【読書】メディアとしての紙の物語/紙と人との歴史
中国を専門とするイギリス人ジャーナリストによる「紙」の歴史をまとめた大部。
中国で発明された紙が、どのような使われ方をして広まり、それが朝鮮半島、日本へどう伝わったか。そして中央アジアを経由してアラブへ、イベリア半島も経由してさらにヨーロッパへ。最後は近代社会へ。
紙を使って文字を書くこと=識字の社会となること、固定された意志や考えが広まっていくことであり、宗教的なもの、政治的なものを問わず大きな変革をもたらすきっかけにもなることを通奏低音のように描いていく。
紙によって実現したもっとも偉大な発明であるコデックス装の、綴じるタイプの本について、著者はあとがきで現代における状況についても触れている。曰く、単に所有欲を満たすための美しさや見た目にこだわることはその本質ではないという。紙の持つ表現力はディスプレイのもつそれとは同じではない。劣るところもある。しかし、フィジカルに所有することができる。そして時代を超えて、それが書かれた時の姿のまま受け継がれていくことも、著者がこの本で描き出した紙の魅力そのものだろう。
15世紀にシャー・ナーメの写本を作るためにかかった費用の4分の1以上を占めるほど高コストだった紙の調達がいつしかどんどん安価になってたり(このケースはそれ用に輸入したりしたから、という事情もあるのだが)、その時の商習慣がそのまま英語で紙の単位を表す「Ream」⇒日本の「連」へ、というような小話もたくさんあって、面白い。
【映画】その景色の意味を知ったら、何も言えなくなる。/セメントの記憶-Taste of Cement-
静かに突きつけられる美しすぎる光景。その景色にどんな意味があるかを知ってしまったが最後、何も言えなくなる。「セメントの記憶」はそんな映画。
内戦からの復興が進むレバノンの首都、ベイルートは、「復興バブル」とも言うべき状態の建築ラッシュが続き、そこには凄惨な内戦が続く隣国、シリアから逃れてきた難民たちも労働者として多く暮らしている。
そんな労働者たちが働くある高層建築の現場。日が昇ると、彼らはコンクリートの地面に空いた穴から顔を出し、エレベーターに乗って高層階に上がり作業を続ける。眼下に広がるのは美しい地中海、発展した街並み、車の列。日が沈む頃、彼らはまた穴に戻り、雨が降ればそのまま水が溜まり、洗濯物は日の当たるような場所に干すことなど当然叶わず、照明は裸の電球をそのままつけたり外したりするような、「劣悪」以外の形容詞でしか表現できない寝床で、破壊される故郷をテレビやスマホで眺めながら夜を乗り越える。その現場で撮影された「映画」(分類としては「ドキュメンタリー」なのだろうけど、そのカテゴライズに興味はない、と語る監督にならって「映画」とします)。
様々な事情……例えばこの映像が自らの仕事はもちろん、故郷に残してきた家族も含めてどこで影響が出るかわからないことなどから、その現場の人々は何も語らない。ゆえに映画は全編を通じて不思議な静寂が続く。高層ビル(の建築現場)からの美しい地中海とベイルートの街並みがあり、時折、破壊されセメントの雪が舞う光景と、その中で必死に救助活動を行う人々、地中海に沈められたレバノン内戦の記憶が挿入される。工事の音と景色は戦場のそれとシンクロする。そして、家族の記憶と、美しい海の絵について語るストーリー。
語り部もいない、何が変わるわけでもない。美しい景色とのコントラストがただただ強烈で、そこに沈黙が加わって安易な共感や理解は拒絶され、淡々と、それがゆえにごまかしなく突き付けられる。触れることすら許されない景色は、いつしか労働者たちにとってどうやっても中に入ることができない絵画になる。
と、まぁ映画そのもののアウトラインを振り返るだけでもヘヴィな気持ちになってしまうのですが。内戦を乗り越えたレバノン(それこそ映画「判決」で見出されたような、「希望」を見出しつつあるのかもしれない、シリアの隣国)の発展・復興が、まさに内戦で故郷を蹂躙されている難民によって築かれているという矛盾。あるいは、内戦から逃げて、建築を通じて新しい何かを作り出しているはずの人たちが、しかし基本的人権すらない環境に置かれてしまう状況。本当に「救い」の無い状況を前に、私は何を見出せばいいんだろうかとダウナーになってしまうことこの上ない映画です(褒めてます)。
しいて何か見つけるとすれば、「国外で働くすべての労働者に捧ぐ――」とされていることなのかな。幸か不幸か、「日本で、日本人を相手に働く日本人の私」はそれこそこの映画が捧げられた労働者たちの対極にいると言えるわけで。
たまたま最後の監督挨拶があると知って見に行ったお昼の会。パンフを買って質問をしてから握手を交わした右手をじっとみながら、渋谷の雑踏にまぎれたくなる映画でした。
上映はユーロスペースにて。こないだ公開されたばかりだからまだしばらくはやってるはず。ぜひ。
【読書】Bリーグ立ち上げの話を書いた本がすばらしかったのでトップリーグ関係者も読んでほしい/稼ぐがすべて
タイトルはなかなか強烈ですが、しかしスポーツ愛も感じさせる一冊です。
Bリーグ、正式名称公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ事務局長の葦原一正さんによる、Bリーグ立ち上げとやったこと、これからのこと。
2016年秋の開幕に向けて、わずか1年あまりの準備期間。その間にビジネスとしてのポテンシャルを分析し、入場者目標を掲げてBリーグは走り出しました。柱となったのは「権益統合」と「デジタルマーケティング」という2つの手段。その背景と詳細がまとめられた本書は、まさにスポーツビジネスに関わる人におすすめしたい、わずか1,500円+税で手に入る最高の参考書だと思います。
特に面白かったのは、自分の本職に近い領域ということもあるかもですが、【顧客情報をリーグで管理してCRMに活用する】という「リーグ統合DB」の部分。まさにこれからのサブスクリプションビジネス*1の時代にもつながる「そうあるべき」手法で、ファンと長期的な関係を築く土台。SNSを始めとする様々なデジタルでの施策を実行して、リアルにつなげるための骨格になるところです。各チームのWebサイトのフォーマットも統一し、1IDですべてのクラブのサービスが使えるという仕組みも設け、放映権ビジネスに限らず、チケットを売るビジネスにおいても、リーグとしての全体最適につなげていきます。
DBがあれば何ができそうか、を本で出てきた話以外でも少し考えてみると、例えば私自身がラグビーでなんとかならないかなぁと思うことですが、コアなファンが誰かを連れてきた時の特典なんかも実現しやすそうです。誘われて観戦に行く人もID登録して、その時に誘ってくれた人のIDを入力するとお互いに特典がある(応援グッズがもらえるとか、5人以上誘うとチケットがもらえるとか)みたいな仕組み……しかも統一IDなら誘う側・誘われた側が別チームでも作れる。まさに今ならではのWebマーケティングの醍醐味!!
タイトルの「稼ぐがすべて」という言葉は、今までのスポーツ団体では何となく避けてきたお金の話こそ、「事業」として=ビジネスとして何とかなることであり、今までスポーツのサイクルとして言われているような普及→強化→事業というサイクルではなく、事業としてうまくいくからこそ、強化や普及ができるのだ、という葦原氏の考えに基づくもの(「すべて」というタイトルになると、稼ぐことが「目的」になっているようにも読めてしまいますが、そうではない、スポーツの価値とは?という話も出てきます)。
がんばって普及すれば、そこからいい選手が出てきて、強くなって人気が出れば、いつか事業として収益が成り立つ……本当にどこかで聞いたような話ですが、ラグビー好きとしては耳が痛い話。本の話からは逸れますが、2015年ワールドカップのあと五郎丸選手をはじめとする猛烈なラグビーブームを活かすことができないまま、2019年を迎えようとしているトップリーグを思うと、モヤモヤに突き刺さるものでした。
2019年ワールドカップのあとのトップリーグのことを想像してみたとき、企業にもかなり負荷が大きいと思われるラグビー*2を、いつまで続けてくれるのか……チケット収入:スポンサー収入の比率がほぼ0:100のようなリーグ*3は、ワールドカップという大きな祭りが終わった後に、企業が続ける価値を見出せるリーグになるのだろうか。今のままでは早晩立ち行かなくなるのでは……と、何の根拠があるわけでもないのですが、思うのです。
2019年の後、何かの形でリーグが再編されるのであれば、土俵際の最後のチャンスにはなるかもしれない*4。来るべきトップリーグ再編の時に、この本が活かされることを祈るばかり……と思ってたら、こんな求人も。employment.en-japan.com
私はこの本を読む前に安易な気持ちで応募して、すでに書類で落とされているけれど*5、ぜひ志高い方、デジタルマーケティングに関わってる方、応募いただいて、その知見を、ラグビー含むafter 2019,2020の日本のスポーツビジネスに役立ててください。お願い。
サブスクリプション――「顧客の成功」が収益を生む新時代のビジネスモデル
- 作者: ティエン・ツォ,ゲイブ・ワイザート,桑野順一郎,御立英史
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2018/10/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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*2:チーム単体の収支とかは私は伺い知らぬのですが、どこも余裕があるとは思えない……のわりに毎年大物外国人選手もやってくるのでもしかしたら儲かってるのかもしれませんが
*3:初年度のBリーグやJリーグは1:2、NBAだと2:1だそうです
*4:Bリーグは0からのスタートであったからこそ、ここまで紹介したような仕組みを作れた、という要素もあったと述べられています
*5:しかし書類で落ちているので本を読んでいるからと言って結果が変わったとは限らない
【読書】「なんだ広告かよ」の先へ行くために、その歩みを知る/ソーシャルメディア四半世紀
前WIRED編集長、若林恵さんが、SNSがマネタイズフェーズを迎えたときに、「なんだ、広告モデルかよ」とがっかりした、という話をされていました*1。
「個人をエンパワーする」というSNSの本質を実現する、その先のモデルはあるのか?私企業である以上は無理なのか?個人的にも興味がある話ではありますが、それを考えるヒントになりそうなのか、この本です。
ソーシャルメディア四半世紀:情報資本主義に飲み込まれる時間とコンテンツ
- 作者: 佐々木裕一
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2018/06/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ウェブ日記、ブログ、口コミサイト、SNS、ソーシャルゲーム――。
かつて夢に見たウェブの進化はどこへ向かったのか?
価格.com、@cosme、はてな、食べログ、GREE、mixi、etc..
著名ネット起業家の声から国内ソーシャルメディアの25年間を振り返る壮大な記録!
国内ソーシャルメディア企業の「これまで」を俯瞰し、
「これから」のネット関連ビジネス+社会+メディアの羅針盤となる、
いちばん新しいインターネットの歴史書!
◆気鋭の情報社会学者が2001年から5年おきに計4回、国内主要ネットメディア企業に行った定性調査から
各社のユーザーコンテンツ(UGM)事業の勃興盛衰を詳述したネットの産業史的な色合いもある作品。
◆対象事業者は、価格.com、@cosme、はてな、食べログ、グリー、mixi、ニコニコ動画、pixiv、
レストランガイド、みんなの就職、映画生活等を含む。取材対象者は、@コスメ吉松徹郎、グリー田中良和、
はてな近藤淳也、メルカリ山田進太郎ほか著名起業家たち約50人。
タイトルの指す「ソーシャルメディア」とは、いわゆるTwitter,Facebookなどに代表されるそれだけではなく、価格.com、@cosmeなどのユーザー投稿コンテンツを活用しているメディアも含めて、指しています。2000年前後のWeb黎明期から現在、そして将来への展望がまとめられた、500ページを超える大著ではありますが、読みごたえも十分な一冊。
本書を読み終えて約1か月あまり。改めて思うのがウェブのマネタイズに「広告モデル」の先はあり得るのか、という話です。それこそ本書で登場するメディアは、「ユーザーコンテンツ」が原資になっているからこそ、ユーザーからお金は取らずに……という発想だった話なども、当時のインタビューの言葉で紹介されていきます。
97年に出た「ネットで儲けろ(NET GAIN)」において、ネットの収益モデルとして、以下の3つが挙げられています(本書でも紹介、深く掘り下げられています)。そして基本的にそれは今も変わらないと考えてよいでしょう。
1.ユーザー収入:会費/利用料、個別料金などを取るもの
2.ベンダー収入:広告、取引手数料
3.メンバー情報:メンバー属性、利用状況、購買特性データの販売、レンタル
結局早い段階で「1」は諦められ、「2」「3」のモデルの中で、タイトル通り四半世紀を過ぎました。その背景には「1」の直接ユーザーから収益を得ることの難しさもありましたが(ソシャゲガチャを除く)、2005年頃のサーバーなどのチープレボリューションや、Google アドセンスをはじめとするコストがかからない広告収益モデルができたことで、どうしてもチャレンジしないと立ち行かない、という状況もあったのかな、と思ったり。
それで世の中いい感じに回ってればよかったんですが、一般的な意味でのSNSが勢力を伸ばし、ウェブの閲覧はスマホが中心になり……という世の中で、斎藤環氏の言う「毛づくろい的コミュニケーション」、本書で言うところのウェブの「身内化」「コミュニケーション化」が進み、重要だから・信ぴょう性が高いから、ではなく、共感した・面白いから、で情報が拡散される時代になって、広告モデルであるが故の問題が顕著になってきたことは、直近のフェイクニュースなどの話、WELQ問題を出して説明する間でもないでしょう。そうでなくても、口コミの不正投稿や、グレーなインフルエンサーマーケティングなどがもたらしたウェブは、まさに「ググってもカス」な状況を生み出してしまいました。
さて、本書にはイントロダクションとしての、インターネット前史のユーザー投稿コンテンツをもとにしたメディアの話、最初期のユーザーサイトの話に続いて、2001年/2005年/2010年/2015年の4つのフェーズに分けて、ウェブをめぐる状況を定点観測し続けた話のあと、第5部として「結論、そして2018年の風景から情報ネットワーク社会を設計する」という野心的な章があります。
内容にはおおむね同意するものですが、しかしなかなか厳しいとしか言いようのない現実を前に、例えば10年後に、私たちは「広告」から先に行けるのだろうか……そのとき、どんなウェブを、ひいてはどんな社会を生きているのだろうかと、ウェブやコンテンツを作っている会社で、まさに広告モデルの実践者として営業をしている我が身を振り返りながら、胸に手を当てながら、ぐったりと考えてしまうのです(こんな仕事早くなくなればいいのに)。
それはやはりどこかで「ユーザーからの収入」をいかにして得るか、という難題にもう一度挑むことになるのだと思うのです(それこそはやく積んだままの「サブスクリプション」を読むべきなのだ)。
その時希望になる言葉は、スチュアート=ブラントの「情報はフリーになりたがっている」に続く言葉として本書にも紹介された、「正しい場所に存在する情報はある者の人生を変える。それは非常に価値のあるものだから、高価になりたがっている」 という話につながっていくのかもしれません。
サブスクリプション――「顧客の成功」が収益を生む新時代のビジネスモデル
- 作者: ティエン・ツォ,ゲイブ・ワイザート,桑野順一郎,御立英史
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2018/10/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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【映画】「判決、ふたつの希望」を深く見るためのレバノンに関する5つのこと。
気になっていた映画、「判決、ふたつの希望」を見てきました。
レバノンの首都ベイルート。その一角で住宅の補修作業を行っていたパレスチナ人の現場監督ヤーセルと、キリスト教徒のレバノン人男性トニーが、アパートのバルコニーからの水漏れをめぐって諍いを起こす。このときヤーセルがふと漏らした悪態はトニーの猛烈な怒りを買い、ヤーセルもまたトニーのタブーに触れる “ある一言”に尊厳を深く傷つけられ、ふたりの対立は法廷へ持ち込まれる。
やがて両者の弁護士が激烈な論戦を繰り広げるなか、この裁判に飛びついたメディアが両陣営の衝突を大々的に報じたことから裁判は巨大な政治問題を引き起こす。かくして、水漏れをめぐる“ささいな口論”から始まった小さな事件は、レバノン全土を震撼させる騒乱へと発展していくのだった……。
映画「判決、ふたつの希望」公式サイト 2018年8/31公開
ということで、2016年のレバノンを舞台にした法廷劇。中東という難しい地域の背景を置いて、シンプルに映画の中だけのストーリーだけでも、振り上げた拳をどうおろすのか、どうして拳を振り上げてしまうのか。そして個人の怒りや悲しみがその枠を超えて「我々の」ものになってしまう、なってしまったときの恐怖……現代社会において、遠い異国の話ではない、という感じを共有できる、突き付けられる映画です。とてもよかった。
一方で「2016年のレバノン」がそもそもどんな状況なのか?背景にどんな歩みがあるのか、いくつか知っておくとより深く映画を見れるかも、と思ったことがあったのも事実。
自分も知っていたこともあるし、改めて調べたこともあって、せっかくなのでまとめておきます。*1
1.レバノンという国のなりたち
現在のレバノンにつながる歴史を超ざっくり振り返ると、オスマン帝国統治下から第一次世界大戦を経て、1920年に悪名高いサイクス・ピコ協定に基づくフランスの委任統治領に。その後、第2次大戦中のフランス本土の混乱時に独立したのが現在の国家につながるもので、第二次大戦後のベイルートを中心に反映するも、中東戦争の影響を受けた1975年から90年まで続いた内戦、その後シリア軍の駐屯・撤退を今に至る、といったところでしょうか。
出典:Google Maps。レバノンのあたり。
2.レバノンに暮らす人々
人口の大半はアラブ人でアラビア語が公用語ですが、フランス語も使われているそう。残念ながら閉店してしまいましたが、明治大学駿河台キャンパスの目の前にあった「アドニス」というレバノン料理のファストフード店はフランスが本社でした。
もともとこの地域にはマロン派というキリスト教の一派があって、キリスト教徒のアラブ人、という人がたくさんいます。加えて様々な宗派のイスラム教徒もおり、キリスト教も含めて18の宗教・宗派に属する人たちが暮らしています。
人口の40%を占めるキリスト教徒の女性は、服装も日本やヨーロッパとそんなに変わらない感じだし、映画の中でも女性弁護士、判事が出てきます。もっも言えばアイドルっぽい活動をしてる人もいるそうな(主役の一人も、レバノンでは人気のコメディ俳優なのだそう。大泉洋さん的なイメージかしらと勝手に想像しました)。
そこはさておき、パンフレットにも寄稿している佐野光子さんによると、そのありようは「るつぼ」というよりも「モザイク国家」。つまりいろんなバックグラウンドを持つ人が混ざり合いながら共存している、というよりも、初対面同士でお互いの名前や住んでいるエリア、身なりなどから素早くバックグラウンドを見極めて、相手を刺激しないように会話のテーマを選ぶような、そんなバランスを取りながらの暮らしなのだそうです(ある意味日本もそうか)。映画主人公の一人であるイスラム教徒の工事監督が、キリスト教徒が多い地域で、なるべく目のつかないところで礼拝をするように指示していたという話も、そういったシーンの1つでしょう。
イスラエルに隣接する国、ということもあって、多くのパレスチナ難民が存在。1948年の第一次中東戦争以後、紆余曲折を経た現在も12か所の難民キャンプがあります。もはや二世、三世となりながらもそこに暮らす人々は40万人といい、人口の7%程度に相当。難民キャンプに暮らす人々は無国籍扱いで、スラムのような劣悪な環境に置かれ、就業や財産権、移動の自由なども規制されているそうです。一方でなかなか警察などの国家権力も及ばない状況でもあって。また、後述の内戦の要因や、社会が落ち着かないのはあいつらのせいだ、という見方をされることもしばしばなのだとか……。
さらに近年の隣国シリアでの混乱から逃れてきた難民も流入しているといいます。
4.レバノン内戦
1975年から90年頃まで続いた内戦。イスラエルでパレスチナの解放活動を行っていたPLO(パレスチナ解放機構)がヨルダンを逃れてレバノン流入。それまで保たれていたキリスト教とイスラム教のバランスが崩れたりで、内戦状態に突入します。さらにイスラエル、シリアなどの隣国も介入し、国連軍も駐屯しました。
※きっかけになった「PLOがヨルダンを逃れてきた原因」にはヨルダン内戦があって、このときの話も映画で出てくる(さらにその前には第3次中東戦争が……あぁ、もう複雑……)。
内戦の中では数多くの悲劇が起きた。それは国内のイスラム教徒のグループにも、キリスト教徒のグループにも起きていて、物語のキーにもなります。
1つ、事前に知っておいた方が……という話としては、内戦の中でも特に大きな出来事として1982年のイスラエル軍の侵攻(ガリラヤ和平作戦)があったこと、そしてそれを率いていたのが当時イスラエル国防相であったアリエル・シャロン(のちにイスラエルの首相)という人物であったこと。さらにその中で、イスラエルに訓練を受け、支援を受けた民兵組織としての「レバノン軍団」が、非武装のパレスチナ人難民キャンプを襲撃、大量の虐殺を行った、という事件も起きているものの、現在のレバノン軍団はイスラエル寄りというよりは、独立したレバノン、を主張しているらしい。
この辺の1982年の出来事を扱った映画としては2009年公開の「戦場でワルツを」が重い。
5.レバノン軍団
レバノン内戦時にバジール=ジュマイエルによって創設されたキリスト教マロン派の民兵組織。当初はどちらかというとイスラエル寄り。バジールはキリスト教マロン派の若者にカリスマ的な人気があったが、83年に暗殺されます。
その後、94年に非合法化されるが、現在は右寄りの政党として復活し、サミール=ジャアジャアという人物が率いており、彼も映画に出てきます。
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なんかもっとシンプルにまとめたかったのに、気が付くとそれぞれの項目がちょっとした長さになってしまった……。
ともかくも、レバノンという国は本当にいろんなバックグラウンドを持つ人がいて、いろんなことがあって、そんな中で何とか前を向いて暮らしていこう、としているところなのでしょう。それこそ「パレスチナの大義」を掲げて、宗教の話も、過去の諸々もあるけれど、と。
そんな映画の背景を知ったうえで一周回って、映画の中で描かれるシンプルな、しかし普遍的な問いがまた浮かび上がってくる。そこには現実的な女性の姿と素直に謝れない中年男性、あるいは、裁判で勝つことが目的になってしまう弁護士、ネトウヨのルサンチマンと誰かの怒りを煽って暴力を拡大する仕組み、みたいな、日本のテレビドラマでもありそうな話も含まれているかもしれない。
良くも悪くも中東を舞台にした映画は重たすぎることも多いのですが(とはいえ、その現実からは逃げられなくて……という気持ちもありつつ)、この映画は後味がよい。それこそ、これからの未来に希望を抱かせるような。
その希望が現実になることを祈りつつ。
*1:なるべく正確を期したつもりですが、中東の専門家でもなければ、いろんな見方もできる話でもあって…ということで、大筋のところでご容赦ください
【読書】知らなくても生きていくには困らないけど、知りたくなる魅力/21世紀中東音楽ジャーナル
新婚旅行はトルコに行った。2013年のこと。美しいモスク。路地裏で食べた美味しい料理。イスタンブールはまた行きたい街の1つ。
そのトルコ旅行のさなか、たしかエフェスだったと思うんだけど、買ったCDがある。その名もまんま「HIT 2012」。古い友達が、外国に旅行に行ったらそこでベストヒットのオムニバスCDを買うといいと思う、という話をしていたのを真似した。
1曲目がこれ。
ちなみにこちらのTARKAN氏はドイツ逆輸入の超売れっ子アイドルらしい。
確かホテルとか、街中でもこの人のPVが流れてて「へぇー、けっこうイケイケなんやな」ぐらいのことを思ったのを覚えてるんだけど、プロフェッショナルである著者のサラーム海上さんのことを知ったのはもっとあとになってからだ。
で、今回読んだのがこちらの本。
私がトルコに行った時期よりもちょっと早い時期ではあるんだけど、サラームさん自身が実際に足を運んで、出会った音楽の記録。2002年のトルコ・イスタンブールからはじまって、2004年のモロッコ、ふたたび2005年にイスタンブール、2007年イエメン、2009年に本書では三度目のトルコ・イスタンブール。そして2011年のエジプト。
いわゆる伝統音楽だけじゃなくて、それが今どんな形で人々の中で聞かれているのか、がサラームさんの興味の対象。出てくる多士済々のミュージシャンは、Spotifyでも聞ける。それらを聞いてみるだけでも、単純にこんな音楽が、こんな世界があるんだ!という驚きと新しい音楽世界に足を踏み入れる喜びに満ちる。
折しも2011年は、まさにサラームさんが出くわしたエジプトの革命をはじめ、中東という地域のバランスが一気に変わった時期でもあって……という世の中の動きに加え、YouTubeやSNSなどによる音楽との接し方の変化が生まれ、ある種世界中が「つながった」ようなころでもあって……という文脈でも、2000年代を振り返り、あと2年余りとなった2010年代のこれから、そして2020年代を見通すヒントになるかも。
2011年から7年経って中東地域の状況は大きく変わった。ISISの出現、直近でもリラの暴落の話が出ているトルコも、数年前からなんとなくきな臭い。本書に出てこない国でも、シリアの状況、イスラエルの火種はもっと大きくなったように思う。
それでも発信されるドキュメンタリー映画などで出てくる若者たちは、それこそおかれている状況の厳しさは比にならないけど、音楽の楽しみ方なんかは日本の私たちと何が違うんだろう、と思えるくらい。YouTubeだけじゃなくて、定額配信サービスも、トルコやレバノン、サウジアラビアなどでも提供されている。
その後、何が起こっているのか。最新刊のこれも、ぜひ読んでみようと思う。
ジャジューカの夜、スーフィーの朝 ワールドミュージックの現場を歩く
- 作者: サラーム海上
- 出版社/メーカー: DU BOOKS
- 発売日: 2017/12/22
- メディア: 単行本
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同じくエジプト・カイロで革命に居合わせた日本人の方の話。
やっぱりこの人を貼り付けとくべきなんだろう。
【番組】本当に怖い応援団の話……/目撃!にっぽん
(ちょっと追記しました)
「応援団」の強制感というか、体育会系の激しさがどうも苦手です。
ロッテの応援とか行ってるやん!というツッコミは甘んじて受ける。でもなんていうか、体育会系丸出しの応援団ってあるやん。あの、気合じゃー!的な、アレ。
昔アメリカ人の人が撮った高校野球のドキュメンタリーで紹介された智弁の応援団もなかなかきつかったけど、大学や社会人もすごいですよね。新卒で入った会社が紙関連だったので、王子製紙や日本製紙の出場する都市対抗野球に動員で見に行ったことがあるのですが(普通に野球として楽しませていただきました)、あれを仕切る応援団ってけっこうすごいんだろうな……と思っていたところ、そんな応援団に問答無用で配属される新卒の子たちを取り上げたドキュメンタリーが、先日放送されました。
目撃!にっぽん「配属先は“応援団”?~鷺宮製作所 新人たちの夏~」
社会人野球の強豪、鷺宮製作所。新入社員は研修も兼ねて皆、強制で応援団に参加させられる。この夏都市対抗野球の応援に挑んだいまどきの若者たちは何を学んだのか。
社会人野球の頂点を決める都市対抗野球。東京都代表の強豪、鷺宮製作所は従業員1200人の自動制御機器メーカーだ。この会社、ユニークな制度を導入している。新入社員は皆、強制的に応援団に参加させられるのだ。社会人の心構えや会社への帰属意識を養うのが狙いだが、新人たちは「資格の勉強がしたい」「仕事を早く覚えたい」など疑問を持つ者も。彼らは大会を通じて、何を感じ、学ぶのか?新人たちのひと夏を見つめた。
都市対抗野球に毎年のように出場する強豪、鷺宮製作所。「新卒社員は研修も兼ねて皆、強制で応援団に参加させられる」という……。しかもそれは事前に知らされず、入社して初めて言い渡されるのだという…。
さらにその練習がすごい。土曜日も含めて週3日。業務として認められており、残業代も出るそうなんですが、
・30度を超える初夏に炎天下のアスファルトで腕立てして、手が熱い!って言ったら「そんなの我慢しろよ!」「押忍!」
・昼休み45分の大半は「自主練」で、営業の子はワイシャツ姿で「○○お願いします!」みたいな感じで動きの練習
・野球を見たこともなく、ワンテンポ遅れてる子に具体的なアドバイスをするわけでもなく「なんかしんないけど、もたもたもたもたみっともないからやめろ」
とか。業務として認められてる=業務命令だからやらざるを得ないという……
会社側の意図としては、「理不尽なこととか、やりたくないことをどう乗り越えるか」を考えるヒントになれば…という話で、番組も不満を持っていた技術の子と、営業の子の2人をメインに、会社の意図をコミュニケーション取って理解したり、思い切ってやって恥ずかしさを乗り越えたりして、本番を超えて、めでたし、めでたし、ってなるんですが。
なんていうか、時代錯誤感がすごいと思っちゃったんですが、否定的なツイートだけじゃなくて、こんな反応もあるぐらいだから、まだまだ日本の闇は深い。
鷺宮製作所応援団ドキュメンタリー良かった!
— 山口晃平 (@kopepe1026) August 25, 2018
応援なんてやりたくねぇよ
↓
愚痴、やる気なし練習
↓
NTT東日本の応援風景を見て、気持ちが切り替わる新人達
↓
都市対抗野球の場で大活躍
都市対抗野球で活躍する応援団、良いですねー。#都市対抗野球おじさん#応援団すごいぜ
鷺宮製作所の新人さんは応援団に配属。社会人を何年もやっている私より、目標を達成する中での過程が大切と気付いたり、上がり症の営業担当の新人さんが自信が欲しいと毎日昼休みも練習し苦手を克服しようとする姿に社会人としても人としても大切な物を学んだ気がする #鷺沼製作所 #目撃にっぽん
— ユリ香 (@arimin_g) August 25, 2018
ただ、ふと思って調べてみたのですが、離職率は想像以上に低い。
まぁ7月までだし、なんとか我慢しちゃうんだろうなぁ、今のところ……。
でもね、確実に1人はやめてる。これが原因かはわかりませんが。
なんていうか、「資格の勉強したいのに…」って言ってた子が、なんか前向きになった風になってすごくつらそうなまばたきをしながら前向きなコメントを絞り出してる姿とか、本当にうすら寒いというか、もともとの感覚のほうがよっぽど正常やで!と伝えたくなる…。応援団自体もそれでいいんだろうか……。
鷺宮製作所広報もこれ全国放送OKしたんだよね、と思うと、もっと怖い。NHKも含めて、これでいいんだってなっちゃうあたりが本当に怖い。本来スポーツって楽しいものだと思うし、スポーツで得られる一体感とか会社への帰属意識ってそれでいいのかしら?とか、こういう形で無理やりやるのって、すごく甘えじゃないか、って思うんですが……。このへんの感覚ってまだまだ一般的じゃないんだな、というのが知れたので、それがよかったと思うしかないんですかね……。
追記:「応援団」自体を否定する気は全然なくて。やりたくてやってる人はそれでいいと思うし(ちゃんと労働基準法には準拠してね!)、冒頭書いたとおり、僕もプロ野球の応援とか好きです。ロッテの外野席で歌ったりします。一体感、産まれるし、楽しい。仕切ってくれる人もありがたい。
でもそれを強制するのも違うと思うし、入社するまで黙ってるのも間違ってると思う。それで無理矢理やらせて、帰属意識を持たせるってのが、単にコミュニケーションをサボってるというか、甘えだと思うのです。
さらに言えば、仕事の理不尽とか、やりたくないけどやらなアカン状況は普通に仕事で乗り越えればいいじゃないですか。それを職場でサポートすればいいじゃないですか。そこを応援団に押し付けるのは、やりたくて応援団やってる人にも失礼やし、誰も幸せにならないんじゃないかしら、と。