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2014-11-18

第15回 DTPの勉強会 に行ってきた

先週土曜(11/15)に「DTPの勉強会」というシリーズ物のセミナーというか勉強会というか、に初めて行ってきました。
http://dtpstudy.blog51.fc2.com/blog-entry-68.html

勉強会と言えば、去年の8月から参加している無料のプログラミング入門講座「Perl入学式」の話を何度か書きましたが(これとか)、これはそこで知り会った生徒仲間の方から存在を教えてもらって、タイミングもちょうど合ったので行ってきた、みたいな感じです。

詳細は上記リンクのとおりですが、14時スタートで19時過ぎまで。大変濃密な時間でした。
具体的にはInDesign(インデザイン)という、ぼくも仕事で使っている編集・デザインソフトの使い方あれこれ、みたいな感じで、まあぼくは「使ってる」と言っても必要最低限の機能をおそるおそる触ってるだけ、みたいな感じなので、その知識や技術の幅を少しでも広げておきたい、深く知るきっかけにしたい、あるいはこのツールを使ってる他の人はどんな感じなのか知りたい、みたいな動機もあって、結果的にはそのいずれにおいても得るものがあったと思います。

とくに、最初に発表されたものかのさんのフォント講座と、最後の樋口さんによるEPUB等の話は現時点の自分の関心に直結する部分があり楽しく聞きました。

懇親会(+2次会)まで含めて参加した感想としては、発表内容も含めてとにかく運営がプロフェッショナルというか、参加費は3000円(懇親会はプラス4000円)でしたが、それも納得の洗練された内容で、その点が何より印象的でありました。



その他の感想として、たとえば上記のPerl入学式や、昨年と今年参加した「YAPC::Asia」みたいなエンジニア中心のイベントに比べると、いずれもスライド発表が中心になっているという共通点はありながら、けっこう違うところもあって、たとえばこのDTPの勉強会だと、最初の注意事項で「生徒さんはなるべくその場では手を動かさずに、講師のスライド&発表内容に集中しましょう」みたいな話があって、これはかなり新鮮でした。

ようは講師が対象の操作方法等をデモで説明していても、生徒さんはそれを見ながらPCを開いてその場ですぐ試す・・のではなく、説明中はせいぜいメモ取る程度にして、とりあえず集中して見聞きしましょう、そして実際に自分で試すのは後日運営さんから動画が送られてくるので、それを見ながらじっくりやりましょう、みたいなことで、これはとても合理的で良いなと。

これが徹底されると、現場では一気に集中できて、短時間のうちにかなり多くの情報を吸収できるので非常に効率がいいというか、逆に言うとこの説明タイムに近くでカタカタキーボード叩く音なんかがすると「う、集中・・できない・・」みたいになって困るというか、実際そういうクレームもあるようなのだけど、それもよく分かるなと。

一方、もしこれがエンジニア中心のイベントだったら、事前にそういう説明があるということはちょっと考えられなくて、実際にはエンジニア同士の場であっても発表内容に集中した方がいろいろ効率いいことに変わりはないはずなのだけど、それでももうちょっとオープンというか放任的というか・・思うに、エンジニアというのは(とくにそういう場に集うエンジニアというのは)その時点で一つのトライブというか、仮想的なコミュニティの一員みたいなところがあって、すでにある程度共有された認識があるというか、何が良くて何が望まれないか、ということは不文律的に決まっているようなところがあるのではないかなあ、と思ったりもして。(たとえば「銀の弾丸」とか「DRY」とか「TMTOWTDI」とか・・それはPerlだけかもしれないが・・そういうキーワードが共有されていたり)
つまり誰かが事前に「こういう場合はこうしましょう」と言うまでもなく、良し悪しの基準は共通化しているからそれについてとくに言う必然性がないというか。

という、それはべつにどっちの会の方が良いとか悪いとかいうことではなくて、ようは参加者の求めるものや、出自・背景のバラバラ加減なんかが違うのかなと。そのようなことをざっくり思ったりしました。



もう一つ、非常に印象的だったのは、ぼくは今までもそれなりに「すぐわかるPhotoshop」みたいな本で(あるかは分かりませんが例として)こうしたソフトの操作方法を勉強しようとしたこともあったけど、どうしても分かりづらいというか、面白みを感じられず、すぐに苦痛を感じ始めて挫折してしまうというか、つまりそうした本を通しての勉強で「わかった!」みたいに感じた経験はほとんどなかったのだけど、今回の勉強会で目の前でどんどんデモが進んでいくのを見ていたら、それだけでもその操作方法なりツール自体の原理や設計思想なりがよくわかるような感覚を覚えて、もしかするとこういうものを勉強する順番としては、まず慣れた人が実践しているところを直接見て、それを補う方法として後から本を参照する、みたいな方がずっとわかりやすいんじゃないか、というかこうやって勉強すればよかったんだ・・みたいに思ってそれもけっこうな収穫でした。

ちなみにというか、これまた逆に、プログラミングの勉強に関しては案外書籍だけを通してやるのでも進められる部分が少なく無くて、とくに多少なりそれに馴染んでからはドキュメントやソースコードとの対話だけでほとんどいけるのでは、みたいなところもあるので、この違いっていうのはInDesignやIllustratorのような個別の(一私企業が提供する)ソフトに習熟すること(のハードさ)と、誰もがその成り立ちにまでアクセスできて世界中に開かれている(ものもある)プログラミングの世界との違いが表れてもいるのかなあ・・? みたいなことも思ったりしました。

とりとめがなくなってきたので唐突にまとめますが、充実度の高い会を大きなトラブルもなく実現されている運営の皆さん、そして初参加の僕と(おもに懇親会で)おおらかに語らってくれた参加者の皆さん、おつかれさまでした&ありがとうございました。

2014-10-13

毎週みるTV

以前はどうだったかよく覚えていないが、ここ数年で大体みるTV番組が決まってきた。
圧倒的にTVを見る時間自体が減ってきたので(代わりにPCモニターかiPhoneの画面を見ている)必然的に「あれもこれも」という感じではなくなってきている。

ぼくがTVを見るのはほぼ夕食のときだけで、約1〜2時間である。そのときにちょうど好きなTV番組をやっている、などという確率は低いわけで、だから見たいものがあれば録画しておいてそれをタイムシフト的に再生する。

などと言いつつも毎週録っている番組は2つだけで、それは「アド街ック天国」と「サザエさん」である。
これらに特徴的なのは、まず大河ドラマのような毎回の連続性がないこと、そして1つの番組内ですら内容が断章的であることだ。

毎週見ているのだから連続的な内容であっても構わなそうなものだが、なんというかTVはあくまでリラックスするためのものとして使っているから、前後の文脈を前提とすることにより生じる緊張感がイヤでそういうものからは必然的に離れるようになった。

わざわざ録画まではしないがちょうど食事時にやっていたら見る、というのが「なんでも鑑定団」と「美の巨人たち」で、ここまでに挙げた4本中3本がテレビ東京である。

「なんでも鑑定団」もまた1つの番組の中でそれぞれの鑑定対象ごとのブロックを持つ(つながりが断ち切られた)断章形式と言える。それでいて番組のトーンは一定なので見やすい。ついでに言うと、出張鑑定のコーナーはその中でさらに細切れになっているのでいわば入れ子的な断章になっている。
各ブロックのオチはもちろん鑑定結果の金額であるわけだが、実際の見せ場は対象となる美術品を作った「知る人ぞ知る作家」の履歴を追うミニドキュメントで、作り方としては「美の巨人たち」と同系のようでもあるが、これが面白いのでよく見ている。

にもかかわらず録画まではしない、というのは途中の出張鑑定があまり好きではないからで、どうも僕は素人がTVに出ているのがあまり好きではない。ニュースの街頭インタビューですら良い印象を持たない。その理由は「素人はTVに出ると当たり障りのないことしか言わない」という先入観があるからかもしれない。

以前は「和風総本家」という、これまたテレビ東京の番組を時々目にするたびそのまま見ていたけれど、最近はなんだか「日本サイコー」という結論ありきで作られているようで面白くないと感じて見ていない。日本には良いところも悪いところもあるし、悪いところは特殊な悪い人だけが作っているわけではない。思考停止的な日本礼賛はそのことがわかりづらくなって良くない。

「アド街ック天国」や「サザエさん」を毎週録画するのは、それが飛び抜けてよく出来ているからとか、面白いからということではなくて(もちろんつまらないわけでもないが)、非常に機能的だからである。
ここで言う「機能」とはぼくがTVに求める「リラックスしたい」という目的を「短時間で」「確実に」果たす機能のことだと言える。
それらを見ていると、見る前より少し気分が軽くなっている。すこぶる楽しくなる、というほどではないが、ある要件に対する凝り固まった見方が一度リセットされ、それまでにやっていた仕事上の事象などを少し俯瞰的に眺められるようになっている。それがまた次の作業への力になる。ここでいう「力」とは体力とか滋養みたいなことではなくて、30cmの高さから物を落とすより30Mの高さから物を落とした方が大きくなる、そのような「力」を指している。

「アド街ック天国」でたとえば「武蔵小山」を特集したとしたら、ぼくは武蔵小山についてほとんど何も知らないから、次のランキングで何が取り上げられるのか、ほとんど想像できないまま内容を見続けることができる。
それが「新宿」や「上野」であっても、有名な場所が第何位に出てくるかまでは想像ができない。
ほぼ同じリズムで「何か」が出てくるが、その「何か」が何であるかは想像がつかない。その「断章性」「予測不可能性」の組み合わせがたぶんそこでは重要だ。

「サザエさん」も同様で、あれはかなり現代的というかドライな作りになっていて、30分番組が3本のエピソードから成っているがその3本それぞれにしても1本の筋を丹念に説明するというよりは、案外バラバラで関係のないエピソードと共に構成されているから、登場人物はもちろんほぼすべておなじみの面々ばかりだが、そこで展開するドラマの内容は予測不可能と言える。

最近のTVドラマは見ていないけれど、20世紀ほどではないにせよ、やはり典型的というか類型的というか、「それもう知ってるから」みたいな人物像やエピソードは少なからず出てくるはずで、正義は勝つし、悪役は悪や嫉妬のことしか考えていないし、いいところでCMに入ったり次回に続いてしまったりするし、そういう紋切り型に付き合うのが時間の無駄だから見ていないというところがある。

少し前に岡田准一の「SP」や西島秀俊の「MOZU」のような、クールでスタイリッシュな刑事モノみたいのがあって、系統としては「ケイゾク」とか「沙粧妙子」みたいな感じでいいなと思うが、それでもやはりスポンサーのつくTVドラマという場所で、完全にクールに振り切るというのは無理があって、どこかに甘い、わかりやすい「それ知ってる」的な部分を作らなければならないはずで、だから僕が見たい番組の選択肢からは外れてしまう。
どんなにドライに見えてもヒロインは主人公に恋をするし視聴者もそれを期待する。そしてそういうのはもういい、と感じる。
そのようにしか出来ないというのなら逆に、いつも同じようなことをある種ミニマルとも言える繰り返し具合でやっている船越英一郎や渡瀬恒彦などによる火曜サスペンス劇場系の勧善懲悪的な刑事モノを眺めている方がボーっとできて良いという気もする。

おそらくTVを見ているときにまで倫理というか物の見方を押し付けられるということが嫌で、だからそういうことから逃げ切れている番組を好んでみている。
いわゆるお笑い芸人を集めたバラエティ番組はそういった倫理や規律にもっとも縛られたジャンルの一つで、「面白くなければいけない」「つまらないことを言ってはいけない」という出演者の思いが画面を通してこちらに強く伝わってくるのでいたたまれなくて見ていられない。それは自由な雰囲気からもっとも遠い緊張感である。

「サザエさん」では次の瞬間に誰が何をするのか全く想像できない。そして何が起こっても構わない突き抜けた虚無がある。誰が誰に恋をしても、あるいは憎しみや嫉妬の感情を抱いても、それは言葉の上でちょっと言ってみた程度のことで、どれだけノリスケや波平がそれに慌てたとしても結果はつねに「大したことない」に収まる。

「サザエさん」に感じる唯一の懸念は、家の中のTVを始めとするセットがいまだに昭和のままだし、スマートフォンはおろか携帯も出てこない時代設定だから、やがて現実との乖離がごまかせないレベルになって、上記のような価値を想像しない誰かしらの少なからぬ声に押されて番組が終了してしまうのではないか、という点だが、いや、もうそういう時代劇なのだ、あるいは「ムーミン」や「アンパンマン」のように異世界の未知の生物たちによる寓話なのだとして、ぼくの数少ないリラックス・ツールとしてどうか継続してほしい。

2014-09-26

ブログの使い分け

以前はけっこう迷った記憶があるのですが、最近は自然に使い分けられている気がします。ブログの使い分け。

このブログは2004〜2005年ぐらいから使っているので一応大元というか、本当は最初に使ったブログはJUGEMだったんだけど、当時はすごい重くてこれかなわん・・と思って一時退避的な意味でしぶしぶはてなダイアリー使い始めたんだけど更新の手軽さとかいろいろあってこっちがメインになったという。
で、ここは機能的な側面から分類するなら「自分のこと全般を扱う」みたいな感じです。全般・・というか、その他の特化的なこと「以外」は全部ここ、みたいな。

で、今はそれ以外にはてなブログとMedium、あとはTwitterとFacebookを使っていまして、いや後者2つは普通ブログとは言いませんけど、「どこに書くか考える際の選択肢」という意味ではけっこう似た感じかと思います。

はてなブログの方には、僕はプログラミング入門者なのでそれに関わることを多く書いています。入門者ならではの、と言えるかはわかりませんがいずれにせよ、テック系。
http://note103.hateblo.jp/

Mediumはなんというか、ポエムというほどじゃないですけど「言葉だけがそこにある」的な、自分の出自や所属、普段の人間関係とかからはちょっと離れたような、まあアフォリズムというのか、哲学というのか、言葉がそれ自体として道具になるような何かを書き残したいときに使っている気がします。
その意味では、けっこうこのブログの(とくに最近の)傾向と近いんですが、Mediumはもっと何というか、自分じゃない誰かが言っても成り立ちそうなこと、古今東西のどこで流れていてもいいような話、という要素が濃い気がします。
https://medium.com/@note103

Facebookはその多くがけっこう細分化した友達リストに沿って「この内容はこのリスト、この内容はこっち」みたいに、相手をつどかなり絞って投稿します。複数の人と同時に電話する感じ、というか。
と同時に、このところは試験的に、これまでほとんどやってなかった「全体公開」の設定でさらっと何か投稿したりしますが、これはこれで新たな体験というか、広い相手先からダイレクトめの反応が返ってくるのでなかなか面白いなと感じています。
ちょっと不安があるのは、それにコメントをする人がそれを全体公開だと気づかずに(知り合い同士だけが見ていると思って)コメントしてしまうことですね。そのたびに「いやそれ、コンテキストが一致してない他人から見たら誤解されますから」なんて言うのも大変なので、それで余計に全体公開は余りしないでいたのですが、とはいえそういうことにしばられて人生過ごすのもどうなのか、ある程度適当でもいいか、という感じで全体公開率増えつつある最近のFacebookという感じでしょうか。
https://www.facebook.com/note103

最後にTwitterですが、
https://twitter.com/note103

これは世界中で同時に数えきれない人たちが投稿しているサービスで、その数があまりにも多いから何か言っても誰にも聞こえていないような、心地良い匿名感みたいなのがあって、しかし実際にはもちろん、カギ付きでないかぎりはすべて全世界公開なので、そのアンバランスさが面白いと思っています。
全世界公開である緊張感と、でもほとんど反応がないような涼やかな孤独感みたいのがどっちもあるこれ、ドラえもんの「[石ころぼうし:title=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%BC%E3%81%86%E3%81%97」みたいだなーとよく思うのですが。

そう考えると、ぼくは常時ほぼ5つの「書く場所」を選択肢として持っているわけですが、しかし上記のような「機能」によって使い分けているのかというとそうでもなくて、つくづく思うのは「その場所を誰が見ているのか」という、客層というのか読者層というのか、その人たちを想定して、このブログを見ている人にはこの話題はとくに興味ないだろうとか、あるいはこの話題はこの場所を見ている人には共感される部分があるかもしれないとか、そういう判断基準で選択しているという気はしていて、そういう考え方をするようになってからほとんど迷わなくなったなーという気がしています。

たとえばこのブログでも以前はPerl入学式の話やYAPC、あるいはVimの話を良く書いていたけれど、そしてその時にもすでにテック系のはてなブログはあったりしたのだけど、それでもなぜここに書いていたのかというと、そのときには「読者」ではなく「機能」を基準に選択していたからで、かつそのときぼくはこのブログが「メイン」であって他は「サブ」的なものだと思っていたので、ぼくの人生上の「メイン」的な出来事はここに書くだろう、と思ってそうしていたのだけど、後から思ったところでは、やっぱりテック系の記事を自分ごととして読んでくれる人というのはテック系の人で、そういう人がじゃあ、このブログの過去ログみたいなことに興味をもつかというと、まあ持つかもしれないんだけど、そうでもないのかもしれない。それよりは、テック系の内容を集めたところにそれを書いた方が、書いた側も読む側も綺麗にマッチする可能性があるのかもしれないと思えてきて、かつTwitterの方にはどちらの(メインの/テック系の)ブログ記事も1本化して流しているので(厳密に言うとはてなブックマークを経由してTwitterへ、という一本の筋を通して)、Twitterやはてブでつながっている人にはそのどちらにも触れる機会があり、もしそれでこっちに興味をもった人がいればそのままこっちも読まれるだろう、ということもあるのでその辺まで含めて考えても「その場所がどういう目的・機能を持っているのか」ということよりも「その場所をどういう人が読んでいるのか」という基準で考えるのがたぶんラクかなー、と最近は思っています。