家探し中毒

日本からボストン地域に引っ越して来てまる7年が過ぎようとしています。
最初は2・3年だったはずが8年目になろうとわ、、、


この7年間で、今のアパートが4件目。よく引越しをした7年間でした。
最初に入ったアパートは6ヶ月経ったところで更新するはずだったのですが、
大家さんに売るから更新は出来ないけど買うと聞かれ、やむなく引越し。


2番目に住んだアパートには、まるまる3年いましたが、
4年目の更新の契約をする時に家賃を月$250上げると言われ、
これまた引越し。ちなみに、その時点で、すでに最初に払っていた家賃から
月$200多く払っていたので、3年で家賃が月$450上がった事になります。
月$450ですから、年間にして$5400(今の換算レートの一ドル75円で
計算したとしても45万円近くあがった事になります)も上がったのですから、
もちろん払いきれません。結局、私達の後に借りた人はその高い家賃を
払ったのですが、その一年後に大家さんがアパートを売る事にしたらしく、
一年後、引っ越して行ったそうです。


そして3番目に引っ越したアパートには一年半住みましたが、これまた大家さんが
アパートを売りに出す事になり、引越し。


今の4番目のアパートは公園が目の前で、駅に近く、大家も売りに出す気は
まったく無いと条件は素晴らしいのですが、やはり完璧では無く、
(理由を書きだしたら止まらなくなりそうなのでやめておきます)
今でも良い引越し先は無いかと探し続けています。


毎日ついつい不動産情報を見てしまいます。ここまで来ると家探しも半ば中毒。
止めたくても止められないヘビースモーカーとかアル中と変わらないのでは、、、
と自分でも心配になってしまいますが、やっぱり家は毎日の事、
納得いく家に住みたいのです、、、

 車中の会話:恋愛経験は多くする事


ボストンは公共の交通手段がアメリカにしては発達している方ですが、
私達のように少し郊外に住む者にとっては車での移動がどうしても増えます。
T君の学校や子供達の習い事への送り迎え、お友達とのプレイデート、
買い物等、車の中で過ごす時間が多くあります。


最近、その車の中でT君と色々な会話をするようになりました。
正直、会話と言うより、どちらかが一方的に話していると言った方が
正しいかもしれませんが、それなりに有意義な会話が繰り広げられます。


先日、車の中でT君に恋愛について話ました。


T君: ね、ママ、Tも大きくなったら結婚する?
ママ: そうね、T君にも好きな人ができて、一生大切にしたいと思ったら結婚するんじゃない?
T君: ふーん
ママ: 結婚はね、沢山恋愛してからする方がいいのよ
T君: 「恋愛」って何?
ママ: 人を好きになって、大事にしたい、一緒にいたいと思う事かな
T君: ふーん
ママ: 時にはね、T君が好きな人はT君の事、好きじゃなかったり、T君があまり好きじゃない人がT君を好きになったりするけど、いつかはT君が好きな人がT君の事も好きになったりするんだよ。
T君: ん
ママ:でもT君が好きな人がT君の事も好きでも、上手くいかなくて失恋してしまう時もある
T君: 「失恋」って何?
ママ: 失恋てね、好きだけど、もしくは好きだったけど、バイバイしないといけない事
ママ: T君からバイバイする時もあるし、相手の人からバイバイって言われる事もある
T君: また会える?
ママ: また会えるかもね
ママ: 失恋した時はね、胸がいたーーくなるけど、いつかは痛くなくなる
T君: バンドエードするから?
ママ: 指とかにするバンドエードじゃないけどね。
T君: じゃあ、どんなの?
ママ; ハートが作るバンドエードだよ
T君: じゃ、ピンク?
ママ: ピンクかもね。
ママ: ともかく、恋愛は多くするんだよ。人を大切に思う気持ちはとても大切だし、恋愛から人は学ぶ事が多いし、成長するからね。
T君: 分かったよぅ(もう、会話に飽きて来た感じ)

とこんな感じ。
T君は分かったんだか、分かって無いのか、分かりませんが、
母としては、将来T君が恋愛経験をつんで行く中、
きっと遠くから見守るしか無いのだろうなと思いながらドライブを続けたのでした。

 ママ、初めての仕事復帰?!

実は、T君が生まれてから初めて、お金をちゃんと頂戴するお仕事をしました。
仕事復帰?!とまでは行きませんが、子供が生まれてから最初のお仕事です。


この10日間、お昼間は普通に過ごし、子供達が寝てから翻訳のお仕事をしていました。
以前働いていた会社の同僚が、ありがたく、回してくれたお仕事です。
内容は日本語のパワーポイントの資料を英語にする事。
100枚程あったスライドを英語にしたのですが、平日は夜の数時間、
そして、週末はパパに子供達を見てもらいながら、少しまとまった時間、
仕事に向き合いました。


久々に仕事と言う緊張感を持ちながら過ごした10日間でした。
正直、寝不足が続き、少し辛かったけど、お仕事自体はとても楽しかったです。


私が最後にしていたお仕事は半導体の営業だったので、人と会う事が多く、
社内ミーティング、お客さまとの商談、アメリカの本社との打ち合わせと、
人と一緒にするお仕事だったのですが、翻訳は基本的には一人でするもの。
以前も、仕事上、翻訳の作業は幾度とやって来たので、作業自体は慣れている
ものの、一人でするお仕事は初めて。何だか新鮮でした。
それに、子育て中の私にとって、時間が自由になる仕事はとてもありがたいもの。


今回はとてもいい経験をさせてもらいました。
また、少し仕事を始めてみようかなと思ったりもしています。

 ママがいなくても寝られるようになりました!


添い寝で育てている私達の子供達。
少しずつですが、確実に成長しています。


T君もAちゃんも最初はママがいないと寝れませんでした。
T君はAちゃんが生まれる前に半ば無理やり、
ママ無しでパパと一緒に寝れるようにトレーニングしました。
初日は2時間泣き続け、終いにはパパを本気で噛んだとか。
それでも3日目にはパパと2人で寝られるようになりました。
T君、2歳8ヶ月の事。


Aちゃんも、もちろん、生まれてからずっとママと一緒に寝て来ました。
それが、昨日から続けて2日パパとお兄ちゃんと3人で寝られるようになりました!
何だか、Aちゃんの成長を感じます。


果たして、ママもパパも無しで兄妹2人で寝られるようになるのは何時の事か、、、

 夏が終わってしまう前に海に行く!!

ここ最近、朝晩と大分涼しくなって来たボストン。
秋の気配を感じます。

そ・そんな〜〜〜!!夏が終わってしまうなんて嫌だよーー!
と言う事で、突然ですが、今日、海に行って来ました。


実は、今年はまだ一度も海に行っていません。
ダンダンは以前から天気の良い日にお休みを取って海に行こうと
言ってくれていたので、さっそく昨日天気予報を確認し、今日突然海に行く事になりました。


今回は行った事の無い、Ipswich町(ボストン市内より車で北に一時間強)にある
Crane Beachに行って来ました。砂浜が綺麗な事で有名なCrane Beach。
話に聞いていたとおり、綺麗な砂浜が長く続く、典型的ニューイングランド地方のビーチでした。
でも、やっぱり大西洋の海の水は冷たい!!
今日はあまり水には入らず、砂浜で沢山遊びました。

砂浜の綺麗なCrane Beach

Aちゃん、海に感動

パパも子供達に負けずに掘ります


Crane Beachの情報は:
http://www.thetrustees.org/places-to-visit/northeast-ma/crane-beach-on-the-crane.html

 良き上司?今日は大漁!

ダンダンの上司は釣好き。
釣好きが効してボートまで買ってしまった程。
寒ーい冬の間は文句も言わずに出張に行くものの、夏の間の出張は
釣のできる日にちが減ってしまうと言う理由で拒むのだそうです。


その上司、今日はお休みを取って釣に行きました。
上司の代わりに何個もミーティングに主席する羽目になったダンダンは、
いつも以上に疲れて帰って来ました。


疲れた顔をしながら持って帰って来たのが上司が今日釣って来た大きな鱈と
きらきらと輝く鯖を4尾。わざわざ上司が釣の帰りに会社に寄って届けてくれたそうなのです。
良き上司?


大きな鱈は早速ダンダンに捌いてもらい味噌漬けにし、明日のお楽しみ♪
鯖は塩焼きにして今晩の食卓に上りました。


やはり鮮度のいい鯖は違います。とても美味しかったぁ〜
T君もAちゃんも沢山食べました。


海にも山にも恵まれたここニューイングランド
そしてそのニューイングランドの夏を満喫する手助けをしてくれる良き友や良き上司(!!)
7回目となる私達のボストンの夏はとても充実したものとなっています。(笑)


 大きな鱈と、きらきらと光る鯖

 鯖が新鮮だからきらきらしてます

 鱈は味噌漬けにして明日のお楽しみ。鯖は塩焼きにしました。美味しかった♪

小さな幸せ=大きな幸せ

左手にT君、右手にAちゃん。
今日、2人の手を持ってゆっくり道を歩きながら、小さな幸せを感じました。


別に特別な日でも、特別な事をしていた訳でも、
特別な話をしていた訳でもないけれど、このAちゃんの小さな手と
少しだけ大きなT君の手が幸せをもたらしてくれるのです。


親になるって、こうした何も無い日常の中に
小さな幸せがいっぱいできるって事なのかも。
忙しかったり、余裕が無かったりすると気づかない時もあるけれど、
なるべく多く、これからもこうした小さな幸せを拾って行きたいなと思うのです。
だって、こうした小さな幸せが、本当は大きな幸せだから。