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ヤサぐれ者の魔窟vs発掘亭日乗越

2017-11-22 イスラエルとパレスチナ 日本の文化人は何を『見てこなかった』のか

F/T閉幕。今回は国内外の取材が重なって、あまり行けず。なかでも『パレスチナ、イヤーゼロ』を見られなかったのはとても残念だ。「長年イスラエルは一丸となって酷いことをしていると思っていたが、そうではない人々もいることを知った」という「文化人」のいまさらの声も聞くにつけ。

もちろんパレスチナのために戦っているイスラエル人がいることを継続的に伝えている人や本は、これまでの日本にいくらでもあった。「人を傷つけるのはイヤだ」と徴兵を拒否するイスラエル人の若者やデモ、支援する団体なども。が、報じられても、長らく日本の文化人の中でその存在は、像を結んでこなかった。

理由は明白で、パレスチナ人が長年強いられている劣悪で悲惨な状況に対する正義感に基づく怒りだ。「あんな国の人間がやることは全て否定するべき。イスラエルに関してプラスのイメージを語るのはプロパガンダと同義だ」という人に「そうでないイスラエル人」の情報は入っても像を結ばなかったのだ。

オレもあらゆる暴力的な行為を否定するので、感情的には理解できる。しかし彼らが本当にパレスチナ問題を考えるなら、パレスチナ人の為に戦うイスラエル人とコネクトすることが重要なことは言うまでもない。しかし「一丸」「一枚岩」という言葉が象徴するように、日本の文化人は「国」というレッテルでしか見てこなかった。

常々言っているが、それは最も芸術から遠く、戦争に近い行為だ。人は「個人」を殺すことはためらう。そこで戦争を起こす者は、まず「敵国」というレッテルを貼ることから始めるからだ。ヘイトスピーチと同じ構造だ。正義感に酔って叩きやすい者を叩く。

しかし芸術は個人をつなぐ故に、人を「敵」から「個人」へと戻してくれる。

だが昨今、やっと日本の文化人の目に「パレスチナ人に対して酷いことをしたくないイスラエル人」の存在が「像を結ぶ」ようになったことを実感する。

皮肉なことに、それはここ数年の安倍政権の存在によるところが大きいと思っている。

イスラエルを「一枚岩」だという根拠は「国民がその政府を選び続けているから」だろう。

しかし安倍政権が右傾化・戦争に向けて無茶苦茶な事をして、反対するデモがどれほど盛り上がっても、選挙になると毎回自民党が勝ってしまう。その経験をすることで、日本の文化人もやっと「様々な意見の人々の存在」が像を結べるようになったのだ。

本当は「イラク戦争を起こすために大量破壊兵器があると嘘をついたことがばれて猛攻撃を受けて反対運動が盛り上がっても、選挙をすれば大統領にブッシュが再選されてしまった2004年」に気づいてくれても良かったと思うが。

やはり人は経験しないと実感が持てない。しょうがないことだ。自分がそういう目で見てきたことより、日本が(つまり自分が)そういう目で海外から見られることを心配している姿は笑えるが。

ダンスでも過去にFTでヤスミン・ゴデールの『ストロベリークリームと火薬』をやってたし、日本でもおなじみアルカディ・ザイディス『アーカイブ』は「パレスチナ人の日常生活を撮影できるようにカメラを提供するイスラエルの団体」の映像を使い、イスラエル人同士で衝突する姿も描かれている。

そしてこういう政府批判の作品も、イスラエルの国家的なフェスで、世界中のフェスティバルディレクターに向けて、普通に上演されているのだが。

日本でもこの20年の間にはバットシェバ舞踊団の公演にすら「あんな国の公演をするなんて」と反対する声はあった。オレは「この公演を見てプロパガンダの内容だと思うのなら、オレに文句を言ってくれていい。しかしアーティストが作品を発表する機会自体を奪わないでくれ」と言い続けてきた。

バットシェバは直接的な批判をするわけではない(そう読み取ることは不可能ではない作りにはなっている)。

勘違いする人はいるだろうけど、オレが言いたいのはイスラエルの擁護ではなく、「アーティストの所属している国ではなく、その作品を見てくれ。機会を奪わないでくれ」ということだよ。

「政治と芸術を分けることはできない」という人もいる。助成金の問題もある。実際世界を動かしたアートは色々あるし、平和的に戦う唯一の手段として芸術を選ぶ人もいる。ときに生命をかけて戦う姿は、本当に感動的だ。

そういうアート以外認めない、という人も否定はしない。しかしオレは少し違う。

ひとつにはアーティスト表現世界は巨大で、目の前の過酷な問題すらも超え、時代を超えて人間の真実を描くものだと思うからだ。

「政府に問題がある国のアーティストは、政府を明確に批判した作品しか発表を許されるべきではない」というのは偏った話だろう。

そしてアートは「何かのため」と言い出すと、それがどんなに「正しい動機」に見えても、とたんに胡散臭くなるものだからである。

アーティストの純粋な正義感が、いかに容易に戦争に取りこまれる危険があるか、第二次大戦の文化人を見れば枚挙にいとまがない。

冒頭に言った日本の文化人の正義感と怒りの行動が、かえって戦争やヘイトに近づいてしまったのも同じ轍だ。

良いダンスを見て、誰かを傷つけたくなる人はいないだろう。

「敵国」というレッテルの下には、誰かを愛し慈しむ人々がいて、自分の中にも人を愛する気持ちがあることを思い出させることこそ、アートの真髄だとオレは信じているのだ。