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2015-06-30

簿記3級に合格した

4月から近所の大原簿記学校に通い始めて、6月半ばに受けた簿記3級の検定試験に合格した。
昨日の朝、市内の商工会議所のサイトに結果が発表されて、番号があったときの喜びといったらなかった。

普段から時間がない、時間がない、と言い続けているにもかかわらず、なぜ今、資格試験? それも簿記? という気もするが、先日40才になり、しかし確たる職能というか、「自分でなければ出来ないこと」というのが自分にはほとんど無いなあ、という不安があり、せめて何があっても食いっぱぐれ、つまり飢え死にだけは免れたい……というのが大ざっぱではあるが主な動機だった。

今やっている仕事は誇らしいもので、素晴らしい人たちと日々真剣に戦いながら、後世に残るものを作っていけることを楽しんでもいるけれど、そのようにして立っている足もとはじつに脆く、他人のちょっとした気持ちの変化や、かぎられた事業体の経営判断で簡単に吹き飛んでしまう漠たるものであることもわかっている。

共編著の「大谷能生のフランス革命」にしても、今やっている「schola」にしても、たまたまある時、ある場所に立っていたから声をかけてもらったのであって、そこに立っていたのは紛れもなくぼくの意志によるとしても、自分から「その仕事、やらせてください!」なんて取りにいったものではないから、そこが弱いし、怖いし、危ない。

昔から性格的に、どーでもいいような細かいズレや、不明点にいつまでもこだわるタチというか、誰もそこまで求めてないから……みたいな無駄なしつこさがあって、「でも君のそういうところ、会計に向いてるかもよ」と言われたのがきっかけで、「なるほど」とばかりに今回のトライに至った。

コース選択

簿記の学習に際しては、オール自宅学習(独学)という選択肢もあるようだけど、怠惰な自分の場合は誰かとコミュニケーションを取りながらでなければ到底無理というか、たしかに充分な時間の余裕はなかったけれど、調べてみるとまったく無理! というほど時間を奪われるものでもなさそうで、また通学コースの費用も現実的な枠内にあったので前記の学校に申し込んだ。

想定外だったのは、ぼくはもともと2級を取ることが目的で、というのも現実的に就職等に有利なのはそのレベルからだよ、みたいなことを聞いたからそのように設定したのだけど、それ以前の「簿記の初歩」を学ぶ3級の段階ですら相当苦労したというか、耳にするのは「3級なんて小手調べだから」みたいな、「まあ、簡単だから」みたいな話ばかりなのだけど、やればやるほど「いやいや! メチャクチャ難しいんですけど!」みたいな実感で、この3級のハードルの高さというのは本当に想定外だった。

それに加えて、3級のカリキュラムは講座開始からわずか2ヶ月程度でいきなり検定試験という流れで、いやいや、このレベルでそのスケジュールは早すぎでしょw みたいな、しかし学内の大半の人はそれでも合格するというから、余計に自信を無くすというか、もしかして俺……ものすごく頭悪いのでは……(みんな出来てるのに自分はこんなに苦労しているって一体……)というプレッシャーが毎日のように襲ってきては嫌な汗をかき続けるというのもまったく想定外の事態だった。

学校のカリキュラムには「3級&2級ともにがっつり学ぶコース」と、「3級はほどほど&2級はがっつり」というコースの2種類があって、ぼくは何しろ上記の「3級なんてチョロイよ」という声を真に受けていたから、思いきり後者を選択していた。

そのコースの場合、講座スタートから3級検定までの2ヶ月のうち、初めの1ヶ月は簿記の基礎を教える授業で、それが終わると後はもう自宅で勝手に学習して、そのまま試験に臨んでくださ〜い、みたいな流れだったので、ようは実践的な試験対策などがまったくカリキュラムに組み込まれておらず、そのことには後から気づいて血の気が引いた。

もちろん講座のコマ数が少ない分、「がっつりコース」に比べれば料金も安いわけだけど、それも数千円程度の違いで、かつ「がっつりコース」は試験対策も充実していたので「うわー……試験の作法とかまったくわからないまま受験か……どう考えてもコース選択ミスった……」と何度も後悔した。

しかし一方、ちょうどその独学期間にあたる時期は仕事の方で超・重要な作業が入っていたり、他にもセンシティブな案件がいくつか立て込んでいたりしたので、あーこれ、もし学校に通い続けていたら完全にパンクしてたな……という感じでもあった。

ぼくはいわゆる「キャパオーバー」しやすい、テンパリがちな人間でもあるので、周りへの迷惑を最小化するという意味では、この「前半は通学・後半は独学」というカリキュラムは結果的に妥当だったかもしれない。

また、ぼくの場合は一度に処理できる情報量というのが非常に限られていて、他人から聞いた話を芯まで把握するのにだいぶ時間がかかるので、今回のように「最初の1ヶ月で学校(先生)からワーッと情報を受け取って、その後の1ヶ月で自分なりの方法でじっくり吸収」という学習の過程は、もしかすると自分にすごく合っていたのでは? という気もする。

もしあのまま、学校側のペースで基礎講習後の試験対策も続けていたら、後半の「自分なりに理解する」という工程を取ることができなくて、それこそパンクというか、バースト(破裂)していたかもしれない。

学習法

自分なりの学習法の一例としては、たとえばぼくは毎回、普段の編集仕事と同様に講義をICレコーダで録音していたので、それを教科書の章立てに沿ってAudacityでエディットして、さらにそれをiPhoneアプリで再生スピードを上げて、苦手なところを中心に何度も聴きながら教科書の該当部分を繰り返し開く、という復習をした。

これをやると、どうもぼくは普段の講義でも「聞いてるようで聞いてない」ということが多いようで、練習問題を解いていても、その元になる話を理解してないので進まない、という事態に何度も直面するのだけど、その抜けた部分をじんわり埋めていくことが出来て、録音を聞き返すぶん時間は要するにせよ、練習問題の正答率は確実に上がっていった。

ちなみに、Podcastなどは再生スピードの変更や15秒単位での前後移動などの機能を持つ良いアプリが多いけど、普通の音声ファイルを同様に操作できるものはなかなか見つからず、難儀した。
最終的には(現時点では)「Audipo」というiOSアプリの有料版に落ち着いたが、PodcastアプリやAudibleのような専用機に比べると希望を満たさない面もあるものの、必要十分という感じ。

話を戻すと、そうは言ってもやっぱり時間は非常に限られていて、本来であればそうした練習問題も繰り返し、何度も解き直したいところだったけど、結局は最低限の内容をなんとか触りました〜……という程度だったので不安が消えるということはまったくなく、むしろ試験の一週間前になってもろくに回答できない問題がいくつもある、という事実に直面してはまた嫌な汗が滝のように噴出してくる、というその頃が精神的にはきつかった。

実際に簿記の勉強をやった人にはわかるだろうけど、とにかく簿記の試験問題って解くのに時間のかかるものが多く、内容が「わかる/わからない」という理解力の問題とは別に、制限時間に「間に合う/間に合わない」という時間との戦いもあるので、そこがつらい。

どれだけ俊足の人でもフルマラソンで1時間を切ることはできないように、「どれだけ早くてもこのぐらいの時間はかかる」ということがあって、たとえるなら、大聖堂をイチから建てていくような壮大な設問が全5問中2問もある。
この2問はまさに建築のようで、まず土台をならして、その上に骨組みを立てて、壁や屋根までくっつけたら今度は外側を塗装して、それも終わったら家具を運び入れて……みたいな多種多様な工程を、決められた順番で、正確に、かつ迅速にやらなくてはならず、これってほとんどスポーツ……とは何度も思った。
加えてぼくは、体力がない。体力づくりから勝負が始まっている、というのもまったくスポーツ的だ。

そんな具合に、いろんな意味で無理、3級ぜんぜん難しい、落ちる……と事あるごとに思っていたけど、そのような時でも何とか自分を支えていたのは、「どんなに俺が馬鹿でも、以前よりわかったことが必ずある」という事実で、確かに「何度やってもわからない」ということもあるのだけど、それがすべてではなく、わかったこともあるじゃないか、ということになるべく目を向けるようにした。

もし本当に「すべて」が日に日に悪くなっていく、ということだったらきっと我慢できずヤメていただろうけど、実際にはそんなことはありえなくて、というか勉強なんてやればやるほどわかることは絶対に増えていくわけで(と言っても、わからないこともまた増えていくわけだけど、それはまた別の話)、結局上記のとおり、試験1週間前になってもまだまだわからないところや、規定時間に間に合わないことが多かった自分でも、5日前、4日前、と試験当日に近づく中、練習問題を1問ずつ解くにつれ、徐々に理解できるところが増え、自己採点しながら「あれ、もしかしたら……いける……かも?」みたいになってきて、それがまた地獄に仏というか、掃き溜めに鶴というか、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」的というか、「わかる……確実にわかるようになってる……!」というかすかな希望につながっていった。

試験

そのようにして、ようやく試験当日。結局、実践的な試験対策はまったくやっていないので、計算用紙は問題とは別に与えられるのか? とか、問題文の文字はどのぐらいの大きさなのか? とか、回答用紙はどんな感じ? みたいな前提がまったくわからないまま席に着いたのだけど、そんな「想定内」の不明点よりもずっと衝撃的だったのは「スマホ禁止」ということで、それ自体はまあ、考えてみればそうだよね、という感じだけど、ようするに「時計がない」。

会場は普段通っている学校の教室だったのだけど、その教室にも時計はなくて、一応ダメもとで試験官に「時計がわりでこれ使いたいんですけど(機内モードにしたiPhoneを指して)、通信機能切っても駄目ですかね?」と聞いたけどもちろん駄目で、それから2時間、時間が一切わからないまま試験に突入してしまった。

いやあ……4月の開講から想定外のこと続きではあったけど、この「時間がわからないまま試験」は本当にダメ押しだった。まあ、事前に丁寧に調べていれば、というか単に人として普通に注意していれば避けられたのかもしれないが……。

しかし肝心の試験はといえば、何となくわかる、これもわかる気がする、これも……というふうにズイズイと進んで、結局「わっからねー!」みたいな問題はないまま終わった。回答欄は全部埋めて、怪しい部分も少なからずあったにせよ、実感としては事前に練習問題や過去問を解いて正解だった時に近い感覚があったから、「もしかしたら、いけたかも?」という気になった。

帰宅して、ネットを見ると早くも簿記学校のWebサイトに解答例が公開されていて、今さらどうにもならないから……と一旦は見るのをやめようとも思ったけど、どうしても気になってしまい、持ち帰った問題用紙と記憶をもとに自己採点してみると、まあ多くの回答は「覚えてない」のだけど、やっぱり何となくいけてるっぽい。

それでも、ぬか喜びすると後できついから……とそのまま2週間、予断をもたずに蛇の生殺し状態で過ごして昨日の発表に至った。

感想

ぼくは普段から、周りの人にけっこう偉そうなことをあれこれと言うから、「あいつ、いつも偉そうなことを言ってるけど、簿記3級落ちたんだぜ m9(^Д^)」なんて言われるかと思うと気が気じゃなかった。
まあ、もちろん実際には誰もそんなことは言わないだろうけど、自分は自分に言うから、それが嫌だった。

3級の勉強は大変だったけど、自分で組み立てた勉強法に沿って、実感をもちながら学習を進め、かつてわからなかったことが徐々にわかっていくのは面白かったし、その面白さが自信につながった。自分は勉強の内容そのものだけでなく、勉強をする方法も作れるのだ、とそのことが自信になった。

きっと次の2級コースでは、直前期にきっちり試験対策をやることになるだろう。それこそオリンピック間際のアスリートのように、苦しくてもビシバシとムチ打たれ、情報を無理やり詰め込まれ、能力のピークで本番を迎えるように様々な調整を施しながら、そんな内外の思惑に飲まれてまた混乱するだろう。

しかし少なくとも、3級には合格した。自分はまったく何もできないわけではない。2級も一発で合格するかはわからないにせよ、少しはできるようになるはずだ。
ぼくは勉強ができないか? そうかもしれない。でも、勉強の楽しさは好きだ。だからそれをやろう。

 真夜中に家に戻ると、母がひとりで酒を飲みながらテレビを見ていた。社会問題に関する討論番組だ。ぼくも、ジュースのグラスを手にして母の隣に座った。
「ずい分遅いんじゃなーい、秀美くんたら、不良じゃん」
「桃子さんとこで、焦燥感を味わっていたのだよ、母さん。焦燥って言葉、知ってる?」
「あら、馬鹿にしてんじゃないわよ。今朝なんて、会社に着く前にお手洗いに行きたくなってさ、駅で焦燥の塊だったのよ」
 ぼくは溜息をついた。どうして、こんなにおちゃらけているのだ、この女性は。
「母さん、真面目になって下さいよ」
「はい」
「ぼく、大学に行くべきかな」
「さあ? 行きたいの? 私は、どちらでもかまわないわよ。学歴があるからいいってもんじゃないのは確かだけど、行って損をすることもないわよ。ただし、お金かかるから、なるべく働きながら行って欲しいけどね。私の大学時代はね、そりゃ楽しかったわ。もう、男子学生にもてちゃって、もてちゃって」
 そういえば、母も大学に行ったのだ。不真面目な年増とばかり思っていたが、彼女も、勉学にいそしんでいたのだろうか。
「当然でしょ。好きだったわ、勉強。秀美も好きになれば? 知らないこと知るのって楽しいことよ」

(『ぼくは勉強ができない』山田詠美)

2015-06-11

夏がくれば思い出す

大学で一番仲の良かった友達が亡くなったのはちょうど10年前の夏で、ああもう10年なのか、と気づいたのはつい数日前だった。

今までそれについてなるべく話題にしないように、たとえばこういうところに書かないようにしていたのは、彼の不在を自分がうっとりするためのダシに使うような、またそれを他人に見せること自体が目的になるような、言ってみれば不純というか、そんな気がしたからだった。

そんなこと、わざわざ他人に知らせるようなことではないというか、誰だって多かれ少なかれ、そういう境遇にはあるのだし、世界に一つしかない発想を共有するというのでもなし、特別なことではないそれを、みっともない自己顕示欲を満たすために開陳するというのは、それこそみっともないと思っていた。

しかし最近になって、どうも彼のことを思い返すたびに、以前とは違う感覚が味わわれるようになってきた。それというのは単に「いなくなって残念だ」とか「あんなに若かったのに」とかいう一般的な、誰にでもわかってもらえそうな感覚とはちょっと違う、「ただ一人の僕」にとっての彼の意味というか、役割みたいなものだ。

単純な話、彼は大学の頃からその後の彼が生きている間ずっと、僕にとって一番、音楽やお笑いや趣味なんかの話が合う人間だったという事実が、当時から20年近く経つ今になっても変わっていないということ、言いかえれば、彼がいなくなった後、僕は彼以上にそういう話の合う人に一人も出会っていない、ということに気がついた。

気の合う友達や、深いレベルで話し合える、信頼できる人は少なくないけれど、音楽を奏でるように冗談を言い合い、冗談を言うように好きな音楽について語り合えるような、そんな友達は僕にとって、後にも先にも彼しかいなかった、ということに気がついた。

遠藤賢司のミルクティーではないけれど、もっとやさしくしてやれば、よかったわあという感じだ。

僕は煙草を吸わないが、大学の頃は彼の散らかった部屋で発泡酒を飲みながら煙草を吸った。それが懐かしい。発泡酒の冷えた6缶パックをコンビニやスーパーで買い込んで、つまみと一緒に彼の狭いアパートへ二人で歩く道を、僕はワクワクしながら楽しんだ。そのことに後から気がついた。やることはただ、ビールを飲んで煙草を吸って、音楽の話や最近興味のあることについてダラダラしゃべるだけで、未来に関する投資の要素は1ミリもなかった。

同じものを面白いと思える友達は貴重だ。あいつはこれを知らないだろうけど、きっと好きだから教えてやろう、と思える機会は貴重だ。宝だ。今井くんよ、君はそれを僕に与えてくれた。ありがとう。

僕が今何をやっていて、これから何をやろうとして、今何を面白いと思っているか、君に教えてやりたかった。きっと君はくやしがって、僕以上にそれについて勉強し、僕より詳しくなっただろう。あの時のように。
君に自慢したいことが沢山あるよ。もっと自慢してやりたかった。くやしがらせて、いい気分になりたかった。君はくやしがって、でも僕を恨まない。僕も君も、お互いを好きだったからな。

門松くん、それじゃホモだよ〜と、君はいつものようにヒョヒョ、と笑っただろう。そうだな、たしかに僕らはホモみたいだったかもしれない。でも、そんなことはどうでもいいんだ。大事なのは、僕らがかつてお互いを必要とし、僕は今もそうだってことだ。君が生きているうちに、そう伝えなきゃいけなかった。君はかけがえのない存在だった。それをちゃんと伝えなきゃいけなかった。ごめんな。

君を思い出すたびに、僕はこんなに痛い思いを、胸が押しつぶされるような苦しさを、今後も感じ続けるのだろうか? と、10年前の今頃に、不安に感じたものだった。
しばらくして、そんなことはなかった、痛みも苦しみも、簡単にやわらぐものだと思ったが、最近その感覚が少しずつ、でも確実に、ぶり返してきたようだ。それは不思議な苦しさだ。苛立ちやもどかしさの混じった、心地よくはない感情だ。でも懐かしい。たぶんこれも、宝だ。

2015-02-16

確定申告合宿

週末から週明けにかけて、確定申告作業に集中するため通常業務を一旦ストップして、場所を移してやってきた。

普段の領収書やレシートは偏執的に残して管理しているものの、いざ集計的な作業に入るとそれはそれで手間なので、通常業務のスキマ時間に片手間に、ということではなく、日常から離れた環境で他のことはほぼ一切せずにそのことだけを考えて、という風にしてみた。

直近のschola14巻の終盤もそんな感じに環境を作ることができて、それは「寝る前に考えていたことの続きを、起きてからすぐに始める」ことができるという状況だけど、やっぱり大変効率がいい。

実際にはそんなことが実現できるのはよほど恵まれた状況にある人だけ、ということになるかもしれないが、やはり一つの知見としてそういう手法の有効性については念頭に置いておきたい。

仕分けや集計作業というのは実はscholaの編集でもよくやっていることで、とくにスケジューリングなどの、編集実作業とは別のマネジメント系業務で必須に近いことだから、それを応用してやる感じ。

合宿2日目の朝には「ん〜、最初の見積もりよりもっと時間かかるかも」とも思ったが、同日中にほぼ完了してホッとした。これも集中環境のなせるわざではあるかもしれない。わからないが。

あと、Excelの関数や手法をもう少し学べたらより効率化していけるかも、と思った。

一気に祭り的に頑張るのもアリな分野だとは思うが、自分の場合は結局は、日々少しずつ負担を分散して受け持っておいて、祭りの際にはより深い部分の作業に集中した方がパフォーマンスが上がるだろうと思った。