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2011-12-17

「大東亜戦争の大義」をめぐって(3)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20111215 の続き。

「大東亜戦争の大義は白人帝国主義者どもの世界支配の転覆である」と言えるかどうか?を、私はid:dj19 さんとid:bogus-simotukare さんに 説明しなければならない。

一度書いたのだが、シモツカレ氏に消されてしまったのだ。


さて、その前に「大東亜戦争(アジア太平洋戦争)」についてどう考えるかを書いておきたい。*1


この問題を考えるのに一番大事な点は、次の鶴見俊輔の文にあると私は思ってきた。*2

日本敗北に続く年月に、日本人は米国政府から貸与された眼鏡を通して過去を見て、この戦争を主として米国に対する戦争として考えるようになり、こうして、中国との戦争という脈絡からこの戦争を切り離すようになりました。そうすることによって、日本人は、長いあいだ軍事上の弱者として見てきた中国に負けたという不名誉な事実を見ないですますことができました。*3

日本人が戦争を振り返る時、8.15の次に重視するのは12.8(対英米戦争開始)であり、盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)1937年昭和12年)7月7日も、柳条湖事件1931年(昭和6年、民国20年)9月18日記念日として振り返られることはありません。

1931年から45年まで続いたこの戦争に対して、私が十五年戦争という名前をつけるように提案したのは、この戦争を1931年に始まった「満洲事変」からの不連続のようにみえて連続する戦闘状態の脈絡のなかにおくためでした。もう一つ(略)「満洲事変」とか「上海事変」とか「日支事変」とか、そういう別々の名前のついた別の戦闘状態のように感じさせられてきたからです。これがわれわれ日本人のもっている主観的な事実で、これをこわさないと、この戦争状態の全体に対する認識はできないように思ったからです。(同)


でこの長期間の巨大な戦争がどのようなプログラムヴィジョンによってなされたのか、というとそうしたものは何もないのです。なんということでしょう!そしてこの地球大のスキャンダルに対して今もって、「これは自衛戦争である」とか言いたがる人っていったい何なんでしょうか?実力主義とかリーダーシップとか言いたがる人がそうであるとしたらこれはもう、絶句するしかない矛盾だと感じられます。

満洲国を作った石原莞爾ビジョンを持っていました。「最終戦争である日米決戦に備えるため」*4に、満洲及び中国地域を日本に親和的な形で安定させなければいけない。そのために満洲国を作ったのですね。従って「中国との戦争を長引かせてはいけない」のは最初で最大の課題となります。そのためには心のそこからの日中友好も必要になります。

しかし前回*5述べたように、そういう勢力は、満洲からそして軍隊首脳部からもあっさり追い払われてしまいます。


石原莞爾陸軍中将は(略)、この戦争の初期に責任ある地位から締め出され、特に1937年以後は戦争を続けていくことに対して、彼自身が反対する立場をとりました。ですからこの長い戦争が続いていったのは、それを止める力を日本政府がもっていなかったという理由に基づくものです。それが、この戦争に関する真実でした。日本文化の本来持っている鎖国性という条件がなければ、このような戦争は続けられなかったにちがいありません。(p70同書)


というわけであまりにも巨大な戦争であったわりに、統一したヴィジョンが不在であるそうした戦争であったわけです。で「大義」は後付けの形で、1938年以降ぐらいに、石原ヴィジョンを焼き直す形で登場します。長くなったので(4)に続く。

「大東亜戦争の大義」をめぐって(4)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20111217#p1 の続き。

 戦前戦後で全く違ってしまったものは、中国という国に対するイメージです。戦後になると、蒋介石あるいは毛沢東という強大な国家権力をほしいままにする求心的(集権的)国家のイメージです。しかし敗戦以前は「1、中国は弱い、従って日本は中国との戦争に勝つ」「2、中国は分裂状態を脱し得ず、統一国家を形成できない」が絶対多数の共通認識だった。」*6

それを背景に、「満蒙は日本の生命線」という表現が1931年ごろ流行語になり、満洲建国が行われます。


・・・

37年12月の南京大虐殺の翌年、38年11月3日及び12月22日に総理大臣近衛文麿(第1次37.6.4〜39.1.5)が「東亜新秩序声明」を発表します。

直後に近衛のブレーンだった尾崎秀実が「「東亜協同体」の理念とその成立の客観的基礎」という論文中央公論に発表します。

http://binder.gozaru.jp/ozaki.htm こちらに全文が載っているので、読んで要点を抜書してみよう。


「支那の征服にあらずして、支那との協力にある」「東亜諸国をつらねて真に道義的基礎に立つ自主連帯の新組織を建設する」等の言葉を声明から尾崎は抜き出す、そしてそれによって、「新秩序」が帯びるべき特性と輪郭は、「東亜協同体」的相貌を示す、と宣言する。*7


東亜協同体をポジティブに記述するのではなく、こうものではないという形で、尾崎は輪郭をはっきりさせていこうとする。

「筆者は元来「東亜協同体」論の発生の必然性を見、その将来の発展可能性を信ずるものである。」しかし「元来「東亜協同体」の理念が日本資本主義現状維持派によって支持される理由はあまりないはずである。」

「東亜における新秩序」ないし「東亜協同体」を一つの新しい理念として、またこれを一つの実践形態として理解しえない人々はかなり多いように見受けられる。最近におけるこの歴史的大事件によって、戦いの相手方たる支那のみが変わったと考え、自分たちの足下は絶対に動くことがないと考えている人々にとっては、この協同体の理念は絶対に理解できないところである。またある人々は東亜協同体の理念が、戦勝者たる日本が東亜大陸における覇業を確立するための手段であるとし、または覇業を緩和して示すための外衣にすぎないとするのである。(尾崎 二)

帝国は支那国民が能く我が真意を理解し、以て帝国の協力に応へむことを期待す。」近衛首相はこの様に述べており、軍事行動を起こしながらDV男のように相手の理解がないと文句を言っているように聞こえるが、そうであってはならないと尾崎は論じる。


東亜協同体論は資源追求主義的なものであってはならない。

 資源追求主義、ないしはこれを中核とせる経済ブロック論のごときはその道徳性を問題とするまでもなく、現実の問題として、開発資金の問題において、治安の問題において、はたまた戦争遂行と睨みあわせた一般的な経済上の余裕の問題において、成り立ちえないのである。(尾崎 二)


支那をどう理解するか?半封建性と半植民地性といったことがあげつらわれる。しかしそれより、一般的にして普遍的なる民族の問題が決定的に重大であると理解すべきである。

 支那における民族問題の動向は現在において完全に日本と背馳するを方向にあるのである。これに対して力のみをもって抑えかつ方向を転ぜしめんと試みることが、いかに多大の力を要するかは容易に想像しうるところであり、かつその困難はわれわれが現実に味わいつつあるのである。

 「東亜協同体」の理論は、事変以来の民族問題とのはげしい体当たりの教訓から生まれ来ったものであることは十分了解できるところであろう。(尾崎 三)

満洲事変から7年後、日本は中国を弱体化させることはできずかえって膨大な大衆をナショナリズムに目覚めさせてしまった。ありていに言うと「きみたちは認識したくないから分かってないみたいだが」民族問題こそが核心であるとそこを理解しなければならないよ、尾崎は言っている。


 しかしながら真実の東亜協同体は支那民族の不承不承ではなしの積極的参加がなくしては成り立ちえないのである。それは決定的な事実なのである。このことは東亜協同体論が始められた動機や、その政治的方策として取りあげられた理由よりは、さらに深いところに位置している厳然たる事実である。(尾崎 四)

当然のことである。

 蒋介石は十一月一日の全国民に告ぐるの書において、「中国の抗戦は普通の歴史上における両国の争覇戦ではなく民族戦争、革命戦争であること、しかも民族革命の長期戦争は必ず最後の勝利を得ること」を述べているのである。

 民族問題との対比において「東亜協同体」論がいかに惨めにも小さいかはこれをはっきりと自ら認識すべきである。(尾崎 五)

東亜協同体は必須である。しかもそれは真実のものでなければならない。つまり日本人自らの身を削り、中日平等を実際に実現しようとするものでないとダメだ。ダメというのは「その道徳性を問題とするまでもなく」、実際に絶え間なく沸いてくる抗日派彼らを越える論理性、思想性を持たないヴィジョンは無価値、逆効果だからだ、と尾崎は言っているようだ。


以上、尾崎秀実における「大東亜戦争の大義」について概観した。尾崎の論は「白人帝国主義者どもの世界支配の転覆である」を強調するものではないが、「真実の日中友好」を追求するものであり、「白人帝国主義者どもの世界支配の転覆」ともよく合致するものであると理解できた。(続く)

目的は植民地の拡大論

「大東亜宣言って口から出任せで日本のあの戦争での目的は植民地の拡大ですよ」

http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20111209/5643098721

当時の現状が「植民地の拡大」と指摘されるべきものであったことは、尾崎も指摘している。

「日本のあの戦争での目的は」これこれこうだと、あらかじめ結論があって歴史を裁断する態度、に反対している。

「日本のあの戦争での目的」は、明確には存在しなかった。つまりバカっぽい戦争だった、というのが事実であるようだ。

41年12月8日の〈覚醒〉

41年12月8日の〈覚醒〉によって、大義は国民(ほとんど)のものになった。

それについて書かなければならないのだが、論争相手が議論の中身に入ってきてくれないこともあり中断している。今後勉強して補充していきます。(1/7記)

参考 子安宣邦氏の呟き

http://666999.info/bbs/list.php?boardid=cn&from=21&range=1

(1/7記)

*1:私の発想は「その前に」ばっかりでなかなか本論にたどり着かない、という欠点がある。本論はステロタイプに帰着するしかないものだみたいな偏見があるのかもしれない。

*2:同じような事を自分なりに考えてきた。

*3:p69鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』

*4:「ソビエト・ロシア及び西洋諸国の帝国主義に対する砦を築く」と鶴見は表現、p70で。

*5http://d.hatena.ne.jp/noharra/20111215

*6:今井 隆太library.nakanishi.ac.jp/kiyou/gakugei(5)/05imai.pdf

*7:「「東亜協同体」の理念はすでに古いものであろう。満洲国成立の際の王道主義も、「八紘一宇」の精神も根本において「協同体」の観念と相通ずるものがあると思われる。またそれは、「東亜連盟」の思想とともに、「大亜細亜主義」論の流れをも汲むものでもあろう。しかしながら現下の状勢のもとにおける「新秩序」の実現手段として現われた「東亜協同体」は、まさしく日支事変の進行過程の生んだ歴史的産物である。」とある。

bogus-simotukarebogus-simotukare 2018/07/01 18:59 >野原がリツイート
KTB(ボン人)
‏高校の歴史の教科書から
「クレオパトラ」
「ガリレオ・ガリレイ」
「武田信玄」
「上杉謙信」
「吉田松蔭」
「坂本龍馬」などを代表に
約半数の用語が消えることが内定」
(引用終わり)

 少し調べればわかることですがそんなことは内定していません。
 なぜなら「クレオパトラなどの削除を主張している」のは「高大連携歴史教育研究会」という高校、大学教員の研究会という私的団体に過ぎないからです。
 彼らの主張の是非はともかく彼らは私的団体に過ぎず「文科省の学習指導要領」のような強制力を有しないため教科書会社は彼らの提言に従う義務はありません。 
 id:noharraもよくもまあこんなデマを流布できるもんです。いつもながらid:noharraこと八木孝三は度しがたいバカですね(嘲笑)。


ご批判、ご質問などをよろしくおねがいします。
野原燐へのメールは noharra(あっとまーく)666999.info です。
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 (2006.1.02設置)
 敵でも味方でもない、ある圧倒的な力によって問題提起の正しさが弯曲していくのではないかという一瞬おとずれる感覚のむこうに、はじめて、ほんとうの闘争がはじまっている。(松下昇)
(仮称)仮装被告団〜刊行委員会