「人は独りでは生きていけない」?

ごめん、まずこの場合においての「ひとり」の意味を限定しといてもらえない?物理的に1人であるという意味なのか。それとも人のいる環境下で孤立無援であるという意味なのか。


えー、でもどっちにせよ一応可能なんじゃねーの?自給自足で自然と戯れて生きるとか?そういや戦争終わってたのに敵が来ないかどうか怯えながら1人で長いこと生活してたなんて人は実際にいたんだっけ?
ていうか、孤立無援で誰も信頼できる人もいなけりゃ信頼もされてない人なんて五万と居るだろうけど、その誰もが自殺してたりするもんなの?んなわけないよなぁ?


でも。独り*1では自信を持って生きられないという面はあるよなぁ。
自分に自身を持って生きるには、やっぱり他人がいないとどうしようもないよなぁ。自分だけで自信持って生きてこうと思っても、自分の中に閉じこもらないとそんなの出来っこない。ていうか、それって一般的に言って「空元気」とか「虚勢」とか呼ばれるんじゃないのか?


だから思うんだけど、このセリフって実は
「人は独りでは生きていけない」じゃなくって「人は独りでは自信を持って生きていられない」じゃないのか?
と思う。


でも私が気になるのは、自分に自信を持てない事情があって、尚且つ自信を持って生きるために他人を信頼することすらできない事情のある人のこと。
そういうひともやっぱり居ると思う。そういう人はもうどうしようもないから、自信がなくても生きていけるようなプランが必要になると思う。(勿論人生を離脱するという選択もあるけどもよ)
だけど物理的だろうと精神的だろうと独りでも生きてける可能性が一個でもある限りは、自信を持ってなくても、さらには希望がなくても、生きられてしまう。それは非常に残酷な事実なんだろうけど、「生きる」ことだけは、生命維持の条件さえ揃ってれば可能なんじゃないか。ただ、精神を蝕まれ不安定な状態でただ生き続けるという実態を「生きている」と評価してもらえるかどうかは微妙だけど・・・。
でもそれは置いといて。自信がなくても、他に糧があるならたとえ比較的難しくても人生を歩むこと自体は可能では?と思うのだがどうなんだろう。


正味、自信がなくても生きてける。
正味、人は独りでも生きていける。
かなしいかな、人はそんな簡単に生きられなくなる生き物じゃないんじゃねーの?と青二才の私はついつい思っちゃうんだけど、私よか老齢の皆様はどう思ってらっさるかしら。
てかウサギみたいに悲しいと死ねちゃう生き物だったら、ある意味楽チンだろうなぁ・・・。ていうかそんなんだったら今頃「孤独死」じゃなくって「悲哀死」とかいう言葉があってもよさそうなもんだ。

*1:←物理的精神的意味に共通する意味として。