ジョナサンと宇宙クジラ

ジョナサンと宇宙クジラ (ハヤカワ文庫SF)

ジョナサンと宇宙クジラ (ハヤカワ文庫SF)

こうしてまとめて読むと、今更だけど、ヤングは甘すぎるだよな。それも、ごく普通の甘さではなく、大甘。胸焼けがするほど、甘ったるい。
でも、その甘ったるい内容を、ストーリーテリングの技巧を凝らしてきっちりと仕上げてくれるのだから、ついつい最後まで読んでしまう。
確かに、ヤングは甘い。しかし、そんなことが些末事に思えるほど、巧い。
「九月は三十日あった」
旧式家庭教師ロボットとちょっと冴えない旦那さんのちょいホロ苦いな小品。ストーリー自体はややシニカルに流れ気味だけど、コマーシャリズム上等な「現代文化」と古典的な文芸知識を対比させて、後者を明らかに優性としてしまう価値観は、やはりナイーブだと思う。この世界では、何故か西部劇が流行っていて、テレビでシェイクスピアギリシア叙事詩の西部劇カリカチュアライズ版が放映されていたりする……とかいうディテールのが、本筋より面白かったり。
「魔法の窓」
ファンタジー小品。ごく短く、さらっと読める。
「ジョナサンと宇宙クジラ
表題作。
なかなかどうして、一筋縄ではいかない作品。宇宙クジラに飲み込まれた男が、その中に一つの「世界」を見つけて、そこでトントン拍子に出世するストーリーラインと、その男と宇宙クジラとの会話、そこから派生する脱出劇……など、この長さでかなり内容が詰まっているように感じる。閉鎖された少世界でも、聖書の編集版が倫理的な基盤になっているのは、やはり向こうの作品だよなぁ……。
「サンタ条項」
悪魔との取引物、の、ショートショート
でも、取引の内容が、「サンタクロースが実在する世界」であるところが、なんだかヤングらしい茶目っ気だと思った。
「ピネロピへの贈り物」
年金暮らしのおばあさんと、宇宙人の少年とのつかの間の邂逅。
イヤ本当、ただそれだけの話しだった。
「雪つぶて」
なんだか、よくわけがわからない。
「リトル・ドッグ・ゴーン」
すっげぇ、ベタな話し。
身を持ち崩してアル中になった役者が、いろいろいろあって、また第一線に復帰する、ってだけの、ただそれだけの話しなんだけど、出来事や登場人物が定型パターンから少しもはみ出さずに、いわば、ブレがない状態。
そうか。こういうベタな安心感もあるよぁ……と、変なところで関心しながら読んだ。
「空飛ぶフライパン」
妖精もつらいよ、という話し。
イヤ本当、ただそれだけの話し。
「ジャングルドクター」
これはちょっと、ヒロインのサリスちゃんの人物像が出来すぎなんじゃないかな? あるいは、リンゼイの造形が、過去と現在の姿がステレオタイプすぎて感情移入しづらかったのか。
イマイチ乗り切れないまま読み終えた。
「いかなる海の洞に」
本書に収められている中では、これが一番良かったように思う。なにより、終わりぎりぎりまで「これ、本当にハッピーエンドになるの?」と思わせる演出が、いい。ある意味で、わたしが勝手にイメージしていた「ヤングらしさ」から距離があり、そのことがかえって良かったのかも知れない。
ある恋人の出会いから別れの話しであり、三角関係の話しであり、恋人が日に日に巨大化していく話しでもある。

土の中の子供

土の中の子供 (新潮文庫)

土の中の子供 (新潮文庫)

中編「土の中の子供」と短編「蜘蛛の声」、収録。
前者は幼児期にシャレにならない暴力と虐待を受けてきた青年の、回想混じりのモノローグ。後者も主人公のモノローグで構成されていることは同じだが、その中に、たぶんに妄想が入り込んでいて、記述された内容のどこまでが本当のことなのか判然としない。
また、どちらも「暴力」について、それなりに比重を持って語られるが、ベクトルは少し違って、「土の中」は「過去に振るわれた暴力の影響をどう克服するのか?」という「対処」の方向性、「蜘蛛の声」は、そもそも、記述された内容のうち、どれが本当にあった出来事なのか判然としないわけだが、どちらかというと、心理的に追いつめられた主人公が暴力を振るう側だ。
どちらも、読んでいて楽しくなる内容ではないことは歴然としているわけだが、混沌とした内面の呟きや比較的、誇張がなされていない、詳細な暴力描写はやはり小説ならではなの味わい。
薄い本で、読み終わるのにさほど時間もかからないわけだが、密度の高い読書体験だった。