ただのお話の話


いつからだろうか。私は「ただのお話」が苦手になりました。
小説だけでなく、マンガやゲームもそう。
ただ風景が、情景が描かれる、それだけの「ただのお話」が読めない。


興味がないのです。
今、目の前に何があって何が起きているのかを。
そういう現実を。はたまた仮想空間を。


「興味があるのは○○」だなんて言葉にしてしまったら、
ちっぽけなものになってしまいそうだし、
それを取り繕うために新しい言葉を並べるのもイヤなので
断定表現できなくて申し訳ないけれど、
思うのは、自分の世界をもっと大切にしたいということ。
流されちゃいけない。今の世の中はハイスピードで流れる。
インプットばかりが増える。じゃあアウトプットは?
意識的に自分の世界をもっともっと構築していかないと、
埋もれてしまう。
そんな危機感が、自分の中にあるのかもしれない。


ある人が11月のある日、私に言った一言。
「○○さんは、迷っているんだと思う」
この人は本当にすごい人だなと思った。
私に直接言ったのではなく、
もう1人の男の子を諭す中で出てきた言葉だったけれど、
そういうことなんです! と、
つい体に触れてしまったくらい。


あ、別にくよくよ何かに悩んでいるわけじゃないです。
むしろ、くよくよする性格じゃない方なので。
悩んでいると表現してくれたのは、
自分の中の世界構築がまだできていないことへの感情そのもの。
具体的に聞いてなんかいないけど、
そういうことを言ってくれたんだと思う。


で、本が読めないのって、
そういうことなのかな?と最近ふと思いました。


私はもっと自分のことを突き詰めていかないといけない。
そんな焦りがどこかにあります。


だから、「何かがこうでした」「こうなりました」なんてただのお話に興味がわかない。
一方で、「自分はこういう人間なんです」なんて話には
かんたんに意識を持ってかれちゃう。
ほかにも、自分の想像をはるかに超える発想をもったエピソードなんかに
やはりすごい惹かれてしまう。
だからいつも、耳にしたエピソードについて
「自分だったら…」ということを妄想してしまうんだろうなー。


そう考えると、あれですね、「君に届け」で
爽子がクラスに溶け込み始めた辺りからつまらなく感じ始めたのも、
そこに理由があるのかしら(今ふと思っただけ)。
だって、クラスに溶け込んじゃったら
あとはもう普通の女子高生でしょ、あの子w


そんなことはどうでもいいか…。


自分の世界構築が終わることなんてないのかもしれない。
そう考えると、
「自分の世界の構築がまだ終わってないよ!」だなんて
そんな焦りを、私は捨てる必要があるのかもしれない。


あるいは、こうかもしれない。
そういったことに関心を持ち続けるということ、
意識的に自分の内側にある感情について関心を寄せるということ
それ自体に意味があって、
「まだ終わってないじゃん」というのはただ貪欲なだけなのかも。


もちろん、「他の世界を知る」という方法の中には、
仮想世界に触れるということも含まれるのかもしれないけど、
今はそんな余裕なんてないんだよ、と興味を持てないのだから仕方ない。


アニメやゲーム、マンガ、小説などで、
いろんな世界に出会えるのが昔はただ楽しかった。
今はいろんな世界に出張する気があまりない。
興味がない。内っ側へ、内っ側へ。


世の中にはいろんな人がいる。ビックリする。本当に。
そんなふうに思うんだって。思えるんだって。
おもしろいよね、人間ってって。思う。


だから最近、悩み相談を受けても
全然悩みに聞こえないんだよなー。
困った。
「そんな人もいるんだね」って消化しちゃって、
「なんでそうしちゃったんだろう、自分なら…」って
どんどん「自分の世界」の構築を始めてしまう。


本当は一緒に悲しんであげたり、怒ってあげたり、
できるアドバイスをしてあげようだとか、
いろんな感情を相手にぶつけてもいいはずなのに、
以前ならそうやってしていたのに、
どうしたんだろうね、まったく。


LLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLL


つくづく変な人間だなあと思う、私。宇宙人かもね。