AKB48のPV監督まとめと『10年桜』の死生観

 お世話になっております。id:noir_kでございます……なぞと、15ヶ月前(!)と同じ出だしではじめてみました。あらためましてid:noir_kです。どっこい生きている。

 ちょっといろいろあったりなかったり、やっぱりあったようななかったような、そんな波動方程式に支配された量子力学的空間に囚われていたシュレディンガーid:noir_kとしては久々のはてなダイアリー登板となり、少々緊張しております(笑)。まあ、特になにもありませんでした。淡々粛々と日々を過ごしておりました。……数年前に記したようにblogからTwitterにベタな移行を果たしたんじゃないんだからね! 本当なんだからね!(ツンデレ

 とまあ15ヶ月ぶりの駄文はこの程度にしておいて、そろそろ本題に入らせていただきたいと思います。……とは言っても、アニメネタではありません。仮にもアニメブログ的な扱いをしていただいていたのに申し訳ないなあと思いつつも、よくよく振り返ると批評ネタや日常ネタやアニラジ・声優ネタやミステリネタなど多岐に渡って取り扱っていましたので、ご興味を持たれた方はぜひとも過去ログを御覧くださいませ(宣伝)

 というわけで、あまり気にせずマイペースにAKB48のPVについて書かせてください。正直、AKB48のファンではないので(というか顔と名前が一致しないレヴェル……)おこがましい限りなのですが、生暖かい目で見つめられると素直におしゃべりできない(惜しい!)。

PVをエサに音楽を売る!

 先日とあるところで「PV商法の元祖はモーニング娘。LOVEマシーン」という(根も葉もない?)噂を耳にしました。なるほど、少し調べてみると1999年9月9日(9999!)に発売された本作でモーニング娘。は初のミリオンを達成し、その名を日本中に知らしめたのは間違いないようです。しかもPVの方向性を本作で変えているらしいです*1。そもそもここで「PV商法」などという造語?を使用していますが、これはPVを主、音楽を従という形で音楽を売る商法という程度の意味で使用しています。

 ただ私見では、PV商法は8cmシングルCDから12cmマキシシングルへの流れの中で確立されたと考えています。12cmマキシシングルが登場しはじめたのが、偶然なのかモーニング娘。LOVEマシーン』が登場した1999年頃になります。『LOVEマシーン』はちょうどその過渡期なにか、ケース+ジャケットは12cm、中身のディスクは8cmという変則仕様になっていたようです。……調べるまで知りませんでした(笑)。

 なぜマキシシングル化とPV商法が関係するかというと、同時期にDVD(こいつも12cm盤)が加速度的に普及していったからです。ちょうと同時期から家庭用PCにDVDドライブが搭載されるようになりはじめ、ダメ押しは2000年3月4日に発売されたSONYPlayStation2』だったと思います。その中でマキシシングルに同サイズのDVDを同梱して売り始めたのが(おそらく)エイベックスで、時期としては2003年頃からになるようです。DVDに入っているコンテンツはもちろん、PVです。*2

 2006年にメジャーデビューを果たしたAKB48もその例に漏れず、メジャー1作目『会いたかった』から初回限定盤の大部分でPVのDVDが封入されています。そこにはもちろん、アイドル=ビジュアルという事情も大きく影響しているはずです。

AKB48楽曲とPV監督の変遷

 上記でAKB48がPVを特典とするまでの流れについて考えましたが、そもそも自分がAKB48のPVに感心を持つようになったのは、近年のAKB48PV監督が有名人ばかりであることに気がついたからでした。きっかけは20010年2月の『桜の栞』(PV監督は岩井俊二*3)だったと思います。しかもその直後の『ヘビーローテーション』は蜷川実花だし……とAKB48を1曲聞いたことなかった自分ですが、その事実だけはなんとなく知っていたのでした。その頃は観ていなかったのですが、諸処の事情(笑)で2011年秋からざらざら観るようになって、その面白さに吃驚したわけです。
 というわけで、2011年11月時点でのAKB48楽曲のPV監督をまとめてみました(メジャーデビュー以降のみ)*4。はい、ここが本エントリの本題です(笑)。

No 発売日 タイトル PV監督
1 2006年10月25日 会いたかった 平川雄一
2 2007年1月31日 制服が邪魔をする 須永秀明
3 2007年4月18日 軽蔑していた愛情 高橋栄樹
4 2007年7月18日 BINGO! 竹石渉
5 2007年8月8日 僕の太陽 竹久正記
6 2007年10月31日 夕陽を見ているか? 高橋栄樹
7 2008年1月23日 ロマンス、イラネ 竹石渉
8 2008年2月27日 桜の花びらたち2008 高橋栄樹
9 2008年6月13日 Baby! Baby! Baby! 森祐樹
10 2008年10月22日 大声ダイヤモンド 高橋栄樹
11 2009年3月4日 10年桜 高橋栄樹
12 2009年6月24日 涙サプライズ! 高橋栄樹
13 2009年8月26日 言い訳Maybe 高橋栄樹
14 2009年10月21日 RIVER 高橋栄樹
15 2010年2月17日 桜の栞 岩井俊二
16 2010年5月26日 ポニーテールとシュシュ 高橋栄樹
17 2010年8月18日 ヘビーローテーション 蜷川実花
18 2010年10月27日 Beginner 中島哲也(お蔵入り)
19 2010年12月8日 チャンスの順番 内製(じゃんけん大会+通常PV)
20 2011年2月16日 桜の木になろう 是枝裕和
21 2011年5月25日 Everyday、カチューシャ 本広克行
22 2011年8月24日 フライングゲット 堤幸彦
23 2011年10月26日 風は吹いている 黒田秀樹

 本表をみていただくと一目瞭然の通り、初期はいわゆるPV監督を単発で起用しており、15作目『桜の栞』の岩井俊二以降、いわゆる有名(大物)映画監督を起用していることがわかります(蜷川実花中島哲也是枝裕和本広克行堤幸彦)。そんな中、特筆すべきは「高橋栄樹」このひとです。経歴からすると初期に単発で起用されたいわゆるPV監督*5のひとり(3作目『軽蔑していた愛情』)なのですが、6作目『夕陽を見ているか?』で再起用され、現在までに9本のPVを手がけています。

 近年のAKB48メジャー化の流れの中で、それを後押しするように有名監督の起用を行なっていて、おそらくそれなりのリターンになっていると思われます。特に、個人的な観察になりますが、AKB48がいわゆるアイドルオタク層から外に広げられたのは、女流監督・蜷川実花の手による『ヘビーローテーション』が若い女子に受けたのが大きいと思います*6。しかし、そのベースには高橋栄樹による世界観が根底にあることに注目することができるでしょう。

余談:AKB48のPV鑑賞法について

 ……について書こうと思っていたのですが、長くなりそうなのでやめておきます(笑)。今度あらためて、独学で学んだAKB48のPV鑑賞法について書かせていただきます。ヒントは「断片」「予告編」「物語消費」「認知限界」あたりです。ちょっとハッタリ入ってます(!)。

高橋栄樹の死生観と『10年桜

 とここまでAKB48の世界観における高橋栄樹の貢献について示したのですが、ここからが実は本当の本題。取り上げるのは2009年3月発売の『10年桜』です。まずはAKB48のPVはYouTubeで公式配信されていますので、下記をご鑑賞ください。

 はい、ご覧のとおりドラマ仕立てのPVになっています。ドラマ部分が現在?で音楽部分が過去?くらいの区別はつくと思います。冒頭から意味深な手紙が出てきたりしていて、はっきり言ってすとんと腑に落ちないと思います。これがAKB48のPVの特徴なのです(笑)。

 まずストーリをざっと追って……といきたいのですが、AKB48のPVの内容の語りにくさは、まず各キャラクタの名前がわからない(爆)。それもまたAKB48のPVの特徴なのですが、そんなことを言っていてもはじまらないので、ざっくりめに内容を説明します。ドラマパートではどうやら卒業10年?の同窓会があるようです。なんだか意味深なことしかみんな言っていないので確証はないのですが。だけど最後までみるとわかるように、同窓会は開かれてはいないようです。前田敦子と妊婦姿の大島優子*7が堤防の上でちょっとおしゃべりしてまた別れる。表面上のストーリはそれだけにすらみえます。

 ここでひとつメタ情報。2009年3月に発売された曲のPVをなぜいま取り上げるのかというと、実は2011年1月にこのPVに関する重大な発見?再発見?があったようなのです。詳細は「AKB48の10年桜のPVって、死後の世界って本当?(AKB48まとめんばー)」をご覧ください。どうやらそれまではAKB48ファンたちはなんだかよくわかんないPVをだなぁと観ていたらしいのですが、その解釈が発見?再発見?されたということらしいのです。

 その過程で出てきたPV監督・高橋栄樹のコメントというのがあります。出典はAKB48特集が組まれた2009年12月の『Quick Japan』Vol.87のようです。

10年桜』のPVは、『桜の花びらたち2008』で感じた「卒業」や「桜」に一種の死生観が出てる気がする。入学とは誕生で、卒業とは死。もちろんその死は、次のステージでの「誕生」を意味する再生でもある。学校って、生と死のサイクルを擬似的に体験する場所なんじゃないか、っていうね。あのPVってどこか夢っぽいし、あの世っぽい。10年後の前田と大島が思い出してる、夢の中の学校やバス。だから学校も装飾過多でサイケデリックだし、スクールバスも「なんでこんなところで?」って思うような何も無い所で降りてもOKになる。大島の妊婦姿も誕生の象徴だし、PV中の高橋みなみに死のイメージを感じた人は、鋭いと思う。

 細部はさておき、この高橋栄樹の発言がほぼすべてを語っているとは思うのですが、ただすっと不可解に思われながらも流されていたPVにこのような仕掛けを埋め込んでくるあたり、ちょっとこの高橋栄樹という人間はすごいと思うのです。とりわけ、ここで語られている死生観「入学とは誕生で、卒業とは死(中略)学校って、生と死のサイクルを擬似的に体験する場所なんじゃないか」というのは、震災以降の現代においてきわめてクリティカルだとすら思えてくるのです。

 本当は最後にこのPVの解題というか、普通にみていても誰が誰だかわからないので、それくらいはまとめようと思ったのですが、長くなるので今度の機会にします。ただニコニコ動画とかみれば(確認してませんが)それぞれの人物の上に名前のテロップがコメントでついていると思いますし、解釈については「【再考〜PV・10年桜〜】10年桜のPVが死後の世界ってホント??(「急がば回れで一回転」)」あたりが詳しくまとまっているので、ご参照ください(ネタバレ注意)。

おまけ(というわけで宣伝です!)

サークル名:反社会人サークル(ウ-05)
     (id:hanshakaijin
頒布:第13回文学フリマ
開催日:2011年 11月3日(木・祝)
会場:東京流通センター 第2展示場 Fホール(2階)

 すみません。自分が[twitter:@2tar]、[twitter:@Nerd_Arthur]とやっているサークルでミニコミ誌『ロウドウジン』Vol.3を頒布します。社会「人」不適合というか反=社会人サークルというかな感じでして、何を言っているのかよくわからないと思いますが、今号は「死」をテーマにいろいろやってます。あと毎号、表1〜4を使って反社会人アイドルのグラビア+インタビューをやっています。今回は[twitter:@avycko]さんにご登場いただいています。とにかく、説明しにくい内容ですので、ぜひ遊びに来てください!id:hanshakaijinで目次や既刊のサンプル等を公開しています。

 この同人誌が実は本エントリに深く関係しているのです。本エントリで紹介した『10年桜』の死生観「入学とは誕生で、卒業とは死」に相当する「入社とは生で、退社が死」という死生観(を正確には発展させたモデル)を偶然、われわれ反社会人サークルも本同人誌で提唱しているのです。じゃあ本当の死とはどういうものなのか、あるいは不当な死を迎えないためにはどうすれば良いのか、そんなことも書かれています。他にも「自殺社会うさぎ」(『自殺うさぎ』のパロディ)とか面白おかしいことをいろいろやってますので、詳細はぜひお手にとっていただけたら嬉しいです。

サークル名:暁Working(B-10)

 また表紙画像等はないのですが、B-10: 暁Workingさまの新刊『littera3』に1万字ほどの短編小説を寄稿しています。自分には何の注文もなかったのですきなように書いたら主宰の[twitter:@aquirax_k]さんから「佐藤友哉のデビュー前みたいな感じ」という、処女作がデビュー作である作家の喩えで評されました。いやはや。内容は寄稿者のひとりであるid:murashitさんのエントリ「みんな〜、文学フリマの告知だよ〜☆」に詳しいです。

 以上、文学フリマでボクと握手!(超訳よろしくお願いします

追伸:お久しぶりすぎて長く書きすぎちゃった(笑)。

*1:それまでは屋外ロケ撮影だったのが、本作から5年間ほどスタジオ撮影になっているらしい

*2:少し長めの補足を。当時、もうひとつあった流れが、ブロードバンドの普及によるmp3の普及(違法流通)でした。Napsterは2000年前後ですが、その後のアップローダによるものだったりファイル共有ソフトによるものだったりにより、ライト層の購買離れが進みました(個人的にはこの層はTSUTAYAなどレンタルCDサービスを利用していたので、あまり関係ないと思っていますが……)。ほぼ同時期に音楽CDの売り上げ低迷が顕著になりつつあったため、おそらく各レコード会社が考えたのが特典商法でした。そのひとつに、当時のインターネットではファイルサイズ的にまだ流通が難しかった映像を付ける方法があったと個人的には考えています。ちなみに余談ですが、その後、アニメのDVDが売れなくなった(これは1タイトルあたりの売上低下をタイトル数増で確保しようとしたところ、タイトル間の売り上げ差が顕著になり、全体感として規模が縮小されたようにみえただけだと個人的には考えています)ときにページ数の多いブックレット、オーディオコメンタリ、フィギュア等、インターネットに流出させにくいものが特典になったことと似ていると思います。

*3:代表作は『スワロウテイル』『リリイ・シュシュのすべて』『花とアリス』など。個人的に超大好きな映画監督だったり。

*4:なぜだかわからないんだけど、こういうまとめがどこにもないので2011年頭頃からローカルで作成してアップデートしていました。何のために……それは不明。

*5:代表作はTHE YELLOW MONKEYほか多数。個人的な興味では明和電機のPVを撮ってるひとだったりします。しかもオムニバス映画『Jam Films 2』で短編の監督をやったりもしている方です(なるほど)。

*6:逆に本来のコアターゲット層である男子にはあんまり受けなかったようです。さもありなん(笑)。

*7:アイドルが妊婦姿というのもよく考えるとすごいものですね。

アニメ『四畳半神話大系』ロゴデザインの素晴らしさを考える

 お世話になっております。id:noir_kでございます……なぞと、気の利いた社会人なら辞書登録しているような文章から始まりました本エントリ。最近は暑かったり寒かったりと季節の変わり目ですが、いかがお過ごしでしょうか?えっ……そんなテンプレ文章いらないから早く本題に入れって?分かりましたよ、もう。久しぶりだからどんな感じで始めれば良いのかあがいているだけじゃないですか。結果よりもそのようなプロセスを見て評価してくださいねっ!(意味不明)

 なぞといつものような駄文っぷりで少し調子を取り戻してきたわけです(笑)。ありがたいことに世間様からは「アニメブログ」として認知されております当はてダですが、全然更新がないかと思いきや、唐突にTwitter萌え4コマ相似説みたいな懐かしい感じの痛さを演出していたりします、はい。そんなid:noir_kの思惑(?)とは無関係に、世間ではとっくのとうに2010年春新番が始まりましたね。みなさんは何を楽しんでおられますか?『Angel Beats!』?『けいおん!!』?……いやいや、自分のおすすめはノイタミナ枠(前)でお馴染みの『四畳半神話大系』ですね!

素直に嬉しい森見登美彦作品のアニメ化

 森見登美彦の同名小説(太田出版⇒角川文庫)を原作とする『四畳半神話大系』ですが、この原作は多少ライトな雰囲気を醸し出しつつも、いわゆる一般文芸。意外とアニメ化されることの少ないメディアです。原作選択からして極めてノイタミナらしいといえばそれまでなのですが(笑)。同氏の作品はどれも似たような世界観(京都で、大学生で、あまり学校には行っていなくて、いわゆる非モテというかオールドタイプで……)なのですが、『夜は短し歩けよ乙女』(角川文庫)で装丁画*1を担当した中村佑介さんの美麗だがある意味「普通じゃない」イラストを基盤として、今回のアニメ化が行われていたりします。

 内容についてもいろいろ言いたいことは山積みなのですが、とにかく面白い。いままで似たよう取り組みはなされていましたが、今回ほどナチュラルかつストレンジなものは珍しいのではないかと思います。これが新しいストリームを作り出せるのかはおいておいて、本エントリではアニメ化発表の時から使用されているタイトルロゴに注目してみたいと思います。

四畳半自体が「四」を表していることの「発見」

 まずは急に『四畳半神話大系』のロゴを思い出せない人のために公式ページの様子をさっくり引用させていただきます。


アニメ『四畳半神話大系』公式サイトより。

 ご覧の通り、いわゆる四畳半の上面図をもとにした「四」のマーク(タイトルの一文字目)になっています。これって地味に素晴らしい「発見」だと個人的には思っているのですが、ベースになっている四畳半の組み方はあまり普通でない気がします。
 一般的に四畳半というのは、一畳(長方形*2)×4と半畳(正方形)×1からできています。要するに、どこに半畳を配置するか、という問題なわけです。きわめて普通な思考をすると、四畳半の典型的な組み方は、このロゴマークに使われてるようなもの(左)ではなく、メインのイラストの背後にあるような中心に半畳がくるタイプ(右)だと思います。

 そこで考えたのですが、一口に「四畳半」といっても数多くのパタンが考えられるはずです。というわけで、すべてのパタンを考えてみました(笑)

「四畳半」を描き出してみよう!

 まずはベースとなる3×3のマス目を考えます(左)。ここに次のような順序で畳を配置していきます。

  1. まず半畳の位置を決める(9通り)。
  2. 次に左上から右、下に向かって一畳を埋めていく。
  3. 一畳は横置きを基本とし、その後に縦置きを考える。

 またルービックキューブをするひとにはお馴染みな考え方なのですが、半畳を配置する9つのマスは、性質的には次の3つに分類されます(右)。

  • A.四隅(4種類)
  • B.辺の中央(4種類)
  • C.中央(1種類)

 それでは上に上げたルールで順番に描き出していきます。

A.四隅

 半畳のパタンは4つ、ひとつの半畳につき4つになります。合計で16種類
 まず左上のパタンで作成した4つを時計方向に90度ずつ回転させていくと完成です。

B.辺の中央

 残念ながら、辺の中央に半畳があるパタンでは、図のように半畳が3つできてしまいます。というわけで0種類。

C.中央

 きわめてしっくりくる配置です。図のように2種類のみ。綺麗ですねー。

まとめ:4畳半のパタン

 というわけで、4畳半のパタンは合計18種類になります。……圧巻です(笑)。

4畳半パタンから漢字の「四」を作ってみよう!

 次に上で描き出した4畳半パタンにピンクの太線で装飾して、漢字の「四」を作ってみましょう。「四」を作るためのルールは以下の通り。

  1. 上辺に縦線が2本交わっていること(漢字の「四」に最低限必須な条件)。
  2. 線は途中で切れないこと(一畳の長辺が半分で終わっていないこと)。
  3. 真ん中の横線は左のみ、右のみ、両方のいずれか。

 この条件で描き出すと、なんと次の4種類しか残りません!

 結論としては、18種類の4畳半パタンから4種類の「四」が作れました。その中でもっとも最適なのは……ロゴで実際に採用されているもの(右上)ですね!やっぱり実際に使われているロゴは最適解だったのです!

追伸:実は他の漢字も作れると思いますよ。例えば……。

kbymj@noir_k 映画サークルみそぎの「み」も四畳半で表現されていたはずですよーlink
※第2話を確認しましたが、Cのパターンの真ん中の半畳に「み」が埋め込まれている形です。似たようなものは作れますね。

おまけ(というか本題だったりします(笑))


サークル名:アニメルカ製作委員会(V-17)
       (アニメルカ公式ブログ
頒布:第十回文学フリマ
開催日:2010年 5月23日(日)
会場:大田区産業プラザPiO 大展示ホール
文フリ特価:800円

 明日(というか今日)行われる「文学フリマ」で出るアニメ批評系(?)同人誌です。id:ill_critiqueさんとid:episode_zeroさんによる責任編集!豪華な執筆陣に大期待です。……自分も「池袋ダラーズはテレビアニメの夢を見るか?」という論文(?)を寄稿しております。是非ご一読いただければ嬉しいです。詳細はアニメルカ公式ブログで。

*1:音楽屋さん風に言うなら「ジャケ絵」。

*2:1:2の長方形ですね。よくよく考えると縦横比が1:1でないものが基準になっているのも不思議な話なのですが

Twitterとアニメの幸せな結婚生活を考える(婚活編)

 皆さん、お久しぶりです!Twitter*1暗黒セカイから帰還もとい一時帰省して参りましたnoir_kでございます。最近の自分はと言いますと……なぞと、はてなダイアリーに更新のなかった1年間の想い出、そう、はてな記法のすべてを忘却するほどの大冒険(!)について語るのもまた良いのですが、ここではざっくり省略させていただきます(笑)。

ご報告とUSTREAM

 まずはご報告になるのですが、反=アニメ批評さん(id:ill_critique@ill_critique)とEpisodeZeroさん(id:episode_zero@epi_zero)が編集を行うアニメ系同人誌『アニメルカに軽めのエッセイのような論考のようなものを寄稿させていただくことになりました。

 この『アニメルカ』の特徴的な点として、同人誌の制作過程を完全公開することがあげられます。具体的には編集会議の様子をUSTREAMアニメ同人誌用公開企画会議. Radio」で行っているのです。第1回目の放送は2010年1月16日22時〜24時に行われ、サークル名および同人誌の名前をリスナとともに決めるという観客参加型の面白い試みをされていました。

 さらに第1回公開座談会の中で提案された企画案として、USTREAMTwitterを利用して新しいタイプの公開座談会ができないか」というものがありました。その場では、そんな「座談会2.0」の具体的な方法論までは確立できませんでしたが、とりあえずやってみようという流れになったのでした。

 以上のような経緯で第2回編集会議が2010年2月13日22時〜24時半に行われました。テスト座談会のテーマは「Twitterとアニメ」、そしてろくさん(id:n_euler666@n_euler666)とともに不肖わたくしid:noir_kがゲストパネラとして出演したのです!……とまたも事後報告(笑)。そのときに話し足りなかったことや、刺激を受けて考えたことなど、ぱたぱたと書かせていただければ、なぞと思います。

Twitterの特徴って何じゃらほい(死語)


http://a0.twimg.com/a/1267816830/images/twitter_logo_header.png

 日本国内では2009年後半からすごい勢いでもてはやされたTwitterは、「それをビジネスに応用しよう!」といった趣旨の関連本が多数出たことでも話題を呼びました。不勉強ながらその手の本は一冊も読んでいないのですが(笑)。一部ではメディアによる意図的な流行だなぞといった陰謀論ちっくなことも耳にしたりもしますが、すでに1年半ほどお世話になっている身としては草の根的に広まってきた最近では珍しいタイプのメディアのように感じます。それでもここ半年くらいの急成長ぶりは謎ですが(笑)*2

 では具体的に、そのような本の中でTwitterの特性がどのように語られているのか、実例を見てみましょう。参考にさせていただくのは……津田大介『Twitter社会論』をまとめられている「きゃずひさ」さんのエントリです。この記事からTwitterの特性として述べられているものをまとめると次のようになります。

・リアルタイム性 オープンチャットの亜種と考えていただいてもOKです。
・伝播力が強い いわば口コミの可視化でしょうか。
・オープン性 Followという概念がありますが、基本的にはどのページも誰でも見ることができます。*3
・ゆるい空気感 ログイン状態を他ユーザに示したりはしないTwitterですので、別に話しかけられても応えなくても良いわけです。そこまでのリアルタイム性は必要とされません。
・属人性が強い 匿名のハンドルネームを用いていますが、個々のユーザは固有性を保持しています。それゆえ「誰の発言か」という観点が大きな影響力を持ってきます。

 ここで述べられている諸特性はなるほど、自分がTwitterを使用している感覚ともマッチします。ではこれらの特性をベースに、自分の考えるTwitterの特色について考えていきたいと思います。

キャラクタを偽装し易い?

 まず一見して分かる特徴ですが、TLには「アイコン+ハンドルネーム+140文字」のみが羅列されます。140文字で制限されているゆえ、「見せたくないものを見せない」というコントロールが可能です。これは「嘘」や「知ったかぶり」がばれにくい*4、と言い換えても良いかもしれません。


※これ(1つのPOST=投稿)が縦に連なってTL(タイムライン)が構成されます。アイコン付きの脚本みたいな感じ?

 また140字という絶妙に少ない情報量は、POSTの背後にある投稿者の「人格」への想像力が働きやすいとも考えられるでしょう。しかもアイコン*5が常に表示されることで、投稿者の存在感がいやおうなしに強調されます。それもまた投稿者の「人格」を想像させ、ただの平面的な記号からありありとした存在感を持つ「キャラクター」に引き上げる効果が大きいです。

 まとめますと、Twitterの表示形式は「キャラクタを偽装し易い」と言えると思います*6。簡単な例としては、ネカマがし易い(笑)。さらにひとつひとつのPOSTが他者のPOSTに紛れ込んで表示されることで、個々の存在が圧倒的なリアリティをもって立ち上がってくるでしょう。

文脈の「強制的」な切断

 最長で140文字までしかPOSTできないTwitterにおいて、140文字を超過する内容をPOSTする際には、必ず2つ以上に分けなくてはいけないことになります。そのPOSTをいかに短い間隔でPOSTしたとしても、他人のTL(上ではそのふたつのPOSTのあいだに他人による無関係なPOSTが必然的に入り込んでしまうことになります。


※投稿は下から上に蓄積されていきます。ちょっとr_akutagawaさんが「イタイ」感じに見えますね(笑)。

 また「文脈の切断」が前提となる状況では、異なる人物によるまったく無関係なPOSTであっても、逆説的に文脈を読み込むことができる、ということです。もう少し丁寧に説明すると、ある出来事AについてのPOSTであるA'と別の出来事BについてのPOSTであるB'が同一TL上に並ぶとき、その言及している出来事AおよびBが同じ出来事を指しているかのように誤解しやすい、ということになります。


※註:xxx_xxxさんはリナカフェにいるとは限らないよ!本当はまったく違うところにいたり。

 文脈が強制的に切断されるからこそ、逆に文脈を推測し読み込もうとする人間心理がはたらく……。これって何かに似ていないですか?

Twitter萌え4コマに似ている?

 ここまでで述べてきたTwitterの特徴2点をおさらいすると次のようになります。

  • アイコン+140字という表示形式によって、「キャラクタ」の存在感が圧倒的に立ち上がってくる。
  • 文脈が強制的に切断されているため、何もないところから過剰な意味を読み込んでしてしまう。

 以上から何を主張したいのかというと、ズバリ!「Twitter萌え4コマ*7に似ている」ということなのです!お久しぶりにも関わらず、いきなり電波っぽくってスミマセン(笑)。

 個人的な理解としては、萌え4コマの特徴は次の2点です。

  • 複数の女子が等価に配置され、キャラクタの存在感を軸に、客観的な視点から描写される。
  • さりげない日常が描写され、物語的な起伏が小さい。あるいはオチがない

 かなり意図的に抽出した特徴なので、現状にそぐわない部分もあるし、「空気系と日常系を一緒にすんな!」みたいな反論が聞こえてきそうですが、そこは堪えて堪えて(笑)。この後の展開はもう、賢明なる読者諸氏にはお分かりかと思います。ね!

「物語」のないエンタテインメントは存在しない!

 萌え4コマはキャラクタが命、とよく言われます。それは2点目にあげた「物語的な起伏が小さい」とも重なるのですが、個人的理解としては十人十色なキャラクタの性格/言動から生じる「濃度差」から「物語的なもの」が浮かび上がってくるからだと考えています。「物語的なもの」が立ち上がってくることで、初めてエンタテイメントとして受容できるのだと考えられます。それはある意味においてはものすごくリアルな物語の作り方だとすら思います。*8

 しかし実作品を思い浮かべると、意外と過剰に際立ったキャラクタばかりではないことが分かると思います。しかしながら、そのような中でも複数いるキャラクタ間では差異化が図られています。もちろんそこには「描き分け」という作品制作上逃れることのできない物理的制約もあるし、幅広い層のファンを獲得すると言う経営的/商業的制約もあるのですが(笑)。ただそれらに加え、作品が作品たるための「駆動力」として個々のキャラクタの「存在」自体が求められているのだと考えられます。

「意味」は自分で考えろ!

 さらに萌え4コマは「オチがない」のに楽しく読めてしまいます。この現象は奥が深くて、本当にオチがない(=作者が意図していない)こともあると思います。しかし読者は「4コマまんがは4コマ目でオチる」と信じていますので、4コマ目でオチがないように感じても、なんとか自分の頭で考えて「オチ」を見つけようとします。言ってみれば「考えオチ」の究極のようなものです(笑)。4コマまんがという形式が持っているアフォーダンス的な読者への働きかけのあらわれです。

 さらにはキャラクタの微細な表情から描かれていない関係性を敏感に読み取る読者も少なくありません。その多くは百合関係だったりと、ほとんど妄想に近い深い読みなのですが(笑)。普通のエンタテイメントコンテンツでも同様の行為は行われ、ある種のファン行為として認知はされていますが、表面的な物語が見えにくい萌え4コマであるからこそ、よりそのような欲望が喚起されやすいのではないかと思います。
 ぶっちゃけた書き方をすると、(表面的な)物語なき世界に美少女2人いれば、少し翳った表情を見せるだけで、そこから百合関係を読み込めるということですね。あるある(笑)。

受動的なんだけど能動的なTwitter

 上述してきたようにTwitterにおいては能動的な側面と受動的な側面があります。勝手に他人のPOSTが並び自動更新されていくというTwitterの受動性はかなりのものですが、一方でその読解においては能動的な振る舞いが要求されています。換言すれば「Twitter遊ぶ」のではなく、「Twitteer遊ぶ」ということです。そしてその構造は萌え4コマの構造と類似点がある、と。
 どう?Twitter萌え4コマって似てるでしょ?(笑)


※参考文献:美水かがみらき☆すた』(角川書店

追伸:本エントリを読んでTwitterを始めようと思った方へ。確かに参入障壁は高いと思います。どうすれば分からないひとは、新規登録したら自分@noir_kをFollowしてください。そしてその周辺をもろもろFollowしていくと面白いと思いますよ(笑)。

*1:今ではもう説明の必要はありませんね(笑)。そもそも自分が始めた1年半前においても、はてな界的にはすでにTwitterはありふれたものになっており(以下略)。

*2:これについては、本当の意味でのアクティブユーザ数について考えるとわかるような気がします。詳細は省きますが、Twitterユーザ内には温度差に非常に大きな偏りがあるように思えます。1000人近くをFollowしていても、いつも見たことのあるような顔しか並んでいないという経験的事実が個人的な感覚としては非常に大きいです。

*3:Protectedという許可したユーザにしか発言を見せない設定や、特定のユーザにのみ発言を見せないBlockという設定も存在します。

*4:他の項目の補足でも書いていますが、リアルタイム性ゆえに「調子に乗ると」ボロが出やすいメディアでもあります(笑)。

*5:しかもアニメ風なアイコンとか多いんだよなぁ(笑)。一方では実写アイコンなぞというムーブメントもあるのですが。

*6:「簡単に」という側面が強いです。本気で深層までの偽装を行おうと思ったら、リアルタイム性を持ち合わすがゆえボロが出やすいTwitterよりも、サイト運営等の方が適切かと思います。なぜ偽装したいのかは分かりませんが(笑)

*7:空気系/日常系4コマ。あるいはそれに類するまんが/アニメを入れても良いかもしれません。想定する具体例は『あずまんが大王』、『らき☆すた』、『ひだまりスケッチ』、『けいおん!』、『苺ましまろ』あたり。

*8:ちなみに「物語の起伏」を「少ない」ではなく「小さい」と表したのは、そのあたりを含意させています。萌え4コマを「物語がない」というのは、要するに「(大きな)物語がない」だけで、本当の意味で「物語がない」とすれば、エンタテイメント作品として受容できるわけがないと個人的には考えています。

「ゼロ年代批評night」開催記念企画「ゼロアカルチョ」〜「ゼロアカ道場」優勝者予想アンケート

 ゼロアカウォッチャーの皆さん、お久しぶりです!年末に発売された『パンドラ』Vol.2 SIDE-B CARNIVAL ISSUEに掲載された「東浩紀ゼロアカ道場 第四回関門 文学フリマ総括」内の文学フリマ代表・望月倫彦氏のコラム内(230ページ)でご紹介いただき(ありがとうございます!)、晴れて公認?ウォッチャーとなりましたnoir_kでございます。皆さん、最近ゼロゼロアカアカしてますかっ?

2月25日は阿佐ヶ谷に集合だっ!

 さて、11月9日の熱戦からしばしの沈黙を保っていた「東浩紀ゼロアカ道場」ですが、3月某日(未発表)に開催されることになった第5回関門「公開シンポジウム」を前に、眠れる獅子たちことゼロアカ道場生の鼓動が聞こえてきました。その名も「ゼロ年代批評night」@阿佐ヶ谷Loft Aです。なんとリアルを舞台とした公開トークイベント!さながら第5回シンポジウムの前哨戦と言ったところでしょうか。

東浩紀の愉快な仲間たちpresents 「ゼロ年代批評night」
次世代の批評は俺たちが作る!まったく新しい批評の形を模索する、熱き批評魂を持った若者たちが、批評の未来についてガチバトルを繰り広げます!ザクティ革命の真の意義とは!?
ゼロ年代批評の申し子となるのは誰か?そしてスペシャルゲストは誰なのか!?批評論壇の新生を目撃するために、次世代の批評家(とウォッチャー)たちよ、阿佐ヶ谷ロフトに集結せよ!

 このイベントは講談社および東浩紀の企画ではない、純然たる道場生による自主イベントです。「サブカルの殿堂」新宿ロフトプラスワンの姉妹店である阿佐ヶ谷ロフトで行われる本イベントは、お酒を飲み食事をしながらトークを楽しむスタイルなので、お気軽に参加するべし、です(笑)。残念ながら、自分は参加できないのです(涙)。参加できる人が羨ましい……。
 ロフトイベントの特徴ですが、壇上と客席はあまりにも近く、アルコールが入った居酒屋空間(壇上の道場生が飲むのかは知りませんが)には奇天烈な引力が働きます。第5課題に進む道場生の多くが一同に介する機会ですので、第5回関門の予習にもなりますね。個性豊かな道場生たちが繰り広げる饗宴(狂宴?)ではどんな発言が飛び出すことやら、想像だにできません。ああ、恐ろしい(笑)。

ゼロ年代批評night」開催記念企画!

 ここからが本題です。今回、この「ゼロ年代批評night」開催にあたりまして、主催者のひとりである筑井真奈さん(id:cervezamana)からご連絡いただき、本はてなダイアリー上でひとつの企画を行うことになりました。題して「ゼロアカルチョ」。これは「ぶっちゃけみんなは誰が『ゼロアカ道場』で優勝して1万部出版を果たすと思う?」というのをアンケートしてみよう、というものです。本気の予想でも良いし、願望でも良いです。投票だけでなく、140字までのコメントもできるようになっていますので、よろしければコメントしてくださると嬉しいです。結果発表は「ゼロ年代批評night」参加者全員にプレゼントされる「スペシャル同人誌」に掲載されます!
 投票の前に、第5関門に進出する道場生をざっくりと復習しておきましょう。現在読むことのできる彼/彼女らの文章へのリンクも用意しましたので、これらを元に優勝者を予想してみてください。

道場生一覧

※第2次関門へのリンクはpdfです。注意!

NO 名前 第4次ユニット ID、ブログ プロフ 第1次 第2次 第3次
1 やずややずや project1980
id:yazunami
ブログ A B+ B+/A/B
2 三ツ野陽介 project1980
id:yazunami
id:ymitsuno A A C/C/D
3 峰尾俊彦 最終批評神話
id:BST-72-Chihaya
id:mine-o A C+ B+/B+/B
4 村上裕一 最終批評神話
id:BST-72-Chihaya
B+ B+ B-/B/C
5 雑賀壱 形而上学女郎館
id:metaphysical_jyoroukan
A B+ B+/A/A
6 筑井真奈 形而上学女郎館
id:metaphysical_jyoroukan
id:cervezamana A A B/C/C
7 斉藤ミツ BL・やおい文学研究所
id:BL801
B- C B+/D/C
8 坂上秋成 フランス乞食の道場破り
id:syusei-sakagami

 坂上秋成さんは道場破り組であるため、ここまでの関門で残してきた文章がありません。しかし、先日発売された『ユリイカ』2009年2月号(青土社)の「特集*日本語は亡びるのか?」に「〈現地語〉文学の華やぎを見つめて 水村美苗への応答」という文章を寄稿されています(商業誌デビュー、おめでとうございます!)ので、そちらで読むことができます。

 あとニコニコ動画の公開マイリストで見つけました。感謝とともに紹介させていただきます。

いざ、投票!

 今回実施するアンケートは「ゼロアカ、ぶっちゃけ誰が優勝すると思いますか?」です。貴方が「こいつが優勝するぜ!」と思う道場生の名前を選択し、コメントがある場合はコメント欄に記入(140字まで)し、最後に右下の「投票」ボタンを押してください。
 それでは投票ですっ!ご協力お願いします!(〜2月20日

■投票は終了しました■

※本アンケートの結果およびコメントの一部は、「ゼロ年代批評night」参加者にプレゼントされる「スペシャル同人誌」に掲載されます。あらかじめご了承ください。
※投票中は結果を見ることはできませんが、イベント終了後には公開する予定です。

イベントのご案内

 最後に、あらためてイベント概要をご紹介します。当日は是非、参加しましょう!何が起こるかわからない「ゼロアカ」パワー。歴史の証人になるのは、君だっ!

東浩紀の愉快な仲間たちpresents
ゼロ年代批評night」

次世代の批評は俺たちが作る!まったく新しい批評の形を模索する、熱き批評魂を持った若者たちが、批評の未来についてガチバトルを繰り広げます!ザクティ革命の真の意義とは!?
ゼロ年代批評の申し子となるのは誰か?そしてスペシャルゲストは誰なのか!?批評論壇の新生を目撃するために、次世代の批評家(とウォッチャー)たちよ、阿佐ヶ谷ロフトに集結せよ!

【出演】

スペシャルゲスト】
現代思想の第一線で活躍する哲学者、批評家など凄い人たちが多数来場予定。

※来場者全員に、会場限定のスペシャル同人誌をプレゼント。

日時:2月25日(水)
OPEN18:30 / START19:30

場所:ASAGAYA_LoftA
東京都杉並区阿佐谷南1−36−16ーB1
JR中央線阿佐谷駅パールセンター街徒歩2分(電話:03-5929-3445)

入場料¥1,500(飲食代別)<当日券のみ>

※註:本イベントに東浩紀は参加・来場しません。

キャラクターから世界観へ。メディアミックスプロジェクトとしての『ストライクウィッチーズ』

 皆さん、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。以上、簡単ですが年始のご挨拶でした。


ストライクウィッチーズ オフィシャルファンブック コンプリートファイル
 ……ということで、1月9日に発売された『ストライクウィッチーズ オフィシャルファンブック コンプリートファイル』はお買い上げになりましたでしょうか?……なに、まだ買ってないだって?悪いことは言いません。今すぐ書店に走ったほうが良いです。ずばり買いでしょう。
 そういえば先日のコミケC75で発売された公式(?)同人誌『ストライクウィッチーズ 砂漠の虎』はお買い上げになりましたでしょうか?……なに、まだ買ってないだって?悪いこ(以下略)。
 そんなこんなで2009年、まだまだ『ストライクウィッチーズ』旋風はとどまることを知らないようです。こっちの財布の都合なんか、まったく考えていないですね(笑)。そして次に待っているのがDS&PS2でのゲーム化です(ゲーム公式サイト)。現在サブタイトルの一般公募中で、締め切りが2009年1月31日になっています。皆さんも応募してみてはいかがでしょうか。
 ゲーム版の内容も大まかに明らかになってきています。それによると、どうやらアニメ版のキャラクによるアクション&シミュレーションのようなのです。これに対して自分は違和感こそ抱かないものの、少し寂しい気がしました。それは『ストライクウィッチーズ』というメディアミックスを前提として展開されてきたプロジェクトにおけるゲーム化の形として正しいものなのか、と。端的に言うならば、このゲーム版が「ただのキャラゲーとして消費されてしまうような一抹の不安を抱いているのです。
 自分は『ストライクウィッチーズ』というメディアミックスプロジェクトを応援しています。そしてそれはある意味では前世紀的でオーソドックスであり、また現在においては珍しい前提条件のもとで動いているプロジェクトだと考えています。そこでメディアミックスプロジェクトとしての『ストライクウィッチーズ』について振り返り、ゲーム化のありようを考えてみようと思います。*1

メディアミックス作品としての『ストライクウィッチーズ』のあゆみ

 能書きは後回しにして、まずはメディアミックス作品としての『ストライクウィッチーズ』の歴史を振り返ってみましょう。

 2003年のプロジェクト開始、2005年のお披露目から様々な展開が図られていることが分かります。イラストコラムから始まり、まんが、小説、アニメ、フィギュア、そしてゲーム……。可能な限りのメディアミックスを行っているようですが、この『ストライクウィッチーズ』プロジェクトは最近のメディアミックス作品では珍しく、確固たる「原作」(メディアミックス上流)が存在しないのです*2。これは特異な現象だと思われます。

メディアミックス前提のプロジェクト

 初っ端から「メディアミックスプロジェクトを前提として」と連呼してきましたが、まずはその説明を。ヤマグチノボルストライクウィッチーズ スオムスいらん子中隊がんばる』(角川スニーカー文庫)の巻末に収録されている鈴木貴昭「『ストライクウィッチーズ』企画の成り立ち」から一部引用します。ちなみにここでの鈴木貴昭氏の肩書きは「ワールドコーディネーター」になっています。

2003年に、一つのメディアミックス企画が立ち上がり、そのキャラクターデザインを、島田フミカネ氏にお願いしたい、との話になりました。当初は別の企画でお願いしようと、考えていたのですが、顔合わせの後、企画内容として氏の書き溜めていた擬人化兵器少女の提案を頂き、元々仕込んでいた企画と融合して誕生したのが、このストライクウィッチーズです。

 発売されたばかりの『コンプリートファイル』82ページにもプロジェクトの発端に関する記述があります。テレビアニメ版に焦点が絞られているため上の記述とは少し異なりますが、一部引用させていただきます。

島田フミカネの公式ホームページに、GONZOのプロデューサーからメールが届く。
島田フミカネのイラストをもとに、アニメ化を前提としたプロジェクトがスタートする。

 これらの情報をあわせると、もともと二つの流れが共存していたことが分かります。

 鈴木貴昭プロジェクトには視覚的要素担当として島田フミカネが途中参加し、原作「島田フミカネ&Project Kagonish」としてクレジットされています。このプロジェクトにおいてはアニメ化は目標であるものの、メディアミックス展開の中のひとつの形に過ぎないように思われます。そのアニメ化に焦点を絞っているのが、アニメーション製作&制作会社であるGONZOです。そこに後から角川書店が絡んできている格好だと解釈できます。つまり個人的な解釈としては、このプロジェクトにおいて島田フミカネによる兵器少女のイメージは不可欠であるものの、鈴木貴昭らが生み出した世界観が根底にあると考えています。
※このあたりは推測&妄想が激しいので、真実であるかは分かりません。あくまでも自分の解釈です。

小出しにされる『ストライクウィッチーズ』の世界観

 このようにメディアミックス前提として生まれた『ストライクウィッチーズ』プロジェクトですが、雑誌『コンプエース』のイラストコラムとしてこの世界に生を受けたのが特徴的でした。そのときのイラストコラムは白黒ですが『コンプリートファイル』86〜89ページ(第2回〜第9回、『コンプエース』Vol.2〜Vol.9)で再録されており、またテキストなしのイラストのみも白黒で『コンプリートファイル』84ページ(第1回)、カラーで『島田フミカネ ART WORKS』32〜38ページ(第1回〜第7回)に再録されています。第1回のテキスト付イラストが再録されていないようなので、ここで紹介します。これが世間に対して初めて発表された『ストライクウィッチーズ』プロジェクトになります。

世界は、突如出現したネウロイと呼ばれる異形の存在の襲撃を受けいていた。
それらに立ち向かえるのは、魔力を持った少女たちのみ。
彼女らは、自らの体に兵器をまとい、空で、陸で、そして海で戦いを挑む。
世界を守る少女たちの戦いが、今始まる。

 これはすべてに共通のリード文ですね。ロゴの下に記載されています。

1941年、ネウロイの強行偵察機ドーバー海峡上で迎撃する、王立ファラウェイランド空軍416飛行中隊所属ウィルマ・ビショップ軍曹とその僚機。416飛行中隊は、ブリタニア連邦ファラウェイランドから派遣されたパイロットで編成された部隊で、この時点ではサフォークのマートルシャム・ヒース基地を根拠地としていた。ビショップ軍曹は、ウルトラマリン・スピットファイアMk IIを装備し、この戦いで僚機とともに迎撃1を記録する。

 このような「解説文」が毎回イラストに付いていたのです。はっきり言って、初読では難解極まりない文章だと思います。何で少女なの?何で魔力なの?この兵器は何?何で直接脚に履いてるの?ネウロイって何?ファラウェイランドって何?ビショップ軍曹って何者?サフォークってどこ?エトセトラエトセトラ……。
 まあ、この手の謎は徐々に明らかになっていくわけです。例えば、このウィルマ・ビショップはアニメ版のリネット・ビショップ(リーネ)の姉であり、小説「スオムスいらん子中隊」のエリザベス・ビューリングの同僚だと分かります。魔女やストライカーについては皆さんご存知の通り。このようにして世界観が拡大されていくのです。
 このような情報の小出しの仕方、イラスト+テキストという形態、確固たる「原作」の存在なしに拡大する世界観とおぼろげに見えてくるストーリー……。かつて大ヒットとなった『ビックリマンシール』なんかを思い出しませんか?*3

「キャラクター」から「世界観」への回帰?

 ゼロ年代(笑)のメディアミックス、特にアニメやテレビドラマ、映画に顕著ですが、そこで躍起になって行われているのは、ずばり「原作探し」と言えるでしょう。そのような経済規模の大きなメディアミックスのリスクを少しでも抑えるために、すでに人気のある原作を抑える、また今後人気の出そうな原作を抑えるということを繰り返しているように思われます。結果、アニメの分野ではまんがを食い荒らし、ゲーム(特に美少女ゲーム)を食い荒らし、そして現在は小説(ライトノベル)を食い荒らそうかとしています。
 原作を中心に副次的なメディアミックスを行うというのは、現在においては双方にとって必要不可欠なものになりつつあります。メディアミックスによる全体的な盛り上がりなしには、作品の成功はないといっても過言でないくらいです。
 一方、それらのメディアミックスにおいて、キャラクターが主導になっているのを感じます。それは同人誌業界を眺めればよく分かるのですが、まんが、アニメ、ゲームなどの絵物語においてメディアを横断できるのが物語や世界観ではなく、キャラクターになっているのです。*4それはニコニコ動画のようなメディアの登場で、その傾向はより加速度を増しているように思えます。しかし、それで良いのか、と疑問を投げ掛けたいわけです。自分は。
 そのような「キャラクター主導」のメディアミックス、特にゲーム化において予想されるのが、いわゆる蔑称としての「キャラゲー」です。これはよっぽどうまくやらないと大変なこと(笑)になります。キャラクタ人気に便乗した安易なゲーム化なんて、誰も見たくないのです。なのにファンが買ってしまうというジレンマ……(涙)。
 そんな「キャラクター主導」全盛の現代において前世紀的とも思える「世界観主導」のプロジェクトである『ストライクウィッチーズ』。それもテレビアニメ版のヒットで少々おかしくなってきているような気がします。前述した関連作品リストを「メディアミックスプロジェクトとしての『ストライクウィッチーズ』」と「メディアミックスの一環としてのテレビアニメ版『ストライクウィッチーズ』付随作品」に分類すると、次のようになります。

※基本的には登場キャラクターで分類しています。宮藤芳佳を中心とする物語を「アニメ付随」、それ以外を「メディアミックスプロジェクト」としています。
 うーん、ちょっとだけ不穏な空気がありますね(笑)。メディアミックスプロジェクトとして生まれた「世界観主導」の『ストライクウィッチーズ』の心意気を見せて欲しいところなのですけどね。ゲーム版なんてクレジットに「第501統合戦闘航空団」(テレビアニメの製作委員会名)って入ってます。これ、ただのキャラクター商品で終わらす気とは言わせませんよ!

ゲーム版、期待しても良いんですよねぇ?

 ここまで『ストライクウィッチーズ』プロジェクトがメディアミックスを前提として発展してきたプロジェクトであり、近年には珍しく「キャラクター主導」ではなく「世界観主導」の戦略をとっているにも関わらず、テレビアニメ版のヒットで凡庸な「キャラクター主導」の戦略、すなわちキャラクター商品としてのメディア展開を見せそうな恐怖があるということを説明してきました。特にゲーム版でその悪夢が現実になるのではないか、と。
 『ストライクウィッチーズ』はメディアを横断し共有可能な世界観をベースに、その広がりは衰えを知りません。だからこそ、メディア展開における数々の物語の多くが魅力的で、だからこそそれに付随するキャラクターたちもまた魅力的なのだと思うのです。事実、『ストライクウィッチーズ』はそうやって多くの物語を生み出してきているのですから。ちなみに野上武志の手によるまんが『アフリカの魔女』は本当に素晴らしいです。読んでないひとは、もうどうすれば入手できるのか分かりませんが、どうにか頑張って読むと良いと思います(無責任だな……)。
 とにかく、素晴らしいゲーム版を期待します。「単なるキャラゲー」で終わらせて、ファンを失望させないでくださいよ!くれぐれもね。……さて『コンプリートファイル』の続きを読もうっと。

おまけ:『ストライクウィッチーズ』の世界観と現実との接点

 『ストライクウィッチーズ』の世界はメディアミックスを前提としているため、様々な場所で戦闘が行われており、そのフィクションの歴史が存在します。先の鈴木貴昭の文章から引用します。

本作は元々メディアミックス作品として立ち上げられた企画なので、複数の戦場が最初から用意されています。東部戦線、西部戦線、北欧、アフリカ、太平洋と大きく分けて五箇所での戦いが続き、長年の戦いによって、あるメディアでは新兵だったキャラクターが、他のメディアではベテランとして登場することも有り得ます。

 この5つの戦場ですが、要するに2つの世界大戦なわけです(かなり適当な断言。違うかも)。で国同士が戦争をする代わりに、世界の共通の敵として「ネウロイ」が設定されています。使用されるストライカーにも全てモデルとなる戦闘機が存在しますし、以前から様々な場所で指摘されているようにキャラクターにもすべてモデルとなる人物(戦闘機パイロット)が存在します。つまり、『ストライクウィッチーズ』の世界は、基本的には現実の大戦期の世界に接木をする格好で構成されているのです。ですので、『ストライクウィッチーズ』の世界には誰もが簡単に参入することが出来ます。史実からひとつの人物を選択し、それを膨らます方向でフィクション化すれば良いのです。……これはちょっと挑発的過ぎるかな(笑)。
 途中で少し触れた大塚英志『物語消費論』ですが、これに『ビックリマンシール』に関する興味深い記述があります。角川文庫版15ページから一部引用します。

消費者が<小さな物語>の消費を積み重ねた果てに<大きな物語>=プログラム全体を手に入れてしまえば、彼らは自らの手で<小さな物語>を作り出せることになる。
(中略)「ビックリマン」の<世界観>に従って、これは整合性を持ちしかも772枚のシールに描かれていない773人目のキャラクターを作り出し、これをシールとして売り出したらどうなるのか。
(中略)<物語消費>の位相においては、このように個別の商品の<本物><偽者>の区別がつかなくなってしまうケースがでてくるのだ。

 だからみんなもキャラクターだけを輸入、横断させて「遊ぶ」のも良いですが、『ストライクウィッチーズ』の世界にオリジナルキャラクタを生み出してみませんか?これに対して物凄い説得力を持っているのが前述した野上武志による『アフリカの魔女』だったりするわけです。このまんが(および同人誌『アフリカの魔女』)は「1.5次創作」などとも称されるように、かなり1次創作に近い2次創作です。こういうのって、どのように解釈すれば良いのでしょうか(笑)。少なくとも、正史には含まれないような気がしますが、ほとんどオフィシャルな物語であるはずです。だけど、このレヴェルのものを一般人である(じゃないひともいるかもしれませんが)皆さんも作れるかもしれません。これこそまさにCGMとかUGCというものなのではないでしょうか。うーん、夢が広がりますねえ。賑やかしによって自己増殖する世界観ですよ。そこまでいったら『ストライクウィッチーズ』も本物ですね。……なんて、2次創作すらしない自分に言われたくないでしょうけど(笑)。

*1:まだ発売されたばかりなので『コンプリートファイル』の内容は、ちゃんと読んでいません。というかスタッフインタビューが充実しているので、読むとこのエントリの内容を書き直す必要があるように感じられるからです。ですので、本エントリは推測、妄想が多分に含まれており、その内容がすべて正しいとは限りません。ご注意ください。なお情報元は現在までに発行あるいは発表されている『ストライクウィッチーズ』関連書籍、ウェブサイトなどになっています。

*2:多くの場合、まんがあるいは小説(ライトノベル)が「原作」として存在します。『ストライクウィッチーズ』のように確固たる「原作」が存在しないものでは、最近の例としては『シゴフミ』などがあります。

*3:ビックリマンシール』の消費構造については大塚英志『定本 物語消費論』(角川文庫)を参照ください。これは角川メディアミックスの基礎理論であり、『新世紀エヴァンゲリオン』などにも通じるところが少なくない考え方です。『ストライクウィッチーズ』プロジェクトもその流れで説明できますが、ここではあまり詳細には立ち入りません。

*4:近年の伊藤剛を参照しても良いと思うのですが、申し訳ないのですが自分はまだちゃんと読めていません(笑)。

2008年暮れの元気なご挨拶。そして2009年へ……。

 あと数時間で2008年も終わりを迎えようとしています。お久しぶりです。なんだか更新頻度がまちまちになってしまって申し訳ありません。当ブログを始めたのは今年の5月のことでした。それから約7ヶ月半、ここまで続けることができたのは、ひとえにこれを読んでくださっている皆様あってのことです。本当にありがとうございます。そして来るべき2009年も、どうぞよろしくお願いします。
 と、まずは年末の挨拶めいたことをつらつらと書いていこうと思います。たまにはこういう近況めいた、というかブログめいたことを書くのも良いではないのかなあ、なんて。私的な領域では様々なことが起こった2008年でしたが、やはり上で書いたようにブログを始めたのがひとつの大きなトピックスになりましたね。ちなみに当ブログ、世間的にはアニメ考察系のブログだと思われているようですがそれは半分くらいで、その他半分では雑多なことをつらつらと書いておりますので、よろしければお読みいただけると、嬉しくて失禁(ウレション)してしまうかもしれません。自分の失禁を見たい、というマニアな貴方は是非(笑)。【記事一覧】
 最近のことを少しだけ書かせていただくと、はてダの更新が少ないわりには、パソコンで文字を打つのが多くなりました。というのも、12月20日頃の話ですが巷間で話題のネットブックEeePC 901-16G」(ASUS)を購入したのです。このちっこいわりにはイカしたアイツがなかなかのやり手で、ちょっとした時間ができるたびに開いては文字をぱたぱた打ち込んでいるわけです。……ぱたぱたぱたぱたまっしーぐらー♪……『苺ましまろencore』楽しみです(笑)。
 実はこのエントリがEeePCで書いている初のエントリになります。というか、先ほどまでマクドナルドで書いていて、現在は電車内で書いています。自分はモバイルブロガーだったのです(笑)。このようにどこでも手軽にそれなりの長さの文章が作成できるようになってしまった反面、ちゃんと最後まで文章をかけなくなってしまいまして(笑)。途中まで書いた文章なら沢山あるのですが、どれも途中で終わってしまっている、という有様です。……ごらんの有様だよ
 そんなこんなですが、先月頭くらいから始めたtwitterでは必要以上に活動しております(笑)。かなり適当なtwitterぶりですが、よろしければご覧ください。twitterはまだその楽しみの全貌を掴むには至っていませんが、なかなか面白いです。自分のtwitterへの投稿量の増加とともに、はてなダイアリーの投稿量が減っているような気もしますが、ただの気分に過ぎないので(これ重要!)、そこに相関関係はないと信じてください。お願いします。同じnoir_kというIDでやってますので、よろしければ是非。
 そんな感じで2008年も最後となりました。本年はお世話になりました。皆様に希望あふれる2009年がありますように。とことで!(C)金田朋子

付録1:本年のはてダで主張したかったこと【アニメ編】

 前述したように、本はてダで取り扱った内容の約半分がアニメに関するものになっています。多くのニュースサイト様が取り上げてくださったおかげで、沢山のひとに読んでいただくことができました。ありがとうございました。
 一方で、自分の文章力および無駄に長い文章の所為で、様々な誤解が生じているのも事実と思われます。そこで2008年の総決算として、本はてダで繰り広げてきた主張に関して、結論だけを端的に記したいと思います。やわらかく、口語体でお送りします。

  • テキストメディアから非テキストメディアに移行するときは、メディアの特性を考慮して、そのメディアにあった表現を自由に選択しましょう。
  • メタフィクションとかパロディ、自己言及、引用などは、もはやあまり大きな意味を持ちませんが、あったらあったで面白いと思います。
  • アニメ化という行為は、原作のキャラクター商品として忠実な映像を作るだけじゃ物足りないよね。そのメディアにあった特徴を入れるとき、それが原作を破壊する行為になろうとも、時には必要なんじゃないのかな。
  • アニメとかまんが特有の表現をもっと効果的に使えば良いんじゃない?最近のアニメは「ドラマ」とかにこだわって、大胆なデフォルメとか記号的表現を萎縮していて使えていないように思えます。

 特に最近興味があるのが、最後に取り上げた記号的表現の問題。例えば『かんなぎ』では第1話や第9話が特徴的でした(まんが・アニメ的記号表現と二重「中の人」構造『かんなぎ』)。デフォルメ表現については、言及していませんが『図書館戦争』がなかなか(あれに関しては、個人的には全面賛成できませんが)。具体的な問題解決としては『とらドラ!』関連(映像化によって失われる記号的リアリティ『とらドラ!』)で触れています。

付録2:本年のはてダで主張したかったこと【その他編】

 上と同じように、アニメ関連以外の主張を端的にまとめます。2009年の自分に必要なのは、短くまとめる能力のはずなので。

  • 新古書店で購入したことを大っぴらに言うのは恥ずかしいよね。消費者にはブリーダー的感性も必要だよ。
  • 声優は声優なんだから、声優らしい歌手活動のあり方があるはずだよね。具体的には、極度にキャラクター完成度の高いカラオケ。
  • 今年のアニラジ界は『KONAMI STATION』に注目すべきだったけど、すぐに終わってしまった。……何だったんだろ?
  • 渋谷Q-AXシアターが渋谷シアターTSUTAYAになったけど、名称が良くない!絶対!
  • AMラジオの地上デジタルサイマル放送に、自分はラジオの未来(すべてネットで同時放送される)を夢見ています。
  • 理想と現実のギャップを解消するために、理想を下げるのは良くないよね。せっかくだから現実を上げる方向で頑張ってみようよ。

 こんな感じですかね。というわけで、2009年もよろしく!

付録3:2008年、良かった声優など

 今年は福圓美里の活躍が目に付きました。主役を務めた『ストライクウィッチーズ宮藤芳佳や『夜桜四重奏〜ヨザクラカルテット〜』槍桜ヒメもありますが、『ひだまりスケッチ×365』夏目や『薬師寺涼子の怪奇事件簿貝塚さとみなど、サブキャラでも光っていました。あまり登場しないけど目立ち、かつ邪魔にならないという、人気の出そうなサブキャラを演じれる役者だと思いました。声優アワードなんかがどのくらい正当な評価を下すのか分かりませんが(笑)、個人的には2008年のNo.1声優だと思います。
 ラジオパーソナリティとしては、このひとを外すことは出来ないでしょう。ということで、阿澄佳奈。2007年の『ひだまりラジオ』でぐいぐいと頭角を現し始めていた彼女ですが、2008年はそれが爆発した年になりました。続編『ひだまりラジオ×365』はもとより、『ラジオどっとあい 阿澄佳奈のあすみのやすみは部屋のすみ』では構成台本に頼らずとも一人喋りがいけることを示し、『ANI-COM RADIO〜フジワラでいいカナ〜』では藤原啓治相手に大活躍。『ときメモ!ラジオ ゆめぎの高校放送室』でも殆ど初対面の荻原秀樹との関係性を作り上げる人間的魅力が光っていました。2007年『ひだまりラジオ』はある種、ディレクター兼構成作家(確かそうだった気がするのですが、ソースは脳内)の意向が結構強く出ていたように感じられました。そこから、より阿澄佳奈自身のパーソナリティ性が際立っていった1年だと感じました。自分の考えでは、魅力あるラジオパーソナリティとは普通のことを普通に、だが面白く喋れるひとだと思っています。その点からも、今の、そして今後の阿澄佳奈には超期待です。

まんが・アニメ的記号表現と二重「中の人」構造『かんなぎ』

 巷間では原作版『かんなぎ』に関する例の騒動をいまだに引きずっているようで、なかなかモノが言いにくい状況みたいですね。なんで1ヶ月以上もこの問題が話題になり続けているのか良く分かりませんが、新聞等の大手マスコミまで釣ったのは天晴れという感じでしょう。少なくとも話題性だけは欠かないこの『かんなぎ』。そんな世間の流れはいつものように無視して(これをひとは「KY」と呼ぶ)、今回も左斜め上から好き勝手書かせていただきたいと思います(笑)。
 とは言っても、最近のアニメ『かんなぎ』はなかなか興味深い点が多いです。完全オリジナルの第7話「キューティー大ピンチ!激辛ひつまぶしの逆襲(後篇)」なんて、ある意味ではいくらでも語れそうなエピソードです。そう、色々……ね(笑)。また第10話「カラオケ戦士 マイク貴子」に関しても、原作わずか12ページの幕間(外伝的短編)、しかもカラオケBOXでいつもの面々が歌うだけのエピソードを30分1話としてアニメ化した偉業についても、「アニメ化」というものの面白さが詰まっていると思いました。そんな中取り上げたいと思うのは、第9話「恥ずかしい学園コメディ」です。

第9話で散見されたまんが・アニメ的記号表現

 最近のアニメ全般において共通なのですが、コメディであってもキャラクタのデフォルメやいわゆる漫符」表現(怒りの#マークや、焦りの汗)のような「まんが・アニメ的記号」があまり使われていないように思われます。おそらく、最近のアニメ一般におけるリアリティの水準の問題なのでしょう。ここでは本筋を外れるため触れる程度にしておきますが、例えば1期『ひだまりスケッチ』と2期『ひだまりスケッチ×365』を比較すると(ちなみに『ひだスケ』は「ほのぼのギャグ」に分類できるでしょう)、原作の持ち味でもあった「へちょ絵」(頭身を崩した「へちょい」デフォルメ絵)の使い方に差があります。その「へちょ絵」がアニメ第1期では頻繁に用いられていたのに対し、第2期では影を潜めてしまいました。以上、余談。

蒼樹うめひだまりスケッチ』第1巻2ページより。「へちょ絵」の一例。
 閑話休題。この『かんなぎ』第9話「恥ずかしい学園コメディ」では、それまでのエピソードでは見られなかった、いわゆる「まんが・アニメ的記号」を見つけることができます

※第9話「恥ずかしい学園コメディ」より。以下、同じ。
 この2つは原作の表現をアニメでも採用しています(原作第3巻23ページ2コマ目、40ページ5コマ目)。「飛び出す点状の目」=「目が飛び出る(驚き)」+「目が点になる(呆れ)」というコテコテのまんが的記号表現なんて、近年ではそうそうお目にかかれません。さらには埴輪風(?)になるざんげちゃん(笑)。


 さらにアニメ化に際しては、原作では用いられていなかった「ジト目」(軽蔑等を込めてじーっとみつめる目)まで採用されています。果ては驚きに揺れる平面的な家(昭和風)まで……。このようなベタをネタにしているような「まんが・アニメ的記号」、その意図はどこにあるのでしょうか。

パロディ抜きにラブコメできないラブコメ

 先に断っておきますが、このような表現はただの「フック」あるいは監督である山本寛の表現を借りるところの「ギミック」に過ぎないとも考えられます。ただ、以前のエントリメタフィクショナルな言動とメディアミックス『かんなぎ』でも指摘したように、本作品は原作からしメタフィクションを指向していると考えられるため、そのような前提のもとで話を進めていきます。
 さて、前セクションで指摘したような「まんが・アニメ的記号」は、キャプチャを見ていただければ分かるように、作品世界の中で明らかに浮いているにも関わらず「パロディ」として強行に用いられているように思われます。左下のジト目のざんげちゃんなんて、一人だけ別作品みたいになってます(笑)。ちなみに、自分は原作で用いられていた上の要素に対して、アニメ化に際する呼応として下のようなもの(ここで取り上げたのは一部です)を新規に採用したと考えています。こういうところを拾ってきて「アニメ化」するセンス、嫌いじゃありません(笑)。
 では、なぜ作品世界を壊してまでしてこのような表現を用いるのでしょうか。そこで注意したいのが、当該回のサブタイトル。ちなみに、アニメ『かんなぎ』は原作の1〜2話をまとめて30分1話にしており、サブタイトルは対応原作のサブタイトルを機械的に接合して作っています。例えば、当該回付近は次のような感じです。

  • 第8話「迷走嵐が丘」=第12話「嵐が丘」+第13話「迷走学園コメディ」
  • 第9話「恥ずかしい学園コメディ」=第13話「迷走学園コメディ」+第14話「恥ずかしい僕の過去」

※左辺はアニメ、右辺は原作。

 期せずして生まれた「恥ずかしい学園コメディ」というサブタイトルですが、これがまさに本質を指し示しているのではないか、と個人的には思っています。『かんなぎ』全体を取り巻くメタフィクション、自己言及、パロディといった指向性が表しているのは、「ベタ」を「ベタ」に出来ないという現状なのではないでしょうか。つまり、「恥ずかし」くてオーソドックスにラブ「コメディ」することができないから、「メタ」あるいは「ネタ」という形態を取らざるをえなくなっているのではないでしょうか。
 第9話はそれがもっとも顕著で、男色だと疑われてしまった御厨を助けるために、策を弄して御厨が女好きだと公に示す、具体的にはつぐみ&ざんげが意図的にラブコメ状態を作る、というエピソードです。これはブコメの中でラブコメを意図的に捏造するという二重性からくる自虐ネタにもなっているし、ベースになっている『かんなぎ』という世界観自体に対する自己批判にもなっています。『かんなぎ』が持っているギャグなのかシリアスなのか分からない、ある意味カオスティックな作風と相まって、個人的には大変面白いと感じました。

アニメ化にともなって浮かび上がった「二重『中の人』構造」

 上でアニメ化に伴うサブタイトルの変更からひとつのテーマがあぶりだされてきた(強調されてきた)という「嬉しい誤算」のようなことを書きましたが、他にもアニメ化に伴う「嬉しい誤算」はあります。そのひとつが「二重『中の人』構造」とでも名付けたい現象です。……ちなみに本当はこのことについて書きたかったのですが、この部分だけだとあまりに妄想的過ぎてアレなので、前半を付け加えたのです(笑)。さあ行くぞ!ここからが個人的には本題だ!
 作中のキャラクタであるざんげちゃんにはなかなか奇妙な設定が付与されています。彼女は神であり、涼城白亜という少女に憑依しているという設定になっているのです。作中では(現段階では)その設定はあまり重要ではなく、白亜は殆ど物語に関わってきません。ざんげと白亜の自問自答的な会話シーンもあるにはありますが、白亜は声を発することもありません(白亜からざんげへの言葉は、物理的な音にはなっていません)。なかなか興味深い設定です(笑)。
 しかし、ざんげが何らかの行動を起こそうとするとき、本体である白亜が抵抗することがあります。例えば、アニメ第5話「発現!しょくたくまじんを愛せよ」では料理対決の際に、本当は上手に料理を出来るのに、本体である白亜が抵抗して下手な料理しかできないという挿話がありました。ですので、ざんげは時折、本体である白亜との合意形成を図ろうとします。そのときに面白い表現が用いられます。

  • ざんげ「まぁ確かに。公然とイチャつくわけですね。それはそれで悪くないと中の人が」
  • つぐみ「なんですか中の人って」

※アニメ第9話より。原作第3巻50ページ1コマ目にも、ほとんど同じセリフがあります。

 ここで用いられている「中の人」という表現ですが、ざんげの「中の人」、すなわち本体である白亜を指し示しています。これは舞浜に生息する某ネズミに「中の人」はいないとか、ガチャピンの「中の人」は凄いなあ、といった「(着ぐるみの)中の人」的な用法です。
 しかし、「中の人」という表現はいわゆるインターネットスラングのひとつ(Wikipedia該当項目)であり、広く普及している用語でもあります。アニメ絡みで使うと、一般的にキャラクタを演じている声優を指し示します。例えば、青葉つぐみ(『かんなぎ』)の「中の人」といえば沢城みゆきを指しますし、真紅(『ローゼンメイデン』)の「中の人」といえば沢城みゆきを指しますし、ペリーヌ・クロステルマン(『ストライクウィッチーズ』)の「中の人」といえば沢城みゆきを指しますし、大家さん(『ひだまりスケッチ』)の「中の人」といえば沢城みゆきを指しますし……(以下略)。
 しかし、このような「中の人」の用法は、大前提としてアニメないしはラジオドラマ等になっていて、担当する声優が存在している必要があります。逆に言うと、アニメ化以前の原作では、「中の人」=声優という等式は成立しえなかったのです。
 それがアニメ化に伴い、期せずしてちょっと面白いことになりました(笑)。まんがでは「中の人」が一意に決まっていたのに、アニメになると一意に決まらないどころか、リアルとフィクションにまたがって可能性が存在するわけです。むしろ、一般名詞的に広く用いられている「中の人」=声優という等式が先に来るため、発言の意味すら解体され浮遊していき、「ぽかん」となってしまいます(言い過ぎかな?)。この現実と仮想が不可分に混同されていく感覚……。これが「二重『中の人』構造」だっ!(笑)

二重「中の人」構造を『ケメコデラックス!』に……!

 この構造を現在放送中の『ケメコデラックス!』に当てはめると、もっと面白いことになります。『ケメコデラックス!』のヒロイン(?)であるケメコはボディスーツ(着るロボットみたいなもの)で、その中にはエムエムという少女が搭乗しています。普段はケメコの状態で八面六臂の大活躍、たまに「中の人」であるエムエムが出てきてドラマが進行するという感じです。これが外面と内面の物理的な比喩になっていたりして興味深いのですが、それはまた別のお話。

アニメ公式ページグッズ情報より。外の緑髪赤服がケメコ、中に見えるピンク髪がエムエム。
 両作品の外⇔中構造を比較すると、次のようになります。

 そこに更に声優が絡んでくるわけですが、『ケメコデラックス!』ではケメコ=斎藤千和、エムエム=戸松遙と異なった声優が担当しています。そこが『かんなぎ』のざんげ=白亜(基本的には喋らない)=花澤香菜との大きな違いになります。

 つまり『かんなぎ』においては「花澤香菜>ざんげ>白亜」という不等式が決定できますが、『ケメコデラックス!』においてはキャラクターレヴェルと声優レヴェルをどのように配置するかで、複数の順位付けが可能になります。ですので、まかり間違って『ケメコデラックス!』の作中で「ケメコの『中の人』」なんて表現が使われることを想像すると、それはエムエムのことなのか(キャラクタレヴェル)、斎藤千和のことなのか(声優レヴェル)、はたまたケメコのキャラクタレヴェルにおける「中の人」であるところのエムエムの声優レヴェルでの「中の人」である戸松遙のことなのか……、となかなか楽しいことになるわけです(笑)。うぉぉ。
 嗚呼、楽しいなあ……。えっ、別に楽しくない?……そりゃすみませんでした。ぺこり。