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弯曲していく日常

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20040402射殺された北朝鮮難民の徹訓(チョルフン)くんを忘れるな!参考
三月  桧森孝雄を追悼する  わたしたち  (参考)

2011-05-04

技術についての原則

(1)情報を含む技術の原理や構造や操作について、任意の人に等距離に解放されていない場合は、原則として否定的にとらえる。「技術」

http://from1969.g.hatena.ne.jp/keyword/%E6%8A%80%E8%A1%93

 山浦さんは「原子力や軍事技術が任意の人に等距離に解放されていないのは明瞭でしょう。」と註を付けている。

 コンピューターもかっては超特権的な人だけがアクセスすることができる非公開的なものだった。しかし一番基礎からプログラミング言語を作っていくという作業を公開的に行うという方法が従来の偏見に反し、効率的であることが遂行的に明らかになり、大衆に爆発的に広がった。インターネットも同じである。

 原発技術は最先端のようだが実は40年前から進歩していないのではないか。そのことと非公開性は相関しているのではないか。原発推進勢力の持つ「もたれあい・利権構造」は技術革新の精神を腐らせる。


学問の根本である批判精神を金で売り渡した御用学者たちに支えられた原発産業が、崩壊したのは内的必然があったのかもしれない。

原発が先進的であり反原発は後退的だというドグマを批判する上でも上の(1)は有効だろう。

(2)社会総体に必要であると認めうる披術を用いる場合には、全ての人が対等に交代で仕事につく。仕事のやり方や内容に異議が出た時には、中止して討論する。(同上)

 放射能を浴びるという非常に危険であるが故に短時間しか従事できないという仕事に誰が従事するのか、というのが、現在大きな問題になっている。

 解決策は、作業者を固定しサバルタン化し圧力を掛け死に至る放射能を浴びる覚悟を自発的に抱かせるというもの。もう一つは全ての人が対等に交代で仕事につくというヴィジョンだ。あるいは50代以上の男性エリートをすべて交代で作業させよ、といった案もありうる。

 現実には、東電の従来の下請けに対する身分制的支配による前者の方法に頼っているようだが、非人間的である。

「中止して討論する」ヒマはない原発事故は、と怒鳴りながら、ヴィジョンについても、方針についても掘り下げた討論を一切せずに二ヶ月が過ぎようとしている。

私たちが前提にしている事、例えば原発推進体制や会社の存続といったものは、実は当然変わりうるものであり、危機の時こそそれを考慮に入れた真に深い〈討論〉がなされなければならない。

 権力者が情報を隠蔽し庶民の恐怖心、不安をコントロールすることにより支配を維持するという三文芝居を止めさせなければならない。


(3)現段階で最高の技術とみなされているものの成立過程を、他にありうる異なる原理〜体系の技術の成立過程から相対化する場を恒常的に作る。(同上)

「フーコー再考」大澤真幸・萱野稔人  というブログ記事によれば

1820年以降成長が社会に浸透(侵攻?)してきた。

 規律訓練による身体的「離陸」が18C末から19Cはじめに起こった。


そして、(さらにそこから20世紀は)新しい労働、新しい身体管理にそれが変化し、経済的に離陸してもきた。

これが大きく終わろうとしている。

(略)


20Cモデルは

大きな地域を区切り、大型で集中した垂直統合型

これは平時には強いが、意外に震災には弱かった。

<強さの概念を変えよう!>


分散型・水平型へ

(例:スマートグリッドなど)

インターネットはもともと非常時に強いネットワークとしてつくられた。

グリッド(格子)状のつながりはどこかが切れても多方向的な流れがあって、とぎれない。結局この大震災で途絶えなかったのはインターネットだった。

 電力の送信方法一つを取っても、ツリー型ではないグリッド(リゾーム)型の優位が実際に確認できるとしている。


「科学」の項目では、ケプラー、ニュートンという古色蒼然とした二人を取り上げている。山本義隆の『重力と力学的世界』から、だ。そこでその本から少し引用する。

宇宙が球形であることと惑星の軌道が円よりなることは、プラトンアリストテレス以来牢固とした固定観念になっていた。後でくわしく見るつもりだが、古代から中世まで月より上の世界は生成も消滅もない完全な物質ーー第五元素(エーテル)ーーよりなる均質で不変の世界であり、そこで許される形状は球と円だけであり、そこに可能な運動がつねに等速であるということはいわば自明の理と思われていたのである。

p3 山本義隆の『重力と力学的世界』

今から見れば神がかりトンデモ認識になるが、そう言っている私も学校で宇宙論を疑う余地なく受け取っているだけなので、偉そうに言える余地はない。ケプラー、ニュートンも以前の宇宙論と画然と違ったものを見出したて以前のものを捨てたのではない。一つしかありえない絶対の前提を二つ持たざるを得ないといった苦悩の持続のなかで、新しい「公式」を見出していく。*1


原発は絶対に安全であるというドグマが支配してきた。ドグマという限りでは円形宇宙論と同じである。松下の方法は意外にも、ドグマに対し反原発という原理を対置するという方法ではない。

上記(3)にあるように絶えざる相対化の努力は必要。しかし、現にある原発の存在(危機)を認めた上で、存在論的矛盾と同時に〈技術〉の問題も考えるというのが松下の方法。平時には不必要に難題を突きつけると見えるが、危機の時はその必要性を私たちも認識することができる。

*1:「ケプラーが魂や霊の概念との関連において重力をとらえるのに対してニュートンは神学原理の中でとらえる点において前者と同様に中世の余波を受けている、」 松下「科学」より


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野原燐へのメールは noharra(あっとまーく)666999.info です。
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 (2006.1.02設置)
 敵でも味方でもない、ある圧倒的な力によって問題提起の正しさが弯曲していくのではないかという一瞬おとずれる感覚のむこうに、はじめて、ほんとうの闘争がはじまっている。(松下昇)
(仮称)仮装被告団〜刊行委員会