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2008-12-01

羅川真里茂の『ニューヨークニューヨーク』は「やおいBL」か?【末尾に補足あり】 羅川真里茂の『ニューヨーク・ニューヨーク』は「やおいBL」か?【末尾に補足あり】を含むブックマーク

ごめん、今年中には書くからあと少しまってください。すいません。


ニューヨーク・ニューヨーク (1) (白泉社文庫)

ニューヨーク・ニューヨーク (1) (白泉社文庫)

ニューヨーク・ニューヨーク (第2巻) (白泉社文庫)

ニューヨーク・ニューヨーク (第2巻) (白泉社文庫)

結構あちこちで聞いた気がする議論で「羅川真里茂ニューヨークニューヨークBLやおいかどうか」ってのがある。

でも、私としては、それは違うと言いたい。その理由は定義問題などではなく、私の政治的配慮として、BLレーベルと銘打っていないレーベルでの作品をBLやおいとするのは、問題があると考えるからだ。

この社会で、男性同性愛やソレに似たテーマ・モチーフを扱った物語は少ないけれど、あらゆるジャンルにおいて見られる物語だ。なのに、それらまでも(特定のジャンル名とされる)「やおいBL」であるとするならば、各業界内で生きるあらゆる男性同性愛表象を十把一絡げに「腐業界のみ存在するもの」と位置づけてしまうからだ。

ニューヨークニューヨークの場合、「少女漫画」界という業界内で生きている男性同性愛を「なかった」ことにしてしまうのだ。すなわち、少女漫画界に対する歴史修正主義である。(追記:ただ、NYNYは一度青年誌ジェッツコミックスとして出されてるんですよね。この点も加味してNYNYの表象を取り扱うべきだと私は考えます)

少女漫画界では少女漫画界の男性同性愛表象があり、青年マンガには青年マンガの以下略。それらをまるで「やおいBL」という独自性のみで語り尽くせると思い込むのは、各ジャンルへの植民地化で冒涜だと思うのだ。・・・たぶん、一部の少女漫画オタクなどは怒るんじゃないかな。  

ジャンルには、それぞれに固有の歴史と方向性があり、別々の文化として社会内に機能してる。それを同じ定規で一律に測れる道理はないし、また測るべきでもないと思う。

しかし、それでも「これは私にとって少女漫画ではなくやおいBLなのだ!」と言いたい人はいると思う。

その人はおそらく「ジャンルとしての」やおいBLを言っているのではなく、心の中で思う、「自分のやおいBLとは?」的観点で言っているのだと思う。  

それならそれで、解釈は個人の自由だし、「少女漫画やおいする」といった批評行為として積極的に認められるべきだと思う。つまりその行為は「少女漫画をクィア批評する」と同義であり、“やおいBL的な(腐オタとしての)感性で少女漫画を批評する”ことを意味するのだろう。

それは文化の植民地化とは区別できると私は思う。各ジャンルには歴史などの固有性はあるけれど、テキストに対してどのような「読み」が出来るかは、正に読み手次第だ。それは単純に「作品が持つ意味とは一つだけではない」ことを指し示す。

しかし、だからと言ってそのジャンルたる所以を無視して、「これは○○のジャンルとして位置づけるのが正しいのだ」と一方的に語ることは、文化に対して横暴だ。

 

更に私の立場から言わせてもらえれば、その行為は、ゲイバイクィア男性などの当事者からあらゆる同性愛表象をかすめ取り、まるで我が物顔で自分達の文化内に占有するのと同じだ。私達当事者(の一部)が、腐業界だけでなく、あらゆる空間での生存を望んでいると理解するならば、「男性同性愛表象はあらゆる空間で存在してる」ことを認めるべきだ。もちろん、私は腐業界にも男性同性愛表象が生存していることを喜んでいる。が、もし私達の表象が、一部の空間でしか認められていないクローゼットに似た生存状態にあるのだとしたら、あるいはそのように位置づけられるのだとしたら、それは憂慮されるべきことだと思う。そしてこの現代、そのような位置づけ(言説の政治)は十分に可能だと実感する。特に、日本での「男性同性愛と言えばやおいBLのことだ」と言わんばかりの風潮を見れば、尚のこと実感する。


表象を独り占めするような言説の政治は、多方面から批判されるべきだと考える。

ともあれ、「やおいBL」という言葉がその発生からして混沌としていた経緯も考えるべきなのかもしれない。今回の私の議論が当初の歴史観などで爪の甘いものだとするなら、どうぞご指摘いただきたい。


f:id:nodada:20080717200220j:image



補足とコメントのレス:

id:rossmannさん、大変レスが遅れて申し訳ありません。批判的なコメント本当に有難うございます。おかげで私自身も考えを深められたと思います。至らない部分もありましたので、補足としてもレスポンスさせて頂きます。以下にその点を。


まず2点確認しておきたいことがあります。

1.おそらく私とrossmannさんの議論はそれほど対立していないと思います。

2.私の議論はヤオイ・BLに特化したものであり一般論ではありません。

1点目ですが、私は『NYNY』にやおいネスを見出す読解を否定していません。「少女漫画をヤオイする」ことは植民地化と区別できる、と書きましたが、それはrossmannさんのように『LOVELESS』『NYNY』がやおいの潮流を汲んでいると判断することも肯定します(無論検証はどれにおいても必要ですが)。・・・ただ、留保が必要だと考えます。(後述)

2点目。ブクマでも「ラノベの越境論を思い出した」という感想がありました。…私は所謂「あ略」「ラノベ越境論」がどういった論争なのかは知りませんが、ラノベ論争と私の「やおいBL植民地化」議論は、同じような背景を持った議論なのでしょうか?もし違うのであれば、並置は不適切です。

まず私の前提としては、「やおいBL」というタームが現在日本において男性同性愛を代表*1するまでに至っている…という認識があります(この時点で異論はあるかもしれません。ただ私見では、本当に腐業界以外の日常においても、現在「うわっホモかよ!」が「うわっ生BL!」にスライドしてると感じる今日この頃)。

このような背景において、『NYNY』を「やおいBL」と位置づけることは、それだけで他の言説とは違う政治性を持つだろうと判断します。とは言え、文脈によって言説の政治は移ろいますので、最初から「それはやおいだ」「と言ったから」だけの理由で植民地化に寄与するとは限りませんでした。説明不足ですいません。

厳密に言えば、「NYNY(少女漫画)はやおいBL」という言説は、ある意味その政治性により「植民地化」として機能する危険度が比較的高い、と言えるでしょう。では、どのような文脈ならば植民地化の暴力性が見られるのか?

rossmannさんはかかる言説が腐文化否定のカウンターだとした上で*2、こう仰います。

またここでの「それはやおいだ」という言明は、当該作品を少女漫画ジャンルが生み出したことを否定してはいないわけです。しかし、たとえそれが少女漫画系のメディアで発表されていたとしても、そのことはその作品がやおいジャンルの系譜に位置づけられることと矛盾しないはずです。

ここでは、発言者の動機が文化のジャックにあるのではなく、やおいフォビアに対抗する理由から始まっており、ゆえに少女漫画業界で発表されたこと自体は否定していない、そのため植民地化では無いとしています。

なるほど、少女漫画レーベルであること(あるいは青年誌コミックスであること訂正コメント欄で「ジェッツコミックス」は青年レーベルを指すものではないとご指摘いただきました。訂正します。)をきちんと評価するならば、私も植民地化ではないと判断できそうです。しかし、コレにも一定の留保が必要だと考えます。

植民地化とする理屈は簡単です。現在男同士の恋愛を主眼にしたジャンルは「やおいBL」が最大級だと私は認識しますが。その現状で、稀に出た少女漫画内の男性同性愛を「少女漫画として」評価する声が仮に「やおいBL」にかき消されて優先される様な事態があったらば、それは結果的に植民地化していることになる。という理屈です。


ここで私の思考を解説するために、rossmannさん言う「密接関連性」を便宜的に<潮流>と<正典>で分けてみたいです。(あんまり良くない分け方かもしれないが、便宜的に。)

私定義で言うなら、rossmannさんの「作品を貫く美学やジャンルの特性」から作品を「やおいBLだ」とする行為は、「やおいBLでしかない(唯一無二の正しい解釈=正典化)」と定義しない限り、作品が汲んだ一部の<潮流>を見出しただけと捉えられます。

しかしながら、「それはやおいだ」という証明に「<潮流>を汲んでいること」を根拠にする等の行為がより優先されるにつれ、いつしか<潮流>の意味をズラして行き、「少女漫画ではない」という捏造の<正典>を作り出してしまう政治性(リスク)こそが、私の言う植民地化なんですね*3

故に私は、少女漫画と銘打たれた『NYNY』の男性同性愛表象を、まずはきっぱりと「少女漫画」として正当に評価することから出発しなければならないと提言するのです。

これは仮に<正典>なるものが「在る」と考えるなら、の話ですが、往々にして<正典>の捏造は起こり得ます。(後述)

もちろんrossmannさんがここで『NYNY』の<正典>を「やおいBL」として書き換えるつもりが無い事は、一連の趣旨からも伺えます。しかし、rossmannさんが肯定したカウンター言説であっても、「少女漫画から男性同性愛のテーマが出た」事実を軽視した場合、『NYNY』の男性同性愛を「少女漫画」から引き剥がしかねない、と私は危惧するんですね。

そしてそれは家系図の捏造に等しく、“作品の特性と作品が産まれる背景”に「やおいBL」の<潮流>を見い出だす行為から逸脱する。すなわち“少女漫画だからこそ産まれた表象”を「やおいBL」の影に覆い隠す言説が、いつしか聴衆と共に『NYNY』に対する「やおいBL」の正典化を編み出すのではないか、と。(あくまで可能性の問題とも言えますが、看過してはいけない可能性だと私は判断します。)

これは腐側(及び業界に便乗した者達)によって男性同性愛表象を当事者から奪い取れる「やおいBL」というタームだからこそ起こるリスクだと考えます。更にもうひとつ。(「少女漫画」等にもそういう部分はあると思いますが、)元より、「やおいBL」はそれ自体がJUNE・耽美・少年愛・ショタなどと分かち難い形でプロデュースされてきたような気がします(…たぶん)。いわば、「やおいBL(特に「やおい」)」自体が混沌とした名称ですよね。その曖昧模糊ゆえに各ジャンルを不規則に横断し得る厄介さがあるかと。(コバルトもその一例かな?)

そこにも、<正典>を作って表象を自分側に取り込む可能性が含まれると私は思っていますが、いかがでしょう?*4

確かに一般論で言えば定義など常に便宜的ではあります。しかし、にもかかわらずこのタームには、まるであらゆる男性同性愛表象が「やおいBL」に還元出来ると錯覚させる行為性すら、ある。男性同性愛について、常に「やおいBL」を参照しなくても良さそうなものなのに、です。

というか、最近堺市図書館問題で、部外者からすれば少女小説もBL小説も同じだと思われかねない現状が確認されました。あの事件は「やおい」定義の問題性をよくよく表していると思います。(これは、文化の歴史背景を顧みなかった私達腐当事者とソレに便乗した者の責任ですね)

また、

やおい業界には「リアルな」アメリカの「ゲイ」の文化を輸入するような仕事をした人たちもいたわけです

といった背景にも注視すべきと同意いたします。が、このような翻訳文化ですら十把一絡げに「やおい(時にBLも)」とする言語体系(が有るんですよね?)訂正:rossmannさんのコメント*5を参照されたい)は、あまりに混沌としていて、様々な弊害を及ぼしたと思わざるを得ません。このタームが持つ汎用性には一定の注意が必要ではないかな、と…。

<潮流>が「密接な関係」として時に<正典>を作り出すのに加担し、<正典>が<潮流>の意味をズラして証拠だけを引用していく。そのような行為性が、とりわけ「やおいBL」タームにあると考えることは、それほど愚かじゃないと私は考えています。


…さて、rossmannさんは、「レーベルによる区別とかは、企業がとりあえずやってみたというにすぎない」と仰いますが、果たして一個のジャンルの看板である「レーベル」を看過してよいのでしょうか?

男同士の恋愛をプロデュースする最大級の市場が有ったのに、あくまで『NYNY』がBLレーベルではなく「花とゆめ」「ジェッツコミックス」から出版された歴史的事実を考えるならば、まず一番に確認すべきはレーベルだと私は判断します。

また、現在『NYNY』と対称に位置づけられるようなBLレーベル作品はあまり挙げられておりません(私が知らないだけであるかもしれませんが)。…実際『NYNY』にはBLレーベル内でそれほど多く描かれなかった部分もあって(ひとつのカップルの一生を描くこともBLレーベルではあまり無いし、扱うテーマが多岐にわたることもあまり無い)、少女漫画と通底する部分と同様に、差異も確かに存在します。ゆえにレーベルの差異を虚構としては捉え難いはずでしょう。

ここを看過するのであれば、正しく私言う<正典>としての「それはやおいだ」言説に加担するリスクが生じてくる。このように判断いたします。(無論正典など無いとする立場もありえますし、それが妥当とも思います)


それでもなお、前提として少女漫画やおい漫画ジャンルの区別さえ定かでないのに、さらにこうした歴史的な様々な連関を無視して純粋少女漫画として『ニューヨークニューヨーク』を位置づけたい少女漫画読者がいたら、私は「そんなバカな」というしかないですよ。

はい、『NYNY』が「やおいBL」の潮流を汲んでいる事実について私も認識を疎かにしていて申し訳なかったです。これもある意味正典化のひとつだと反省して、趣旨に同意します。

ソレと同時に、rossmannさんには是非とも「それはやおい(もしくはBLも)だ」とする言説のリスクに同意して頂きたい所存です。峻別が難しいとしても、そこにある差異を明らかにする作業が意義を持つ場面もあるはずです。事実として「やおいBL」は<正典>を作り出す行為性を持ち合わせております。このことに留保して、件の言説を注意深く観察する必要がある、と考えます。あるいはやおいネスを読み取る場合もそうですが、少女漫画レーベルから出された背景を看過しないと同時に、「低通する、潮流を汲んでいる」といったニュアンスが正典を作り出さないよう配慮が重要になるかと。(もっとも、留保の文脈を読まれない場合は、発言者でなく聞き手に問題があると思いますが)

この点は私自身自戒を込めて。。。


あと。

nodadaさんの想定している問題の言明とはズレがある気もするのであれですが

はい、そこらへんは拙文が至らなくて、rossmannさんのお立場を不用意に植民地化の立場にしてしまったこと、お詫びいたします。


……長くなりました。かえって混乱させてしまっていたら申し訳ありません。とりあえず私もここらで退散します。

それでは、コメント有難うございました。

*1:<あ、「表象」には代理代表といった意味がありますが、ここでの「代表」のニュアンスは、単純に「男性同性愛を語る上で現在席巻している語彙」という程度の意味です。

*2:←ちなみに私も、一部でカウンターとして出されたこと自体は一応存じ上げております。そこに配慮して、上記本文では腐文化に男性同性愛表象があることに喜びを示しています。

*3:たとえば「少女漫画なのにBL・ヤオイ要素が強い」みたいな評価もソレに該当します。男性同性愛自体が「=やおいBL」ではないのだから、少女漫画から男性同性愛が描かれたなら、まずは「少女漫画内の男性同性愛である」と認識するのが本来のはず。更に、その認識が「やおいBLである」事よりも優先されない理由が、考えられない。

*4:また、カウンターとしての発言者が青年マンガに同じ言説を繰り返さないとしても、現在男性同性愛表象を脊髄反射的に「やおいBL」と名付ける風潮は、青年マンガ業界とて必ずしも無関係ではないと憂慮するのです。

*5http://d.hatena.ne.jp/nodada/20081201#c1228612068

kayocokayoco 2008/12/02 01:41 ご無沙汰でース。
この漫画、読んでて、実はけっこう好きだったんだなあ。

この漫画って、登場当初、「翻訳ゲイ小説っぽい」という意見があったんじゃなかったかという記憶があります。「原作があると思ってた」というのも読んだことがある。実際、台詞がすごく英語的なの。それは、ニューヨークを舞台にしている作品として、描かれてて嬉しい点なので、むしろ私の場合そっちの方が好きな理由とも言えるんですがwww 
ところがそれが、今回のだださんがやろうとしている議論の原因のひとつとして挙げられる気もする。作品自体が持ってる空気が違うんではなかろうか。

お話自体も良くできてると思うしね。重いんだけど。エイズで死んでしまうひともいたよな確か。既婚者と付き合うゲイとかさ(そういえば「きのう何食べた?」にもその種の話題がチラッと出てきたっけ)。

あ、そうだ。
@少女漫画界では少女漫画界の男性同性愛表象があり、青年マンガには青年マンガの以下略。
私もそれでいいんじゃないかな、と思う。これを「BL・やおい」にくくられるのは、(少女漫画好きだけど)思いませんが、私はこの作品をそっちにくくることはしませんな。かと言って少女漫画とも言いがたいけど。花ゆめ掲載作だけど「ジェッツ・コミックス」という、青年漫画レーベルで出てることがすべてを物語ってると思うよ。BLには全然詳しくない私でも、BLのメインストリームじゃないような気はするしね。

BLレーベルじゃないところでは逆に書きにくい男性同性愛創作、というのもあるのではないかな、と最近の自分を鑑みて思うわけです。
ごめん門外漢みたいなのがしゃしゃり出てとっちらかった意見言って。
でもこの漫画私好きだよ。

ちなみに、「BLは読書のシュミとしては守備範囲外だけどこの漫画は感動した」という意見も10年くらい前に聞いたことがあります。

mokamoka 2008/12/02 18:12 ゲイ、ないし仲のいい男性同士が出てくるだけで
やれ「BLだ」「腐女子作品だ」と騒ぐ人間に限って、
「ああいうものはゲイに対する配慮が足りない。リアルではない」とか
言うのがいつも不思議だなぁ〜と思います。

確かにBLはリアルではないでしょうけど、
現実世界には確実にゲイの人間がいるわけで、
「ゲイが出てくる=(自分がその口でリアルじゃないと吐き捨てた)BL」
と決め付けたがる点に非常に矛盾を感じます。

それはさておき、
「○○が出てくるからこれは××漫画だ」という
レッテル貼りって少女漫画とBLに限らず結構ある気がします。

近年だと森薫のエマなんかがそれではないでしょうか。
あれは正統派の「恋愛叙情・ロマンス作品」だと思うのですが、
メイドが主人公というだけで「萌え漫画」に分類され
そこで評価されてしまうことがかなりあります。

19世紀の英国を描くときにメイドが出てくるのは
ごく自然なあたりまえのことなのですが、
評価するほうに「メイド=萌え」という図式があるために
現実世界にもメイドがいる(いた)という認識が抜けてしまってるのですね。

ニューヨーク〜も同じで、
ゲイは世界中のどこにだっていて、
いたる小説やドラマや映画で描かれているにも関わらず、
評価する人間が「ゲイ=腐女子=BL!」という
視野狭窄に陥っているからそういう風に判断しちゃうんでしょうね。

nodadanodada 2008/12/02 19:04 かよこたん、どうもご無沙汰どす。パソコン壊れてないよー(笑)。あと、色々ちょっと待たれてー^^;
でも「翻訳ゲイ小説」かー。なるほどなー。読んだことないし、イメージだけなのに、分かるような気がする(謎だ)
でも私も空気として違うって印象がどうもぬぐえないんですよね。いや、すごい主観的な感想だけど、私自身レーベル云々でなくてもNYNYを<やおいネス>に満ちていると評価しづらいのです。確かに彼らの関係性と受け攻め設定との間に共同性を感じなくはないけども、「BLレーベルじゃないところでは逆に書きにくい男性同性愛創作、というのもあるのではないかな」ってコトも思うので、安易に腐文化圏との同居は許せない。今回、一ジャンルを特定の要素だけで物語ることの暴力性を説いたつもりなのですが、BLやおいにあってNYNYにないもの、BLやおいになくてNYNYにあるもの、ってのをもうちょっと慎重に批評してみた方が良いと思うのです。

>花ゆめ掲載作だけど「ジェッツ・コミックス」という、青年漫画レーベルで出てることがすべてを物語ってると思うよ。
あ、そうそう。そうだったよね。うかつに「少女漫画」指定しちゃってすいません。あとで追記しておくわ。ご指摘ありがとうです。
でも、どうなんだろねー。どうしてNYNYがジェッツレーベルでもコミックス化されたのか・・・、また原作者の後書き読み返そうっと。何だか色々意味深よね・・・。

>ごめん門外漢みたいなのがしゃしゃり出てとっちらかった意見言って。
ううん、下でコメして下さったmokaさんもだけど、今回かよこさんから私が言いたかったことを代弁してもらった感じ。ありがとうございます^^
それではまた!

rossmannrossmann 2008/12/02 19:25 はじめまして。ちょっと意見を書きます。

まず第一に、「『ニューヨーク・ニューヨーク』はやおいか」という言明がどのような意味によって発せられているかを明らかにする必要がある気がします。というか、それは特定の作品を特定ジャンルの範疇で理解することで、すべて理解できると考えるのは横暴とか、それは一般論としては正しいわけですよ。しかし、特定の言明は別に常に植民地化しようとする横暴さによるわけではないですし、多くの場合やむにやまれぬ理由があっていわれているわけですよ。正直nodadaさんがどのような文脈における言明を想定されているのか分かりませんが、ここでは私がよく聞きもし解釈してきた「それはやおいだ」という言明について考えます。

まずこの言明は、ジャンルの美学へのたいした検討を行うこともなく語られる「『ニューヨーク・ニューヨーク』は(優れているから)やおいではない」という言明へのカウンターとして捉えられるはずです。この作品は「リアルなゲイ」をえがいたとして評価の対象となったところ、これに反発する意見もあったわけです。実際あの作品が一般的なやおいジャンルの美学に著しく反するかといえば疑問ですし、愛の至高性を掲げるテーマ設定にやおいジャンルとの通低音を聞きとるものもいたわけです。

またここでの「それはやおいだ」という言明は、当該作品を少女漫画ジャンルが生み出したことを否定してはいないわけです。しかし、たとえそれが少女漫画系のメディアで発表されていたとしても、そのことはその作品がやおいジャンルの系譜に位置づけられることと矛盾しないはずです。そもそも少女漫画とやおい漫画はジャンルとして画然と区別できるものか疑問ですし(作家、テーマ、絵柄等、多様な点で重なる部分も多い)、その事実はこれらジャンルにおける男性同性愛の表象についても変わるところはないはずです。問題の言明がこうした基礎事実に支えられたものであれば、それは現代漫画のより正確な見取図を提供しようとしたにすぎません。

したがって、「それはやおいだ」という言明は、やおいジャンルにかかわる言明として正しいわけですよ。単純にそこには密接関連性があるわけですから。別にクィア批評することがどうかとかいう話を持ちだす必要はないでしょう。たとえば今高河ゆんという作家は『Loveless』という作品をかいているわけですが、これはゼロサムという狭義のやおい雑誌にはあてはまらないところでかかれているわけです。しかし高河ゆんという作家の経歴から見ても、これまでの作品との関連から見ても、彼女の近年の同人活動の観点から見ても、当該作品そのものの性質から見てもこれはやおいなわけですよ。それと同じことではないでしょうか。

正直なところ、nodadaさんの主張ははたとえば作品を貫く美学やジャンルの特性といったところを無視して、レーベル等にこだわりすぎな気がします。レーベルによる区別とかは、企業がとりあえずやってみたというにすぎないわけですよ。それ以外にも特定のジャンルを語る方法は、ジャンルの美学や規則に注目すれば可能です。そのような意味で客観的に存在するジャンルについての言明として、「『ニューヨーク・ニューヨーク』はやおいだ」と語ることは正当化できると思います。もちろんそこに少女漫画ジャンルの寄与があった、ということを積極的に否定はしませんが。このような意味で「それはやおいだ」といわれているならば、青年漫画で男性同性愛表象がでてきたときに同じ人は基本的に「それはやおいだ」とはいいません。なぜなら、そこにはやおい文化との密接関連性が、『ニューヨーク・ニューヨーク』に看取されるようにはないからです。それらを比較すること自体がちょっと違うと思います。

むしろ歴史修正主義をいうのならば、それはやおいに負うところの全くない『ニューヨーク・ニューヨーク』というイメージについていわれるべきじゃないでしょうか。実際にも、「やおいと違って「リアルなゲイ」をえがいた『ニューヨーク・ニューヨーク』は素晴らしい」という言明はたくさん見てきたわけです。しかし、漫画の歴史を見た場合にあの段階であのような男性同性愛表現がでたことにやおいの寄与がないという主張こそ非現実的ではないでしょうか。だいたい「リアルなゲイ」をえがいたといっても、やおい業界には「リアルな」アメリカの「ゲイ」の文化を輸入するような仕事をした人たちもいたわけです。アメリカの著名なゲイ作家の小説を翻訳しブックガイドも作った翻訳家の柿沼氏であるとか、同性愛を表象した映画について一冊本を書いた故石原氏もいたわけですよ。それでもなお、前提として少女漫画とやおい漫画ジャンルの区別さえ定かでないのに、さらにこうした歴史的な様々な連関を無視して純粋少女漫画として『ニューヨーク・ニューヨーク』を位置づけたい少女漫画読者がいたら、私は「そんなバカな」というしかないですよ。

まあnodadaさんの想定している問題の言明とはズレがある気もするのであれですが、「『ニューヨーク・ニューヨーク』はやおいだ」という言明には私が上記したような意味があっていわれる可能性もあるわけですよ。少女漫画ジャンルの植民地化だといわれても困るので(私が積極的にこの言明をするわけではなくとも、合理的に正当化できると思っているので植民地化を黙認したとでもなりそうなので)、いちおう。

kayocokayoco 2008/12/02 23:37 @BLレーベルでは逆に書きにくい男性同性愛創作

だった。スミマセンゴメンナサイ。こっちが正しいです。

まあ、羅川さんが花ゆめでデビューする前に、JUNEに投稿してた経験があるというのも、知ってるひとは知ってるんですがね。代表作「赤ちゃんと僕」ではBLっぽいギャグもやったし、ゲストキャラにトランス美女がいたこともあるし(これの主人公はショタ属性あるひとに受けがいいしね。トランス美女は銀行強盗グループの一人というなかなかすごい設定でしたけど)、「いつでもお天気気分」ではヒロインがレズビアンらしき女の子に告白されるなんて回もあったな。たまにクィアな部分を入れてくるひとだね。

まあ、私がこの漫画で最も好きなポイントは、台詞回しという、同性愛とは別の部分なのですが(上で書いたか汗)。
とりあえず、読んでいない漫画を印象だけで片付けるのはやめた方が良いし、読んだ上でも、男の子が2人仲が良かったり、とか、カップルになっているから、ゲイ・アイデンティティを持つキャラがいるという「情報だけ」で安易な裁き方をしてしまうのはよした方が良いでしょうね(どの漫画とはあえてここでは書きませんが、サブキャラで「男の子同士のカップル」ができた作品に関して、BLレーベルでもないし主人公が男の子でさえないのに、「あれはBL」と決め付けて作品と作者を非難した読者もいたことありますし。そういや「西洋骨董洋菓子店」もそういう扱いをした人がいたかも。あれは掲載誌を考えると、そういう解釈をする人が出ても仕方ないでギリギリ済ませることができそうだけどね)。

ただ、rossmannさんがおっしゃっているのは、男性同士の関係性や性愛関係を描いたものが今よりはるかに少なかった時代に、「とにかく男性同士の関係性について貴女たちが見たそうな作品がこれだけあるよ!」と、やや一緒くた気味に? して伝道した歴史的背景のことでしょうか(かつて白夜書房というところから『耽美小説・ゲイ文学ブックガイド』という本が編まれたこともありますし、って、柿沼さんってその編集されてなかったでしたっけ?)。
今日、百合漫画紹介ブログの中に、「Lの世界」のDVD視聴感想を述べているブログが複数あるように、と書くと、たとえとして適切だと良いのですけど。
人の解釈や嗜好はひとの数だけあるから、そういった背景がなくても安易な裁き方をする人はいるのでしょうけど、そういった人々の数の多さが、そういう歴史から来ているのだとしたら、話が難しくなってきますね。

それでも「ニューヨーク・ニューヨーク」が「翻訳ゲイ文学っぽい」という見方をされていることも不可視化してはいけないことだと思いました。

長文失礼。論理的にまともに見えると良いのだけど。

o-tsukao-tsuka 2008/12/03 18:29 はじめまして。

羅川真里茂さんは完全にJUNEの人だと思ってました。
でも『ニューヨーク・ニューヨーク』は乙女系ゲイの後輩に薦められました。
わたしはJUNEがあまり好きではなかったので読んでないのです。

吉田秋生は自分の描くゲイはフィクションだとたびたび言っているし、JUNEでイラストも描いていましたが、しかし『ラヴァーズ・キス』などは乙女系ゲイの後輩にもひどく評判が良かった。
ちなみに、この後輩とわたしはこの作品の映画版を一緒に見に行き、さんざん色んな悪口を言った後、「でもすごくいい」と同意しました。

秋里和国の『TOMOI』をゲイが褒めているのはみたことがありませんが、古い少女漫画読みからは絶大に評価が高い。
わたしは過大評価だと感じますが、当時(1985)としては画期的な作品だったのは間違いなし。
パトリシア・ネル・ウォーレンの『フロント・ランナー』が1990ですから。

何が言いたいかといいますと、過去の作品を今の基準でジャンル分けするというのはちょっと不毛な行為じゃないかな、ということです。

nodadanodada 2008/12/03 21:37 >mokaさん、どうもコメ有難うございます!
レスしたいけど「なるほど」という感想しかなく...。
>ゲイ、ないし仲のいい男性同士が出てくるだけでやれ「BLだ」「腐女子作品だ」と騒ぐ人間に限って、「ああいうものはゲイに対する配慮が足りない。リアルではない」とか言うのがいつも不思議だなぁ〜と思います
 あー、ホント不思議ですよねー。真実はどうであれ、「BLはゲイに迷惑」は腐バッシングの口実に使われ得ると思います。矛盾に満ちながらも、言説の抑圧的な部分だけが流通する。ということにも注意したいです。

エマの例、興味深く読ませていただきました。メイド萌え属性の方にとってメイドが登場する物語は確かに「メイド萌えモノ」だと消費されてもおかしくなさそうです。ただ、そのことで作品の評価が特定の見方だけで固定化されるのは問題だと考えます。今回においては、「やおいBL」という特性だけで作品がまなざされ、男性同性愛的なものが十把一絡げにされる暴力性を論じたつもりです。

>いたる小説やドラマや映画で描かれているにも関わらず、評価する人間が「ゲイ=腐女子=BL!」という視野狭窄
という点が、私にとっての問題提起でした。
・・・実を言えば、NYNYに対しては、むしろ「アレはBLじゃない、リアルなゲイだ」という言説の方が優勢だと思います。ただ、そのような言説は所詮、「やおいBL」的でないものと「やおいBL」的であるものを両極に置き、前者にリアルゲイを当て嵌めただけとしか思えない言説だったり(たとえばBLがエイズHIVをあまり描いてこなかったのは事実だけど、それはあらゆる文化圏で行われてきた隠蔽行為であり、それにもかかわらず、エイズHIVキャリアーを登場させたNYNYを評価するのに、いつもわざわざBLだけを引き合いに出して語ることの乱暴さは、少しくらい認識されてもよいはず)。
要するに、多くのNYNY評価は「ゲイ=腐女子=BL」と近しく、男性同性愛表象を「やおいBLであるか否か」で論じてるコトに変わりない、と感じたのです。もしかすれば、それは間違った評価かもしれない。が、「リアルゲイ」という意味不明な偶像を弄んで具体的詳細を加味しない言説が飛び交う中、「BLやおい」というタームはとりわけ混沌を生んでるという実感は、私から拭えません。
されど、↓でrossmannさんからご指摘いただいた点もありますので、もうちょっと考えてみたいと思います。
それでは、コメントありがとうでした!

rossmannrossmann 2008/12/07 10:07 丁寧なお返事ありがとうございます。私もnodadaさんは多分そんなに立場違わないんじゃないかと思ってはいたのですが、論点を顕在化させる意義もあるかと思い多少批判的なコメントとなったしだいでした。表現が硬くまたきつい印象となりがちかなあとも我ながら思いましたが、ディスコミュらしさがロスマン使用なのでもうしわけないところです。

考えるに、私が想定していたのはどちらかといえば「それはやおいでない」に対する「それはやおいだ」なのに比べ、nodadaさんが想定していたのは「それは少女漫画だ」に対する「それはやおいだ」というべきか問題という違いがあるかもしれませんね。基本的に出版市場でジャンルがどう機能するかといった点では、こうした様々なカテゴリ分けがかなり問題含みであるという議論は賛同できます。ただ気にならなくもないのは、『NYNY』類型の作品はBLに限定されず存在しないんじゃないでしょうかね。「アメリカ」の「リアル」な「ゲイ」の表象は例外として存在するように見えるわけで、これ自体は少女漫画ジャンルとしても十分に居心地が悪い作品な気がします。

またそこで残るのは、やはり美学や感性としてのジャンルの問題であったり、差別解消における表象の政治をめぐる哲学の対立であったりするのかなと思います。これはかなり話を敷衍して書かないとならないので簡単な示唆しかできないところですが、前者は「やおい」という用語そのものの多義性にあるのかなと。「やおい」が扱った主題も少なくとも単一ではなかったし、多様な問題意識から固有の方法論によって「やおい」は試みられもしたわけです。こうした創作者にとっての「やおい」的なもののレベルであれば、批評における分析の用語として積極的に使う必要があるとも思うわけです。このように理解した場合には、やはりそこでの「やおい」は単なる読みのストラテジーにとどまるものとは異なります。私は「BL」は出版業界のレーベル分類概念ということで受け入れられるんですが、「やおい」は出自にせよ一般的に理解される意味にせよ多義的な気がするんですけどどうでしょうか。ただしその場合には個別に「やおい」における個別のこの作品に見られる主題が、近年では(おそらく実質的にも関連しながら)少女漫画ジャンルの特定の作品で変奏されていると、抽象的に「やおいだ」というのではなく具体的に語られることになるのでしょう。正直なところこうした語りを採用する必要性は高い一方で、ここまで説明したとしても混同の愚を犯す人はいるでしょうが、そこまで配慮すべきなのかは疑問に思います。後者の論点(表象の政治の哲学)は説明すると長くなるので、とりあえずはこの程度で。

あと一点補足ですが、私はアメリカのゲイ文化一般を翻訳する仕事一般が「やおい」だというのではなく、たとえば柿沼氏がアメリカのゲイ小説を翻訳し『耽美小説・ゲイ文学ブックガイド』という本をだすこと等を「やおい」ではないかといいました。あれは「やおい」読者が読者対象の一つなんじゃないかと思ってたんですけど、違いましたっけ。故石原氏にしても、相当本数の同性愛を表象した映画を論じる本の終わりの方で、june少女が同性愛映画を見ることみたいな章を設けていたはずです。私の日常的な言語感覚からすると、これらの試みが「やおい」だといえないというのはかなり直感に反します。別に私は北丸雄二氏がゲイ小説を訳したのは「やおい」だとはいいませんよ。まさか。

とりあえずはこんなところでしょうか。ではまた。

nodadanodada 2008/12/07 22:44 かよこさん、作家について色々説明有難うございます。情報だけで脊髄反射はそれこそ愚かだと思います。『NYNY』への評価が一個にとどまらないことは、不可視化されてはいけないと同意です。

それでは!

o-tsukaさん、コメント有難うございます。
むー、このタームが名指した文化は(時系列の混乱と共に)様々な語られ方をしていたので、取り扱いが複雑になるのだと思います。

それでは!

rossmannさん、再びコメント有難うございます。
批判的コメントが出来ない方がコミュニケーションとして非建設的なので、それ自体は何も差し支えありません。議論を交わしてくださって助かりました。
>「それはやおいでない」に対する「それはやおいだ」なのに比べ、nodadaさんが想定していたのは「それは少女漫画だ」に対する「それはやおいだ」というべきか問題という違いがあるかもしれませんね
ソレもあったと思います。私の関心はクィアに対する表象横奪としての「やおい・BL」にあるので、若干そういう路線でしか出発できない癖があります。今回の補足では、それらの違いが有るにしても<正典>化の捏造に配慮すべきだという論旨でした。この構造ってたぶんクィアの表象横奪と通じるかな、と思ったんです。…とまれ、今の私にはちょっと整理整頓が出来ていないので、今後頭を冷やして考えたいです。

あと、『NYNY』自体が異端であったかもしれないのは個人的にも頷けますが、そう言えば『花ゆめ』レーベル自体「少女漫画界ではみだしっ子だ」みたいな評価がありました…。かつて花ゆめ読みだった私としては意外な事実です。何れにせよ、作品論とかするならもっと知識量が必要ですね^^;

また、rossmannさんの「美学や感性としてのジャンルの問題」の意味は一つだけではなさそうですね。私は特に読解批評としての「やおい」に言及しましたが、おそらくそれだけでなくrossmannさんはジャンルの正確な見取り図…潮流(系譜)としての「やおい・BL(JUNEその他)」を言及なさっていた…。その視点に私は「しかし、まずはレーベルに即した評価こそ重要」と語った、…と。
実は今回、ここらへんを特にご教授頂きたかったんですよね。私は歴史に疎いので。つまり、「やおい」の多義性においてはレーベル分類概念を受け入れがたいとする背景のことです。
ちょっと正直今頂いたお話って私が理解できる範疇を超えていますが、どのような言説が採用されるべきか、しかしその言説にどのような暴力性が有るかは考え続けるべきだと直感しました。

あと、柿沼氏・故石原氏の仕事ですが、なるほど了解しました(でもごめんなさい、ちょっと本は存じ上げません…)。私もあまり定義付けにこだわるあまり歴史を見落としたくないのですが、それはもっぱら「腐女子」という主体に関る現象として捉えられるのかな?と思いました。…いや、でも待てよ。『耽美小説・ゲイ文学ブックガイド』は94年出版ですよね。当時「腐女子」という主体性(名前)はなかったと聞きますので、「おこげ」?などに関する現象となるのかな。しかし当時「やおい」はあったから、やはり、やおいのムーブメントにそれらの著作が関っていたと言うべきでしょうか。ならばrossmannさんが「これらの試みが『やおい』だといえないというのはかなり直感に反します」というのは納得です。もちろんそこにはあらゆる主体性が関っていたことは看過できませんが。

>別に私は北丸雄二氏がゲイ小説を訳したのは「やおい」だとはいいませんよ
そうですね、今回の議論においても、さすがに区別されるべき「潮流系譜」は幾らか有るはずでしょう。
…でも、女がゲイ小説読むのも「やおい」、みたいに仰る方がいましたっけ。…それって読解批評としての「やおい」?潮流系譜としての「やおい」?
あー、だめだ。もうちょっと頭冷やしてきます。今日はもう何も書けないかもしれません(笑)

ではまた。

gmaxgmax 2008/12/08 15:06 すごく些末な話なのですが、ジェッツコミックスは青年漫画専門のレーベルというわけではありません。「花とゆめ」系列(「MELODY」とかも含む)の雑誌で掲載された作品or主にその系列で活躍している漫画家の作品(他社の雑誌で発表されたものも含む)を収録した単行本がジェッツコミックスレーベルで出版されるケースは他にも例があります(最近ですと「大奥」がそうですし、古いものだと和田慎二の「忍者飛翔」も最初はジェッツだったと記憶しています。他にも遠藤淑子や桑田乃梨子などがジェッツで単行本を出しています)。通常の花ゆめコミックスで出すかジェッツで出すかはその都度白泉社が判断するのだと思いますが、その内容ではなく、採算性が重要だとも言われています。固定ファンがいるのである程度は売れることがわかっているが、極端に部数は稼げないという場合にジェッツになる、と聞いたことがあります。
内容的に部数が稼げないと判断されてジェッツになった可能性もありますし、あるいは「これは少女向けというより大人向けだ」と判断されてジェッツになった可能性もありますが、いずれにせよジェッツ=青年漫画というわけではないので、「ジェッツコミックスで出た」ということには、さほどの意味はないと考えますがいかがでしょうか。

nodadanodada 2008/12/08 18:35 qmaxさん、コメント情報ありがとうございます!
>ジェッツコミックスは青年漫画専門のレーベルというわけではありません。
なぬをー!『ふたりエッチ』がジェッツだったのでてっきり青年誌とばかり思っていました。白泉社サイトを見てもよく分からなかったのでそれきり調べてませんでしたが…そ、そうなのですか…。すぐに訂正しておきます。私はレーベルにこだわる立場なのでここは重要な指摘でした。詳細ありがとうございます。

それでは!

isikaribetu07isikaribetu07 2008/12/08 21:44 gmaxさんに先に書かれてしまいましたが、下書きを作ってしまっていたので、私も投稿しておきます。
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ジェッツコミックスは青年向漫画のレーベルである、というのは正確ではありませんよ。

白泉社の説明でも、「B6判は「ヤングアニマル」掲載作品を収録、A5判は女性向けやギャグ作品を主にセレクト」となっています。
http://www.hakusensha.co.jp/corporate/books.html

最近では、よしながふみ『大奥』(「メロディ」掲載)や清水玲子『秘密−トップ・シークレット−』(同)、魔夜峰央『親バカの品格』(「シルキー」掲載)などがジェッツコミックスから出ています。
また『ニューヨーク・ニューヨーク』が出版される(1998年)前にも、たとえば坂田靖子の作品群や吉田秋生『櫻の園』などがジェッツコミックスから出ています。

ジェッツコミックス版の『ニューヨーク・ニューヨーク』はB6判で刊行されたようですが、そのことだけをもって「青年向として刊行された」と判断するのは無理があります。というのは、現在は「A5判は女性向け」と説明されているものの、過去には和田慎二『スケバン刑事(スペシャル版)』や那州雪絵『ここはグリーン・ウッド(愛蔵版)』、三原順『はみだしっ子全集(愛蔵版)』などがジェッツコミックスからB6判で刊行されているようだからです。

いずれにせよ、「花とゆめコミックスから出なかった」ということの意味を考える価値はあるかもしれませんが、「ジェッツコミックスからB6判で刊行された」という外形的事実のみをもって「青年向レーベルから出た」と捉えるのは危険ではないかと思います。

kayocokayoco 2008/12/08 22:14 みなさま補足説明ありがとうございました。ジェッツコミックスの名前最初に出したの私ですわ。いらぬ混乱を招いたのでしたら誠に申し訳ございません。

もう、漫画は漫画でいいじゃないかとさえ思えます。どんな年齢・性別・嗜好のひとを対象として描かれたかなんてどうでもいい。良い漫画がある。それでいいや。そんな気持ちです。

nodadanodada 2008/12/08 22:23 isikaribetu07さん、コメントありがとうございました。

>いずれにせよ、「花とゆめコミックスから出なかった」ということの意味を考える価値はあるかもしれませんが、「ジェッツコミックスからB6判で刊行された」という外形的事実のみをもって「青年向レーベルから出た」と捉えるのは危険ではないかと思います。

より詳しいご指摘ありがとうございます。今回は私の認識不足と早とちりで謝った情報を書いてしまいました。

「B6判は「ヤングアニマル」掲載作品を収録、A5判は女性向けやギャグ作品を主にセレクト」
この理解の上で、かつてB6版で青年誌以外の作品が出ていること、NYNYが花ゆめコミックスから出なかったことを考えるべきですね。了承しました。

それでは!

o-tsukao-tsuka 2008/12/09 00:08 「おこげ」は「おかま」好き女性を揶揄する目的で使われた言葉であって、JUNE好き、やおい読者のことではありません。

霜月うまれ霜月うまれ 2008/12/09 14:56 こちらにコメントするのは初めてかもしれません。
のだださん、こんにちは♪

私も「NYNY」はやおいBLじゃないと思います。
少女漫画とか青年漫画とか言われてもウーン・・・って思うんですが。
私の中ではあれは「伝記」の域に達してる(笑)

TBいただいていきます。

nodadanodada 2008/12/10 22:23 o-tsukaさん、どうも。
二つを混同させるよな誤解を招く書き方をしてすいませんでした。あそこはですね、rossmannさんから上で挙げて頂いた本の読者ターゲットとされたのがもし「男性同性愛に関心ある女性も」と規定されていたなら、という仮定で書きました。当時「腐女子」という主体がいなかったと思い、そのターゲットがどのような主体であったかが分からず、安直的に「じゃあ、おこげもその主体として挙げられていたのか?」と。
私は「おこげ」について無知なのでその仮想が適切かどうかもよく分からず、適当に書いてしまいました。ただ、JUNE読者と「おこげ」をイコールで結べられるものだ、とは思っていません。誤解を招いたならすいません。


霜月さん、どうもこちらでは始めまして!
TBありがとうございました。実はtatsukiさんからもエントリを立ててもらってます。どちら様の意見も面白かったです^^
NYNYが取り立てて「やおい・BLであるか否か」と問われがちな中で、やおい・BLをコンテンツ消費・愛する方たちが実際に「自分のやおい・BL」を語ることは、私の拙い文章よりも価値があることだと思います。また時間が出来たらそちらのコメント欄にお邪魔しますねv
それでは!

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