何を選択しているのか考えること
あるサービスとか制度とかは、それを作る人が作っているってのもあるけど、
それの利用者が作ってるってこともあるんだなー。やっぱりと思った。
それは、学校でワークショップの打ち合わせを行っている時なんだけど、
ワークショップの会場に子どもがどうやってくるのかを話し合っている時にものすごく感じた。
日曜日にワークショップの開催を行うんだけど、学校としては子どもに何かあったら問題になるから
送迎を親に頼むかどうか。という話になっていた。
「遊び」のデザインという側面もあるプログラムなのに、親が送迎できない子は参加できないとか
そんな不穏な怪しい雰囲気が一時流れて、うーん。って思ったけど、学校のリスクマネジメント的には
かなり正しいと思う。だって、段差でこけただけで怒ってくる親がいるという、コントみたいな現実が
あるらしい。
プログラムにとっても邪魔だし、先生にとっても足かせだし、犯罪白書のデータから見ても子どもが被害者
になる犯罪は減っているのに、こーゆうサービスを学校に求められているのは、声がでかい人が騒いでいるか
それを求める人間が多いからだと思う。要は利用者が作るってこと。
アルバイトをしている時に、『こっちは客なんだぞ!金払ってるんだぞ!』とだいたい1200円ぐらい
払って利用している客が怒鳴っていて、1200円での適正なサービスとか、その人が稼ぐ1200円の価値
を考えたりしてた事もあったけど、消費する、サービスを受ける、モノの価値ってのを考えないと、
高校生の時の自分が『バカな大人だ』と思っていた人間になりそうなので、気をつけよう。
学校の利用者は、自分の事じゃなくて、子どもの事を考えているからまだいいんだけど・・・。子どもにとって
は、めーわくだが。
でも、これから子どもはどうやって成長するのか。
これからの流行は、GPSで監視して、遊ぶ時は親に送迎で場所を把握されて、段差のない平坦な場所で過ごす
というのが、子どもの遊びのスタイルになるかもしれない。
ロイスローリーの『ギヴァー』の世界になるかもなー。