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シリコンバレーは今日も晴れ

12-04-2008

ケータイの小中学校への持ち込みを禁止すべきか、を考えてふと気づいたこと

表題がニュースになっているが、禁止すべきだと思う。ケータイすなわちネットへのアクセス、というところがポイントで、ネットを介して人とつながることは簡単に言えば「大人になってから」に規制したほうがいいと最近思っているため。意思伝達やメッセージが文字という「記号」でやり取りされるネットの世界では、その「記号」に込められた「意味」がダイレクトにぶつけられあう。リアルなコミュニケーションで使われる身振りや手振り、表情、視線、声の調子、話すスピード、相槌、間、などが全て使えない。これらの手段はネットという便利な道具になれてしまうと面倒くさいものに感じられてくるかも知れないが、人の人格形成には欠かせない要素だと思う。他人と接してつながることこそが人間にとって一番大事なことだから。


そういった様々な方法で他人といかにコミュニケーションをしていくかを身に着けるべき若い時に、そういう一見面倒くさいことから自然に遠ざかり、記号化された文字だけのコミュニケーションに傾いていくのは危険だと思う。感情表現の種類なんて、絵文字の数と同じにしかならないんじゃないか。


メール送信、掲示板書き込みなど、ネットの多くが「一方通行のコミュニケーションが多数蓄積されたもの」という側面も危険だ。目を見ながら話をする、無言で肩をたたく、時には声を張り上げる、真剣に相手を思いやる態度で叱る、など、人間のコミュニケーションはインタラクティブで複雑だ。こういう複雑なコミュニケーションは若いうちにぶつかりあって、傷つけあったり励ましあったりしながら身に着けないと。最初から「妙に最適化された」ネットに慣れるのはまずい。


・・・とまあこの辺は普通の議論だと思うのだけど、ふと思い出した。実は昔着メロを作って売っていた頃は、「アメリカの学校でケータイ持ち込みがOKになるところが増えた」などのニュースを見ると「おお、これで若者のケータイユーザがまた増える」などと何も考えずに喜んでいたものだ。当時はどうやって事業を軌道に乗せるかしか考えていなかったから、それが社会的に大きな視点で見て「善い」ことかどうかはあまり考えていなかったというのもあるかも。立場が違うと考え方が違ってしまうのだな、と実感。(え?これが本題?ええ、そうなんです)

もこもこもこもこ 2008/12/05 04:29 アメリカの小学生で携帯を持たされている子なんてほんのほんの一握りです。12歳までは親が迎えに行くからです。でも、日本では高学年で当たり前ですよね。ネットにつながらない電話だったらさほど害にはならないような気もします。

あらいしゅんいちあらいしゅんいち 2008/12/05 08:56 こんにちは、岡田さん。新井です。
今回のお話には、以下の点で賛成できません。

まず形式的なことをいうと、子供がネットにつながるかどうかと、携帯の学内持込には直接の関連性がなく、また子供にネットにつながせるかどうかは親の自由な選択肢であるべきであり、規制にはそもそもそぐいません。

また人がどのように人格形成をするかなども、各人や家庭の自由であり規制にそぐうものではありません。

が、まあ、そういう形式的なことを言ってもしかたないですね。

本論ですが、私は小学校に入学するころからネットを開始して、高学年くらいにはネットにどっぷりつかるようになっていました。中学校は入学したものの、ほどなく学校へ行かなくなり、そのあとは100%の人間関係やコミュニケーションがネットを通じた人間関係となりました。

そのままネットを通じて学習を続け、ネットを通じて知り合った方の会社に就職しました。ま、すぐやめちゃいましたけど。

未だに社会性には欠け、会社員などは勤まりませんが、ありがたいことに自分で稼いでかろうじて生活できるようになっております。

私の人格形成にネットによる悪影響があったのか、それは自分ではわかりません。岡田さんは、いかが思われますか?

もちろん、この話を、「子供にネットを与えたら学校に行かなくなるから与えないほうがいいね」と受け取るのも良いかとは思います。

しかし僕はどっちにしろ学校には適応できなかったでしょう。ネットをはじめる前の幼稚園から通うのが著しく苦痛でしたから。

私には、生きる道や教育や仕事や友人など人生の全てを与えてくれたのがネットです。もしネットがなければ、私はただ一人、孤独で、人と会うこともなく、ひきこもりになり、自殺していたでしょう。

誰かにとって善いことが、誰にでも善いとは限りません。規制を導入したり、人の生き方のありかたを定義することは、それにそぐわない人に苦痛を与えることだと思います。

日本では学校教育は厳しい規制の中にあり、家庭での教育や自学や独自の学校などが認められていませんが、これも変わるべきであると僕は考えています。人間の人生にかかわる重要な行為は自由な選択肢にゆだねられるべきであり、強制されるものではないと考えるからです。

昔のネットと今のネットではあり方が大きく違いますから、子供がつなぐときには注意が必要かもしれませんが、そこは様々な工夫で乗り越えられることでしょう。

tom たかしtom たかし 2008/12/05 11:35 安全のために携帯を所持するのは問題ないと思うのですが、日本では「メールの返事を数分以内にしないと仲間はずれにされる」などの、間違った人間関係の構築の仕方が何とかならないかと思います。

>立場が変われば見方も変わる
気付くだけでも意味はあると思います。

話は変わりますが、地元の高校生がiPhoneで通話してるのを見ると、正直、ねたんでしまいますw

noriyukiokadanoriyukiokada 2008/12/06 03:20 >>もこもこさん

コメントありがとうございます。確かに、ネットが使えない携帯電話だったら良いかも知れませんね。GPSだけ、とかも良いかも。

>>新井さん

ご意見すごく勉強になりました。ありがとうございます。新井さんは物事にきちんと結論を出して生きられている方だと思うので、ネットでの人間関係を選択されてそこでご自分のベースを築くことができたのだと思います。僕は新井さんと未踏でお会いした時に「この人とは話せそうだな」とピンと来ましたし。

それができずに人生の方向性を付けられないまま何となくフラフラ生きていく若者が増えていくのを危惧しますが、まあそれはネットに限った話ではないのかも知れませんね。

一つの問題は、技術革新が人間に与える影響を世代に渡って検証していく暇もなく革新が進んでいってしまうことで、想像力を働かせて何が子供と教育にとって大切なのかを考える必要があるのだと思っています。この辺、もう少し考えてみます。

>>tomたかしさん

メールの返事の問題、やっぱりそういうところも心配ですね。しかし、何をすればそれが変わるのかを考えると難しいですね。「そんな仲間はずれに動じないようなしっかりした子供を育てる」という親の責任にもできないし。いっそそういう仲間はずれが起こりにくいくらいの多様性を認めるとか、「自分はクラスには友達はいないけどネットの向こうに友達がいるから大丈夫」ということを許容していく社会にするというのも一つの手なのかも知れません。

根本的には何か真剣に打ち込む対象があればいじめは少なくなるとは思うのですが、興味の対象の選択肢が多すぎたり、先が見えすぎてしまって冷めやすかったりと、子供や若者にはかえって厳しい世界だなと思います。

あらいしゅんいちあらいしゅんいち 2008/12/06 12:33 ありがとうございます。
また飲みましょう。

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