outskirts a liar

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2010-02-07

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[2009,09,07]

2010-01-31

Transed

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手の気まぐれです。

ドローだと動的、ペイントだと静的な絵になる。デジタルだと、やり直しが利く(楽だ)からか、手元を見ていない(遅い)からか、写実的になる。今回は、パソコンで描くと、鉛筆で1枚描き殴る期間の21倍だ。お上品。


[2010/01/31]

2010-01-26 生への疑問

あまり知らない分野なので、どうしたらいいのか分からない。駅前で探したのだけど、一軒も置いていなかった。エドワード・ゴーリーという人の、絵本。今まで踏み込んだことの無い領域だ。出版社別と作者別のほかに、対象年齢でも分かれている。親が読んであげるのなら、その分類に意味は無いと思ったけれど。どの本屋が得意とするのか、頭の地図にはない。ネット上の書店は、絵を見られないから嫌だ。


普通の物事を扱うにあたっては、実に、論理は必要ない。数枚の絵を並べただけで、運動から、果ては物語さえ作ってしまう脳は、元々から接続に対応している。

五感は、それぞれのセンサが物理的に異なるが、その統一に混乱は起こらない。経験として保存するのは、統一された、ひとつの事象だ。具体的な各々の反応強度は、体験の最初から同時進行で変換されている。視覚や触覚、それぞれを受け入れてから組み合わせるのではなく、再現されるのは、その情景そのものである。その統一作用こそ、論理だ。大抵は、これを無意識に行う。

無意識の判断は、現実に行動する手がかりであり、整合性と統一を拡大していく。結果を手法に反映しながらの、初弾の不当を前提にした運営だ。試行回数の増大がインフラの秩序を産み、錯綜から自由を抽出可能にする。

判断は、一番楽な、動かしやすい経路へ向かう。行動は常に、実感で構成された予測、すなわち無意識の論理が支える。実績が確率を提示する。論理は治癒の自然だ。変革は、解体と統合を内包する。判断を中止し、解体することが、意識の最初だ。解体とは、今までよりも楽をするために、あえて慣れないこと、新しい方法を試すことである。

自身の体でさえ、変化を続ける、対応すべき現実である。そしてそれは、脳自身にも当てはまる。細胞への刺激と代謝が、組織構造を時間とともに変化させる。だから人は、どの瞬間も同一ではなく、完成形を持たない。

納得の放置という、手に入りやすい安心は、活動範囲の限定から起こる、怠慢だ。繋げるには、的が遠いほど困難である。神経回路は、使うほど強固になる。成り行きに任せると、最善でない努力を続けることになる。たまには、忘れることも重要だ。切断された断片を、新たに組み上げることで、研ぎ直すことができる。視界や経路を限定する枠を壊すことが、生への疑問である。



[2009/04/24]

 
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