2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

「どん底」黒澤明(1957年)を見て。

この映画のように、下(しも)から人間を捉えていこうとした時、切れ目の無い流れに、ノリが生まれる。 人と人と人と人「と」で繋いで、韻を踏みノリが出来る瞬間、 映像のモンタージュに拠らないツナギが、この時間=リズムを作り出している。 ただ、個々の…

「東京の合唱」小津安二郎(1931年)を見て。

今は昔、20世紀の初頭。世界は恐慌状態にありました。 子供は常に貧しいのですが、大人も職を失い、子供と同じ貧しさに直面しました。それは存在の貧しさでした。恥ずかしくて、大人は拗ねました。 主演の岡田時彦さんの表情には不平が底流しております。 そ…

「快の打ち出の小槌 〜日本人の精神分析講義〜」佐々木孝次+伊丹十三・著(1980年)を読んで。

2人で話しているぶんには話し易いけど、3人以上になると、突如、話がし難く感じられる。何でだろうか?そんな自分自身の疑問を思い出せてくれる良い本が、これでした。 まず本書の目次から。 第一章 血縁幻想 第二章 母親の出現 第三章 言葉の発見 第四章 …

「母を恋はずや」小津安二郎(1934年)を見て。

形見の懐中時計を耳元に持っていき、亡くなった主の写真を見ている母。 父のいない家庭。それが落ちて行くお話。 異母兄弟。弟が兄を殴り、泣き崩れるほどには大げさであるけれど、仲良き事幸せなりと映画は終わるらしい。 「らしい」というのも、 最初と最…

「たかが服、されど服 ヨウジヤマモト論」鷲田清一・著(2010年)を読んで。

「たかが映画、だけど映画」と、映画監督の神代辰巳は言った。 ”たかが”、、、、、”だけど”と神代は思いつめていた。 服飾デザイナーの山本耀司は”たかが”、”されど”と服を作ってきた。 ”だけど”と”されど”。同じようで、この2人の男、いったい、どう違うの…

「魔法使いのおじいさん」(ゴーヴィンダン・アラヴィンダン監督)1979年/インド

<少年は犬になる> 子供達と魔法使いのおじいさんが、草原で踊り歌うところを、遠くから撮っているのが印象的な映画でした。見る人が、それぞれの解釈を挟める余地のある映像の作り方がなされています。この映画を見た個々の人が、より深く自分を知るための…