義務と責任の対価

義務と責任の対価は、



自由である。



無条件の自由というものは存在し得ない。



個人や組織、国家に課せられた義務や責任を全うするからこそ、自分で考え、行動する自由が与えられる。勝ち取れる。



「日本人の幼児化」は「自己責任の溶解」の結果だという仮説を述べたが、それは「自由の放棄」から来るものなのかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130315



義務や責任がないから自由がなく、自分の頭で考えることがなくなったのではなく、エスカレーター化、サラリーマン化している社会が自由を必要とせず、自由が放棄された社会になる過程で少しずつ義務や責任も求められなくなっていったということではないか。



端的に言えば、自由を放棄したことが全ての原因だということ。



自由を求めるエネルギーを失った人間に進歩はない。



進歩のない人間に未来はない。



幼児に過ぎない日本が再び成長するためにはエスカレーター化、サラリーマン化した社会を壊すことから始めるしかないのかもしれない。



であるならば、



既にその作業は始まっている。



20年も前から。



「失われた20年」は「創造的破壊」の長過ぎるプロセスだと考えたい。