自分の目で見たものしか信じない

よく言う人が居ますよね。
「自分の目で見たものしか信じない。」

結論から言えば、こう言う人は逆に騙され易い人です。
自分の目で見れば盲目に信じてしまうからです。
極端に言えば、手品じゃないという前提で見てもらう事ができれば、手品だとばれずに騙す事ができます。

本気で見た物しか信じないと言う人は、「錯覚」の要素を考慮できない人です。
本当に目で見た物なのか?そんなことは本人は簡単にはわかりません。

錯覚の代表例が「幽霊」です。
文明の発達した今でも、古代人のように「幽霊」の存在を信じる人は多く居ます。幽霊の正体が科学的にも明確に解明されているにもかかわらずです。

大人になっても「幽霊」が見える人は、一種の障害者でもあります。
言い換えると「病気」です。変な意味ではなく、医学的にです。
脳が成熟していない子供は、脳の仕組み上「幽霊」が見えてあたりまえです。目からの信号に想像の信号が混ざっておきる現象です。
しかし、脳が完成するはずの大人で見えるのは、脳が未発達のままとまってしまった可能性があります。もしくは脳の他の病気が原因かもしれません。

そもそも目で見えるとは何か。
物を見る(識別する)機能は、産まれた時はありません。
赤ちゃんの時に様々な経験を通して、見える状態、すなわち認識/識別が可能となっていきます。
よく「いないいないばー」とかやりますよね。
あれは、実は赤ちゃんの認識能力の訓練にもなっています。

では、赤ちゃんじゃ無い場合はどうなるか。
たとえば、生まれつき目が見えない人が、大人になって医学が進歩して目が見えるようになったとします。よくある話です。
しかし現実はどうでしょう?
目が見えることにより、本人は地獄を見ることになります。
正確に言うと、見えてるけど何も見えていないのです。
天井はどれ?壁はどれ?どれが私の手?人間はどこ?
目の前に人間がいても、ただの背景としか認識できません。
頭の中はパニックになるでしょう。
そして多くの人は、やがて見ることに疲れ、何も見なくなります。
まさに赤ちゃんの時代からやりなおしになるのです。知性が身についてしまった大人には、普通は耐えられません。
まともに認識できるまで、何年もの歳月がかかります。

上記を踏まえて、幽霊の話に戻ります。
幽霊写真というものがありますよね。女性の顔がうつってるとか。
その原理が上で説明した物です。
何か目で見たとき、人は過去の経験に基づき、識別しようとします。
少しでも人の顔に近い部分があれば、それは人の顔として脳が認識し、でも人じゃないことが明らかなので、幽霊となるわけです。
幽霊大ブームの時代は、なんでもかんでも幽霊写真になりましたっけね。まるでパズルゲームです。

挙句の果ては、夢と現実がごっちゃになるってこともあります。
もう何が見た物か、脳が作った物か、本人にすら難しい判断です。

ではここで、一気に壮大な宇宙へと目を移してみます。
空に輝く無数の星。目に見えますね。でもそれは真実ですか?
ある空に2つの星が見えます。その2つの星は存在していますか?
空に見える星がそこに存在していると思いますか?
ぱっと見ただけでは、誰にもわかりません。
光も重力の影響を受けます。重力で進行方向がかわり、迂回して届いたり、2つに分かれたりします。
すなわち、星の実際の位置は見ただけではわかりません。2つ見える星が実は1つだったりします。


最後に
目はただの可視光線の受信機です。映像は脳が作っています。
この時点では、見えてるとは言えません。
そして過去の経験というデータベースを使って物を認識します。
認識して初めて見えたと言えます。
データベースに不足があれば、正常な認識ができません。すなわち見えません。
外人の顔が識別しにくいのはそのためです。「○○人」というひとくくりで認識しまい、個々の違いが見えないのです。
目は真実を見せてはくれません。それは幻想です。
見た物を信じる前に、真実を見極める知能を養ってください。