野尻抱介blog

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ミクFES'09のこと

 初音ミクの2歳の誕生日にsupercell、ika&MOSAIC.WAV、チームMOERらが集結! ミクFes09(夏)ライブリポート (1/2) - ITmedia Gamez

 各地で報じられている通り、ミクFESは大成功だったらしい。私は1000円払ってニコ生で見ていたが、会場の熱気はよく伝わっていたし、自分も参加した気分でいられた。
 ミク廃としては、この盛り上がりは我がことのように嬉しい。よくやったミク、みんな最高だぜという気持ちである。
 坂本龍一氏に訊く、これからの音楽のかたちと価値とは - PHILE WEBで教授が述べているとおり、いずれCD販売は廃れ、ライブが重視される時代になるだろう。そんなときミクFESが成功した意義は大きい。これからの音楽はプロシューマーのものとなり、ネットで周知され、ライブで収益を得ていくのだろう。億万長者が出にくくなるかわり、多様性はぐんと上がりそうだ。これはいいことである。

 生誕二周年をもって初音ミクは、動画サイトとライブという二本の脚で立ち上がった。これはひとつの転換点かもしれない。これまで私は、伊藤社長のいう「出口」を、いわゆるメジャーデビューのことだと考えていた。それには複雑な思いもあったのだが、ミクはCD販売という古いビジネススタイルをひとまたぎにして、「ライブ」という出口に向かった。
 これはとても軽快で、愉快なことだ。我々がメジャーレーベルの真似をするのは容易ではないが、ライブなら誰にでも開ける。首都圏だけでなく、片田舎の喫茶店でもやればいいと思う。(9/7この段落追記)

 さてSF屋にとってツッコミは本能みたいなものである。報道されたミクFESの受け止められ方に、二点ほどツッコミを入れたい。

(1) あれは立体映像ではない。
 ステージに現れたミクが、半透明のスクリーンに投影されたものであることは皆わかっているようだ。だが、ウェブでそれを見て「すごい!」と感じた人の反応が、やや過大であるように思う。
 現場であれを見れば、二次元画像だとわかる。三次元的に感じられるのは視差による立体視ができなくなるぐらい離れて見た場合だ。動画や静止画でステージの様子を見た人は、視差以外の情報から立体視しようとしてしまう。投影されている映像は陰影のついた3Dグラフィックスだから、ごく自然に立体的に感じてしまうのである。

 ではライブに行った人はミクの平面映像に失望したかというと、そうでもないらしい。「いい雰囲気だった」とか「後ろからではよく見えなかった」といった感想が散見される。映画館でスクリーンが見えなかったら苦情が出るだろうが、ライブはちがう。その視覚エフェクトとしては充分成功していたと言えるだろう。
 技術的にはむしろ、立体視よりも場内との対話性を発展させるべきだと思う。観客にリアルタイムで反応できてこそライブである。
 演出面では、三面あったスクリーンにミクを同時表示しないほうがよかった。瞬間移動はしてもいいが、現れるのは一度に一箇所としたほうが没入感が妨げられない。

(2) あれはシャロン・アップルではない。
 ミクがステージに立つ映像が出回ると、きまって「シャロン・アップルだ」という感想が上がる。VOCALOIDのファンとして、この感想は面白くない。
 あそこで皆が熱狂したのは、ミクを人と思ったからではない。自分がミクの一部だという意識があるからだ。ミクは無数のスレッドを持つアイコンであって、その実体はほぼ100%「こちら側」にある。
 そして半分くらいはミクを人と認めてもいいような、ほろ酔い気分のようなものも確かにあった。「こまけえことはいいっこなし。今日ぐらいミクがそこにいるってことにしとこうぜ」という思いである。祝祭の日とはそういうものだ。

VOCALOIDをたのしもう Vol.3 (ヤマハムックシリーズ)

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