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NORLITE DESIGNS From Factry

2017-05-06

蝦夷立金花

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うららかな日高の奥の林道を、のんびり走っていたのです。
雪解の滲み出す道路脇、一面ちらばる黄金色

この時期だからでありましょう。
ただ咲いてるだけではありません。
光りを出してるようでした。
キンポウゲ科のこの花が、他の仲間と違うのは、
煮物、和え物、卵とじ。油炒めに佃煮と、
食卓に春を届ける役回り。

食べる楽しみ知る人は、みんな呼びますヤチブキと。
ちょっとよそいきでしょうけど。ほんとの名前があるのです。
その名はエゾノリュウキンカ。春を知らせる金の花。

2017-05-01

早春のエフェメラル

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日陰の一部を除いて野山からやっと雪が消え、枯れ野に可憐ないのちが萌えはじめました。
萌黄色のふきのとうをバックに、春の空のようなエゾエンゴサクの淡い青が風にゆれています。



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すぐ近くの湿地にはミズバショウが白むく姿を競っています。
このミズバショウや、写真には見えませんがエンジ色の衣を纏ったザゼンソウは、冬籠りを終えたヒグマにとって大切な食べ物らしく、毎年この時期にはヒグマがこの根の苦みで宿便を出して腸の調子を整えに来ます。
ただ、どうしたことか今年はまだこの湿地に姿を見せません。
掘り返されたり踏み荒らされたりしないのでミズバショウはきれいですが、すこし淋しい気もします。

2017-04-23

金子みすゞのやわらかいちから

金子みすゞの名前は知っていました。といっても、何かのCMで使われていた<大漁>という詞の作者だというだけのこと。金子みすゞ本人について、それ以上のことはついこのあいだまでほとんど知りませんでした。

 朝やけ小やけだ 大漁だ 
 おおばイワシの 大漁だ
 浜はまつりの ようだけど 
 海のなかでは 何万の
 いわしとむらいするだろう 

山口県萩市を訪れたあと、このさき向かう下関への道路地図を目で追っていて、まったく偶然<金子みすゞ記念館>の小さな文字に目がとまりました。洋上のアルプスとも呼ばれ絶景で有名な青海島のある、以前にも何度か訪れた長門市仙崎の街の中でした。
みすゞが幼少期を過ごした生家の本屋が、大正時代のままそこにあって、それがエントランスに使われています。居間や台所や井戸端など、ひとつひとつの遠い時間の空間にみすゞの童謡がしずかに掲げられていました。
文学的素養のある大人の手によるものではありません。子供の素直な目と、空から優しく見下ろす天使の透視力をもって、すべてのものに宿るこころを紙の上にならべて見せてくれます。
だれもが気付かない道端の景色や空や暮らしを、力みのない子供の言葉で言い当て、そして最後のひとこと、最後の数行で澱んだ世界をひっくり返してみせてくれます。

 「あそぼう」っていうと   「あそぼう」っていう
 「ばか」っていうと     「ばか」っていう
 「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう
  そうして あとで  さみしくなって
 「ごめんね」っていうと   「ごめんね」っていう
  こだまでしょうか      いいえ だれでも

26歳で娘を残して死ぬまで、500編以上も残していった金子みすゞの童謡を知ってから、今でも足が地上から2センチほど浮いているような気がします。そんな自分に気付いたとき、いくつかのみすずの童謡を思い浮かべて、またちょっと心のやすらぎをもらうのです。

 ・・・みんなちがって みんないい・・・

 

2017-04-14

知覧特別攻撃隊

九州鹿児島桜島を挟んだ西側の薩摩半島南端指宿から薩摩半島を回り込んで西に向うと、やがて富士山よりも端正と云われる開聞岳が左手に立ち上がる。その姿が見えなくなるころ北へハンドルを切ると頴娃(えい)町へと入り、道路の両側は見事な茶畑が続く。これが有名な知覧茶か。同じ茶の木なのに、茶どころ静岡のみどりよりもこころなしか力強い感じがするのは南に位置するせいだろうか。
さらに進むと案内板が行く手に知覧町を示す。
町界をこえて知覧に入ると、道路の両側の歩道を仕切る植え込みに等間隔で延々と並ぶ石灯籠。神社参道のような厳かなるべき道をクルマに乗ったまま走る違和感をこのとき覚えたのだが、納得できるまでそう時間が掛かった訳ではない。

知覧特攻平和会館の案内標識でたどり着いた広い駐車場は、想像を超える台数のバスや車両で混雑し、警備員の笛の音が歩行者を急かせていた。
ほとんど予備知識を持ち合わせないまま訪れたのだが、なんとなく無言の見学者と止まったような時間をイメージしていただけに、たくさんの外国人を含むこれほど多くの入場者の喧噪には圧倒されそうで思わずたじろいだ。

カミカゼの名で世界に知られる陸軍航空隊特別攻撃隊は、戦争末期、沖縄を占領した米艦隊に爆弾を抱いて体当たりするため、この地の粗末な飛行場から片道分の燃料だけを給油して飛び立った。
多くが17歳から20歳代前半の若者だったというのに、しかも明日の死を覚悟した彼等が残して逝った遺書・日記・手紙などの、なんと潔く清々しく優しさに満ちていることか。
「いやあ、洗脳ってほんと怖いですよねエ、無駄だったんですから」と、団体を引率している年配の男性が説明するのが聞こえたが、全てを覚悟した人間の心の深さ重さ美しさに想い至らない輩に連れまわされたくはないものだ。

知覧飛行場を離陸してまずは南の開聞岳を目指し、通過しながら無言のまま親兄弟とこの国に別れを告げた後、2時間余り洋上を飛んで覚悟の突入をした戦闘機の若者の数は1036人。
道路脇に立ち並ぶ石灯籠は冥福を祈って建てられたその数だという。浄財はいまだに集まり続け、現在その数を超えること数百基ながらさらに増え続けているそうだ。

隊員一人一人の年齢や出身地、母や兄弟に宛てた遺書、決死の覚悟や親への感謝を認めたノートなど、若年さを感じさせない達筆な墨書から心中を推し量ると、こみ上げ溢れようとする涙を禁じ得ない。

この日は指宿の南隣の山川港からフェリーに乗り、錦江湾を横断してもう一方の大隅半島に向うつもりだったので、あまり時間が取れずじっくり見学できなかったのが返す返すも残念だ。もし再びこの地を訪れることがあるとしたら、必ずまる一日をこの場所に当てようと、町を離れながら密かに誓った。

2017-04-06

やっぱり<夢街道>

久しぶりに腹いっぱい長距離を走って、40年以上も昔のトラックを転がしていた頃を想い出した。
東名名神はつながっていたが、そのほかの高速は完成を見るまでにもうしばらく時間を要していた頃だ。
もちろん東北道常磐道も形になっていないから、札幌から函館まで5号線を行き、青森でフェリーを降りたら東京まで4号線か6号線に乗り、寝ずに走ってもまる1日以上を要していた。
昼間の国道は混むからもっぱら夜中に走る。景色なんか見えるわけも無い。ひたすら道路の白線を追い、交通標識にちょっとだけ目をやってやりすごす。
そんな暗闇を照らすヘッドライトといつも一緒だったのは、ラジオから聞こえてくる深夜放送演歌歌謡曲だ。ふだんはR&BやRockしか聞いていなかったし、実際にヘッ演歌なんてと馬鹿にしていたが、田舎の夜道で気の利いたFMなんかはいる訳がない。そんな夜中の運転以外ではゼッタイに聞くことはなかったど演歌だったが、無遠慮に頭の奥に滲み込んできたものだった。

今回は夜中に走るようなこともあまりなく、日本中に張り巡らされた高速道を無機的に走ることが多かった。
快適なドライブにはやっぱり<イージーライダー>の挿入歌がよく似合う。例えばCCRやステッペンウルフのような疾走感がうれしいだろう、いや少し落ち着いたクラプトンなんかも泣けるかも・・。
そう思って持って行ったCDはなぜかほとんど聞かなかった。

ハンドルを握り続けているうちに出て来た鼻歌は、北島三郎八代亜紀鳥羽一郎。やっぱり演歌だった。

口には出さないがつい何度もモゴモゴと鼻腔の奥で唄ってしまったのは、山本譲二のあの唄。昭和30年代のチャンバラ映画を思わせる軽快なイントロが、自然に指先で調子を取らせる。

〜少し太めのワッパを抱いて、男度胸のころがし稼業
〜みやげは無事故でいいのよと、云ったあいつの面影が
〜浮かぶ夜明けの 東海道

やっぱり長時間運転にはなぜか<夢街道>がイイ。