『公共』→ 『創造、異界』 ○ ↑ ↑ 『価値観』 

 この前、同年齢ぐらいの人たちの話を聞いていたんだけど、なるほどなー。と思うことがあって、

最近読んでいる、セルジュ・ラトゥーシュの『経済成長なき社会発展は可能か?』とか

この前行った、子どもの虐待防止学会とか、なんか考えている事が『公共』の話とリンクしてることがあって

『公共』というものを考えている。


 その同年齢の人たちは、最近毎週参加している、学校でのプログラムの主催者たちでアーティスト系の

人たちだった。

僕は、あんましアーティストと意見が合わないという、なんか知らないけど、そーゆう自信があった

んで、関心できる話をしている時に、自分の頭の固さと、人はよく話さないと分からないと思った。


 今回の話は、新しい公共を作り出すのは、ある意味人類の原点回帰みたいな。という何か壮大な話だった気

がする。あの時の話をすごーく乱暴に要約すると、

①ある事業を評価ベースや『事業』として捉えている時点で、従来の公共圏を作っているものになってしまう

②従来のものから脱却した公共圏を作成しようとするならば、予測不可能性を含むことが不可欠である

③予想不可能性なものは、現在の模倣じゃ成立しないから、そこに『創造性』『飛躍性』がスパイスとして必要

④『創造性』や『飛躍性』の方法として、宗教やアートという手法が有効

みたいな話だったと思った。たぶん。

宗教の異界性とか、理解不能なメディアによって、構築されている、なーんかあやふやな公共の場みたいなもの

があって。それが公共圏みたいな?  ん?なんか言ってて怪しくなってきた。

まあ、何が言いたいかというと、

それって、『価値観の転換の話じゃね?』

と思ったってこと。もしかしたら、軸がズレてるかもだけど。


そんなこんなで、経済を勉強しようと思いました。