安全という神話

安全神話なるものがある。



いや、あったというべきか。



その安全神話の対象は、「新幹線」であり、「原子力発電所」であり、「日本という国」だった。



残念ながらそれら全ての安全神話は脆くも崩れ去り、一から出直さなければならない状況になってしまった。



その原因は巨大地震・・・と言いたいところだけれど、人災と呼ぶべきなのは誰もが知っている。東日本大震災以来「想定外」という表現が流行り言葉のように使われるようになった。本来安全という絶対に守られなければならないものが「当たり前」になり、誰も気にしなくなり、その結果価値が薄れてしまっていた。



そこに厳然と存在していたはずのものが時の流れの中で風化し、伝聞でしか伝わらなくなったことで文字通り「神話」になっていた。誰かが語り継ぎはしても、誰も実際に確認できないようになっていた。



安全が神話になった時点で確実さが担保されず、崩壊への道を歩み始めていたのではないだろうか。



再び一から出直す我々が胸に刻まなければならないのは同じ過ちを繰り返してはいけないということ。



そのためにも安全を二度と「神話」にしてはいけない。