多くあるもの。


笑いとは政治的だ。

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2007-04-27 つぶやき7 このエントリーを含むブックマーク

腐にしろ何にしろ。

笑いと云うものは、非常に難しいんだなぁ。と痛感する。

笑いで繋がるものもあれば、断絶されるものもある。なんと気難しいものか。

どう扱っていけばよいのか、その方法論は未だ見つからず。

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2007-04-25 コレは百合なのかもしれない。

街角花だより (アクションコミックス)

街角花だより (アクションコミックス)

*1

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異性愛の所在はどこにあるんだろう? 異性愛の所在はどこにあるんだろう?を含むブックマーク

no title

“本物の男女”だと「生々しい」らしい・・・。

 男優約40人、そしてキーワードは「耽美(たんび)」。少女漫画から飛び出したような美男子や、中性的な魅力の女役が登場する舞台は「本物の男女で演じるよりも、生々しさがない」と、女性に人気という。

この一文で最近出たリビドー・ガールズ―女子とエロ金巻ともこ論文の「この世に残された最後の楽園はボーイズラブだぜ、ベイベー」を思い出した。「腐女子は男女モノだと生々しくて安心して読めないので男同士を読んでる!」という論旨の論文だったと思う。(立ち読みだったけど、金巻ともこ論文は案の定下らなかった。)

 ジュリエット役の看板“女優”舟見和利さんは男性だけの劇団とは知らずに入って10年目。あらぬ疑いを恐れ、当初は大阪の両親に事実をひた隠しにしていたが、

あらぬ疑いですってよ。スキャンダラスな匂いですねー。アホくさ。

「男が女を演じる、現実とは違う世界に入るには、見る側が一歩踏み込まないといけない。女の子はそこに踏み込んで、イメージの世界に漂うのが好きだし、得意」

まるで腐女子について言及してるような既視感。腐には、BLではないものであっても、男同士の絆を欲望してそこに男同士の欲望を読み取る。読みの快楽、という機能が働いてるんだ。

「価値観が多様化し、男らしさ、女らしさというセクシュアリティーの垣根が薄くなっている」点を指摘。その中で「人々は、現実よりも、メディア化されたものに魅力を感じてきているのかもしれません」

この劇の人気から時代性に着目して「多様化」を見るのはありだと思うけれど、実はそれは表面的な変化を読み取ったものでしかないと思う。しかも私はコレからその逆の解釈を行う。


さて、別にこの記事だけ読んで「世間のまなざしはこうなのだ!」と決め付けたいわけじゃなく、この記事を読んで思い出す「生々しくない」という言説についての意味を解釈していきたい。解釈だから、私個人の読み方の提示であるだけです。

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*1:タイトルは訂正したい・・・。ごめんこれ深読みせんでも素で百合漫画だ。くそーうかつだった。あんまり直球過ぎてなんか他の意味かと思った。

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2007-04-24 死にたい日に死ねないからね。 このエントリーを含むブックマーク

後悔しないように生きようとは言われても、後悔もしないで後悔のない人生など歩めるはずもなく。私がすごい!と思うような人でさえ、きっとそうなんだろう。私に声かけてくれるような、絶対この人私みたい若輩者より頭きれるだろう、みたいなひとでさえ、やっぱり悩むことは多そうだ。

なんだろうなぁ。私は今の自分を嫌ってるんだろうか。好きなんだろうか。でも、どうしようもない部分があって。

私は自分の事、恋愛感情もないしゲイにアイデンティファイできないし多動が治らないし堪えしょうがないし他人を心から必要とできないし必要とされるのが怖いしなんだかもう、どうにもこうにも二進も三進もいかないね。

そんな自分だけど、たまらなく大事だとも思う。それはきっと、自分には〜〜のような部分もあるけれど〜〜の良さが代わりにあるから、とかいう理由ではなくって。単純に“自分だから”大切なんだろうなぁ。自分でさえあればそれだけで大事。

時にこういう独り上手な自分にあきれるし、そういう自分だからこそ上に書いたような性格なんじゃないかとも思う。

それってどうだ。自分を肯定することで自分の豊かさや、テンプレ的な幸せを手にできないで居る。テンプレ的というか、オーソドックスな幸せなんてなくても十二分に生きられるけれど、ちょっと、ない要素が多すぎに感じられる。そういうのが、自分でも少し苦痛なのかもしれない。苦痛なことを認めてしまうと、多数派の価値感に負けちゃうようでなかなか認められないけれど、でも、それは別に誰かと戦ってるわけじゃないんだから、認めてあげたほうが良いのかも。

不器用、で済むならいいけど、たとえば恋愛感情がない、とか、意味のない強迫観念のある異常行動をしてしまうだとか(最近は人前では抑えられるようになったけど)、そういうのは不器用と評価されるんじゃなくって、人から欠陥人間として評価されるんだろうなぁと思うとやたら悔しい。・・・勿論そこで、どっちの方が幸せか自慢、したって始まらない。そんなところで相対的に見る必要はない。


そんな自分は、やっぱりく多少は面倒なときもあって。

恋愛感情があると認められないことで恋愛しまくってる世間と折り合いが難しいし、多動なせいで自分を見せるのが恥ずかしいし。そういうのが、人との距離を作ってしまう。そういうのを欠陥と言われると腹が立つ。けれど現実問題ってものがある。やっぱり世間と同じような部分があったほうが手間要らずだ。けれどそういう自分を選択できるかって言うとそうでもない。

じゃあ自分は欠陥だから世間の隅に生きようか。・・・いやいや、そんな必要どこにもないだろう。私は私の領域で好きに生きていいと思う。

自分には確かに、不都合な自分、がある。でも、それを含め自分なんだ。

じゃあ肯定すべきか?いや、別にそんな張り切らんでもいいだろう。張り切ったほうが心地よいならそうすればいいし、そこまでする理由もなきゃしないでいい。

結局、変わらずあるのは、それが自分なんだ、という事実。それを否定する誰かがいても、自分を大切だとしか思えない自分がいる。自分を全肯定しちゃえるような性格のせいで、自分の欠陥部分が出来上がってたとしても、もはやそれを問題視しても意味がない。諦めるわけじゃない。見切りをつけるわけでもない。後悔してもしようがない事は、結局後悔することではなくそれが自分なんだと認めることでしかない。その行為は、つまりは自分の後悔しちゃうような部分を認めるってことだ。それを是正したり努力することではなく、後悔をそのままに受け入れ、それを自分の中で自分らしさとして認めること。


・・・勿論後悔する部分を変えられるなら変えてもいい。変えられて、変えたほうが自分らしく生きられるなら、それがその人の自分らしさだったのだろう。私の場合は変えられないし、変えることを選択しないと云うだけ。・・・でも、どう努力したって、誰にでも変えられないけれど後悔しちゃう、という部分てある。


それを認めるとき、でも他のみんなは自分みたいな欠陥人間じゃないんだよね負けてるよね、とか思う必要は実はなくて。だって、自分は自分だし。みんなだって一人一人欠陥と言われるような部分もある。それを人間らしさだと思ってしまえば、あとは、現実問題をどうやって納得いくようにクリアするか、と云うだけの個人的な話になる。


恋愛感情がない事を後悔してる。他動を抑えられない自分を後悔してる。そのことで人付き合いが円滑に進まない。

けれど。後悔してるけれど、それでも巧く人と付き合って生きたい。その現実問題をどうクリアしていくか。そういう問題提起は、後悔を後悔のまま受け入れなくちゃ提起できもしない事柄だと思う。

ただ、そういうクリアしたい問題がある時、それをクリアできるかどうかは別に置いて、もしかクリア可能だとしてもそれを実行する前に死ぬかもしれない。

うん、可能であっても死ぬかもしれない。

そしたら何もかも、どうもこうもなく、オジャンだ。

でもそこで思うのは、ならせめて、現実問題のクリアが可能か不可能かは置いといて、そういう自分がある事は認めてしまおう、と思う。それを認めもできなければ、可能か不可能かなんて意味のない考察だ。「後悔してる自分の部分を、さあ、どうしようか?」そう思うには、まずは、そういう自分を認めなくちゃ始まらない。

自分を見つめる先に、どういう人生があるのか。自分の要素を絶望と取るのか希望と取るのか。(それはクリアできるか確かめてみないとわからない。)

それをするためには、まず自分の姿を受け止める認めるということが不可欠だ。

いつ死ぬかはわからない。けれど、せめて、スタートラインに立ってから死にたいじゃないか。スタートラインに立ってから死んだんなら、クリアできなかった、と云うだけの話だ。けれど、立つ前に死んじゃったら、自分を認めることすらできず、ただ闇雲に生きたと云うだけ。

それじゃちょっと心残りなので、今自分は歩き出してる最中でした志半ばだったけどその最中でした、て形で死にたいじゃないのよ、せめて。

もっと言うなら、私は幸せに死ねなくてもいい。幸せになれなくてもいい。幸せじゃなかった。そう思う自分であっても・・・、仮に、幸せになる事が出来ないのが自分の自分らしさだったとしても。それでもいい。私はその自分を自分のままに認めたい。自分だけでも自分を肯定し、支えてあげたいと思うんだ。そうすることで、やっと自分を生きる事が出来ると思うの。


実際死ぬ日は選べるけれど、もしかしたら選べないかもしれない。じゃあいつ何時死んでも「後悔のないように」、自分を生きるというスタートラインに立つことだけはしておきたいものだ。そうじゃなきゃ、後悔すらできやしない。

kayocokayoco 2007/04/24 17:30 そんなこと言わないでくださいよ。あたしが今あるのは、そして毎日そこそこ楽しく過ごせてるのは(上に「そこそこ」とつくのはそれなりの理由があるのだけど)、まぎれもなくのだださんと知り合えたおかげだから。テンプレな幸福なんて知るか、オリジナルを探そう、って堂々としてようよ。
後であたしがある方からいただいたメールの一部を転送してあげるから。
他動というか、イイ年して落ち着きがない、というのはいつもあたしを落ち込ませるけどね。

rocoroco3310rocoroco3310 2007/04/24 21:27 このエントリに全力で同意します。ちょっと泣きそうなくらい同意です。
私も、「こんな風だから社会不適合者なんだよ」って部分がたくさんあって
それは自分の持つ障碍にも関係があり、その不適合な部分を持っているがゆえに
時に生命を脅かされるくらいの圧迫を感じるときがあるのですが
だからといってそれが自分の淘汰されるべき部分という感じではなくて、
葛藤はしつつも、その矛盾を抱えて生きて行きたいという気持ちが強いです。
なぜなら、その矛盾故に、自分が自分である、私が私たるゆえんはそこにある、と思えるからです。

>でも他のみんなは自分みたいな欠陥人間じゃないんだよね負けてるよね、とか思う必要は実はなくて。

他人と比べて生きづらさを感じることはあっても、生ってそもそも相対的なものじゃないですよね。
私は私として生きる事に意義があって、私は私ではない他人を生きたいのではないのだから。
私たちは、他者との違いに気づけば気づくほど、ただ一人の自分を自覚する事ができるのですよね。

>私は幸せに死ねなくてもいい。幸せになれなくてもいい。幸せじゃなかった。そう思う自分であっても・・・、仮に、幸せになる事が出来ないのが自分の自分らしさだったとしても。それでもいい。

私も、仮に幸せになれなくとも、「私」としていかに生きるかに一生懸命になりたいです。私という生き物を多様性のひとつとして作ってくれた遺伝子のためにも(w)、私は私というただ一人の生き物としての生を全力に生きたいです。
合理的でなくても、社会的でなくても。

nodadanodada 2007/04/25 15:42 kayocoさん、こんにちは。ビューワー様には遅レスなのだだです;

ありがとー。私もkayocoさんに色々影響貰ってるので。というか、そんな大層なお言葉貰っちゃっていいんだろうか!もったいない言葉、いつもありがとうございますです!><

>テンプレな幸福なんて知るか、オリジナルを探そう、って堂々としてようよ。
違うのよ、そうじゃないのよkayocoさん!kayocoさんが言うように、「落ち込ませる」ものがどうしても自分にはあるんだよね。で、それは努力して変えれたらそれでもいいけど、変えれないなら、変えたくないのなら、そのまま落ち込ませる事実を受け入れようよ、と思いまして。

で、私はむしろオリジナルを見つけよう!とばかり奮闘するタイプで、「テンプレ的な幸せなんて!」とか思っちゃうタイプなんですね。
けれど、そうじゃない。多数派に馴染めないことを苦痛に思う事を素直に受け入れられないというのは、結局は内なる多数派至上主義の裏返しなんじゃないかと思うわけ。自分の中のオリジナルではない価値感を、多数派と対置させて「向こうの価値は私の価値より劣ってるんだ!」として堅持させても、事実私にだって色んな価値感がある。その中には多数派の「良い物」を「良い」とする価値感も確かにあるんだよね。
そういう自分の感性を素直に受け入れられない状態でオリジナルを目指そうとしても、それは単にテンプレに対する執着の裏返しであって、オリジナルなオルタナティブではない。(規範の裏返し
そうではなくって、今実際にある自分の感性や自分の思ってる後悔をありのまま見つめた先にこそ、自分が「なにを目指す」「さあ、どうしようか」が発掘できてくるんじゃないかなぁと思うわけです。だから今回のは決して、負けて悲しいんだ、とかいうエントリではなくって、自分を生きる事への声明なんだよね。
多様な価値感を認めるということは、何も少数派の価値感におもねるということではない。正に多様である世界の中で自分の立場がどうあるのか。そういう考察の果てに自分を肯定していく。これなくして、社会や世界の文脈での自己肯定なんてありえないんだよなぁ。
人には後悔することも多いけれど、それも人生だっていうんなら、その人生を自分の心くらいは受け止めて生きたいものです!お互い切磋琢磨しましょうねー^^

nodadanodada 2007/04/25 16:19 rocoroco3310さん、コメントありがとうございます、こんにちは。

えー、rocoroco3310さんのコメント内容、私のほうこそ全力で同意します。私にも強く伝わるものがあります。

>時に生命を脅かされるくらいの圧迫を感じるときがあるのですが
だからといってそれが自分の淘汰されるべき部分という感じではなくて、
葛藤はしつつも、その矛盾を抱えて生きて行きたいという気持ちが強いです。
なぜなら、その矛盾故に、自分が自分である、私が私たるゆえんはそこにある、と思えるからです。

これ、共感します。私は私の特徴ゆえに生命の危機を感じることなく生きられます。けれど、結局それは、この社会において自分がどう評価されるか?という部分は共通してるんだと感じます。障碍というものが、この社会の中でどういう位置に立つのか。それは私は当事者性を持って語れないけれど、自分の特性を持つことが時に淘汰されるべきものじゃないかと不安に感じることの気持ちが、私なりにもあるんですよね。(同性愛と呼ばれる欲望を持つことで、生きてていいのか迷った時期もありました)
けれど、そうした自分の持つ部分を社会に受け入れられないとき、まずは自分がそれを矜持として抱えたいと私は思った。社会の価値感が私を不安にさせるけれど、でも、その不安にさせる自分の部分は「私が私たるゆえん」でもあった。そんな私たちも社会の中で生きる一人の人間。「葛藤」や「矛盾」を抱えることは避けられなかたけれど、「それ」があるから私は私なんだ。葛藤と矛盾を孕んで生きてきた自分がここに居る。

だから
>私は私として生きる事に意義があって、私は私ではない他人を生きたいのではないのだから。
 、と私も強く思います。相対的に見だしたら、いくらでも凹めるけれど、でも自分と云う存在を生きる事以外に私の答えはなかったんですよね・・・。

>他者との違いに気づけば気づくほど、ただ一人の自分を自覚する
 
本当に他人って自分の鏡なんですよね。そして自分もまた誰かの鏡である。そうして自分の形を見つめて、でも見つめたくないほどに認めづらい自分の形が可視化される。それをどう思うかは人それぞれなんですよね。

>私は私というただ一人の生き物としての生を全力に生きたいです。
合理的でなくても、社会的でなくても。

結局自己肯定の源ってここなんだと思うんです。誰かの存在によって、認められる/認められない自分が居る。社会と云う鏡があるからこそ自分の形が見えてくる。で、社会や世界を通さずに自分を見つめることは至難だけれど、その社会と自分を見つめたとき、“自分の認めたい自分”がわかってくる。
そうしたときやっと私たちは、社会にとって合理的ではなくても(!)、この社会の中で生きて行こうと決心できる。
そうして生きてはじめて、社会の中に自分と云う立場の居場所を見つけられるのかもしれません。
合理でなくても、自分こそが認めたい、そういう自分を生きていたい!

そう思うパワーで、私も「私」を生きていたいと思う次第です。生きる意志や価値感は人それぞれだけど、私はやっぱり私でありたいんだな。

なんだか勇気を貰っちゃった気がします。ありがとうございました。それでは。

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2007-04-22 ・・・。

・・・長々と書いて混乱させるのは私の悪いクセ。

あと、蛇足だけど、中村中のPOPへの対応として「そのPOPは や・め・てv」と書いてリクエストカードをTUTAYAのポストに入れたのです。

したら、私が書いたせいか、はたまた単にPOP整理をしていただけなのか、そのPOPは取り外されてました・・・。

ごめんなさい。難しく言い過ぎました。 ごめんなさい。難しく言い過ぎました。を含むブックマーク

下に二つエントリ書きましたが、


今から書く事だけ読んでくだされば十分です。*1


たとえばジェンフリと一緒で、希求する状態は男女平等なんだけど、そのための話術が問題になるってことなわけだが・・・。言葉は単に結果を作るための一戦略に過ぎないのかも。尊重しなければならないとするのも、結局はあらゆる性自認の人が平等に、不当な不利益を被らないようにするのが目的のはず。では、その方法論は以下のようなものとなるだろうか?

  • 男と女という免許を持ってなくても就職に困らず、公的書類に性別欄があるためサービスが受けられない状況を改革する。
  • ネイティブではない男と女が、ネイティブの男と女とは違う待遇を受けたりする差別を抑制し、時には必要であれば公権力から差別を禁止する対策を取る。

この両者は対立してませんね?上手く行けば、どっちも同時進行で執り行えることですよね?つまり性別二元制を支持していても、或いはジェンダーレスを支持しなくても、性別二元制からはみ出る人のフォローはできるということ。まずコレを確認。


では次。

性自認とは、男か女を自認するということ。男女のどちらかを選ぶのだから、性別二元制に依拠しており、そのアクションは性別二元制を支持している。*2

では、このように性別二元制を支持する概念である性自認を、絶対的に「尊重しなければならない」とすると、性別カテゴリは他のカテゴリよりも絶対的価値がある事になる。

だって、実際他のカテゴリでは、別に「尊重したほうがよい」という見解程度で足りている。性別に対するアイデンティファイだけを殊更に重視するならば、それは、性別カテゴリが他よりも特権的な価値を持つことになる。そうなると、性別カテゴリから外れる人は絶対的価値である性別カテゴリから外れるため、不利益を被るかもしれない。


果たしてそうした社会が、本当に戸籍等の性別欄を廃止してくれるような改革を許すだろうか?


性自認を尊重→性別を強化する。という側面もあると思う(だって性別だけを重要視し、他のカテゴリと差別化するわけだから。)。

しかし、問題はそこじゃない。性別と云う規範が強化されることで、男女ではない人が社会的に不利益をこうむることが問題。

白状しよう。仮に「尊重しなければならない」という言説ばかりがピックアップされたとしても、男女ではない人が不利益を被らない社会になるのであれば、いくらでも「しなければならない」と言っても別にいい

けれど、性別と云うカテゴリだけがそんなに重要視されると居心地悪い人もいるんだよね。だって、社会の中で性別だけがそんな重要視されちゃったなら、どうせ性別二元制から外れる人は社会的に排除されるって、多分。だって、それもひとつの(カテゴリとカテゴリ間の)不均衡だもの。


結果的に性別カテゴリも「どうでもいい」ものと言えるくらい、器量のある豊かな社会になれば、多分ジェンダーに関して弱者になる人はいなくなるんじゃないかなぁ。と思うのだけど・・・。


尊重した方がよい

尊重しなくてもいい

双方の意見、どっちがあってもよい。要は、それらの言説の効果と云うものを吟味する必要があるというだけ。言葉は単なる戦略だ。

ただ、どんな人だって社会的に保障さえしてくれれば、誰が何言ってても私的に無問題。それだけのことでした。(なにを長々と繰り返してるんだか・・・。ごめんなさい、コメントくださったお二方様・・・。)

コメント返すためのエントリ・・・。 コメント返すためのエントリ・・・。を含むブックマーク

ちょっとコメント返したいんだけど、やたら長文になるのでエントリにします。その後にコメント返そうかと思います。

まあ、別にビューワー様に読んでもらわなくてもいいんですが・・・。円滑に議論するために書かせて貰います。

続きを読む

とどのつまり、戦略論の話は難しいという話。 とどのつまり、戦略論の話は難しいという話。を含むブックマーク

さらにコメント返そうと思ったらアホみたいに長文になったので、これもエントリーに立てます。一度コメント欄に書いた文章です。↓

続きを読む

*1:むしろ読まないでお願い・・・。

*2性自認ジェンダーアイデンティティーだ。つまり、「大人・子供」なら、そのどちらかに自分をアイデンティファイするということ。「男女」と「大人子供」。これらをアイデンティファイするということで、「男女」「「大人子供」の定義は社会的に構築されていく。

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2007-04-20 ブクマ感謝劇。社会を作る多数の意見。 このエントリーを含むブックマーク

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/nodada/20070412

2007年04月19日 rocoroco3310 米欄参照。管理人様の言っていることに深く同意するが、今現在の社会では誰もジェンダーから自由ではないのだから「今の」社会においては女性という性自認を尊重しないことは「してはいけないこと」でいいのでは?と

うん、ぶ熊ありがとうございます。

読者様にはここでまず注意しておきたいけれど、このブクマ中村中の話ではなくて、性自認の尊重の仕方の事を言及してます。

それで、雑誌YESで中村中は、男女どちらの実感もない!みたいな発言もしていたそうですから、女性の性自認を尊重するべきかどうかは本人に聞いてみないとね。でも、コメント欄で読者様と意見交換をした内容とブクマの内容は中村中性自認がどうであっても直接的に関係ないので、このブクマも当然(中さんとは関係なく)意義あるコメントでした。そう、結局はこのブクマの意見は「今」においての戦略論を語っているようなものだと私は解釈する。注意終わり。


確かにジェンダーと云うものがあり、社会の中の仕組みはジェンダーに基づいた形でも作られてるのだよね。そうしたとき、誰もが完璧にはジェンダーから自由とはいえない。

そういうことだから誰かのジェンダーアイデンティティ性自認)を尊重しなければ、特定の人だけが不均衡な状態に陥る。そのことで不利益を被っちゃいけないだろう。じゃあそうなのだから、結局現時点のような社会の中では「性自認を尊重しないのはしてはいけないこと」とするのが良識で、現時点でとるべき姿勢なのだ。という意見が全体に共有されるべきか?というのが議論の焦点になると思う。


んーとね。でも性自認って結局なんだろ?男である事?女である事?では、そのどちらでもない人の尊重するべき性自認とはなんなのか?

で、私的に問題だと思ってるのは、この世の中には性自認があるひとばかりではないということなんだよね。そりゃ皆が性自認を持っているのなら話は簡単。「みんなの性自認は尊重しましょ!それが社会的合意であるべきだ!」という意見はあってもよい。

けれど世の中は男や女にアイデンティファイしてる人ばかりではない。性自認のない人だってこの社会の中で共存しているのだ。そして、性自認と、さらには性別というものの取り扱われ方と云うのは、性自認のない人にだって影響はあるわけだし、性別カテゴリ関連の話には性自認のない人の意見だって十分に吟味されるべきだ。

そうしたとき、性自認を尊重するというアクションが「期待されるべき行為だ」という社会的合意がなされる場合においての「性自認のない人への取り扱い」と云うものも無視されるべきではない。

私は、「性自認を尊重するべきだ」、から、「性自認を尊重しないのはしてはいけないことだ」、というのには少し距離があると思っていて。

性自認を尊重することには反対する理由もない。逆に尊重されないことでの不利益に反対する動機すら私にはある(アイデンティティの等価を求めたいからね)。けれど、一度性自認の扱いに関して「してはいけない」という『強い期待』を認めてしまうのなら、性自認は常に「ある」べきだとする向きが強まるのは必至だろう。そうしたとき、性別カテゴリを全体に共有させるべきではない!という意見と対立しちゃうかもしれない。ではどちらが尊重されるべき意見だろう。

性別カテゴリを全体に共有させるべきではないという意見は少数派だろう(性自認がない人も少数派)。だけれどだからって無視されるべきではない。では、少数派を苛めるのはいくないことなので多数派が譲ってあげるのが適当か?それは違うと思う。どちらのありかたも認められたらいいと私は思う。お互いの立場で意見を交換して、権利?の調整を図るのがベストだと思う。(社会の設計図はなるべく皆の手で作られたほうが良いと思うし。)

じゃあこの場合、私が述べた意見とブクマの意見はどう調整されるべきカナ?それはこれからいろんな場で議論されるべき難しい問題だと思う。

で、私はこのどちらの意見も必ずしも対立したり分裂する意見でもないと思う。根っこは案外似たようなところにあるんじゃないかとも思うし。

ただ、これらの意見が共闘できる場面ばかりではないと思う。性自認を尊重する、と一言で言っても、それはとても広範な意味を持つだろうし、そのひとつひとつのアクションがどういう結果を及ぼすかは未知数だ。勿論「性自認なんて尊重されなくてもダメージがなければそれでいいじゃん〜そういうのを目指そうよー」という意見からのアクションだってどういう結果を及ぼすかはわからない。もしかしたら性自認を巡って意見が闘争しなきゃいけないこともあるかも。

でもだからってどちらかの意見に二者択一的に傾かなければならないというわけじゃないと思う。私は結局はそのどちらの意見も、この「今」において必要な物だったのではないかと思う。どちらの意見もあり、その意見から学ぶべき所は学んで、色んな意見と立場を吟味した上で社会の在り様を批評していけばよいのではないかと思う。結局はどう調整つけるか、という話に移るのではないか??と私はとりあえず思っていて、どちらが欠けても危ういんじゃないかなぁと思ってる。


あるひとつの意見からのアクションが後々与えるだろう効果と云うものを十分に吟味していくのは必要だろう。で、私はどちらの姿勢や態度を取ったとしても、そのどちらか一つだけが認められるべきだ、という話にするべきではないと思う(←そうしてしまうとどちらかの意見が事実上抹殺されうるから、特定の立場に不利益を被る危険があると思うのだ)。「性自認を尊重したほうがよい」と云う意見と「性自認を尊重されなくてもいいんじゃない」という意見は、どちらも「べき」という強い期待へと自動的に摩り替わるとは思わないのだけれど、これらの姿勢態度の「どちらかしか認められない」と結論付ける必要はないんじゃないかな?と考えてます。甘い意見なのかもしれないけれど、どちらも重要な指摘だと思うし、ちょっと食い違っていたとしても、AorBと並べることで対立させちゃうのはもったいないんじゃないかなぁと思う。一つの意見が社会を作るわけじゃないんだものね。

私はどちらの意見も、いろんな立場を認める上で必要ではないかと思う。

Ry0TARy0TA 2007/04/21 16:34 のだださん、こんにちは。
僕はまだ色んな宿題をやっていないんですが。
今回のエントリでは、「性別」と「性自認」が少し曖昧に同一視されているような印象を受けました。

今の社会では、さまざまな法的社会的制度が、「性別」を基準にしている(この「性別」はセックスとジェンダーが曖昧に一緒にされた概念だと思います)。これがそもそもの問題だと思います。
「性自認」の概念の一つの機能は、特にTGの分野で、「性別(セックス+ジェンダー)」の強制に待ったをかけることだと思うんです。「本人がそうだと思う性がまず尊重されねばならない」という。(TG、GIDの権利保障については詳しくないので、ほぼ想像ですが)
身体的性と性自認が一致していない人(GID)は当人の「性自認」が法的社会的制度でも尊重されねばならない。
「性自認」がない人には、「性別(セックス+ジェンダー)」役割が強制されてはならない。
だから、のだださんがほんとうに言いたいところは、「性別なんてどうでもいい」じゃないかと思います。あるいは、制度的な「性別なんてどうでもいい」が実現し、性自認の自由が保障されたあとでの、「性自認なんてどうでもいい」じゃないかと。

「性自認」「性的指向」で僕がかなり執拗に慎重になるのは、
それらが中立なカテゴリなどではなく、「強制的性別(セックス+ジェンダー)」や「異性愛中心主義」から自由でない現状があるからです。のだださんが最初に言っている「戦略」レベルの話ですか、やはり。
「愛する性別による差別」が厳然とある現状で「愛に性別は関係ない」というのが危険であるように、制度上の「性別」が明らかにGIDの生活を阻害している現実があるのに、「男でも女でもない」と軽々に言ってはいけない。制度的現実的には「男にも女にもなれないし、『男でも女でもない』ものになることも許されない」とも言えるからです。

結局、性別の制度的差異を解消するか緩めて行くこと。
そして、「ない」という選択も含めて、性自認という概念をよく考えて行くこと。「性自認」はジェンダーロールと不可分ですから、社会的ジェンダー概念が変われば何らかの影響を被るだろうから。
僕にはそのぐらいしか思いつかないのですが。

Ry0TARy0TA 2007/04/21 16:38 ん、しかしやはり、僕はのだださんの言わんとすることが分かっていないかもしれない。「性自認が無い」という状態を、僕がよく理解できていないから。
また見当違いのことを言ったかもしれません。

nodadanodada 2007/04/22 23:55 『りょうたさん、こんばんは。大変レス遅れました。すいません。しかもレスする前にレビューブログのほうでトラバ打っちゃってさらにすいません。(BLブログでゲイブロガーの方にトラバ打つのはどうかと思いましたが・・・)

それでですね、まず先に二個目のコメントについてちょと語らせてもらいたいのです。エントリを立てました。別に読まなくても大丈夫ですが、一応・・・。
コレ→http://d.hatena.ne.jp/nodada/20070422
コレの後に一個目のコメントについてレスしたいと思います。

rocoroco3310rocoroco3310 2007/04/23 00:41 とても興味深かったです。
私の適当なコメントに、こんなに丁寧な回答をよせて下さって、どうもありがとうございました。
macska様経由で来てから、ずっと楽しみにブログを拝見しております。
私には完全には理解しきれていない部分が多分にあると思うのですが、
Ry0TAさんのコメントもエントリに合わせて大変勉強になりました。

私が前回のエントリでブログコメントをつけるにあたったきっかけは、コメント欄ののだださんの以下の発言でした。

>では、ジェンダーマジョリティがこれを言われたらどうかって言うと、ジェンダーマイノリティと違って差別には当たらないし、そもそもダメージも少ない。この場合は単に「非礼」というだけ。
>今の社会が性別を強く意識しているからこそ性自認を尊重されないことがすっごく非礼に当たるわけだけど(それプラスジェンダーマイノリティばかりが性自認を尊重されないことがまず非礼)、私はそのような社会があまり好きではない。

この部分から、私は「目指す社会は性別二元制からの解放であるのだから、私はあなたの「差別」をできる限り「非礼」として扱いたいのですよ」と、そういう風に読み取ってしまっていたのです。
それで、

>性自認を持つ人は性自認を尊重“されたほうがよい”と認識され差別がなくなったらそれでいい気がします。一定層だけが尊重されないという不均衡が解消されれば性自認なんて、別にたまに尊重されなくったって「大してダメージじゃない」ようになるんじゃないかなぁと思う。

「一定層だけが尊重されないという不均衡が解消されれば」、「性自認をもつ人は性自認を尊重”されたほうがいい”」ことには完全に同意するけれども、
今現在、あきらかに性自認を尊重されないという不均衡がある限り、その人への救済が急務ではないのか?ということだったのでした。

でも、このエントリでのだださんがおっしゃったように、
性自認を積極的に尊重すれば、性自認は「あって当然」なものとして社会に了承される危険性があること、
それによって性自認のない人へ与えられる影響が未知数であるということ、
このあたりは私の考えにはなかったものでした。私の認識が甘かったと思います。
このようにご指摘をいただいて、感謝致します。

で、ご指摘をふまえてこのエントリを解釈してみたことを以下に書きます。

今、社会でマジョリティの側に了承される性別2元制によって排他される立場にある人(たとえば性同一性障碍者)の性自認を積極的に認める(認めないといけない、とする。認めない事を『禁止』される)ことは、その人自身の救済にはなるかもしれないけれども、それを強く支持すれば、性別カテゴリからの解放を目指したい人の意見と対立する可能性がある。
それは、その救済がその性同一性障碍者を結果的に性別2元制の枠の中に収めることによって、
たとえ既存の「男女観」の範囲を広げはしても、範囲を広げた性別2元性を温存するし、強化することになるから。
そしてそれは既存の「男女観」から自由になりたい人の存在を無視している。
よって、どちらかを強く支持するのではなく、むしろどちらかの強い支持という視点からは、のだださんは距離をとりたいと考えている。
共闘はできないし、食い違うかもしれないけれど、食い違いを対立させてどちらかを淘汰することによって
どのみち切り捨てられる人がでてくる可能性があるからだ。

つまりは、あらゆるセクシュアリティ(ここでは広義に、性的な傾向や対象の方向性の意)を持つの人権を最大限尊重し、権利を均等に配分したいと思うときに
二者択一的な論になることをできるかぎり避けたいがための距離を計っておきたい、ということでしょうか。

また、Ry0TAさんのおっしゃっている、「性自認」「性的指向」が中立的なカテゴリではなく、マジョリティの側の視点に寄り添ったものである(マジョリティの視点なくして出てこない概念の言葉であるというか)ということも(ということですよね?)
私は大変深く同意し、自省しす。

nodadanodada 2007/04/23 01:47 やっぱりやたら長くなったので、一個目のコメントもエントリー立てます。(先にあげたエントリの下に設けました。)

ところでですね、私は伏見著書の欲望問題でも触れたのですが、アイデンティティーによる共同性には否定的ではないんです。
彼が言うように、共同性を欲望することと(たとえば)性別二元制を解消する欲望はどちらが優先されるべきものでもない。つまり、どれが優先課題だとする根拠は特にない。どちらも同じ社会の住人だと認識してます。

りょうたさんは私の立場を、
のだださんがほんとうに言いたいところは、「性別なんてどうでもいい」じゃないかと思います。
と仰いますが、それだと一貫してません。私はもうジェンダーレスは諦めてるんですよねwジェンダーのアイデンティティーを、他のあらゆるアイデンティティーと等価だと認識してる。
で、そのアイデンティティーの取り扱い方が問題なのですよね。具体的な戦略論の問題なのですよね、そこは。
もし、りょうたさんやブクマの方が、絶対的に尊重する向きしか認められない!と云うのなら根本的に戦略が対立してますが、性自認が「ない」事に関しても考えていかなければならないとしていますね。ブクマの方も私の意見に共感を示してくれている。
で、

制度的な「性別なんてどうでもいい」が実現し、性自認の自由が保障されたあとでの、「性自認なんてどうでもいい」じゃないかと。
という点が焦点になるんでしょうね。
うーん、ここまで来ると正直私は具体的な戦略などありませんしお手上げです。
けれど、りょうたさんが仰るような順序付けになるのかどうかが良くわからないんですよ。なにが達成されればどの自由が保障されるのかは、実際予測が難しそうです。
それと、「性自認の自由の保障」という言説(←多分、TSの保障あたりに該当しますかね、これ)と、「性自認なんてどうでもいい」という言説とは、どちらが「あと」になるべきかは、どうも明確ではないような気がするんですよ・・・。だってどちらが欠けても、誰かの立場性を危ぶませるもの。
それなら同時にやっていく他ないと思います。少し具体的に言いますと、TSなどのマイノリティを対象とした差別禁止法を整備するという戦略と、性別二元制が構築されたものという見識を広めつつ社会の制度(戸籍等)を変革する戦略。この二つが需要なのかなぁと妄想してます。
つまり制度を新たに増やすことと、既成の制度を変革することがミソなのかな、と。
この戦略論さえ対立しなければ、私とりょうたさんの意見は(多分)近しい意見だったと思います。

nodadanodada 2007/04/23 03:07 rocoroco3310さん、コメントありがとうございます。当ブログへようこそー。

すいません、どうもレスが擦れ違ってしまいましたね><;
結果的に遅れましたが今からレスさせてもらいます。

まず、今回、rocoroco3310さんのたった一言から私が解釈を広めすぎたことをお詫びします。りょうたさんも含め、少し解釈を広めすぎた感があります。そのせいで少なからずお二方を混乱させたかと思います。すいませんでした。

結局はどちらを優先的に取るか、という議論だったかと思います。けれど、そのように二者択一になる事を避けたかった。これはご指摘のとおりです。

私は最初のエントリで「私はそのような社会があまり好きではない。」と書いちゃいましたが、あれじゃどういうことが好きじゃないのか、或いは好きじゃなかったらどうなのかわかりませんよね。私は、性自認を尊重しなきゃ差別になる、というのが好きじゃなかったんですよ。あの言葉は不適切で、「非礼」と認識されるのは私的に問題じゃないけど、差別に当たるのは問題だ、という趣旨のはずでした。表現が拙くてスイマセン。「すっごく非礼」と書きましたが、ストレートに「差別」と書くべきでした。

>その人への救済が急務ではないのか?
そこなんですよね。でも実は、rocoroco3310さんも、性別の規範や性自認の扱いが緩やかになる事に否定的ではなかった。ですので、私はりょうたさんも含め、「優先順位」に関すること以外は同意見だったはずなんですよね。
で、優先順位についてですが、先のエントリで読解していただいたとおり、「性自認の尊重」だけ(!)が優先事項だとされると他の立場が危ぶまれる、と私は思ったわけです。(と云うか、私がちょっとだけ困るw)

>たとえ既存の「男女観」の範囲を広げはしても
ああ、そっか。確かに既存の男女観は広がりますよねー。でも、性別二元制から外れるクィアは依然蚊帳の外(′`;

>共闘はできないし、食い違うかもしれないけれど、食い違いを対立させてどちらかを淘汰することによって
どのみち切り捨てられる人がでてくる可能性があるからだ。

あ、そういえば「性自認なんてどうでもいい」と「性自認を尊重するべきだ」は基本「共闘」はできないですね、はい。対立はしてないと思うけれど、確かに方向性が逆。
でも思ったんだけど、ここで脚注を立てるべきでした。「性自認なんてどうでもいい」の真意は「性別カテゴリは必要ない」という趣旨ではなく、「性自認が尊重されなくてもダメージのない社会があってもよいはず」ということだったのですから。はい、拙い文章ですいませんでした・・・m(__)m

>人権を最大限尊重し、権利を均等に配分したいと思うときに
二者択一的な論になることをできるかぎり避けたいがための距離を計っておきたい、ということでしょうか
そうですね、権利分配と云う言葉は滲み浅いので自信ないですが、多分ご指摘のとおりだと思います。
で、実は私、距離を取っておきたい、という気持ちはあまりないんですよね。
先にコメントで申しましたが、法律の整備において、「整備を増やす(尊重するべき派)」、「制度を変革する(尊重されなくても大丈夫に派)」という戦略を仮に立てるのであれば、私は後者の立場に立つと思う。(と言っても別に社会参画ほとんどしてないけど)
それは尊重するべきという意見から距離はあっても、最初から主張してる意見からは距離のあるものではないんですよね。で、私としましては、りょうたさんのような意見を、確固としたアイデンティティーをお持ちの方にがんばってもらいたいのですよね。私は別の方向でありたいのです。私変態ですから。

そういうわけで、最初のブクマに限らず今回も議論をより活発にさせてくれる機会を設けてくださったrocoroco3310さんに大感謝です。私の拙い文章に対して意義のあるコメントくださってありがとうございました。

あと、横レスですが、RyOTAさんの仰った性自認性的指向についての「中立」でありますが。
私はあの文章を、性自認・性的指向概念自体の言及ではなく、性自認の中のグラデーションや性的指向の中のグラデーションについて言及なさったのかなと思う。たとえば、
性的指向概念で言うならば、性的指向の中の「同性愛者や両性愛者」といった項が『中立なカテゴリ』ではなく、異性愛と対等ではない『想定されないカテゴリ』である、という趣旨の指摘だったのだと解釈しました。どうでしょうか?
性的指向の場合、「中立」よりは「対等」と言ったほうがシックリくるのかな?
で、性自認に関していうなら、
狭義のTGは「女でも男でもなく」という人がいますが、それは社会の中では(男制・女制ではない)中立なカテゴリとして想定されてあるのではなく、単に「ストレートから逸脱した性」としてスティグマのカテゴリにされている(つまり社会的に想定されていないカテゴリである、と)。そういう指摘だったのだと思ってたのですが・・・それとも全然解釈が違ってたでしょうか?それだったらすいません。

・・・それで、
macskaさん経由と云うことはクィアDVの件でしょうか。あんな拙いエントリから読んでくださったとは!「ずっと楽しみに」といわれると凄い嬉しいです。今回もお読みくださってありがとうございました^^!
それでは感謝しつつ失礼いたします。

rocoroco3310rocoroco3310 2007/04/24 01:41 >まず、今回、rocoroco3310さんのたった一言から私が解釈を広めすぎたことをお詫びします

私は、自分のたった3行のコメントからこんなふうに言論を展開させられるなんてと、むしろ感激する気持ちだったので、謝って頂く必要は全然ないです。

>>たとえ既存の「男女観」の範囲を広げはしても?>ああ、そっか。確かに既存の男女観は広がりますよねー。でも、性別二元制から外れるクィアは依然蚊帳の外(′`;
>「性自認が尊重されなくてもダメージのない社会があってもよいはず」
>法律の整備において、「整備を増やす(尊重するべき派)」、「制度を変革する(尊重されなくても大丈夫に派)」という戦略を仮に立てるのであれば、私は後者の立場に立つと思う。(と言っても別に社会参画ほとんどしてないけど)?それは尊重するべきという意見から距離はあっても、最初から主張してる意見からは距離のあるものではないんですよね。で、私としましては、りょうたさんのような意見を、確固としたアイデンティティーをお持ちの方にがんばってもらいたいのですよね。私は別の方向でありたいのです。私変態ですから。

うんうんとうなずきながら読みました。
のだださんの目指す社会の形や、ご自信の立ち位置みたいなものがよく分かりました。「変態です」という表明は11日のエントリの解釈で読みました。
整備を増やしてもそこから排他される人はどこへ?っていうのは常につっこみ続けなくてはいけないんですよね、制度が変革しない限り。

>RyOTAさんの仰った性自認性的指向についての「中立」でありますが。?私はあの文章を、性自認・性的指向概念自体の言及ではなく、性自認の中のグラデーションや性的指向の中のグラデーションについて言及なさったのかなと思う。
>単に「ストレートから逸脱した性」としてスティグマのカテゴリにされている(つまり社会的に想定されていないカテゴリである、と)。

あああすみません読解力なくて・・・ええと、
私はRy0TAさんの

>「性自認」「性的指向」は強制的性別(セックス+ジェンダー)」や「異性愛中心主義」から自由でない
>制度上の「性別」が明らかにGIDの生活を阻害している現実があるのに、「男でも女でもない」と軽々に言ってはいけない

というところから「『性自認』の尊重とは、結局のところ『性別』の押し付けによって初めて生まれた概念だ、『性的指向』もまた、異性愛中心主義が当たり前の世の中であるから生まれた言葉である」、という解釈をしていました。よし。どうも誤読だ。ええと・・・
性自認自体の概念ではなくて、例えばTGの人の性自認は異性愛の人のそれと対等ではなくて、異性愛の性自認、とあくまでそこからはずれた「それ以外」としての扱いであると。
同様に性的指向も性的指向という概念そのものの話ではなくて、性的指向のなかの同性愛指向は異性愛指向と同等ではなく、やっぱり「異性愛指向」と「そこから脱却した指向」という扱いだと。
こういうことでしょうか。またも激しい誤読をしてしまっていました。
しかもその誤読に「同意」したり「自省」したりしているので二重に恥ずかしい・・・読解力がないばっかりに・・・。
ご指摘感謝致します。Ry0TAさん申し訳ありませんでした〜m(_ _)m

>macskaさん経由と云うことはクィアDVの件でしょうか

そうです。LGBTIってインターセクシュアルまで含める必要があるのか?という指摘、今の社会が異性愛中心主義であるがために、同性間DVは異性間とは別の救済システムが必要だ、に至るまでの論理展開も大変勉強になりました。丁寧に論を追ってくださるので、私のような勉強中の身でもとても読みやすかったです。
そういうわけでこれからも楽しみに拝見しております。
そしてリンク集の方のブログ更新も大変楽しみにしております(よしながさんいいですよね!)

nodadanodada 2007/04/24 03:09 こんばんは。どうもです。rocoroco3310さん。
RyOTAさんのコメントについては、私は書いたように解釈して議論をしてたもので、一応私の解釈を書いただけなのです。真意は私の口からは言えませんので、どうぞ仮の解釈と云うことでお願いします。

色々読んでもらってるみたいでありがたいと共に申し訳ないです。もっと簡潔に伝わりやすく、そして矛盾のないように書きたいものです。今回も、なんだか矛盾があったかもしれません。正直しなければならない、と言ったくらいでここまで書いちゃうのはおかしかったかもと反省してる最中です。ちょっと被害妄想高い方なんで・・・。でも、「どんな言説も同時にあってもよい。」でいいはずだとは思ってます。

>丁寧に論を追ってくださるので
長文を書くとどうも粗が出てしまいます。というか、ちょっと論理が一貫しなくなったりするので、もうちょっと遅くなってもいいから慎重な更新を心がけることをここに誓わせてもらいます。
ですが、このようなご感想を頂いて本当にありがたいです。感謝感激です!>< もっと精進しなくちゃいけませんが、どうか長い目で見てやってください。

>リンク集の方のブログ更新も大変楽しみにしております(よしながさんいいですよね!)
わ!読んでくださってますか!あの遅い更新のブログ!セクマイさんが読んでも腐さんが読んでも少しは面白いものを目指そうと思ってます。どうぞよろしく!嗚呼、ちょっと自分のだめっぷりに凹んでましたが、今回のコメント貰って浮上しました^^本当に、ありがとうございました。
よしながふみさんは注目されるべくして注目された方でしたね!結構な力量です。また機会があればレビューしたいと思いますw
それでは。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/nodada/20070420

2007-04-16 るろうに剣心で妄想しちゃった・・・。

るろウニ剣心の星霜篇ってあったなぁと思ってたら、どうしよう、オイラやおい妄想しちゃったよ・・・>_<; 今の私のBL属性から、やおい属性にまで手を広げちゃあダメよ俺。もう子供の頃じゃないんだから。

でもしちゃったの・・・。

あれ思い出しててね、そ、それでねー?私原作至上主義でもあるからやおい妄想で現実を捻じ曲げるのは無しだとも思うんだけどー。雪代縁と剣心がくっつけば私好みで大変萌えたのにナァと思っちゃいまして・・・。

剣心は薫を今でも愛しながらも、縁の強引な手管に心奪われてしまって、苦悩しながら彼のことを愛してしまうの。それで、結局薫から離れてしまい、それでも心の中で「君を今でも心から想っているのに、彼の手を取ってしまってごめんよ・・・。」と自責の念にかられてるとイイ。(うわー。)

姉を殺した者と殺された者との立場性が、ふたりの孤独な愛の関係にどのような色を帯びさせるのか・・・。妄想が・・・、ああ。

剣心は縁に対して彼の姉を殺してしまった自分の腕が許せなくって。縁は、どうしようもなく彼の心を独占したいと思いながらも、姉を殺した相手を想ってしまう事に悶々としちゃうのー。(最低だよ俺

ふたりは旅に出ます。で、結局殺した者と殺された者との関係には、姉の浄化がなくてはどうしても無理が出てくるのよね。剣心は、贖罪の答えを結局具体的には見出してなくて、彼に対してどのように接していけばよいかわからない。縁も、彼に惹かれてしまうと同時に、姉を殺した相手である事をやっぱり引きづるより他なくって、剣心を愛す自分に当惑していて、剣心になんの声もかけられないの・・・。(っく!

で、今まで警官に追い掛け回されてでも弱き人を守ってきた剣心なのに、自責の念で彼の前では決して刀を抜くことはないの。勿論それに気づいている縁。自分の存在が彼をそのようにさせているのだという事実に悶え、しかしかける言葉など見つからずに剣心との関係に執着以外の何物も見出せないで居る・・・。そんな剣心に苛立ちがつのり、そして姉さえもいないという自分の拠るべきなしの境遇とあいまって、不安定な心持になる。ずっと憎んできた相手だもの、愛しているからと言って忘れる事はできなくって、時に剣心をなじるようになる・・・。「お前も俺を要らないんだろ!いなくなればいいと思ってるんだ!」と不安を吐露する場面も出てくる。で、自分の存在が剣心の毒になるのではないかと思っている縁を、子供をあやすように後ろからそっと抱きしめるシーンがあったらもう最高。

でもそれは、自分が誰からも必要とされてないんじゃないか、姉と同様に剣心もいづれ自分のそばから離れていくのではないかと悲しみに憑かれてしょうがないことの裏返しー。

そんなふたりは、お互いの愛に疲れてしまってさらに無口になっていく・・・。

愛して病まないのに、どうしても自分との距離を計ることができない。共依存の関係であるのに自覚的だけれど、それをどうすることもできないでいる。

彼を愛したいのに。


そうして膠着状態にあるふたりの前に、剣心の昔の男である左之介が現れる!(ェ

必殺二重の極みで一発活を入れて「剣心!嬢ちゃんほっぽって何してやがるんでぇ!?こんな状態のお前を見てられねぇ!」と息巻いて彼を東京に戻そうとします。

縁は、虫の鳴くような掠れた声で「い、行かないで・・・」と呟き、彼の裾を引っ張るんだけども、弱りきっている剣心は、左之介の強い腕に引き寄せられるままに縁の傍を離れてしまう。

そこでたまたまその地で事件の解決のため駆り出されていた斉藤一が、縁と出会う。(ここらへんがご都合主義

剣心を失って気力もない縁は、斉藤の前で逃げることもできないんだけど。斉藤は「抜刀斎は自分のためにはもう刀は抜かない詰まらん男だ。そうしてじっとしていれば奴は他に自分を必要としてる者のところへ行くだろうよ。まあ、もっとも、俺には関係ないがな。・・・お前を捕まえるつもりはない。こっちはただでさえ忙しいんだ。自分の仕事以外の奴を捕まえるつもりはない。しかし抜刀斎やお前のような時化た面した奴が俺の前でうろつくのは我慢ならんからな。・・・とっとと失せろ。」と言い放つ。

縁はその場を呆然と立ち尽くす。

自分は何を失おうとしているのだろう。彼を求めた出したのは自分だ。彼を求めなければ、彼もまた自分を求め続けてはくれないだろう。果たして、自分は彼の手を放して、姉の不在に苛まされ続け、この心の隙間塞げられるだろうか・・・。否、彼がいないのならもうそこに答えはないのだ。彼がいたから自分の苦しみがある。彼がいたからこの心の隙間を塞ぐよう必死に堪えていられた(彼を殺そうとしてたときでさえ、隙間を塞ぐには彼が必要だった)。けれど、彼が俺の目の前から消えるのなら、もうそこは全ての闇だ。彼の贖罪も、自分の過ちも、どれも闇の中だ。

どうして彼を手放そうと思えただろう。彼がいなけりゃもはや自分の明日などありえないのに!

縁は走り出します。彼のいるだろうそこに。

左之介とていきなり東京へは連れ戻せないだろう。きっとどこかで宿を取っているはずだ。そこを虱潰しにあたって行けば、彼にたどり着けるかもしれない。

縁は、そこで自分の罪について思います。初めて悔やみます。今まで自分の心の病みに囚われ、沢山の人を殺してきた。どうしても殺せなかった相手もいた。(姉に似た薫だ)彼もまた、このどうしようもない過去と云う事実に苛まされ続け苦悶してきたのだ。誰かを殺すことで自分に帰って来るとはこういうことなのだ。人を殺し、誰かとの間に埋められない距離を作ってしまう。たとえ愛してしまったとしてもその事実は消えないのだ。そう簡単に癒せないのだ。

そう、癒せるとしたら・・・、それはもう彼しかいない。彼以外に、自分の罪と、そして彼の持つ自分への罪とを結わせ解し、心ごと温められる相手は他にいないのだ。だって、彼が自分の罪と救いの綱を握っている。それは、彼とて同じ。同じ愛を抱えてしまったもの同士が、そこに一筋だけの光を導き出せるのだ。いや、そうして生きられるのかもしれないのだ・・・!

それなら俺は彼を愛したい。彼を愛して、自分への(彼の持つ)罪を許したい。彼に自分の犯した罪を暖めて欲しい。彼もまた、俺の持つ陰から、人切りとしての(数珠繋ぎである)罪を思い起こすだろう。その時にはきっと自分が彼の傍にいたい!彼を暖めることで、自分の罪を償うことを手助けしてもらいたい。罪を償い生きる事を許してもらいたい。彼と手を取り合って、罪の重さに前のめりになりながら必死に許しと救いを辿り寄せたい。・・・許されないのかもしれない。けれど、そうだとしても、そうして死に果てるのなら、そのときは一緒に死にたい。彼の体を抱きながら、ひとところで死にたい。彼がその「地」なのだ。


そして間一髪。左之介が説得を済ませて明日にでも東京に戻ろうとして、そして旅館から出て風呂にでも向かおうとしていたとき、縁は剣心の前に姿を見せた。

はあはあと息を吐く縁。「何しに来た」と憤怒の左ノ。目を向いて驚き、しかし目をそらしてしまう剣心。

(ちょっとここから大爆走。)

彼を手放したくないんだ。しかしどう声をかければよい?自分に一体どのような言葉がかけられるだろうか?自分の犯した罪は、彼の姉を殺したことを所以としているのだ。はたしてどのようにして彼との人生を歩むため、手を差し伸べればよいか。

彼は吐露する。

「あんたが俺の姉を殺したんだ。」

「・・・。」

「だから俺は人を殺め、ここまで行き着いた。」

「・・・・。」顔を歪ませる剣心。

「だから・・・あんたには責任がある・・・。」

「!さっきから何ごちゃごちゃ抜かしやがる!剣心は贖罪の道を探そうと、自分の剣を人の為に振るうんだ。手前なんかと一緒にするんじゃねえ!これから剣心は嬢ちゃんの元へ帰るんだ!」

しかぁし、左ノの言葉を振り切り縁は言葉を続ける。

「俺の罪はあんたの罪と横つながりだ。あんたが本当に自分の罪を償えるのか、俺は見なきゃいけない。」

「あんたも、俺の中にある、あんたが犯した罪をちゃんと償えたかどうか見なきゃいけない。そうしなきゃ、俺が犯した罪も一生晴れた気がしないよ・・・。でもそれはひとりじゃできないだろ?片方かけてもダメだ。・・・俺はこのままじゃあ自分の罪を償うことができない。償うには一緒に互いを見つめあい、背負ってくれる誰かが必要だ。」

「・・・・」

「俺が罪を償うにはあんたがいなきゃダメなんだよ!自分と鏡合わせの罪を見つめることで、俺はやっと自分のしてきたことに気づけた。俺をこの罪ごと救えるかもしれないのはあんたしかいないんだ!」

「・・・縁。」

「あんたには俺を愛する責任がある!本当に俺たちの罪を償えるかどうか、あんたもいっしょに見ていてくれなきゃイヤだ!あんたの人生を、俺にくれ。」

(↑自分でもどういう論拠立てかわからないorz

「縁・・・。お前が拙者を必要とすることで生きていられるのなら・・・、お前を愛したい・・・。縁、お前が必要なんだ・・・。愛したいんだ。」

とかなんとか言い合って、ふたりは手を取り合います。モチのロン、左ノは反対しますが、見つめあう二人に諦めたのか「ッチ!」と舌打ちしてその場を去ります・・・(あ、しまった!こうなちゃうと私、左の介と薫が空虚を埋めあうような形で剣心との思い出を重ね合わせつつ一生を添い続けるストーリーも欲しくなっちゃうよ!そうね、たとえば剣心を引き止められなかった自分を責めながらも、薫に真相は語れない左之介。責任の一端があると思う左之介は、ひとりになった薫を支えます。けれど、薫は剣心を想ったまま。実は左之介もそれは同様で、剣心と自分と薫と、その三角関係の中、薫を癒そうと懸命になるのです。・・・で、左之介の剣心を引き止められなかった自責の念を、実は薫は気づいていた・・・という話ならとてもステキ。)。


そうしてふたりは、結局まだ始まってすらいなかった“ふたりの罪の”償いをするべく歩みだすのです。(もちろんここでお約束の露天風呂Hが投入されます!縁×剣心です。鬼畜攻めと健気受け。)

手を取り合って歩みだすその一歩はとても重いのでありまする。お互いの中にある、自分の罪を見つめあいながら、どうやって生きていくのか。見当も付かない。けれど、せめてお互いの事だけでも許し合う事が出来れば・・・、もしかしたらその中で自分たちの歩むべき道が見つかるかもしれない。そんな淡い希望に縋るような恋だけれど、確かに傍にある体温を感じながら、ふたりの人生は一筋の光を探しに行くのです><!

傷付けた人も多いけれど、ふたりが愛し合うのならきっと報われる命もあるよね。そう、巴、きっと彼女もそんなふたりを許してくれるよ!・・・多分。


しかし、こんなことをつらつら考える私はどうかしている・・・。るろうに剣心明治剣客浪漫譚。ここに完結しとけ。

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今パソコンが半分いかれてるので自分じゃ聞けないよ・・・。 D



素敵だナァ。まじエロイし、まじファンタスティック。こういうの好きだわぁ。


ホモエロで思い出した。明日にでもビョークホモジェニック買いに行こうかナァ。どっかあるかな。私の地元は田舎だけど・・・。

kayocokayoco 2007/04/17 09:45 こちらでは久々です。

>パソが半分いかれてる
えっ、そうなんですか?
じゃあ、わたしが送ったメール見てらっしゃらないんですね?
では取り急ぎ。
3月23日付けのやり取り、ちょっとわけあってある方に送ります。わたしがどう「独自の視点を持っている」かアレが一番わかると思うので。
ご一報ください。

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2007-04-12 中村中のアルバムのPOPが!! このエントリーを含むブックマーク

今日さ、母と『あらしのよるに』の映画の感想話してたんだけど、したら母リンはラストの方を「あれはな、きっとふたりとも死んで天国で再会したってことだと思う・・・。」と仰いました。

あぁ、そうだったんですか?そいつぁシュール。きっと私は母の血を継いでいます。


ところでさ、こないだTUTAYA行ってCDレンタルしてきたのさ。したらね?中村中のアルバムも売れ筋のところに出てあったの。そいで、TUTAYAの店員の手書きポップもついてあったの。

「ワー売れてるのかなぁ。」とか思ってたんだけど、ところがね、そこに「男でも女でもなく」みたいなこと書かれてた・・・・。えー〜!?


いや、一瞬「蔦森樹か?!」と思ったけど、やっぱり中村中だった・・・。いやぁ、どういうつもりだったのか、TUTAYA店員の誰かさん。私1人びっくりしちゃってたよ。


えーと、どうして素直に女性を女性として見れないのでつか?ごくごく単純に考えて、女性を女性として扱わないのは失礼なのでは!と思うのですが。

自分を男性だと思ってるのに突然「君は女だね」とか「男ではないよ」とか言われたらなんか微妙だと思うんだけど。人によるけど、嫌な気持ちになる人も多いのではー?てか、人として失礼ではー。


なんかねもうね、どうしてこうもネイティブでないからと言って、ただそれだけの理由で人の性別を尊重する、ていうごくごく当たり前のことができなくなるんだろう。

ネイティブでなかったら「自分が思ってる性(別)ではない性(別)」として扱っていい、と思っちまってるのかね〜。やぁだねー、そういうの。

え?「性同一性障害をよく知らなかったから悪気はない」?「中村中のことを詳しく知らなくて誤解してたからしょうがない」?そんなの関係ないよ。そんなの当人からしたら、自分の性自認を尊重してもらえなかったことに変わりはないんだし。


知らなかったとしても、一体誰がどこで「中村中は男でも女でもない」と言ったんだよ。そうでも言ってなきゃあ、そんな文言つけるのあからさまに不自然じゃん。

結局は―ネイティブでないから性自認を尊重しなかった―という選択がそこにあったことになるんじゃん。自分で「私は男でも女でもない」なんて言っていないのに、「男でもない女でもない」者として扱って欲しいと一体誰が思うんだよ*1

ていうか世間の大多数が「女(男)に見えてたら女(男)」扱いするのが大抵なのに、どうして中村中に関してはそれをしなかったの?意味深〜。不思議でならないんですけど?

あと、もし性同一性障害だと知ってたんなら、尚更なんで性別に関してこんな文言つけるの?世間では何度も何度も「反対の性に、間違って生まれてきた」とか「心は女(男)」とか言われ続けてきたのに、それでも尚、性同一性障害の当事者の性自認を殊更に尊重しないのはなぜか分からないし。言い訳なんて通用しないよーだ。*2


結局さ、そのTUTAYAの店員は「ネイティブでなかったら男として扱わないし女として扱わないでいい。」みたいな差別的な意識があったんだよ。中村中のこと詳しく知らなくても、不用意に人の性別にこんな文言つけないよ、通常は。



しかしこれ、性別に関してはすっごく失礼極まりないことのように思えるよねー。

自分が思ってるものと思われないことなんて、誰にでも日常的にある事じゃん?それでも別にそんな大ダメージ受けることでもなければ、それほど失礼でもないと思えたりするって場合も多いじゃん?

でも、こと性別になると、性自認尊重しないのってすっごくダメージだしすっごく失礼な感じじゃん?それってきっと、世間で「性別」がやたら重視されてるってことなんだろうねー。

私は「男でも女でもなく」と言われると、ソッチの方がありがたいんだけどさ。いつか沢山時が過ぎて性別がそんなに重視されなくなったら、「男でも女でもなく」て言われても大抵の人がなんとも思わないようになったりするのかなぁ・・・。

*1:あ、私の場合おkっす。

*2:ただ、「男から女にトランスしたこと」を否定的に捉える必要は、私はないんじゃないかなぁと思う。トランスして女や男になっても、女だし、男じゃん。女とか男である事に貴賎はないぜ!要は、ネイティブであろうとなかろうと、相手の性自認を尊重しないのが失礼ってだけの話だし。非ネイティブである事を「隠さなければならない」ことにする必要は、必ずしもないんじゃないかなぁと思う。人によるよね。

Ry0TARy0TA 2007/04/13 01:15 「トランス」ジェンダーを「性別をまたいでいる」と誤解している人がいるんでしょうか>男でも女でも
クィア音楽評論家の藤嶋貴樹さんも、中村中がGIDを公表した途端、彼女を男扱いしだしたメディアを批判してました。彼女のカミングアウトの勇気をたたえて「さすが漢だ!」と繰り返しているファンブログもあった。あれは驚きましたが。
それはフツーにTSUTAYAに言ってやっていいんじゃないでしょうか。「知らなかった」じゃすまないことだから。
これは大分昔だけど、「ボーイズ・ドント・クライ」のヒラリー・スワンクがインタビューでブランドンを「彼女」と呼んでいて、「え?」と思ったのを憶えてます。スワンクはブランドンとGIDについて徹底的に調べてあの役でオスカー取ったのに。彼女は「彼」と言っていて和訳で変えられちゃったのか、分からないけど。
なんだかGIDについては今なお杜撰な理解や発言が多い気がしますね。でもやはり「知らなかった」じゃ済まされない。

nodadanodada 2007/04/13 23:57 RyOTAさん、こんばんは。突然の雨で桜がみるみるうちに散っていきました。もののあわれです。

>「性別をまたいでいる」と誤解
 もっと言うのなら、「男と女の両方に足を突っ込んでいて、両方の性の中間にいる」といった誤解でしょうか。
性同一性障害に関しては、とりあえずhttp://d.hatena.ne.jp/annojo/20070108などを見るべし、ですね。

>クィア音楽評論家の藤嶋貴樹さんも
 これですね。http://queermusicexperience.blog10.fc2.com/blog-entry-117.html
・・・ゲー!私これちゃんと読んでなかったです。「“男”という自覚はないし、“女”という実感もない。」と中村中本人が言ってたんですね。藤嶋さんの(コメント欄で)言うように、「言葉の独り歩き」というものに注意はしたほうがよいですが、中村中の性自認については少し性同一性障害という言葉から安直に判断しづらいものなのかもしれない。(昔は「性同一性障害」は性別越境のための方便として使われだした面もあるそうですが)もしかしたら中村中は性同一性障害と云う言葉を、もっと個人的な意味を見出して使っているのかもしれませんね。どういうことだろ・・・。
なんていうかな、「性同一性障害」という言葉自体、医学用語の面と法文上の定義の面と、あとさらには日常会話の中での面も持っていて、その使われようがとても大味なんですよね。だから、性同一性障害を名乗ってる人の性自認についても、やはり他の人同様決め付けは危ういのかもしれません。う〜ん><
ちょっとこれは一概に「こうしたほうがよい」という答えのようなものが導き出せなくなってきました。TUTAYAの場合も、一体どのようなアクションが好ましいいのか、簡単に答えは見つからない気がします。とりあえず、明日にでもTUTAYA行くときどうするか考えてみます。

>「知らなかった」じゃ済まされない
そうですね。でも、それには一定の留意が必要な話なんだと思う。勿論、無闇に他人の性自認について「男でも女でもなく」と描くのは不用意だし慎むべき行為だと思うんですね。人のコミュニケーションとして非礼です。
で、問題なのは、性同一性障害の当事者にとどまらず、ジェンダーマイノリティがことさらに“性自認を尊重されない”というのは、明らかに不均衡で、この不均衡には差別の背景がある。だからこそ、あのポップには−社会的な−(!)問題がある。その面から言うと、許容すべきことではありませんよね。
では、ジェンダーマジョリティがこれを言われたらどうかって言うと、ジェンダーマイノリティと違って差別には当たらないし、そもそもダメージも少ない。この場合は単に「非礼」というだけ。そう、問題なのは、性同一性障害の当事者含めジェンダーマイノリティが性自認を尊重されないようになっているその構造なんですよね。

これを踏まえて申しますと、私は中村中の性自認が不明瞭であるにもかかわらずポップのようなことを書くのは当然問題であると考えます。
しかし、私にはRyOTAさんと違ってあまり強く「済まされないこと」といえなかったのです。どうしてかって言うと、最後の方で書いたとおり、今の社会が性別を強く意識しているからこそ性自認を尊重されないことがすっごく非礼に当たるわけだけど(それプラスジェンダーマイノリティばかりが性自認を尊重されないことがまず非礼)、私はそのような社会があまり好きではない。
で、ここでもし性自認を尊重しろ!と強く言っちゃうと、私自身性別二元制を支持しちゃうみたいでちょっとイヤだったんです。だから最後にあんな様なことを書いた。(時代が変われば〜)
ですからこの問題では、私はどっちか言うと、「差別の構造を問題視しつつも、性別二元制自体は強化しない」という姿勢なんですよ。だから、あまり一貫して性自認を尊重しないことを「してはいけないこと」みたいな事柄として見ないように一定の留意をしつつも、「人として当然のコミュニケーションがなってないよー?」という程度の姿勢でいたいんです・・・。
私は、ジェンダーマイノリティも性同一性障害の当事者も関係なく、性自認を持つ人は性自認を尊重“されたほうがよい”と認識され差別がなくなったらそれでいい気がします。一定層だけが尊重されないという不均衡が解消されれば性自認なんて、別にたまに尊重されなくったって「大してダメージじゃない」ようになるんじゃないかなぁと思う。というか、そうなって欲しい。それが私の意見なんですよね。
大方同意見なんですが、RyOTAさんとはもしかしたらここらへんが少し相違点なのかもしれない・・・。
とにかく、私はこんなポップだされても痛くも痒くもない社会になってくれたらいいなぁと思う次第なんです。(だ、だめ?)

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2007-04-11 意味が・・・。

これね、ようつべでyaoi検索掛けると頭に出てくるんだけど、どこらへんが「Gay Bar」なのかわからない・・・。

D

「性少年が自室にこもってすることと言えば・・・」

なんだろ。何するんだろ。あ、あれかな。水子の霊と交信?あー、私も若い頃はよくやった。

ちょっとくぃあ〜(来ぃや)! ちょっとくぃあ〜(来ぃや)!を含むブックマーク

ワシは単純に考えて、自分の今が変態だって評価されるんだったら変態なんだろうねって思う。うん、変態だ。て風に考えてるので。

もし、今とは逆にワシみたいのが変態と言われなくなれば、ワシも変態とは名乗れなくなるだろうね。


仲間は大事! - 攝津正

クイアーについて考えてみよう!

文脈によってクィアの意味は相当変わる、と言われてるけれどねー。

http://www.medical-tribune.co.jp/ss/2005-10/ss0510-1.htm

クイアという用語の出自。(真ん中辺)

http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/bugai/kokugen/tagen/tagenbunka/vol3/yamada3.pdf

これは難しすぎね。

続きを読む

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2007-04-10 ありきたりな、だなぁ。 このエントリーを含むブックマーク

下と関係ないけど。

http://spa.fusosha.co.jp/ent_3071.php

なんていうか、こういうのって1人で忙しないネェ。とか思っちゃう。


D

今はようつべでBLの翻訳も読めるので便利みたいね。

アメリカンやおい

あっちでやおいを英語にしたり、こっちでスラッシュを日本語にしたりもしてるみたいよ?

私はせいぜいBL商業誌読むだけですが。

http://coolboys.jp/bbs/c-board.cgi?cmd=one;no=8704;id=talk

で、同性愛BLに関しては、とりあえずこちらにある論争だけでも把握しておくと議論しやすいかもしれません。(というか、このテーマにおいてどういう議論がなされてあるのかが、この掲示板のやり取りでイメージできるかもね。)

そういえば私も最近DVD『BOYSLOVE』で「禁断の愛」て文句を出してることをエントリで書いた気がする…。ま、他の箇所でも突っ込むところは突っ込んでみてください。


ていうか、多分私がBL描いたって美化しちゃうでしょうね、ゲイ。どういう美化かって言うのは人それぞれだろうけど、私は「ゲイ」という存在を本当に「知っている」のかと問われるとどう答えていいかわからないもの(ゆえに、自分の中の美化と評価されるようなイメージのゲイを表現するかも。)。これは何の名前にも言える事だけれど、たとえば「セクシュアリティ研究」とはどの領域を指すのですか?と問われれば、「人がセクシュアリティと呼びセクシュアリティと認識する集合的な知を研究する領域」くらいの意味不明な回答がなされるんじゃないかと思う。学者じゃないからどうとも言えないけど。

そういうものに対して、どうしても「この描き方が『より当事者視点だ』and『現実的だ』and『美化していない』」という言い方をしてしまうけれど、それは実は逆で、美化されたりとデフォルメされた姿と云うのは、実は現実を逆説的に説明してるわけだから、逆に対象を立体的にする効果を持つと私は思う。まず答えがあるのではなく、「見えざる本質」という(偶像を崇拝するかのような)「真実」の上で語ることから「答えと思える答え」が証明されていくんじゃないかしらん?*1

この「読み」と「語り」の膠着(構築?)状態の関係を読み解くことから、「現代において『ゲイ』がどう語られうるものか、どういうものとして社会的に存在しているか」が見えてくるわけで。

文化的なものを文化媒体を通して読み解くのは、実は(やおいなどの)美化されたファンタジー性を消費するだけにとどまらず、表象の分析と云う意味を持つのではー。

*1:念のために言っておくけど、私は「ゲイはいない」などと言ってるわけではなくて、「ゲイとして」生きている人々が社会文化の中でどのように存在しているか?という構築主義的な視点でものを言ってるわけよ。

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2007-04-07 うそぉん!あんたもかよ! このエントリーを含むブックマーク

同人誌生活文化総合研究所 -TOP-

ちょちょちょ・・・!!ちょっ!おまっ!・・・・!!!ま、またかよぉおうぅorz


そういやビブも4月だったか・・・。そういう季節なの?春って。

リーフ/雄飛、業務停止に

4月5日午前10時半ごろ、両社社長を務める宮澤新一氏が全社員に解雇通告した。同日付で破産整理の手続きに入ったもよう。社員は「寝耳に水。詳しい報告はまだ何も聞かされていない」と語っている。

http://www.shinbunka.co.jp/

発売遅延とファンクラブ休止。不穏な陰はあった模様。

まだ下は繋がるようです。

http://www.leaf-inc.co.jp/menu.html


でもちょっと不謹慎だけど、私の第二の人生を築いてくれたBL作家さんのイラストで欲しいやつは既に買ってあったので救い。あと、『[rakuten:book:11328318:title]』は多分いつの日かどこかの出版会社で再販してくれるだろうから今回は見送る。そういうことってあるんだよ。私それでリブレで痛い目見たもん。(現在進行形)

皆様!冷静に!ここは冷静に!でも作家さんは今すぐ会社に行って原稿を奪取して来て!そうしなきゃ我々読者は再販でさえも読めなくなっちゃうから!(データ保存してるならともかく!)

しかしここらへんは私フォローできてませんが、リーフ・雄飛で続編が出るものってありましたっけ?


追記

bk-1amazon楽天7&Yとネット書店では今も扱ってるみたいね。ビブロスのときみたいにいち早く7&Yが撤収かかるかと思ったけど・・どうなることやら。

ビブのときみたいにどこかの会社がブランド引き継ぐてことはまずないだろうネェ。引き取っても在庫を抱え込むなんてことはなさそうだし、欲しいのがあればある内に確保しておきましょうかね・・・。

ビブ倒産のときの皆様の体験を活かして、あそこは返品しない、アソコは危ない、などの計算をした上でお買い求めしましょう。

私もこれから本屋行けると思うのでチェックしてこようっと。さあ!腐の猛者どもよ!いざ行かん!

http://www.geocities.jp/see_face76/←前々から何を感じていたの?http://cscblog.jp/tb/tb.php/0000167211こういう奇跡的回避能力ってなんて言うんだろう。

メモ

買うかもしれないメモ

海に還ろう 剛しいら

やさしいナイフ 木村メタヲ

beast love 金田えびな

有栖川家の花嫁 雪代鞠絵

夜ごとの花 高岡ミズミ

恋の引力 妃川蛍

アフター5は恋のお時間1・2 水上ルイ

この愛にひざまずけ・この愛に溺れろ 早水しほり

深き恋の闇に乱れて ・甘やかに恋の闇はいざなう  水月真兎

ていうか、今日本屋行ってきたんだけど、そこ私の地元じゃ一番でかいのよ。なんだけど、私バカだからさ、帯ついてないといやなんだよね。帯がないばかりに帯の文章紹介できない悔しさのせいにレビューブログで感想書くのをためらっちゃったり(最近サボってるよ、今日もサボるよ。)、意味不明なコダワリ見せたって誰も喜びゃあしない。でさ、帯がないとね、もしかしたら他の店なら帯つきも売ってるかな?とか淡い期待持っちゃってなかなか購入しそびれるわけよ。

したら結局私の行動範囲じゃ帯びつき見つからないわ、さらには新刊であったのに既刊に分類されるくらい古くなって、そのせいで本棚移動されていく本たちは角が整理する時なんかに傷作っちゃって。もうお嫁にいけない、じゃないな、お婿にいけないBLちゃんになっちゃって手も足も出ねぇ、て事態に陥っちゃうんだよ。あーくそダリぃ。

しかも私は綺麗な本が好きだからさ、どうしても角がグチャてなってるとやりきれない気持ちになって「いつか本当の綺麗なままの君に出会えるよ」とか思って買わないまま、「あれ?そういえばどの本を買いそびれてたんだっけ?」とかいうことになる。それでしかも積読があまりにも多すぎていざ綺麗な本のままでその子を見つけても「あ、あれ?これ買ったっけ?どうだっけ?」とかいう事態にも見舞われるともう最悪。


ていうか今日やっとこさメガネ買いに行ったんだけど。もうメガネつけたときの私の目の小ささときたら。よくあるあれ。「違う!こんなの自分じゃない!」みたいな否認。ワタシ写真写りわるいからぁとか言っちゃってそのまんまの自分を写してんじゃん。往生際悪いなぁ、認めろよ。みたいな。

しかし問題はアレだわ。肌があまりにもアレだわ。ファンデーション買ってこようかな。うん。なんのためってそりゃあんた、メガネかけてそのまんまの私を見る自分がかわいそう。やるせねぇ。

そんで髪も切ろう。うん。思いっきり切ってさっぱりさせて。前髪作ってもらおうかな。前美容院言って来たら(あー、もう言って来たらじゃなくて行って来たら、でしょ!なんで間違うかなぁ。もういい世面倒くさいから誤字のまま。←て書いてる間に訂正すりゃあいいんだけど。)、とある美容院の兄ちゃんが、「前髪作ったら女の子みたいになっちゃうよ」とか言いやがるんだけど。あのさ、私の最初の言葉聞いてなかった?「フェミニンな髪型にしてください」つってんだろうがっ!!女の子みたいになっても全然無問題だっつーの。ごちゃごちゃウルサイなぁ。

そういえばちょっと前まで行ってた美容院の方もさ、「君男の子だから横髪耳の後ろにかけたりしないよね」とかしきりに聞いてくるんだけど(←髪を耳に引っ掛けたらクセがついちゃうので、それの忠告。)、うるせー!横髪を耳の後ろに流すくれー好きにさせろー!いちいち男女うるせーなーもう!

あーもう問題はそこじゃないのよ。メガネだよ。

ていうかていうか、最近知ったんだけど。私の身近に視力2.0のお馬鹿がいた!ひぃい!見ないで!私を見ないで!私の毛穴を見ないで!!

2・0の世界かぁ。世も末ね;

つーかワタシ驚いたことに視力0.05?だったんだって。よく見えてたな自分。いっそ感心するわ。まあそのせいでいざメガネにしてみたら・・・レンズ厚!!!どんだけ太いねん貴様。太いのは大根とあと男根で十分じゃ!(いや、短小もニーズあると思うけど。)あーこりゃ目も小さく見えるわなぁ。でもそれでも視力は0.9。いやぁでも今まで0.1切っててもなんとかやってけたのでメガネいつもつけなくてもいいかナァ。

しかしこれがあるおかげで今パソをこぉんなに離れた位置からでも字が読めるぅ!てどんだけの距離かって言うと椅子の背もたれにもたれられるくらい。ワーそう考えると私見えてなかったんだなぁ。今日買ってきたマザーファッカーズ●底辺BL作家の日常●に出てくるようなツンデレオネェ店員も出てこないのは残念だったけどまあいいわ。少し負けてくれたから。

私は視力のいい奴なんてどぅわっきらい!(訳:大嫌い)

あと視力がよくないと見せかけてコンタクトレンズなるものをつけて秘密裏に私の毛穴を覗いてる奴も以下略。近づくなよ?近づいたらお前の視力を、全力で落としてやる。カクゴスルンダナ?

kayocokayoco 2007/04/09 10:01 メガネ買われたんですか? 
視力のいい人間はうらやましいですね。我が家では今私以外は視力のいい奴ばっかりなのでわかってもらえません。親父がメガネ使用者だったのですが。
大丈夫!お金貯めてレーシックよ!(でも怖い)
0.9出るならいいじゃないですか。あたしなんて……ブチブチ……。

ハムムーハムムー 2007/04/10 09:40 自分も眼鏡着けなければいけなくなりました(常にではありませんが)。視力の良い人は本当に羨ましいです。
そして、そこの美容院の店員は客の意見を反対するとは・・・。自分の母親が聞いたら怒りそうです(笑)。

nodadanodada 2007/04/10 23:01 kayocoさん、どうも。
視力のいい人は羨ましいついでに恐怖ですたい!ああ、その透き通る目で私の肌の奥さえ見透かされそう!ヒー><; なんてねw
レーシック。・・・私も怖いんですよねそれ。金あってもしませんー;でも、私は粘膜の話が怖いだけで、他の人には便利なのかもしれないね。色んな方法をちゃんと考えた上で決めなきゃですねー。うーん。お互い視力は大事にしましょう。

ハムムーさん。どうも。
あらー、ハムムーさんもメガネ属性になりますか?!うふふ、メガネ男子だのなんだの言われますから、視力が落ちたら是非メガネですよ☆
美容院さんは・・・、反対はしなかったのですよ?きっと心配してくれたんだろうとはわかるんですが、最初にフェミニンに、と言っておいたのに何聞いてたの?ていう・・・wきっとそれでも、「男」が「女」のような髪形をするのは、美容師としては慎重にならなきゃいかん!ということなのでしょう。うん、余計なお世話ですw

2007-04-05 差別解除するのになんで二者択一? このエントリーを含むブックマーク

昨日の続き。

http://d.hatena.ne.jp/nodada/20070404/p1

こちらのエントリでコメントを頂いたのだけれど、エントリ内でトラバさせてもらったintegralさんの元記事と併せて考えてみたい。

なんだか、単純にお考えになられてるみたいだけれど、差別解除と他者との共存はそんな二者択一の話じゃないと思う。寛容を求める理由や、非寛容、恐怖心などの意識が形式的差別に繋がることへの批判内容を、どうもご理解いただけなかったみたい。(←文章力ないからね。)なんだか食い違いがあるので、前回とは別の議論の方向性で語らせていただきます。

まず、トラバ先から再引用。

その意味ではレズ・ホモの人たちがデモなどで大々的に活動するのも、PoliticalActとして政治的・法律的不利益の是正を求める目的ならばいいと思いますが、世間の人に受け入れてくれ、っていうのは大きなお世話だ、と思いますよ。

*1

さらにコメントから引用。

寛容がなければ問題提起すら、というのは確かにそうかもしれませんが、私は問題提起をすること自体に疑問を持っています。

*2

差異を認めるというのは私の場合は孤であることを受け入れることだと思っていますので、そういう意味では寛容とは逆方向の排除こそが差異を受け入れることになるのじゃないのかなぁ、と思ってます。寛容というのは必然的に自分のフィールドとの共有点を必要としますから、それが善意の人ならともかく、悪意の人だとゆがんだ運用をされるおそれがある。なら、排除を基礎とした理解もあって良いのではないかなぁ、と思います。要するに「大きな御世話」と言うヤツです。

*3

ただ、画一的な扱いを以て本質とする法律的な扱いに於いて差別がある場合はこれは是正されなくてはなりません(ex.例えば少数派はたたきのめしてもいい、などというのは絶対に認められません)が、それはあくまで法的な問題であって、社会的に認容・寛容されるかどうかと直接はつながらないと思うわけです(ただし、この考え方は司法救済を前提としますから、立法によって事前に救済を行おうとするのならば話は変わりますが)。

*4

こうすると、結局隔離何じゃないのか、と言われそうですが、それはそれで仕方ないのではないでしょうか。

*5

では、これらの文章を頭に入れておいて欲しい。


差別と云うものは、差別を維持し強化しようとする構造があって初めて生まれるもののはず。そしてその差別を支え維持し強化するのは、差別者の恐怖心だけでもなく制度自体だけでもないはず。そのどちらもが手を取り合いお互いを支えあうものだからこそ、そこに差別が温存されるんだと思う。

恐怖心(以下フォビア)からくる差別的態度と目に見えるほどわかりやすい制度的差別は、まったく結託していなかったろうか?もしそのようにお考えなら、私は納得できない。みやきちさんが

同性愛者の隔離は一見「不快感」や「恐怖心」に基く「隔離」であるように思えるが、実際はそうではない。もし「不快感」や「恐怖心」それ自体が隔離の根拠ならば、それは「同性愛者」を排除する論理を必要としないだろう。それらが必要とされるのは実は逆であって、「不快感」や「恐怖心」を判断させる変数同性愛者というカテゴリーが使用されているのである。すなわち、「不快感」や「恐怖心」等の測定は実のところ非常に困難であり明示的でないのに対し、「ゲイ」や「レズビアン」は明示化させられているので、それを「不快感」や「恐怖心」の指標とする方が簡単なのである。

http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20070405

結局のところ、同性愛者が排除・隔離される本当の理由は、ただ単に彼または彼女が同性愛者であるという、ただそれだけなのである。不快感がどうこうという理由づけは、その排除を正当化するために持ち出された偽りの<根拠>にすぎない。

http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20070405

と、パロディ文章をお書きになられてる通り、LGBT差別されるのは、確かに制度的なもの以外の要素もあるのよね。フォビアが差別正当化することもある。


米国などでも同性愛者らが結婚できる権利を獲得しようとする際、そこにはかならず原理主義宗教観が邪魔をするものだけれど。

integralさんはどうも差別に対して単純に考え過ぎではないだろか。制度の差別だって私たちが住む世間でのまなざしがあって維持されてるはずでしょ?もし仮に「制度を変えるべきだ!」とだけ主張していればその制度の差別を解除できると思っているのなら楽観的過ぎ。実際権利獲得する際抵抗となるのはフォビアだもの。そう、事実フォビアが制度の差別を支えてるのよ。制度が制度だけで維持されてるのではなく差別者のフォビアが制度の存在と同時に結託して制度を維持し、差別を生んでる*6。制度だけが問題であるのなら、とっくの昔に差別なんて解決してるわよね。差別を維持する誰かがいて、制度を正当化する論理がはびこるから差別が存在し続ける。当たり前のことだと思うからこれは理解してもらえると思う。


では、そのような場合LBGTはどのような戦略に出るのか。

たとえば同性婚を成立させるとき、社会全体で協議する必要があるので、世論を味方につけないと話にならない。社会全体に同性愛者に寛容な態度がなければ、宗教的理由などとあいまって、同性婚の成立は支持されないだろう。では、世論を味方につけるためにフォビアを解除しようとするのは当然の戦略でしょ。


パレードなどでフォビアをやめて〜けんかをやめて〜ふたりをとめて〜と謳うのは、そうした差別正当化する向きと対抗するためでもあるんじゃない?*7

だとしたら、そこには差別解除のための「寛容」がキーになる事だってあるでしょ。

それだのに、寛容を求めることすら必要とせず、制度の解除を求めるだけで十分だ、と言い切るのは、戦略がなさ過ぎて差別解除を目的にしてるにしてはあまりに杜撰。

差別解除については、別に寛容か排除かの二者択一に任されるのではなく、構造を解除するあらゆる複合的な戦略が必要なわけで、その方法は一つには纏まらない。

そこに、パレードなどで寛容を求める戦略だってあっていいはずじゃない。どんな目的でも、別に公共の福祉に反しない限りはどんな戦略とったって別に構わないでしょう?確かにintegralさんが言うように、寛容されるかどうかが、差別解除に直接つながるとは限らないけれど。先に申したとおり、常にフォビアの解除と制度の解除は(軌を一にする、とまでは言わないものの)連続性のある事柄だったと思う。

たとえば政治家は、差別ではなく当選を目的とするわけだけども。そのときその政治家は寛容ではなく受けを狙うわけだ。

政治家LGBT。これを相似形としてみればわかりやすいだろうけど、受けや寛容を求めることで、目的を達成できるのであれば何したってイイじゃない。integralさんが寛容を求めるのを「大きなお世話」だと言うのなら、この政治家にだって同じ理屈として批判しないといけないけど、そうはしないでしょ?別に世間はintegralさんみたいに寛容を求められるのが嫌な人ばかりじゃないし、逆にintegralさんみたいに寛容じゃなくても制度の是正は認めるという人ばかりでもない。

それなら、あらゆる手を尽くして目的を達成した方がよいに決まってる。

そのとき、寛容が(或いは排除が)究極的に行き過ぎれば何か問題が起こるかもしれないけれど、別に誰もそんなこと狙ってるわけじゃなのよ。*8

目的が達成できるだけの状況を作りたいだけだもの。それ以上でも以下でもない。そのために寛容が必要になるのであれば求めたっていいんじゃない?と私は思うけれど。



後、私は全体主義者ではないので「認めろとは言わないけど構うな」という態度は否定しませんが、そういうのはある程度他者と自己が対等でないと正常に機能しません。差別問題はそういう態度の是非を関せず解決されるべきだと私は思うけれど、差別を温存しておいてそういう強者にだけ有利な共存は認めません。LGBTらが差別されてたりする中、「構うな」という態度を社会全体に推し進められたら、侮蔑偏見をされてる層が不利になるに決まっている。少数派なんだからね?具体的な是正をせず、対等な関係も築いてない状況下で無関心を勧めるのは優勝劣敗の中、不利な少数派を貶めるのと同義。というか、差別構造をいかな理由でも温存する向きは社会的に容認しえない。



あー、疲れた。頭痛いのよ今。誰か・・・、私を褒めて。

*1:私はこれから、「だから・・・、法律や制度の是正と世間の寛容との連続性は全くなかった訳じゃないでしょ?」と、主張します。

*2:なぜ?問題提起されなきゃ制度の是正なんて誰もしてくれやしない。

*3:ここではご本人ではないので、integralさんの「孤」や「寛容」の具体的定義はスルーします。申し訳ありません。したがって、文章から客観的に読み取れる範囲内で解釈いたします。

*4:ええ、確かに少数派を叩きのめす法律などは、差別云々ではなく倫理上問題です。しかし少数派に非寛容過ぎる社会はこれを容認します。あと、司法救済のなどのお話は私にはフォローできません。申し訳ありません。

*5:何がどう仕方ないのかわからない。隔離の意味にも拠るけれど、少数派への不当な暴力を容認するには「公共の福祉に反した(犯罪)」などの明確な根拠がなきゃ無理だと思うけれど。

*6:さらに言うと、差別者のフォビアは、制度の差別の存在を根拠に内面化してる場合さえある。常に両者は共犯なのよ。

*7:言っとくけどそれだけじゃないからね。パレードの目的なんて参加する人の数だけあるはずでしょ。一緒に参加してるからって皆が皆、同じ意見を持ってるわけはない。

*8:狙ってる馬鹿がいたら嗤えば済むだけの話。

2007-04-04 二項対立は悪玉菌?

なんかブログ界隈見てると(はてブ?)、二項対立図式はそれだけで悪だ!て印象を持つんだけど、気のせいかしら?

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それでもやっぱり寛容を求めたい。 それでもやっぱり寛容を求めたい。を含むブックマーク

寛容である、と云うのは単なる解決の糸口のファクタでは?

http://d.hatena.ne.jp/integral/20070403

男性を好きになる男に対して

「おかしい事なんて何もない。人間は元々は女だったんだから」

と。

[…]

しかし、ですよ。

この説明は所謂ホモ(レズビアンだって同性という意味ではホモですから)の問題は解決できるかもしれませんが、レズは説明できません。レズを説明するためには女は元々男だったと言わなければなりませんから。

うんうん、生半可な生物学もどきじゃどうしても理屈が破綻しますよね。いろんなケース見たらわかるように、一言でどうこう言える物事自体そうはないもんね。それに一々理屈つけるのが、結局論理をおかしくさせちゃうんだよね。

で、「レズ」ビアンだって「ホモ」セクシュアルなのは至極当然として、レズとかホモとかの言い方なんとかなんない?


で歌詞を見てみましたが、これは明らかに同性愛をテーマにしていませんよ。

歌詞の解釈なんて見方によるけどね。むしろ同性愛自体解釈は限定されないし。

これは差別一般に言えることと思いますが、差異は差異でありのまま認めるしかないんじゃないですか。結局差別問題が形式的には解消されても意識のレベルでは全く解消されないのは、自分たちの理解を超える者をなるべく隠そうとするからでしょう。そして、隠すときに出てくるカバーは自分たちの常識の範疇で作りますから、結局マイノリティーにとっては何の解決にもならない意見ばかり。

差異を差異のままに認める。わー簡潔な言葉だ!こう言えばよかったのね、すっきり。形式的差別の解除が意識的差別の解除とイコールじゃないと云うのは頷けるよね。「絶対ではなく十分条件」ってやつ?一個一個の意見には部分的に同感。

ところで、同性愛者が必ずしも意識のレベルの差別をどうこうしたいと思ってるわけじゃないと思う*1。問題は、ある種の意識が形式的な差別に結びつくかどうかなんだろうね。私もそこが気になる。

結局の所、人間ってのは自分が理解できない者に対しては不快感と恐怖心を持ち、それを排除しようとします。それ自身は特殊なことではありません。仕方のないことでしょう。しかし、本当に問題なのは、自分が不快感と恐怖心を持っていることを隠すためにベールで覆うことです。「自分はレズやホモを見たら不快感を感じる。だけど彼ら/彼女らがやる分には好きにやってよ」という態度はどうしていけないんでしょうか?

別に「いけない」なんて誰も言わなさそうな気がするのは私だけ?(というか、好きにやってよと傲慢に言われなくても好きにやるけど。)

確かにベールで隠されたら困り者だけれど、何かに対する嫌悪感とか不快感を悪とするのは誰にもできないことだろう。本音と建前をわきまえた方がよいのが社会と云うものでしょうね。

その意味ではレズ・ホモの人たちがデモなどで大々的に活動するのも、PoliticalActとして政治的・法律的不利益の是正を求める目的ならばいいと思いますが、世間の人に受け入れてくれ、っていうのは大きなお世話だ、と思いますよ。従って、デモなどをするにしても「やっぱりあぁいった人達はどこか変なのね」と思われるような格好はしないことです。

大きなお世話よ。と云うか言いたいことの趣旨がよくわからないけれど、単純に考えて、多少の寛容がなければ制度の是正はおろか社会的認知すらもされないのは当然でしょ。

変だと思われない格好がどういうものか、すぐには思いつきそうもないけど、たとえばパレードでセクマイらがやる「変」な格好って言ったらやっぱりドラァグかなぁ。

ドラァグなどがなぜ過剰なまでの女性性男性性を演出するのか。私も詳しくはないけれど、それは別に社会だけに向けてというものじゃないだろうし、もっと広い意義でのパフォーマンスなんじゃないかしら。

ドラァグ・クイーンのそれは「女性のパロディ」、「“女性” を遊ぶ」ことを目的としている

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A1%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3

All aboutから見てみましょう。

キャンプ

『パリ、夜は眠らない』という映画が昔ありました(1990年)。ニューヨークのハーレムに住む黒人のゲイたちが、アメリカという国の中では異端の中の異端であるわけですが、そこで絶望するのではなく、上流階級のテイストをパロディにしたヴォーギングというダンス・スタイルを編み出し、生き生きと自己を表現していくという内容でした。これぞ、キャンプです。長い間社会から抑圧を受けてきたゲイたちが、わざとノンケのノリを逆手にとったり、フツーのやり方をズラしたりする表現によって、既成の価値観を笑い飛ばしたり、ゲイらしさを楽しむような感覚。ゲイカルチャーの中で最も重要なキーワードの1つです。ゲイらしく、笑える(アガる)キャンプな表現は、見る人に勇気を与えたり、しあわせな気持ちにさせます。キャンプな表現によって、ゲイが一般社会に認知されることもあるのです(ヴォーギングをマドンナが世に広めたように)

http://allabout.co.jp/relationship/homosexual/closeup/CU20060618A/index3.htm

ドラァグクイーンはゲイカルチャーの代表だとよく言われます。先月お伝えしたようにCAMPなパフォーマンスであり、男性/女性というジェンダーの既成概念を揺るがす存在であり、様々な理由がありますが、ずーっと根強い人気を誇っているのは、ゲイの好きな音楽やファッション、ダンスなどを取り入れた総合的な「芸」だからだと思います。ドラァグクイーンは人を楽しく、しあわせな気持ちにさせる極上のエンターテインメントであり、ゲイの生き様を表現した美しくも感動的なドラマなのです。中には死にたくなるほど落ち込んでいたけどドラァグショウを見て生きる勇気が湧いたという人もいます。いやマジで。

http://allabout.co.jp/relationship/homosexual/closeup/CU20060723A/index.htm

太字部分は私。笑いが何かを変えて動かすこともある。

ま、お粗末な戦略論だけで語れるものでもないだろうし、ましてや大衆に向けての媚ではないでしょうよ。詳しくは知らんけども。


寛容な社会と云うのは、別に全体主義でなくても成り立つんじゃないだろうか。少なくとも私は、マイノリティに「優しい」人々の振る舞いを求めてるんじゃなくて、非とされるものを是として受け入れたくても出来ない状況の非寛容の問い直しを求めたいんだけど*2。それは、ある程度寛容な社会でないと、問題提起すらできないよね。また、社会に不平等であったり不快感が横たわっていたとしても、寛容である事で否定的に見る態度(さらには差別を肯定する態度)も自他共に改められると思う。

そして、なにもゲイレズビアンが自分達をマジョリティ同様に扱ってくれと云うメッセージばかりを送ってきたことはないだろう。それこそ差異は差異である事を認め、ゲイテイストな自分を肯定するメッセージを送ってきたんじゃないかな。

自己肯定が出来る社会。寛容を求めるのも、結局はそういうものを求め続けているだけのことじゃないかな。


このエントリの続きはこちら。

http://d.hatena.ne.jp/nodada/20070405

*1:それどころか全否定を受け入れる人すらいる。

*2:寛容でないからこそ、「自分はレズやホモを見たら不快感を感じる。」人が多いのでは?

Ry0TARy0TA 2007/04/04 19:59 こんにちはです…
また、疲労感激増タイプの文章に、丁寧に付き合われて…

叫んでいいですか?

「不快感や恐怖感をちゃんと責任持って『コントロールして』くれ!コントロールされない多数派の恐怖心ほど、こっちにとって怖いもんはないんだよ!」
「『イヤなものはイヤだもん!』って、それはオマエの『個人のシュミ』だろ!なに開き直ってんだよ!そーいうのこそ、『多数派の好みが許される』って従前どおりのマイノリティ差別の構造から一歩も出てないんだよー!!」

はー…失礼しました。

ゲイがやるドラァグがダメで、××ふんどし祭りとかはいいんですかね、この人は。マルディ・グラがカッコいい!とテレビで紹介されたとしたら、案外「変」とは思わないんじゃないですかね、こういう人って。想像ですが。

nodadanodada 2007/04/05 00:51 りょうたさん、どうもー。
>また、疲労感激増タイプの文章に、丁寧に付き合われて…
…あぁ、そのお言葉、本当感謝します。

>叫んでいいですか?
もうそれはどうぞどうぞ。実はこっちのほうがそれに助けられたりして^^
叫びの内容。もう本当それなんですよ。トラバ内容ですから焦点当てて書きましたが、本音ではいつもそこらへんのムカツキがある。少しエントリから脱線しますが、なんでこうも「嫌う自由も保障されてるだろう?!」の一言で済ませちゃう人が多いのだろうと本音では思う。(ややこしいからあんまり言わないけども…)
でも本当に恐怖心とかが集団ヒステリーとして動員されちゃうと怖いんですよね・・・。犯罪の厳罰化しかり、外国人などの阻害しかり。そういう側面もしっかり自覚しておきたいところです。
「嫌う自由だのとほざく奴は、その前にいっぺん多方面から嫌われる立場になってみろい!」
などとは申しませんよ?おほほ。

で、このトラバ先では一言もドラァグとは書かれておりませんが、多分ドラァグのことなんでしょうねー。
引用した部分でも、「なんで『普通』とされる格好しかしちゃだめなの。なんで異議申し立てをしてる方がソッチの『普通』に同化主義的に染まらないかんの。そんな『普通』しか許容できない非寛容を誰が求めるというの。そんなの話的におかしくない?」とか思っちゃうのです。
そもそもドラァグが同化主義におもねるのなら、ドラァグ足りえないわけだし。
私はなにも世間から承認されることの寛容を求めてるんじゃなくて、承認されなくても自己肯定できる社会の寛大な態度を求めたいわけで。
トラバ先で意味が分からないのは、他(差異)を認めることを奨励しているのに、同化主義的主張しか認めない姿勢。そして差異を認めるためのリソースとなるであろう寛容な態度をも均一的な平等主義として批判している点。そのような「寛容」を誰が求めてるのかは知らないけれど、どうも主張が矛盾してるような感じがする。ある程度寛容であることで、差異を認める、ということが成り立つのではないか?と思うのですが。というか、認め合うことを寛容とは呼ばないのだろうか?どうなんでしょうね?(いえ、差異を認めつつ共存することの可能性は、なにも「寛容」だけがキーになってるわけではないでしょうが。)
意識的差別(て言い方あるのか?)と形式的差別を分けてるのだけれど、寛容というキーはそれらの連続性を断つものであるのだろうか、と。

>マルディ・グラがカッコいい!とテレビで紹介されたとしたら
 本当アプローチの仕方で私たちのまなざしって変わるんですよね〜。ただ単に「変」て言う前に楽しんでみればよいのにぃw

integralintegral 2007/04/05 02:27 コメントありがとうございます。大変興味深く、かつ面白い分析本当にありがとうございます。

結局私の言いたいのは、個性は孤性につながると言うことです。
寛容がなければ問題提起すら、というのは確かにそうかもしれませんが、私は問題提起をすること自体に疑問を持っています。
sexualityはマイノリティ・マジョリティの対立が如実に出るのでわかりやすいですが、結局の処ほとんどのことはマイノリティ・マジョリティの対立があるわけで、その中で自分が選んでいるのなら、その結果としての孤は受け入れるべきだ、と思うわけです。自己肯定というのは肯定の主語はあくまでも自己ですから他がどういおうが関係ないのではないか、と思います。自己肯定と自己満足は紙一重だと思いますから。
ただ、画一的な扱いを以て本質とする法律的な扱いに於いて差別がある場合はこれは是正されなくてはなりません(ex.例えば少数派はたたきのめしてもいい、などというのは絶対に認められません)が、それはあくまで法的な問題であって、社会的に認容・寛容されるかどうかと直接はつながらないと思うわけです(ただし、この考え方は司法救済を前提としますから、立法によって事前に救済を行おうとするのならば話は変わりますが)。そして、嫌う権利のヒステリー化はこれによって一定程度防げると考えています。つまり認めろとは言わないけど構うな、という解決方法です。
差異を認めるというのは私の場合は孤であることを受け入れることだと思っていますので、そういう意味では寛容とは逆方向の排除こそが差異を受け入れることになるのじゃないのかなぁ、と思ってます。寛容というのは必然的に自分のフィールドとの共有点を必要としますから、それが善意の人ならともかく、悪意の人だとゆがんだ運用をされるおそれがある。なら、排除を基礎とした理解もあって良いのではないかなぁ、と思います。要するに「大きな御世話」と言うヤツです。
こうすると、結局隔離何じゃないのか、と言われそうですが、それはそれで仕方ないのではないでしょうか。理解を超えるものを嫌悪し攻撃することが人の性なら、自主的な(強制隔離は無論否定されなければなりませんが)隔離もまた紛争を回避する一選択肢ではないか、と思います。
人は共生をしなければならない、とはいいますが、その共生をどこまでするかはその人が選べばいいだけの話で、必要以上に共生などする必要はないと思います。理解なき理解とでもいう現象にも意義があるのでは、と思います。
嫌われること自体は孤の結果仕方がない、しかし不利益を被ることだけはあってはならない。そのバランスは難しいところなのかもしれません。
あまりまとまっていない論調で大変申し訳ありませんでした。しかし、ありがとうございました。
ちなみに、マルディ・グラについては私はテレビで紹介されてもイヤですね。ふんどし祭りについてですが、何を目標とするか、規模がどの程度か、によると思います。ふんどし祭りは別に好きにしろ、と思います。ドラァグですが、好きこのんでお互いのコンセンサスのあるところでやっておられる分には問題ないと思います。ただ、公道でゲリラ的にはやらないでくれ、さらにアピールまでしてマイノリティの差別を前面に出して理解せよと強要しないでくれ、と思うだけです。

Ry0TARy0TA 2007/04/05 04:20 >のだださん、横レスお許し下さい。
>integralさん
最初にいささか失礼なコメントをした者です。ご不快を与えたかと思います。お詫びいたします。
integralさんの「孤」というお考えはよく分かりませんが、「差異を認める」というのはまったく賛成です。僕も、幸田来未のおためごかしの歌などより、多数派のヘテロセクシュアル(異性愛者)と少数派のLGBT(いわゆる性的マイノリティですね)は性的指向・性自認を異にするのであり、その違いによってその人の人権・尊厳が侵害されてはならない、という意識を徹底させることこそ大切だと考える者です。

そのためには、法・制度の整備が集団ヒステリアを防止し少数派の安全を確保するという考えにも、完全に賛同です。これから順次整備が進んでいくことを望んでいます。LGBTに対する差別・暴力を予防するための、性的指向に関する教育がまず必要ですね。また、LGBTが企業や公的機関で問題なく働けるよう、各企業・組織で「性的指向による差別の禁止」が徹底されるべきでしょう(女性の労働環境を守るためにセクシュアルハラスメントの法的救済手段と予防措置としての意識の徹底が行われているのと同じことですね)。同性カップルやTGカップルが異性愛者カップルと同じ権利を享受できるよう、結婚・住居・医療・相続などの法制度の整備は勿論ですね。

あと、これは法的整備とは違う社会のマナーというべきものですが、不快感や恐怖感というのは、結局個人的な感情に過ぎないものです。個々人の感情は公共の場においては努めてコントロールし、それで人に迷惑をかけないようにするべきでしょうね。性的マイノリティに対する恐怖心といいましても、それは大概は頭の中だけのことで、現実のLGBTはintegralさんの周囲にも少なからずいると思います。integralさんがLGBTをお嫌いになることがなんとなく伝わっていると思いますので、わざわざカミングアウトすることはしていないと思いますが、彼ら彼女らは別段integralさんに恐怖を与えたりはしていないはずです。もちろん内心はどう思っていようが構わないわけで、理想的な共生とはいきませんが、嫌い・怖いといった自分のネガティブな感情で人を不快にしないのは、最低限の礼儀ではないかと思います。

ドラアグやマルディ・グラについては、失礼いたしました。それぞれ好みはありますものね。公道でのパレードはすべて許可を取って行われており、「ゲリラ的」行為ではありません。LGBT当事者・家族・友人・見物人など関心がある人間が集まる「コンセンサスがある場」であって、趣味に合わない人は見なければいいということですね。
僕も色々好き嫌いや偏見がある人間ですが、それで人や社会に迷惑をかけないようにしたいと常々思っています。

Ry0TARy0TA 2007/04/05 05:04 申し訳ありません。肝心な事にお答えしておりませんでした。
integralさんのお考えの土台は、ここにあると思います。
>その中で自分が選んでいるのなら、その結果としての孤は受け入れるべきだ、と思うわけです。自己肯定というのは肯定の主語はあくまでも自己ですから他がどういおうが関係ないのではないか
しかし、このお考えは、正しいとはいいかねます。手っ取り早くWikipediaの「性的指向」を見ましても、
>現在の医学では、カウンセリング等で性的指向は変えられない、変えようとするにあたらない、とされている
とあります。つまり、現在の医学では「性的指向は自分で選べない」が一般認識であり、だからこそたまたま性的マイノリティに生まれついただけで迫害されてはならないと、人権の保障が欧州議会などをはじめ進んでいるわけです。
ですから、たとえばですが、integralさんのお子さんがたまたま同性愛者だったとしても、「選択したのだから孤(孤立・孤独といったニュアンスでしょうか?)であるべきだ」と強制することはできず、多数派より精神的・社会的・制度的可能性を狭められるようなハンディを課されてはならないわけです。
この基本の点は、ご了解いただけるかと思います。

miyakichimiyakichi 2007/04/05 15:06 たいへん興味深い議論が展開されていますね。コメントを入れようかと思ったのですが、長くなりそうなので、自分の日記で書いてみました。URLはこちらです(トラバも入ってるとは思いますが)。→http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20070405#1175752370

nodadanodada 2007/04/06 16:22 integralsann,どうもはじめまして。ようこそ当ブログへ。

http://d.hatena.ne.jp/nodada/20070405
大体の反応はこちらに書きましたのでどうぞこちらのほうをお読みください。
で、私はintegralさんのような理屈や社会認識では差別構造は解決できないものと思ってます。
その他の具体的纏めは、miyakichiさんのところや私のところのRy0TAさんのコメント内容で言い尽くされてるかと思います。
それで、隔離と言われるとどうも昔アメリカで行われてきたような黒人への空間的な隔離を連想しますのでやはり居心地が悪い。他者との共存とは、人権を認め合うことだと思うし、それは別に対等な関係にあれたなら排除隔離でなくても実現するのではないか?と思います。
他にもドrァグで二三言うべきことがありますが、後でコメントします。

Ry0TAさん、miyakichiさん(コメント欄へようこそ)。integralさんをはじめ、おふたりのおかげも含め実りある議論が出来たかと思います。大変ありがたかったです。どうもありがとうございました。これからもどうぞよろしく。

nodadanodada 2007/04/06 23:52 integralさん。
私はドラァグというものはジェンダーを揺るがす行為存在だと引用しました。それは何も差別どうこうと云う話ではありませんよね。現在確かにあるジェンダー。それに対する異議申し立てなどは、―差別問題にとどまらず―広く社会構想のためのアクティビズムの一例にも入るかと思う。ですが、ドラァグだってパレードだって何か一つの目的があるわけではありません。ゲリラではないのは既にRy0TAさんが仰ったとおりですが、マイノリティの差別を前面に出す、と云うだけの話ではありません。それは固定観念であり、もっと多義的なものです。そういうことは、まずお調べになって実感してから判断すると吉だろうと思います。
実際パレードだって、単にお祭りを楽しみたいという目的で参加する人もおられるようで。その目的とは一つに定まりません。
そして、差別に対してであろうと、もっと広く周囲への変容を求める行為と云うのは、それほど特殊なものではない。単純に想像していただいて、仕事の中、会話の中、色んな現場で私達を自己主張をします。その延長線上にパレードを置く事だって出来ると思う。そういう自己主張や、寛容を求める(誰だって誰かに対して少なからず求めるでしょ?)行為は、否定されるべきものでもない。別段難しい話でもないのでは?

私は「嫌う自由」という言葉を持ち出しましたが、それは寛容などを求める自由と等価であるはず。どちらも同等に尊重された権利。これらの権利の均等が必要なのではないでしょうか?だから、ドラァグなどのパフォーマンスもその意義も認められるはずだし、排除なんてする根拠もなければする必要もないでしょう?
そして、「ホモやレズ」を嫌う事だって、もしかしたら非寛容な社会(差別を温存する社会)だからこそ存在してるのかもしれない。それなら嫌われないように寛容を求めることだって、ちゃんと認められるべきですよ。それは当然の権利です。そんな類である他人の行動を制限する根拠は、誰の中にも社会の中にすらないと私は思う。(そんなのやったら人権侵害。)

私は、この社会は、みんなの人権が尊重されることで成り立つんだと認識しております。それは、誰かの人権だけが重んじられるのではない。ひとつひとつの人権が他の人権をも支えあう。誰か一人の人権が欠けてもいけません。そういうことが、社会の中で必要なことだと信じている。そうしたとき、嫌う自由も嫌われないように訴える自由(寛容を求める自由)も、どちらも対立しないのだと思う。
私はintegralさんの個人重視の主観(かな?)に、実は共感しております。でも、それは私の主張と何ら対立することでもなかったのではないかな?と思うんです。


それでは長々とすいませんでした。integralさんには、大変実りある議論をする機会をいただきました。ご主張のほど、本当にありがとうございました。色々無礼な物言いもしましたが、議論をさせていただき感謝いたします。それでは。

2007-04-03 腐女子の欲望のモヤモヤ。

今回は、いしゆり掲示板で書きたらした文章の補足。

毎度おなじみみやきちさんのところでお邪魔した文章がやたら長くなりそうだったので、掲示板に書いたことを再掲しつつ私も考察を書かせてもらいます。


続きを読む

私の欲望のモヤモヤ。 私の欲望のモヤモヤ。を含むブックマーク

私は結構どうでもいい派。

何がどうでもいいって、自分がゲイかどうかとか、自分が女か男かどうかって事とか。

たとえば、私は男を欲望している。

そう、今現在私の唯一の確かな欲望は、男を欲望している、と云うことだけ!それ以外はあやふや。

だから、仮に自分が女になっても問題なし!別にTSじゃないけど、女にならなきゃ殺す!とか言われたら「はぁ、殺されたらたまらんし、しゃあないなぁ。」と思うと思う。オモウ

極論を言うのならば、私の場合、男を欲望する、と云うことが主軸だからさ、女になってもエイリアンになっても犬になっても、男を欲望できればそれでいいのね。*1

そりゃ、男同士の方が素敵だと思うほうなんで、自分も男の肉体の方がいいんだけどさ。

でも、それを言ったら、自分の中のTG的欲望と矛盾する。おまけに言うと、私割りと細身なんだけどさ、自分みたいなモヤシみたいな奴ではない、がっちりした兄ちゃん同士がナニしてる方が一番好きなのね*2。それを考え出すと、いくらでも矛盾する欲望と云うのは私の中で成り立っているし、私と距離のある欲望は常に同性愛の欲望と共に同居していたわけよ。

そういうこともあるからさ、私の欲望はとても精神的なんだ。妄想自体が私の欲望そのものであるわけ。

だけども、こういう欲望を持ってしても、私は他人から見れば同性愛者になるんだろう。

なぜって?

だって私は社会的に男だもん。

そして、男を欲望してるもん。

そして、今書いたような可変的な欲望をなかなか想定してもらえないし、確立された欲望と見る観点が圧倒的に少ない。 

 

それでも今の時代はまだ割りとそういう性的指向以外の欲望に対する認知度が高くて嬉しいけどね?

*1:さ、さすがにエイリアンや犬にはなりたくないけど・・。フェミニンな人間にはなりたいとは思うけども。

*2:さらに言うと、がっちり系が好きだけど、自分の肉体はあくまで細身でありたいと思うし、できればフェミニンでありたい。

かよこかよこ 2007/04/04 18:52 わたし広義の「腐女子」(狭義の当事者からなんか違うと言われそうな)ですが、「変人」なら名乗れそうな気がします。
あるイミ腐女子もセクマイも、「名乗ったら目の前の友人家族親戚に去られかねない、攻撃される存在」ではあるんですよね。腐女子のそれに関しては杉浦由美子氏が書かれています(でもって、セクマイの方が深刻な気がするのは、腐女子は趣味の範疇に置いておくことができるけど、セクマイは人生そのものに関わってくるからだね。うちでこの本取り上げたときその辺に言及しなかったのはすみません)。「恋愛至上主義者」の大たたきが待っている。

二元論て、実は危険なんじゃないかな、と最近思い始めてます。うまく言えないけど。

あ、今日も「リンク元」うちから多いですね。2位じゃないすか。我々が仲良しなのを面白がってる人がいるのかな?(大爆笑)
わたしは最近ここへ来るのはアンテナです。しかし今日程度の数だとわし一人でも可能かも(笑)。

かよこかよこ 2007/04/04 19:01 今気がついた。
ひょっとしてあたしは、ゲイの人たちの「異性なんて眼中にありません」を受け止めちゃって、それでまたあんな偏った思考になったのかね? 最近その偏りはなくなったけど。

nodadanodada 2007/04/05 00:05 わーい、kayocoさんがかよこさんになってるー。なんだか穏やかな雰囲気。

変人。ですかwうん、もうとにかく名乗りたいもの、そして名乗りやすいと感じるインスピレーション?で突き進め!みたいな。
私はね、腐のメンタリティと云うものにすんごいパワーを感じてるの。そのパワーって言うか、方向性と云うのがかなり奇妙な感じがする。それを変態(クィア)と呼んでもいいんじゃないかと思う。

とにかく自分の欲望を、自分の手の中から感じたい。だから人様にも、名乗るときの自分のリアリティは大事にしてもらいたい。
偏った思考があると思ったとき、自分は自分から生まれ出てきたはずのメンタリティを置き去りにしてるのではないかなぁ。私もそんなことショッチュウ。自分の中の実感にのっとって、ゆる〜く思考なさってはいかが☆

あとね、腐とセクマイとの「名乗ったら目の前の友人家族親戚に去られかねない、攻撃される存在」違いは、大いにあると思う。でも今はちょっとうまいことそれが言えないのでごめんなさい。むやみやたらに感情的に「〜が違う!」と言ってしまうと、ありもしない境界を自分の中で作っちゃいそうなので難しいんです。とりあえず言いますと、易々と同列に置くのは控えた方がよい。

・・・あ、リンクぐんと減りましたね。な、なんなんでしょう。まあ、どこからお読みいただいても感謝いたしておりますが・・・。
陰謀だー!これは何かの陰謀だー!インベーダー〜!w

かよこかよこ 2007/04/05 00:29 >易々と同列に置くのは控えた方がよい
肝に銘じます。

しかし、ものごとを自分に引き寄せて理解するのは(たとえ話を自分が知ってることでやるのは)、結構注意されるのですが、それをしてはいけない場合もある(今回の場合は当事者が怒る危険性は確かにあった)。しかし、こういう方法でないと血の通った理解ができない大ばか者は今後どうすればいいんでしょう(ってこの文章自体何か間違ってやしないか? うまく表現できない。ムズカシイ……)。昔漫画で「昔の話を聞くとき、人は、自分の知ってる人の顔を当てはめて話を聞くものです」などと言って、その漫画の既存キャラの顔で昔話を進めていたことがあったけど、それに信憑性があるかどうか怪しいし。何書いてるかわからなくなってきた!

ひらがな、ご好評いただきまして。予想しないところで喜ばれる方ですよねのだださんて。

nodadanodada 2007/04/06 01:47 かよこさん、どうも。
難しいですよね。でも結局それに答えはないんじゃないでしょうか?確かに相手への共感は必要でしょう?きっとそれがおかしいと思われたのなら、それは共感と云う能力の使い方を誤っただけの話かも?
血の通った理解。凄いいい言葉ですね。なんだか胸に伝わる表現です。それをするためには、日々精進。自分の総合的な理解力と、理解するための方法論的技術の習得。これが必要なので、一つの答えはないのでしょう。私も模索している途中ですよ〜^^;

>予想しないところで
そうかなぁ・・・。うーん。・・・テヘ(ノ>ω<!

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2007-04-02 資料メモ。 このエントリーを含むブックマーク

これ面白い。↓

http://www.geocities.jp/hidex7777/papers/IPSM_toc.htm

ついでに。

マイノリティ化に本質主義ジェンダー包含され、普遍化に構築主義とセクシュアリティ包含される。

http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/03s3/report/t-itou.html

普遍化を、この主体は根源的である、と解釈するのは間違いなんだなぁ。反省。


運動について。

http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/03s3/gay-nakazima.html

注意したいけど、歴史解釈は蓄積した知識として見て、多数の資料を基に注意深く解釈しなきゃいけないよね。


同性愛と云うものが1870年に生まれた(1896年説もある。1870年はフーコーによる)。それは、同性間セックスと云う性器的な性愛の営みを、ひとつの性的“指向”として見る「作法」が生まれたということだ。それまでは(欧米では)ソドミーとして扱われてきたもので、同性愛者と云う主体は存在しなかった。同性間でのセックス行為が1870年までなかったということではなく、その行為を同性愛者という主体の行為として見る意識が生まれたという意。

これが同性愛異性愛両性愛と位置づけることの始まりだったのかもしれない。

同性愛と云うものがあり、それと対置される異性愛があり、その二つの周縁に両性愛がある。(そしてさらにこれらから離れたものの性的“嗜好”がある)

外性器内性器への意識がセクシュアリティの根幹とされるとき、私たちの性は、否応もなく「お前は同性愛異性愛両性愛か?」と問い質される。けれど、そこには必ず語られもしないリアリティがある。

セックスとはどれのことなのか?手をつなぐこともセックスか?挿入か?

どれを欲望することで、私たちはどのようにして異性愛両性愛同性愛者となるのか?

そういう疑問のなか、想定されたケースでしか私たちの性はカタチにならない。しかも、わたしたちが子供の頃から与えられている言葉と云うものは、その限られた想定内を指す言葉でしかなく、想定されないものは既に語られないような仕組みになっている。俺・あたしなどの一人称もまた想定されたカテゴリを生産する言葉だ。使用すればしただけ想定外のものは抑圧される。しかしそういう仕組みの中に自分を築いてきたのも事実だ。

だとしたら、私たちはすべてが変態であった、すべては構築されたものであった、と気づいたからと言って、そのすべてを捨て去れるわけにも行かない。

じゃあ、規範に追従するしかないのか?そこからが難しい問題なんだよね。


より一般的なお話としては、〜〜である、ということが、制度的に非難を受けたり或いは権益を占有することを避ける、それが重要なことだと言える。〜〜である、と云うことのみで不利益を被る社会を批判すべきで、そのカテゴリ自体を悪とするのが本懐ではないはず。

なら、どんなカテゴリ(とカテゴリが存在する事態)も憎みの対象ではなく、そのカテゴリが与えられている現状を、どうすべきなのか、が味噌になる。


そして、そこにどんなカテゴリが生じていようと、私たちのリアリティと云うものは、もしかしたらわたしたちが認識できてはいないのかもしれない、という奇妙なズレを体感することが、非常に面白い。

ズレの中に自分の欲望があるとするのなら、私もまた私を知らないのかもしれない。

性器を通してでしか、自分の欲望を知れない?男を通してしか欲望は成り立たない?そこから外れたものであっても、私と云う欲望はあったのではないのか?

欲望が自分を創っている。けれど、欲望と自分は、ずっと距離の離れたものなのかもしれない。

KayocoKayoco 2007/04/03 10:49 最近水間百合子さんという元女子サッカー選手にしてFtMの方の本を立ち読みして知ったのですが、女性の体に男性的な性欲が宿るとおんなのこの肌に触れない限り収まらないそうです。男性はそのカラダで女性的な快感も得ることができるのに女性のカラダってめんどくさいな、と思った一幕でした(興味のあったことなので知ることができてよかったけど)。ひょっとすると男性のほうがその点では得なのかもしれません。
ちょっとうらやましい(的外れなこと書いてすみません)。

Ry0TARy0TA 2007/04/03 13:26 >外性器内性器への意識がセクシュアリティの根幹とされるとき、私たちの性は、否応もなく「お前は同性愛か異性愛か両性愛か?」と問い質される。けれど、そこには必ず語られもしないリアリティがある。

「性的指向」はそこまで拘束力のある「規範」ではないし、あってはならないと思います。Sexual orientationというとおり、「どの性に向くか」を意味するだけで、はじめから、リアリティのごく一部しか説明していない。
それが強制的な規範に見えるとしたら、多数派である異性愛とその他の攻防があまりに政治的だからでしょう?「セックスとはどれのことなのか?手をつなぐこともセックスか?挿入か?どれを欲望することで、私たちはどのようにして異性愛・両性愛・同性愛者となるのか?」とおっしゃいますが、たとえば、ゲイに「挿入」=アナルセックスのイメージを押し付けてくるのは主に異性愛者です。性的指向という、単純な「基本的共通認識」ていどのものであるべきものに、ゴテゴテと政治が絡んでいる、それをなんとかしなきゃいけない。

性的指向マイノリティである僕が、異・同・両・無性愛のカテゴリをほとんど「強制的」に認めさせることに執着する理由は、いつか説明できなければなと思います。のだださんに比べると自分は「性的指向原理主義」のように感じるし、これはマズいな、と思うので。ほんとうは、うまく説明できるのか分からないんですが。課題にします。

nodadanodada 2007/04/03 17:27 kayocoさん、どうも。
(時間がない!レス急がないと!)
kayocoさんの言われる例は、つまり男性だと女性と性愛関係になりやすい、という意味でしょうか?それとも「男性はそのカラダで女性的な快感も得る」というのはもしかしてアナルマッサージの事?ち、ちがうよね。
うーん、でも異性愛男性だと女性と性愛関係になる機会が多くて得だ、という話だったら、この場合FTMかどうかが問題ではない様な気もしますよね。あれ?水間さんはまだトランジションを完了させていない人でしたっけ?(完了ってどの地点だ、て気もするけど)
>ひょっとすると男性のほうがその点では得なのかもしれません
そりゃ、男性であるほうが女性と性愛関係になれやすいでしょうね。もちろん様々な条件は他にもあると思うけれど。
彼は現在女性の体であるので、異性として見られず、結果として異性愛の性愛ゲームに乗りづらく女性の体に触れづらい・・・て話なのかしら。だとすると、それはTGの話ではなく、異性愛同性愛の話に近いかも。

KayocoKayoco 2007/04/03 20:18 ああ、また誤解されてしまった。
純粋に快楽の話です。でもってそこまで過激な話でもなく、乳首吸われたら男の人も気持ちイイし、×××××されたら、×××××××し合ったら、ねえ(伏字後者はビアンカップルでもできます。前者は男の人にしかしてあげられないこと。女性にやったら名前変わること)。
女性と性愛関係になりやすいという意味で得だと言いたかったんでなくて、攻めの快感も受けの快感も味わえるってことなんですよ(タチとネコっていうべきですか?)。なのに……FtMってものすごく大変なのかもしれません……ビアンのバリタチの人も。

ところでこちら「リンク元」うちからがダントツなんですけどなぜでしょう?

nodadanodada 2007/04/03 23:26 Ry0TAさん、どうもです。ご意見嬉しいっス。

今回のエントリで>規範に追従するしかないのか? 
と書きましたけれど。この一言で、性的指向に対する規範と、一人称における性別二元制の規範とをまるで同列に置いちゃうような書き方をしたかもしれません。確かに仰る様に性的指向の観念・規範とはジェンダーほど拘束力を持たないかもしれない。
それを踏まえて書かせてもらいますと、それでも現在性的指向という概念は、私たちの性を語る際に有効且つある種の強制力を持つと思います。それは、本来「性の方向性」を指すだけでしかない性的指向それ自体が拘束力を持つのではなく、性的指向という概念が私たちの性を「本質的に捉えきる」ものとして認識されているということだと思うんです。つまり、性的指向が規範性を強く持つのではなく、性的指向と云う概念を強い規範(というか観念)とする人々のまなざしが実際社会にあるということ。その点を持ってりょうたさんも、規範性が「あってはならない」と仰ってるかと思います。
だから私も、性的指向にまつわる政治性というものに対抗する言説を持つべきだと思ってます。(そのためにも、リアリティが自分でも認識し切れてないだろうことを指摘しました。)
私が今回エントリで書いたのは、今ある性にまつわる「型」を絶対的なものとして語ったのではなく、そこにある暗黙の諒解となっている(性的指向やジェンダー表現の中の)前提条件を指摘したわけですが。その暗黙の諒解は、現在何でできているのかと云うことがあまり意識されてないと思う。今回、性的指向に関しては、性器がその暗黙の諒解の前提になっていると、私的に判断して書きました(たとえば男根崇拝的セックス観があらゆる性を語る上で重視されたり…)。ベタに性的指向についてのまなざしを受け入れたのではなく、そこにある「まなざし」を分析したかった。そういう趣旨なわけですが、暗黙となっているものが絶対性を帯びるとき、私たちはそこからズレたところでも欲望を抱くと言う実感を持つ必要があると思う。そして、勿論りょうたさんが指摘したように、ヘテロの規範を内面化した上での権力を巡る闘争がまなざしを固定的なものにしていると思う。それが問題だというのには私も同感です。大事なのはまず、そのような政治的闘争のなかにあって存在する自分達のリアリティを、いかにして確保するかと云うことなんだと思う。私はその際、私の変態根性を使って暗黙の諒解からずれる「私」を見出す方法を取りたいと思ってます。ここらへんがりょうたさんと違う点かな?

>カテゴリをほとんど「強制的」に認めさせることに執着する理由
うわぉ!それは気になります。いつかお暇あったら是非書いてもらいたいテーマです。アイデンティティの政治、という観点かしら。それぞれの課題、みんなで交換しながら考察していけたらと思います^^

nodadanodada 2007/04/03 23:42 Kayocoさん、再びどうも。
>攻めの快感も受けの快感も味わえるってこと
なるほどね。ソッチの話でしたか。つまり、男の体は受身にもなれるし攻め手にもなれる構造になっていて、男のほうが一度に二度美味しい、と。
んーでも私の価値感としてはその感じ方はまるで性の本質が、身体の特徴に直接付与されている、という観念に見えるのです。そしてそれは、私の性へのまなざしで避けたい種類の価値観でもある。
何をもってして「受身」とするのか、タチネコという分け方にも、私たちのジェンダー的な意識が組み込まれてると思う。そしてそれを、たとえば「レズビアンは〜〜セックスが出来て〜〜セックスが出来ない」という結論などに導く主観を絶対的なものにするのは間違いだと思うんですね(少なくとも私としては)。
多分kayocoさんが仰る内容は、その読み手と読み方によって、解釈に大分大きな違いが生まれるんじゃないだろうか・・・?と思います。どのような要素を持ってその性を規定するかは、多分に私たちの恣意性が侵入しがちな事柄なんだと思う。そこらへん私も自覚的になりたい。そういう恣意性をベタに信じることによって、ある層のセックスを否定的に見たりなんだったりすることになるから。

>「リンク元」うちからがダントツなんですけどなぜでしょう
そうそれ!私も気にかかってたんですけど、なんかもう「ざれごと」からのリンクがべらぼうに多い!!これ、どうしたことでしょうねー。一時なんか100近いリンクがそちらからかかってました。いくらなんでも1人でそんなに読めねーだろ;と思ってたので不思議でした・・・。んー、私はパソコンに詳しくないから、詳しい方に聞かないとわかりませんネェ。だって、kayocoさん、アンテナ御自身のブログに公開してないでしょう?ちょっと理由がわからないですネェ。うぅーん、不思議w

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2007-04-01 4月1日のバカ野郎〜〜! このエントリーを含むブックマーク

コ、コメント返さなきゃなんだけど、これ期間限定だからいち早く載せておこうと思って・・・。

http://enoko.ashiya-spirit.com/

http://clic-clac.jp/

っくそうぉう!!こんだけ私のトキツボ(トキメキのツボ)を押しておきながら、ネタなのか!あくまでネタなのかよ〜〜>A<!!

どっちもありそうでないのに・・・。

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