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2014-11-26

scholaとジュンク堂(未完)

まだ宣伝的な告知を書けていませんが、去年からずっと制作していましたscholaの最新巻がようやく校了しまして、12/17の発売を待つばかりとなりました。

【vol.14】Traditional Music in Japan(日本の伝統音楽)| commmons: schola(コモンズスコラ)-坂本龍一監修による音楽の百科事典- | commmons

ああ本当に、今回は終わる気がしなかった(笑)。今まで第11巻のアフリカが最も大変だったと思っていましたが、余裕の最長不倒距離でそれを一気に追い抜く内容でありました(制作時の難度的な意味で)。まあ詳しくは、またゆっくり……。

さて今日の本題、ジュンク堂書店新宿店・池袋本店で長年のご活躍&scholaをガッツリ担当してくださっていた店員さん(以下マッチャン)がしばらくお休みに入られるということで、挨拶に行ってきました。

マッチャンは僕がscholaの編集を始めるより前、それは2008年の3月頃でしたが、その時からの付き合いだからもう6年半? ですか。当時は新宿店の書店員だったのだけど、僕はその頃、菊地成孔さんの音楽私塾が月2回、新宿であって通っていたので、それに行くたびに(大体授業は午後10時とか11時頃まであるので基本授業前に)寄って、ジュンク堂を散策するのが日課というか数少ない都会の息抜き、みたいな感じで、そのときにふと、いつも通る音楽コーナーの書棚のところにババンと『大谷能生のフランス革命』の販促フライヤー。の白黒コピー(元のフライヤーはカラーなんだけどなぜか白黒コピー)が唐突かつ無骨に掲示されていて、おお……ってあまりの想定外の事態に驚きつつ、でもこれ、とりあえず御礼言いたい、張り出した人じゃなくてもいいからこの店の書店員さんに御礼を言いたい、と思って近くの店員さんを呼びとめて「これ、ぼくの本なんです、ありがとうございます」と言った相手がマッチャンで、実際その謎の白黒コピーもマッチャンが貼り付けてくれていたという劇的な初対面で。

ちなみに、ここで唐突に出た『大谷能生のフランス革命』というのは当ブログではけっこう何度も言及しているはずだけどこれで、

大谷能生のフランス革命

大谷能生のフランス革命

いまだにこの本の適切な説明の仕方がわからないんだけど、とにかくそれが2008年の3月に出て、上の話はその頃のこと、ということです。

話を戻すと、マッチャンはぼくのそんな御礼とかその白黒コピーのフライヤーについてどうこう言うよりも先に、「ウチのSというスタッフが書評を書きまして……」と素でコンテキスト不明なことを言い出して、「え、書評? なんの? 誰が? Sって?」と何も理解できないまま誘われるままその後をついていくと、同書(フランス革命)が面出し(表紙が見えるように陳列されている状態。通常は背表紙しか見えないので好待遇)で置かれていて、かつその表紙部分に同店人文書担当のSさんが産経新聞に書いてくれた同書の書評がこれまた白黒コピーでポップ的に貼られていて、ぼくはそのたった数分の間に「なぜ僕の本の書評が産経新聞に? そしてなぜジュンク堂の店員さんが書評を? そしてなぜ人文書担当の人が?」と謎に謎がおびただしく重ねられて結局わからない、という状況に投げ込まれてしまっておりました。

そのままあれこれと話をするうちに、とりあえず同書に関するフェアやりましょう、ということになって(え、フェアって何? 何をすればいいの? といった疑問ももちろんスルーのまま)、結局僕は同書に登場したりその編集に際して参照したいろんな本をとにかく選書しまくって、それらの本に対するコメントを手書きのポップに書きまくって(台紙はマッチャンの手作りDIY風味満載のしかしどことなくゴシックでロココな感じの)、それが結局2ヶ月ぐらいの長期フェアになる、というこれもまったく意味のわからない体験をさせられたりもして、そのときの写真がこれで、

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な、なつい!
勝手に貼りましたがコレはぼくのMacの先生であり現在のぼくを本当にいろんな意味で正しい方向に導いてくれた(笑)@yamato さんによる写真。貴重だ……この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございます。

たしかこれ、ジュンク新宿の閉店直後(21時過ぎ)とかで、マッチャンのご厚意で撮らしてもらったんですよね。@yamatoさんにもわざわざそんな時間に出向いて頂きまして……皆さんのご厚意にすがって生きていますね私は。
それにしても、もう何を選書したのか完全に忘れてるな……鷺沢萠の『愛してる』とか伊丹十三訳の『パパ・ユーア クレイジー』とか入れたのは覚えていますね。佐々木敦さんの『映画的最前線』も入れたかな。

その後に、というかその撮影の時に実はすでに第1巻の準備&制作がスタートしていたのがscholaシリーズだったんですが、それが同年9月にリリースされて、「ぼく今度坂本さんとscholaっていうのやることになったんですよ〜」ってマッチャンに言ったら「いいですね、じゃあフェアやりましょう」となってまた唐突にやることになったのが記念すべき最初のscholaフェアでこんな。

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激しくブレてかえって臨場感がありますが、これは中心部のエスカレーター脇のもんのすごい人が通るところ。いわば花道(?)。時期は写真の日付を見ると2008年の11月30日って書いてありました。
こんなポスターがポツンと階段のところに貼ってあったりしましたね。

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その後もコレとかコレとか……というか急ですが、今Macから掘り出せてすぐに載せられるかぎり載せてみましょうか。
schola選書フェア@ジュンク堂シリーズ!!

第2巻のジャズ編。(2009/7/14)
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上から〜
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下へ〜
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第3巻ドビュッシー編。(2009/11/20)
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第4巻ラヴェル。(2010/1/9)
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デカ年表付き〜(巻末年表の拡大パウチ&中央のアヴァンギャルドな切り貼りはマッチャン製)
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第5巻ドラムズ&ベース。(2010/6/7)
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第6巻古典派。(2010/11/21)
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第7巻ベートーヴェン&schola Tシャツ販売。(2011/1/4)
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ドドーン
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第8巻ロックへの道。(2011/6/5)
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……ということで、他にも探せばちゃんと写真あると思うんですが、とりあえずザラッと。

ちなみに上記は全部新宿店ですね。9巻あたりで新宿でのフェアが最後だった記憶があるので、そこから先の池袋店編はまた次回ということで。
それにしても、ピンボケっぷりがすごいな。すみません。>各位

ともあれ、そんなマッチャンが新宿から池袋に移って(なにしろ新宿店じたいが無くなったので)、しかしそれからもまだ懲りずにscholaに対してはフェアやってくれたり、取り扱いもしてくれて……。そもそも版元のavex/commmonsはCDをはじめとする音楽ソフトの制作・販売企業なのでブック系の流通網は専門じゃないというか、とくにシリーズ初期はいろんな意味でその辺がワークしきれず、でもそんな状況はぜんぜん関係ないよぐらいの勢いで唯一無二のノリとカンでここまで飽きずに付き合ってくれたマッチャン、ほんとにありがとう。アンタ最高だよ! また会おう。

2014-11-18

第15回 DTPの勉強会 に行ってきた

先週土曜(11/15)に「DTPの勉強会」というシリーズ物のセミナーというか勉強会というか、に初めて行ってきました。
http://dtpstudy.blog51.fc2.com/blog-entry-68.html

勉強会と言えば、去年の8月から参加している無料のプログラミング入門講座「Perl入学式」の話を何度か書きましたが(これとか)、これはそこで知り会った生徒仲間の方から存在を教えてもらって、タイミングもちょうど合ったので行ってきた、みたいな感じです。

詳細は上記リンクのとおりですが、14時スタートで19時過ぎまで。大変濃密な時間でした。
具体的にはInDesign(インデザイン)という、ぼくも仕事で使っている編集・デザインソフトの使い方あれこれ、みたいな感じで、まあぼくは「使ってる」と言っても必要最低限の機能をおそるおそる触ってるだけ、みたいな感じなので、その知識や技術の幅を少しでも広げておきたい、深く知るきっかけにしたい、あるいはこのツールを使ってる他の人はどんな感じなのか知りたい、みたいな動機もあって、結果的にはそのいずれにおいても得るものがあったと思います。

とくに、最初に発表されたものかのさんのフォント講座と、最後の樋口さんによるEPUB等の話は現時点の自分の関心に直結する部分があり楽しく聞きました。

懇親会(+2次会)まで含めて参加した感想としては、発表内容も含めてとにかく運営がプロフェッショナルというか、参加費は3000円(懇親会はプラス4000円)でしたが、それも納得の洗練された内容で、その点が何より印象的でありました。



その他の感想として、たとえば上記のPerl入学式や、昨年と今年参加した「YAPC::Asia」みたいなエンジニア中心のイベントに比べると、いずれもスライド発表が中心になっているという共通点はありながら、けっこう違うところもあって、たとえばこのDTPの勉強会だと、最初の注意事項で「生徒さんはなるべくその場では手を動かさずに、講師のスライド&発表内容に集中しましょう」みたいな話があって、これはかなり新鮮でした。

ようは講師が対象の操作方法等をデモで説明していても、生徒さんはそれを見ながらPCを開いてその場ですぐ試す・・のではなく、説明中はせいぜいメモ取る程度にして、とりあえず集中して見聞きしましょう、そして実際に自分で試すのは後日運営さんから動画が送られてくるので、それを見ながらじっくりやりましょう、みたいなことで、これはとても合理的で良いなと。

これが徹底されると、現場では一気に集中できて、短時間のうちにかなり多くの情報を吸収できるので非常に効率がいいというか、逆に言うとこの説明タイムに近くでカタカタキーボード叩く音なんかがすると「う、集中・・できない・・」みたいになって困るというか、実際そういうクレームもあるようなのだけど、それもよく分かるなと。

一方、もしこれがエンジニア中心のイベントだったら、事前にそういう説明があるということはちょっと考えられなくて、実際にはエンジニア同士の場であっても発表内容に集中した方がいろいろ効率いいことに変わりはないはずなのだけど、それでももうちょっとオープンというか放任的というか・・思うに、エンジニアというのは(とくにそういう場に集うエンジニアというのは)その時点で一つのトライブというか、仮想的なコミュニティの一員みたいなところがあって、すでにある程度共有された認識があるというか、何が良くて何が望まれないか、ということは不文律的に決まっているようなところがあるのではないかなあ、と思ったりもして。(たとえば「銀の弾丸」とか「DRY」とか「TMTOWTDI」とか・・それはPerlだけかもしれないが・・そういうキーワードが共有されていたり)
つまり誰かが事前に「こういう場合はこうしましょう」と言うまでもなく、良し悪しの基準は共通化しているからそれについてとくに言う必然性がないというか。

という、それはべつにどっちの会の方が良いとか悪いとかいうことではなくて、ようは参加者の求めるものや、出自・背景のバラバラ加減なんかが違うのかなと。そのようなことをざっくり思ったりしました。



もう一つ、非常に印象的だったのは、ぼくは今までもそれなりに「すぐわかるPhotoshop」みたいな本で(あるかは分かりませんが例として)こうしたソフトの操作方法を勉強しようとしたこともあったけど、どうしても分かりづらいというか、面白みを感じられず、すぐに苦痛を感じ始めて挫折してしまうというか、つまりそうした本を通しての勉強で「わかった!」みたいに感じた経験はほとんどなかったのだけど、今回の勉強会で目の前でどんどんデモが進んでいくのを見ていたら、それだけでもその操作方法なりツール自体の原理や設計思想なりがよくわかるような感覚を覚えて、もしかするとこういうものを勉強する順番としては、まず慣れた人が実践しているところを直接見て、それを補う方法として後から本を参照する、みたいな方がずっとわかりやすいんじゃないか、というかこうやって勉強すればよかったんだ・・みたいに思ってそれもけっこうな収穫でした。

ちなみにというか、これまた逆に、プログラミングの勉強に関しては案外書籍だけを通してやるのでも進められる部分が少なく無くて、とくに多少なりそれに馴染んでからはドキュメントやソースコードとの対話だけでほとんどいけるのでは、みたいなところもあるので、この違いっていうのはInDesignやIllustratorのような個別の(一私企業が提供する)ソフトに習熟すること(のハードさ)と、誰もがその成り立ちにまでアクセスできて世界中に開かれている(ものもある)プログラミングの世界との違いが表れてもいるのかなあ・・? みたいなことも思ったりしました。

とりとめがなくなってきたので唐突にまとめますが、充実度の高い会を大きなトラブルもなく実現されている運営の皆さん、そして初参加の僕と(おもに懇親会で)おおらかに語らってくれた参加者の皆さん、おつかれさまでした&ありがとうございました。

2014-10-13

毎週みるTV

以前はどうだったかよく覚えていないが、ここ数年で大体みるTV番組が決まってきた。
圧倒的にTVを見る時間自体が減ってきたので(代わりにPCモニターかiPhoneの画面を見ている)必然的に「あれもこれも」という感じではなくなってきている。

ぼくがTVを見るのはほぼ夕食のときだけで、約1〜2時間である。そのときにちょうど好きなTV番組をやっている、などという確率は低いわけで、だから見たいものがあれば録画しておいてそれをタイムシフト的に再生する。

などと言いつつも毎週録っている番組は2つだけで、それは「アド街ック天国」と「サザエさん」である。
これらに特徴的なのは、まず大河ドラマのような毎回の連続性がないこと、そして1つの番組内ですら内容が断章的であることだ。

毎週見ているのだから連続的な内容であっても構わなそうなものだが、なんというかTVはあくまでリラックスするためのものとして使っているから、前後の文脈を前提とすることにより生じる緊張感がイヤでそういうものからは必然的に離れるようになった。

わざわざ録画まではしないがちょうど食事時にやっていたら見る、というのが「なんでも鑑定団」と「美の巨人たち」で、ここまでに挙げた4本中3本がテレビ東京である。

「なんでも鑑定団」もまた1つの番組の中でそれぞれの鑑定対象ごとのブロックを持つ(つながりが断ち切られた)断章形式と言える。それでいて番組のトーンは一定なので見やすい。ついでに言うと、出張鑑定のコーナーはその中でさらに細切れになっているのでいわば入れ子的な断章になっている。
各ブロックのオチはもちろん鑑定結果の金額であるわけだが、実際の見せ場は対象となる美術品を作った「知る人ぞ知る作家」の履歴を追うミニドキュメントで、作り方としては「美の巨人たち」と同系のようでもあるが、これが面白いのでよく見ている。

にもかかわらず録画まではしない、というのは途中の出張鑑定があまり好きではないからで、どうも僕は素人がTVに出ているのがあまり好きではない。ニュースの街頭インタビューですら良い印象を持たない。その理由は「素人はTVに出ると当たり障りのないことしか言わない」という先入観があるからかもしれない。

以前は「和風総本家」という、これまたテレビ東京の番組を時々目にするたびそのまま見ていたけれど、最近はなんだか「日本サイコー」という結論ありきで作られているようで面白くないと感じて見ていない。日本には良いところも悪いところもあるし、悪いところは特殊な悪い人だけが作っているわけではない。思考停止的な日本礼賛はそのことがわかりづらくなって良くない。

「アド街ック天国」や「サザエさん」を毎週録画するのは、それが飛び抜けてよく出来ているからとか、面白いからということではなくて(もちろんつまらないわけでもないが)、非常に機能的だからである。
ここで言う「機能」とはぼくがTVに求める「リラックスしたい」という目的を「短時間で」「確実に」果たす機能のことだと言える。
それらを見ていると、見る前より少し気分が軽くなっている。すこぶる楽しくなる、というほどではないが、ある要件に対する凝り固まった見方が一度リセットされ、それまでにやっていた仕事上の事象などを少し俯瞰的に眺められるようになっている。それがまた次の作業への力になる。ここでいう「力」とは体力とか滋養みたいなことではなくて、30cmの高さから物を落とすより30Mの高さから物を落とした方が大きくなる、そのような「力」を指している。

「アド街ック天国」でたとえば「武蔵小山」を特集したとしたら、ぼくは武蔵小山についてほとんど何も知らないから、次のランキングで何が取り上げられるのか、ほとんど想像できないまま内容を見続けることができる。
それが「新宿」や「上野」であっても、有名な場所が第何位に出てくるかまでは想像ができない。
ほぼ同じリズムで「何か」が出てくるが、その「何か」が何であるかは想像がつかない。その「断章性」「予測不可能性」の組み合わせがたぶんそこでは重要だ。

「サザエさん」も同様で、あれはかなり現代的というかドライな作りになっていて、30分番組が3本のエピソードから成っているがその3本それぞれにしても1本の筋を丹念に説明するというよりは、案外バラバラで関係のないエピソードと共に構成されているから、登場人物はもちろんほぼすべておなじみの面々ばかりだが、そこで展開するドラマの内容は予測不可能と言える。

最近のTVドラマは見ていないけれど、20世紀ほどではないにせよ、やはり典型的というか類型的というか、「それもう知ってるから」みたいな人物像やエピソードは少なからず出てくるはずで、正義は勝つし、悪役は悪や嫉妬のことしか考えていないし、いいところでCMに入ったり次回に続いてしまったりするし、そういう紋切り型に付き合うのが時間の無駄だから見ていないというところがある。

少し前に岡田准一の「SP」や西島秀俊の「MOZU」のような、クールでスタイリッシュな刑事モノみたいのがあって、系統としては「ケイゾク」とか「沙粧妙子」みたいな感じでいいなと思うが、それでもやはりスポンサーのつくTVドラマという場所で、完全にクールに振り切るというのは無理があって、どこかに甘い、わかりやすい「それ知ってる」的な部分を作らなければならないはずで、だから僕が見たい番組の選択肢からは外れてしまう。
どんなにドライに見えてもヒロインは主人公に恋をするし視聴者もそれを期待する。そしてそういうのはもういい、と感じる。
そのようにしか出来ないというのなら逆に、いつも同じようなことをある種ミニマルとも言える繰り返し具合でやっている船越英一郎や渡瀬恒彦などによる火曜サスペンス劇場系の勧善懲悪的な刑事モノを眺めている方がボーっとできて良いという気もする。

おそらくTVを見ているときにまで倫理というか物の見方を押し付けられるということが嫌で、だからそういうことから逃げ切れている番組を好んでみている。
いわゆるお笑い芸人を集めたバラエティ番組はそういった倫理や規律にもっとも縛られたジャンルの一つで、「面白くなければいけない」「つまらないことを言ってはいけない」という出演者の思いが画面を通してこちらに強く伝わってくるのでいたたまれなくて見ていられない。それは自由な雰囲気からもっとも遠い緊張感である。

「サザエさん」では次の瞬間に誰が何をするのか全く想像できない。そして何が起こっても構わない突き抜けた虚無がある。誰が誰に恋をしても、あるいは憎しみや嫉妬の感情を抱いても、それは言葉の上でちょっと言ってみた程度のことで、どれだけノリスケや波平がそれに慌てたとしても結果はつねに「大したことない」に収まる。

「サザエさん」に感じる唯一の懸念は、家の中のTVを始めとするセットがいまだに昭和のままだし、スマートフォンはおろか携帯も出てこない時代設定だから、やがて現実との乖離がごまかせないレベルになって、上記のような価値を想像しない誰かしらの少なからぬ声に押されて番組が終了してしまうのではないか、という点だが、いや、もうそういう時代劇なのだ、あるいは「ムーミン」や「アンパンマン」のように異世界の未知の生物たちによる寓話なのだとして、ぼくの数少ないリラックス・ツールとしてどうか継続してほしい。