奇跡には根拠が必要だが、それが真実である必要はない(前置き)

Kanon ~Standard Edition~

Kanon ~Standard Edition~


http://d.hatena.ne.jp/hachimasa/20090124/1232800260

さて、奇跡が起きる。ふしぎな出来事。
奇跡には根拠が必要だ。物語世界内のバックボーン。じつはこれこれこういう仕組みがあったので、奇跡(に見える現象)が起こったのです、という説明づけを読者は求める。(中略)


そこでなにを採用しようかってときに、手軽に聖性を付与しやすいアイテムとして樹木が選択肢となるんだろう。


ここでミソなのが、説明付けを求めてるのはあくまで“読者”の側だし、その際に“聖性を付与しやすいアイテム”として樹木を選んでるのもやっぱり“読者”の側でしかないということだ。もちろん選択肢は樹木以外にも無数にある。「奇跡とは雪に象徴されるものであるよ」 「いやいや天使の羽根こそ重要なファクターですよ」 なにを奇跡の根拠とするかは、それこそ各プレイヤーの自由である。何故こういったブレが起こるのか? そりゃあ、そもそも描き手側が奇跡の根拠など一切説明していないからなのだ。たぶん、意図的にね。


以前に『Kanon』のレビュー書いたときにも引用した涼元悠一氏へのインタビューから。

言ってみると『Kanon』って、世界観に穴が開いてるじゃないですか。どうやっても、どうしようもない穴が開いていると。 でも、その穴があまりにも美しい穴なんですよ。それで愕然としたんです。この穴は偶然に開いたものなのか、それとも人為的に開けたものなのか見分けがつかない。もし人為的に開けたのなら、この人たちは天才集団だと思ったわけです。


そもそも世界観を具体的に説明しちゃったら、どんな非現実的なことが起きようとそれは奇跡なんかじゃないわけ。あたかも治癒魔法がファンタジー世界だとごく一般的なわざに成り下がるように。『Kanon』世界において、実際にどのような仕組みによって「奇跡」(と思える現象)が起きてる(ように見える)のかは、オフィシャルで明かされることなど永久にないだろう。それは世界観と神秘的な調和を保った「美しい穴」を、わざわざ土砂で埋め立てる愚行なのだ。
続く。