あれはもう

20年以上前。
こじゃれたガラス張りのバーがあってな。
ビルの6階、天井にまでガラス。
バーカウンターはそのガラスの反対側。
ヒマな日でマスターと若いバーテンさんと私がカウンターでよもやま話をしとった。
だが途中からどうにも背中の方が気になる。
首がどうしても後ろを向きたがる。

夏でね、冷房は適度に入っていたけれど急に生暖かくなった。

こういう時、ごく稀に私は自分の意思じゃない言葉を口から発することがある。

「蛇口捻ってみて」

唐突な私の言葉に呆気にとられながらマスターはカウンター下にある蛇口をひねった。

うぎゃああああと叫んでバーテンさんが座り込んだ。
バーによくある小さなシンクに黒い長い髪の毛がぞろりととぐろを巻いている。

同時にふとガラスに目をやったマスターもへたり込んだ。

8階建てのビルの中途だというのに着物の柄がぷらんぷらんしている。

いや、着物の柄じゃあない。
半分頭と顔がない人間がぶら下がっている。

このビルは昔々遊郭の外れで投げ込みがあった場所なのだと思った。
誰かを恨んで出てきたんじゃあない。
「ここに誰かいるのを見て欲しかった」だけのようだ。

漏らしてしまったバーテンさんとへたり込んだマスターを押しのけて塩と水を探し、口をすすいでガラスに寄って手を叩くと彼女はいなくなった。

それからすぐ

今度は知人のお宅で。
新築したばかりで知人友人集まって麻雀になった。
仲間内なので適当に遊んでいたが、これまた首が右に60度ほど曲がる。

目線の先には階段の踊り場と白い壁。

その白い壁に見た事のない女性の顔が浮かぶ。
そのお宅の親戚も大抵知っているけれど、その顔には見覚えはない。

あんまり頻繁に首を曲げるのでその家のご主人奥さんが休憩した時に「どしたの」と聞いてきた。

新築のお宅なのにそんな事を言うのも憚られて返事の代わりに紙を貰い、浮かんだ顔を書いてみた。
「この人、親戚?」

いつもは本当に明るいご夫婦が真っ青になった。
「なに、いきなり」

「いや、こういう顔の人を見かけたような気がするからね」

他の連中がごろ寝してしまったので話してくれた。

遠い親戚なのだが不幸な事件で亡くなられて壁の裏にある仏壇に安置していると。

後日ちゃんと理由を言った。
「別に恨んでいるとかそういうんじゃあない。むしろ安住の地ができたみたいで感謝しているっぽいから」