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ヤサぐれ者の魔窟vs発掘亭日乗越

2008-12-20

ダンス】吾は何故に舞踊の事を書きしか

 仕事が修羅場なのと、「論争につきあう気はない」と書いているので、木村氏とのメールのやりとり http://d.hatena.ne.jp/nori54/20081212 に関してはあれっきりにするつもりだった。

 ちなみにオレが「出典を書かない場合」についての理由はそちらに書いているので、ぜひとも併せて読んでいただきたい。(この一文は平成20年12月27日(土)に追加しました)

 で、これに関して、桜井圭介氏のレスポンスがあった。

  http://d.hatena.ne.jp/sakurah/20081216

 ので簡単な返事を書いておこう。

 ※このブログは平成20年12月21日(日)、全体的に手を加えました

※2009年2月27日追加→関連記事「届く評論」http://d.hatena.ne.jp/nori54/20090216#p1

  • 違和感

 桜井氏が言っていることは基本的に木村氏と変わらないので、木村氏に宛てた返事を読み返してもらえばいい。

 ただ、桜井氏が自分を「第一容疑者かも」と疑心暗鬼にとらわれているらしいことがわかった。そこで犯人捜しにつきあう気はないが、ひとつ腑に落ちたことはある。

 木村氏からのメールで感じた、違和感のことだ。

 オレは返事の中で、こう書いている。

長く書いてきている中で、今回の記事の何が木村さんを駆り立てるきっかけになったのかはわかりませんが、

 そして木村氏が最後に付記したこの言葉。

「いうまでもないことですが、このメールは、誰かに扇動されてのものではありません。私の判断で、自分自身の目からもうしあげていることです。」

 これがいかに「異質」なものかは後で述べるが、今回同じ論旨を展開している両名「桜井圭介 木村覚」でググってみると、いろいろ興味深いものが出てくる。

 まず、木村氏に初めて雑誌執筆を紹介した恩人が桜井氏なのだった( http://cinra-magazine.net/article/17.html)。その後木村氏は桜井氏の文章を引用した評論で『美術手帖』の美術評論佳作をとり、桜井氏もそのことを自分のBBSで報告している( http://362.teacup.com/sakurai/bbs/28 )、その後も桜井氏とは雑誌の対談( http://www.t3.rim.or.jp/~sakurah/kodomonokuni04.html )や鼎談( http://assaito.blogzine.jp/assaito/2008/10/review_house_02_55d0.html )もこなし、いまは桜井氏が運営委員を務める団体の振付家支援プロジェクト「grow up! Danceプロジェクト」の選考委員( http://d.hatena.ne.jp/sakurah/20081113 )でもある。

 心温まる、いい話ですね。ひとかたならぬ信頼関係が見てとれます。

 桜井氏が木村氏を高く評価していることは明らかだし、木村氏の方も「桜井ウォッチャー」としての能力の高さには驚嘆すべきものがある。かつて小崎哲哉氏が書いたコラムに桜井氏が異議を唱えたことがあったようなのだが(7/27  http://d.hatena.ne.jp/sakurah/20080727 )、木村氏は桜井氏よりも早く小崎氏のコラムについて批判しているのだ(7/19  http://blog.goo.ne.jp/kmr-sato/e/8a2934e233059eb26a456256ac95723a )。しかも「子ども身体」は間違いで「コドモ身体」である、という論旨もピタリだ。木村氏は小崎氏のコラムを「たまたま」読んだのだと書いている。とはいえ「小崎哲哉 コドモ身体 子ども身体」でググっても、木村氏以外には出てこないところを見ると、あらためて「桜井ウォッチャー」としての能力の高さは、お見事という他はない。

  • で、今回。

 で、話を戻すと、オレは、木村氏に対して、

長く書いてきている中で、今回の記事の何が木村さんを駆り立てるきっかけになったのかはわかりませんが、

 と書いた。今回の記事は、たまたま桜井氏が自分を「第一容疑者」だと強く意識させた号だったそうだが、まあそれは偶然だろう。

 オレは返事を書いているときには桜井氏が自分を「第一容疑者」だと思っていることも知らなかったし、なによりも木村氏をプロの批評家として遇すればこそ、誠意を持って対応したものを書いた。それはオレの公開メールを読んでいただければわかるはずだ。

 ただ、だからこそ、木村氏がわざわざ最後に付け加えた言葉は、不自然なものに映った。

 「いうまでもないことですが、このメールは、誰かに扇動されてのものではありません。私の判断で、自分自身の目からもうしあげていることです。」

 あまりに不自然なので、オレもこれには、

ずいぶん変わった心配をされるものですね。そんな失礼なことを思うわけないじゃないですか(笑)。そちらには何か「そう思われるかも知れない」と考える事情があるのかも知れませんが、ご心配には及びませんよ。

と答えているほどだ。この人はなんでこんなことを言うのだろう? という疑念がずっとあった。オレもそうだが、「自分で考えて自分の責任でものを言うことが当たり前だ」と思っている人だったら、こんな心配自体が浮かんでこないのではないか。

 ましてや木村氏の論旨はじつに明快だった。「自分は論争がダンス界を良くすると信じているので、乗越にも論争になりやすい形で書いてほしい」というものだ。この論旨だけが動機で書いているのなら、「誰かに言われて書いていると思われる心配」などするわけがないではないか。

 実際オレもその通りに受け取ったからこそ、「変だな」とは思いつつも「論争につきあうつもりはないが応援している」と返事をし、自らを論争の種火として提供するために、アップするように木村氏に言ったのである。

 むろんオレは、木村氏が誰かに「煽動」されたなどと考えているわけではない。さすがにそれはないだろう。しかし木村氏は、わざわざこうした一文を書き加えてしまったがため、少なくとも彼の中では「誰かの何かを代弁したいがためのものだと思われるかも知れない(なぜなら実はそうだから)」という内的要因があったことを、逆に吐露してしまっているのである。子供がウソをつくとき、聞かれてもいないのに「ホントだよ、ウソ言ってないもん!」と自分から言ってしまうアレだね。

 それが「誰のためだったのか」は、知る由も、興味もないけれども。

 実際オレが「あなたが志向する論争のためにも、約束通りこのメールをアップして、論争のタネにオレを使ったらいいよ」と言ったのに最初は断られたことも合点がいく。

 オレは都合の悪いことを隠そうというのではなく、逆にオレへの批判を載せるよう勧めているのに、なんで断られるのだろうとずっと不思議だったのだ。本当の目的は別にあったんだね。

 木村氏は、ちょっと脇が甘いというか、自ら語るに落ちる、可愛らしいところがあるのだ。たとえば公開メール( http://blog.goo.ne.jp/kmr-sato/e/67ca3bc07c1b63877210f43bcdc65c36 )の前文に、いつの間にかこのような一文が付け加えられている。

乗越さんとのやりとりのなかで(どうしてもアップするようにという命令めいた指示があり)

 め、命令てキミ(笑)。

 これってオレへの当てつけで書いているんだろうけどさ、不満なら断固として拒絶すればいいことだし、アップした以上は自分の文章に責任を持たなきゃダメでしょう。なにフテ腐れてんのよ(笑)。これでは「私は命令されれば言うことを聞いちゃう人間です」と告白していることになっちゃうけど、大丈夫なのか(笑)。すがすがしいばかりのブッチャケぶりである。……なんか、木村氏のことを愛しつつあるな、オレ(笑)(もちろんオレは「命令」などしたことはなく、彼の宣言通りにしてほしい、と筋を通してもらっただけだけどね)。

  • 誰が?

 桜井氏が「乗越はオレのことを書いているんじゃないか、オレは第一容疑者ではないか」と言っている根拠をよくよくみてみると、「そのときそこに自分もいたから」とか「乗越に批判されたダンサーを自分は以前から評価していたから」ということでしかない。……まあ何ぴとたりとも夢見る権利だけは奪われやしないからね。そこはフリーダムでいいけれども、でもそのうちテレビや新聞の「関係者筋によると」とか「Aさんによりますと」みたいなものまでが自分のことを話しているように感じられたら、しかるべき専門家の処方を受けた方がいいと思うよ。

 それよりも不思議なのは、桜井氏の口ぶりだと、いまやもうオレの連載を読んだダンス関係者の脳内では犯人捜しが渦巻いており、疑心暗鬼にさせまくっているはずなのだ。自分で言うのもなんだけど、あの連載はダンス関係者の注目率はけっこうあるので。

 まあオレの連載の中に大学関係者が「あれはオレのこと?」と直接聞いてきた話は出てくるが、それはその人と以前に個人的に色々あり、また大学関係者に限るよう誤解させるオレの書き方が悪かったと反省してあのように書いたのである。

 だが桜井氏の言うように、「そこにいたから」「オレは前から応援していたから」という理由で疑心暗鬼になるような人が、はたして一般的なのか。

 しかしね、オレと木村氏のメールがアップされてからもう1週間以上も経つんですわ。桜井氏の言っていることが本当なら、彼らへの賛同の嵐が巻き起こりそうなものだが、平成20年12月20日(土)現在で、同様の批判をしているのは、木村・桜井の仲良し二人組だけのようですよ(「乗越たかお 木村覚」で検索した結果)。

 しかもこの桜井木村の仲良し二人組は、今回も論旨がピタリと一緒。もちろん偶然なんでしょうけどね、オレのような一匹狼の目からすると、まさに奇跡を目の当たりにしているような見事さですよ。

 ちなみにこの一週間、オレのブログへのアクセス数は、多いときには通常より100アクセス以上増えている日もあった。延べとはいえ、それなりの人は見ているのに、桜井木村の仲良し二人組だけとは不思議なことだ。

 考えられるのは二つ。木村・桜井両氏以外のダンス関係者はよほどの腰抜けぞろいな場合。もうひとつは、オレの書いているものをそんな風に受け取っているのが仲良し二人組ぐらいのものなのではないか、ということだ。ちなみにオレは、日本のダンス関係者をフヌケなどと思ったことは一度もないけどね。

 もしもなんだったら、桜井氏は自分の主張に従って、「誰と誰はオレと同じように頭の中で犯人捜しをしているぞ」と実名で「原典明記」してくれたらいいよ。彼にとって、それは責任転嫁ではないみたいだし。ああ、でも文書になってないと認めないのか。てことは、桜井氏が自分で書いた、

>そこでなにがしか批判的なことを言う場合、名前を明示するしないに関わらず、公(ネットも含む)になされた発言や原稿を対象とするべきではないか。そうでなければ、第三者(読者)が裏を取ること、即ち事実関係を確かめる手だてが一切ないことになり、議論の前提が成立しない(「もしそういう発言が仮にあったとしたらそれは許し難いことである」云々という、あくまでも仮定・架空の問題にしか成り得ない)のだから。

てこと自体が、自分でできてないってことだね。そういうのを自己矛盾と言うんだよ。


  • 連載はなぜ続く?

 オレは、桜井氏が書いていることで、ひとつだけ同意できるところがある。

 「裏情報」や「内幕暴露」を書き連ねたものを読まされても、「ごく普通の読者はゲンナリするしかない」という点だ。まさにその通りで、特に一般誌においては、読者アンケートなどで評価はダイレクトに跳ね返ってくるため、そのようなものは即打ち切りにされてしまう。編集部も商売だからね、そこはシビアなのである。

 しかるに。

 オレのDDDでの連載は3年を超える。そして全く同じスタイルで書いているシアターガイドの連載は6年目に突入する。途中でリニューアルはしたが、個人の連載ページとしては、同誌の最長連載のひとつなのである。まさに桜井氏の言うとおり、「裏情報」や「内幕暴露」などという卑近な内容などではないことの証明である。

 

 実際トヨタを書くにしても、オレは悪口を書いているのではなく、日本中で行われているコンペティションの、同じような状況でも通じるよう、本質を抽出して書いている。それが、日本中の読者に「届いているな」ということは、様々な形の反響で実感していることなのだ。口はばったいようだが、「よくぞ言ってくれた!」「漠然と思っていたことが明確になりました」「(勇気がありますね)」という声が、編集部への手紙やオレが公開しているメールアドレスなどへ多く寄せられているのである。

 それも首都圏だけではない。東北から九州まで、なかには海外の大学ダンスの論文を書いているという学生さんから来たこともある(留学前から読んでいて、留学後も送ってもらっているのだそうだ)。

 ダンス関係者の注目率も高いほうだが、それも大都市はもちろん、幅広い地域のダンサーや制作者からの同意と感謝の声が寄せられている。

 そして一般の「ファン」からも同様である。地方の一般ファンを甘く見てはいけない。公演数が少ない分、情報には実にどん欲でシビアなのだ。今年オレが九州や広島で講演をしたときも、アンケートに「乗越さんの連載を読んでいるので興味を持って参加した」という人が何人もいて驚かされた。

  • 視座の置き所

 桜井氏にしても疑心暗鬼になっているとか、みんなもそう思っているみたいなことではなくて、「(ちなみに、私見では山賀ざくろは歴然と「技術」もあるし、(踊らないことによる)「ダンスへの批評」というより普通にダンスなだけになおのこと不可解なのだ。)」ということをこそ、もっと早くに書くべきだったのではないだろうか。オレが山賀ざくろについて「こんなものがファイナリストに残る賞の意味がだんだんわからなくなってきた。」とブログとシアターガイドの連載に書いたのは2006年のことだ。木村氏が志向している「論争」ってのはそういうことなんじゃないのか? そしてオレが返事に書いた「 自分の主張をキッチリ書く層の薄さこそが『まともな論争』が起きない原因ではないでしょうか? 」と書いたこともそこに連なる。

 実際、オレの連載には結構な数のレビューが載っている。桜井木村の仲良し二人組みにしてもこちらに絡む方がよほどダンス界のためになる論争」へ発展しそうなものだが、そこはスルー。彼らが気になるのは「自分の悪口を言っているんじゃないか」というときだけのようだ。彼らの言う「ダンス界のため」というものがその実どんなものなのか、底が割れるというものだろう。(この一文のみ平成20年12月26日に追加)

 「評論を書く場がない」ということは、日本の評論を語るときには必ず言われることだけど、それ以前に「本当に書いてるのか?」という疑問がある。「書く場がない」というのは往々にして「注文がこない」という意味だったりする。売り込めよ! 赤川次郎先生かオマエは! と突っ込みたくなることもしばしばだ(その意味で木村氏は、若手の中ではいろいろアクティブに活動しているほうだと思う)。

 オレも自分の本のみならず、オレが良いと思う何人かの舞踊評論家をいくつかの出版社に紹介し、出版に向けて動いたりしている。大型書店の片隅にしかないダンスの棚を(しかも8割がバレエで2割が舞踏(笑))、もっと大きくしたいからだ。各地の書店員に「コンテンポラリー・ダンスっていうのがあるんだ」と知らせたい、そして日本中の一般の読者が、様々な視点で評されたダンスに興味を持ち、それがダンス公演の招聘と観客を創ることに役立つと信じているからだ。

 

 というのも、オレはまた、複数の地方の自治体や劇場やフェスティバルから相談を受けていることに関係している。そのいくつかは深く関わるかもしれない。そんなミーティングを重ねる中で、彼らがオレの連載をコピーして、「徹底ガイド」とともに、自分の部署や上司に回して読ませているんです、ということもよく聞かされる(本当は買ってくれるとうれしいのだが、まあしょうがない(笑))。

 彼らはいまでも、スタッフや上司に「そもそもコンテンポラリー・ダンスってどんなのものなのか」を知ってもらうところから始めなくてはならないのだ。しかしそんな気の遠くなるような下地作りも、彼らは地元のダンスを活性化するため、そしてイベントを実現化するため、献身的にやってくれている。その彼らに、オレの書いているものは確実に届いている、という自信を持っている。

 桜井氏は「関係者数名は永久に『灰色』に止め置かれる」なんて大層に書いているが、ダンサーなんていつもそれを強いられている存在だ。「今の日本のダンスはここが問題だ」などと言われるたびに「あの評論家はオレの公演にも来てたよな…… オレのことも入っているのかな……」と思ってもおかしくない。だがほとんどのダンサーが「オレは灰色に止め置かれた!」なんてことをいちいち言わないのは、そんなことでグジグジしているより、自分の作品を作ることのほうが大切だと知っているからである。ダンサーの方が、よっぽどオトナだ。

 だいたい桜井氏のいうような、「何年も昔のコンペティションの関係者の名前をネットで調べて犯人捜しする」なんていう粘着質な興味を持つ「一般の読者」なんてものが、どれだけいるのだろう。てか、いたらキモいだろ、そんな一般読者(笑)。それはいったい何のマニアなの? 桜井氏の周りはそんな人ばっかりなの? それとも周りはマトモだけど、桜井氏自身がそういう人なの?

 だったら、もうどんどんオレを嫌ってくれていいや。いやむしろ、積極的に嫌っていただきたい。それで「乗越の野郎、またオレのことを書いていやがる。その場にオレ、いたしね」とか「疑心暗鬼にさせられた。みんなそう言ってる」とか陰口をたたいていればよろしいんじゃないでしょうか。私、いっこうにかまいませんし。

 同じ球技とはいえ野球とテニスが全然違うように、同じダンスを扱いながらもオレと彼らとは、構えている視座が全然違うのだから。

 もうひとつ。

 オレは「東京など相手にしないで、各地から直接アジアや世界へつながっていくべき」だと提言しており、その実現のためには助力を惜しまないつもりだ。そして実際に、目指すべき目標を得た現場の人々が、とても生き生きとして様々なアイデアを出してくれているのを見ると、本当にうれしくなる。日本のダンスが本当に始まるのは、まだまだこれからだと、大きな期待をもっているのだ。そしてオレも彼らから大きなエネルギーを与えられている。

 繰り返すが、オレはそのために書いているのだ。

 そして、書き続けるつもりだ。