松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

日本語から漢字を引算できるか?

 えーとソシュールによれば、シニフィアンシニフィエ*1の結合体シーニュのシステムが言語の本体である。それに文字は後から追加されたものだ。
「言語と書は二つの文名な記号体系である。後者の唯一の存在理由は、前者を表記することだ」とソシュールは言っている。
このように、西欧言語学では日本語から漢字を引算できると考える。
しかしこれは間違った考え方である。

 日本語は、現在から想像のつかぬ、たとえば古アイヌ語のごとき言語が幾種類もあった前日本語の上に、大陸から文字をもった高水準・高水圧の前日本語(倭語)が呼び集められ、整理されることによって生まれた和語(新生倭語)と中国語からなる二重言語である。
 あえてここで、和語と漢語とせずに、和語と中国語とする理由は、「仏教伝来」や「文字の伝来」という言葉に我々は惑わされ、あたかも文字を伴った中国語流入以前に確たる語彙と文法(膠着語?)をもった日本語なり、原日本語が存在し、その日本語が中国から文字を教わり、漢語の語彙を輸入しただけで成立している言語であるかのごとき誤解があるからである。
p105石川九楊 『二重言語国家・日本』

 もちろん石川のいうことが正しいのだ。

 ただ細かいことを言うと「日本語は中国語の植民地語、占領語の一種である。」と石川は言うが、中国語という言語があったというより多民族的使用に耐えうる文字システムとしての中国語というものが本来あったと考えるべきであろう。
 石川は「誤解」と軽く書いているが、違うだろう。本居宣長という男が一生をかけて作り上げた聖なるフィクション「みちはこの道」である。それが明治時代に西欧言語学に接続され、近代国家日本を支える日本語イデオロギーになった。


 「日本が嫌いなら中国へ帰れ」とか言いたがるひとがいるがそういったひとたちこそ、中国語に汚染されない原日本にさっさと帰ったらどうか。万葉仮名か(捏造された)古代文字とともにひっそりと生きていってください。

*1:おおざっぱにいうと意味と音