ミクの日感謝祭は宗教儀式か

もう相当遅い話題なんですが・・・。ミクの日のニュースが出た時、よく宗教だとかなんとか言われてましたが、それに異議があるというお話です。

ミクの日は宗教儀式か?
結論から言うと新興宗教(カルト)の意味では断じてNo。広義の宗教という意味ならYes、だと思います。

まず前者については簡単で、あの場にいる全ての人が「あのミクはプロジェクターに投影されたもの」だということを分かっているのがポイントです。分かった上で、あたかもそこにミクが居るとして応援し、楽しむ。これは舞台劇などで観客がセットを本物として見立てる意識と同じであり(ラーメンズはよくこれを逆手に取るコントをしていますね)、キモいだの怖いだの中傷される筋はないでしょう。もっと言えばただの絵であるアニメをキャラクターとして見ることも同じであり、それも映画館ならいいがコンサートならキモいという感覚自体がよくわかりませんね。そこにどれだけの差があるのでしょうか。そして、もしカルトであればそういう前提すら成り立ち得ません。「あれは本物である」という考えをあらゆる手段を使って強制してくるでしょう。しかし当然ですが誰もそんなことはしていません。私たちは自発的に「ミクがステージに居る」と考えているからです。

次に後者ですが、これは言葉の定義にもなってきますが、実は日本においては仮に無神論者でも宗教と全く無縁の人はほとんどいません。なぜならお正月、墓参り、お盆、初詣で、これらは全て宗教儀式だからです。仮にそれぞれに参加はしなくても、それらが意識の中に全くないという人は極めて少ないでしょう。
少し話が逸れますが日本はアニミズムの国、八百万の神の国なわけですが、日本で神(正確にいうとカミ)というのは、「○○は神」「経営の神」「守護神」のように秀でた人や物であれば何にでも(いやそうでなくても)、そう成り得る考え方なのです。これは昨今使われる意味における西洋の"God"の神とは違う、日本古来の"カミ"としての神です。その意味においてあの日、ミク、リン、レン、ルカはまた新たな生命を宿しカミになったのでしょう。これは日本のおおらかな考え方に従えば宗教儀式と言えるかもしれません。

と、ここまでの話は実はUKの架空のバンドGORILLAZにも当てはまります(向こうの人はカミというか、ショウとしてでしょうけど)。しかしミクムーブメントの根幹にしてGORILLAZ(orシャロン・アップル)とは決定的に違うところ。それは関わった全員が参加者だということです。
クリプトンさん、KEIさん、曲を作った人、演奏した人、絵を描いた人、歌ってみた人、映像を作った人、実体化した人、小型化した人、飛ばした人、裁縫した人、木を掘った人、コメントをした人、マイリスした人、宣伝した人、殿堂入りにミリオン入りに一喜一憂した人、P名をつけた人、CD買った人、Pのファンの人・・・。
そういうそれぞれの想いが渾然一体となってあの熱いライブとして結実したことに思いを馳せれば、それはもう細かいこと抜きに感動せざるを得ないわけで。ましてや上記のような、宗教の意味を知らない、考えたこともない人たちの決め付けとは全く違うのです。・・・それにしても5000人動員したなら8000人の武道館いけるんじゃないかと思っちゃいます。

そんなわけで「ミクのライブで熱狂」とだけバーンと言われると狂信的なイメージになってしまうのは正直分からないでもないですが、その誤解のままレッテル張りをされるとどんどん事実とかけ離れてしまうので、それは勘弁してもらいたいです!実在しないところに石を投げても意味ないですよ、ということで。
そんな感じで筆を置きます。

デPのインタビューが痛快

ご本人には不本意だろうけど言わせてもらいます。ASCII.jpのデPのインタビューが素晴らしいです。
http://ascii.jp/elem/000/000/476/476766/
ボーカロイド界にデPがいてよかった。これが文化の多様性だと思いました、固く言ってしまえば。というかまあ、純粋に読んでいて面白いです。表現者のインタビューはこのくらい壊れていて全然オッケーかと。

内容で印象に残った発言をいくつか挙げると…

>だって、普通の歌詞ってつまらないじゃないですか。
これはまさにその通り!この点だけでも(もし大衆音楽にアート性というものを求めるなら)メジャー音楽よりボーカロイド界の方が遥かに上だと感じてます。それもあったので、僕は以前の多様性を萎縮させる判断に反対してました。しかしさすが元祖削除男は見ているポイントが明確です。(ちなみにデPの話を自分の意見に我田引水するつもりはないのであしからず。)

>自分が楽しいのが一番ですよ。
楽しければいいというのは単純なようで究極ですね。その視点からすれば再生数とかランキングとかGJコメも荒らしコメも全部"飾り"ですし、ましてそれを気にして歩みを止めてしまうのは間違っています。それはこの世の有り様と違う。と、ある神域の男が言ってました。

ニコニコ動画に発表を続けるというのを聞けたのもよかったです。…僕は世の中に認知されたきっかけってすごく大事だと思うんです。芸能界を見てもデビュー当時の印象というのはそう簡単に拭えるものではないし、それはイコール活動の存在理由とも直結してるような気がします。たとえばお笑い芸人やスポーツ選手が歌や芝居をやった場合いくら当人が本気でも遊びに見えたりとか、アイドルでデビューしたら本格的な演技派やシンガーにはなかなか見てもらえないとか、グラビアをやめたらガッカリするとか、バンドを解散してソロになったら光の速度で消えていったとかそういう感じで。とはいえデPのようにいつまでもフルサイズの楽曲をニコニコに投稿すべきとまでは思わないですしそんなこと言える立場でも当然ないですが、もしデPの話の通りに軽んじている風潮があるならこの先大丈夫かなとちょっと心配にはなります。余計なお世話以外の何物でもない。

あとミクフェスでバンドもミクもダメって、じゃあ何しろって言うんでしょう。この裏話はちょっと主催者ふざけてるなと思いました。個人的にデPのステージは大ウケしましたけど。

全体的に自由で、ともすればインタビュアーや読者やファンをバカにしているようでもありますが、これこそ表現者だと思いました。思うにボーカロイド界に関わる方々は空気を読みすぎなんじゃないでしょうか。空気を読まない奴が物事を前に進ませるって話を聞いたことがあります。キャラクターという下駄を履かせてもらっているとはいえ、再生数やマイリス数はコンテンツの力ですよね。ボカロキャラを使っていても再生数1000いかない動画だってたくさんあるわけで。そして特に楽曲の力で支持をされている人はもっと自分を出していいんじゃないかとも思いますが、それこそ余計なお世話ですね。


>そういうファンは帰れ、というスタンスでやってますね。
デPは紛れもなくロックンロールでした。

沈むくらいならいっそボーカロイドに歌わせるススメ

CDが壊滅的に売れないと言われて久しいですね。ちょっと前のニュースでオリコンの20位が3000枚だとか?

しかしそんなんだったら下位のほうではもう何百枚とかの単位なんでしょうねきっと。コミケやボーマスの1日の売上げほうが多そうです。

オリコン下位にいるアーティストさんたちはいつまで旧態依然の制度に付き合う気なんでしょうか。単純に疑問なんですが青息吐息のレコード会社と契約するメリットって今あるんですか?万一ヒットしても次の新人の宣伝費に回されてしまうだけなんじゃないですか。ツテで音楽番組に2、3出たって今の時代は望むような活動なんてできないでしょう。そんなものにしがみついていたら一緒に沈んでしまいます。

であれば、いっそ作った曲をボーカロイドに歌わせてみてはどうでしょうか。これは何も我田引水で言ってるわけじゃないのです。

僕は常々、JASRACやらの中間管理会社にがんじがらめにされて自由に歌うことも演奏することもできない音楽より、ボーカロイド界や同人の音楽のほうにこそ音楽の根源的楽しさがあると思っています。なにより昔からのミュージシャンへのルートより、今や単純にこっちのほうが表現者としてのメリットも楽しみも成功の確率も高い気がするので。(というのも今時の一般ミュージシャンのPVを見たことがありますか?予算がないせいだと思いたいですが、センスもやる気も感じられない学園祭以下の映像を付けられて可哀相なくらいです。ニコ厨のほうが明らかにハイレベルですし、なにより楽曲に愛がありますよ。)

ボカロ界には世間の一般人より音楽に真摯なリスナーが万単位でいます。音楽に限らず作品は、まず見たり聴いたりしてもらうことが肝要。もしヒットすれば、とりあえず存在を認知してもらえるし、作品自体も歌われたり絵を描かれたりいろいろ展開していくこともあります。

コピーを縛るのではなく逆に利用する、そういう発想の切り替えをそろそろみんながしてもいい頃かと。「無料でコピーが楽しめるデジタルコンテンツに人々は金を払わない」・・・確かにそうだと思いますが、であれば特大の再生数とはいえsupercelllivetuneのCDはなんだったんでしょうか(未だにあの商業音楽において革命的な現象を真面目に論じた文章を読んだことがない・・・)。ミクのキャラがまだ新鮮味があった頃だからというのもあるかもしれませんが、コピーに比例して売上げが落ちるという考え方に穴があることを証明したのも事実ですよね。

繰り返しになりますが、曲に歌うことも演奏することもできない縛りを与えたままレコード会社と一緒に沈んでいくくらいなら、その前に、いやその後でも、ボーカロイド界に投稿してみてほしいです。(というかレコード会社の人にこそ違法コピー撲滅運動も結構ですがいい加減発想の転換をしてほしいです。必死にバケツで汲み出したところでその船はもう沈むというのは、乗っている人が一番分かってそうなものですが。)

こう言うと怒る人もいるでしょうが、ボーカロイドに歌わせてニコニコに投稿することによって半ば二次創作容認のような形になります。そうすればもしかしたら誰かとてつもないセンスの人が勝手に映像を作ったりすることもあるかもしれません。そこまではいかなくても自分の作品が拡散していく様子を見るのは、きっと他では味わえない楽しさがあります。難点は作者と云えども狙った展開にはまずできないことですが、そこがまた楽しいところかと。

しかしこんなゴミブログでいくら喚いても結局ボーカロイドはヲタクのものみたいな見られ方をしているのだろうと思います。
まあそれならそれでいいです。
これから世間様の凝り固まった先入観をぶっ壊すPVを作れば済むことですから。

しつこく『白いクスリ』削除に反対し続ける3つの理由

一ヶ月前にも書いたのですが『白いクスリ』騒動について僕の考えをまとめておきます。

1、民主主義の国の国民として削除に反対する
"私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利には賛成だ" これは民主主義の根幹にある考え方としてよく引き合いに出される言葉です。

一方、削除に賛成した人は根拠はどうあれこう言ったのです。"私は『白いクスリ』の表現には反対だ、だから作者が『白いクスリ』を発表する権利にも反対だ"

"自分の(あるいは自分が好きな企業の)都合の悪いものはなくなっていい"というのは、民主主義から最もかけ離れた全体主義・統制主義の考え方であることを自覚してください。
そういう人に言いたいのは、例えば今後ミクが自民党を応援して民主党を貶めるような歌を歌い、それが爆発的に人気が出てマスコミが取り上げ、そしてどこかからの申し立てでその動画が削除されたとしても、またはその逆でも、一切反対してはいけません。それでは筋が通らない。
なぜなら特定の意見を封殺することを認めているからです。
つまり今回の場合、削除した行為そのものが問題なのであって、そこに楽曲の内容を恣意的にコントロールする意思があるかないかは関係ありません。クリプトンにはきっと"いい人"が多く、自分たちはそんなことはしないと固く信じているから実行したのでしょうが、問題はそう単純ではないのです。


2、音楽ファンとして削除に反対する
以前「世の中にはバイクを盗む歌もある」と書いたら、コメント欄にて「尾崎のはフィクションであり実在する人物を中傷することは許されない」とご指摘をいただきました。ではSex Pistolsの『God Save The Queen』や『EMI』という曲をどうお考えでしょうか。RAGE AGAINST THE MACHINEアメリカ政府を批判したし、エミネムは他人の誹謗中傷も歌詞の中でやってます。ギャングスタラップというジャンルはWikipediaによると"その内容と言えば、ドラッグ、酒、犯罪、タバコ、レイプ等の危険極まりなものが多い。"とあります。
「他人の権利を侵害してまでやる表現て何でしょう?」という純粋まっすぐな意見もありますが、何でしょうも何も立派な表現です。たしかに"良識ある大人たち"から眉をひそめられやすいものではありますが、それこそが大衆音楽の一面です。ロックにもヒップホップにも初期にはバッシングが付き物だったんです。
僕は作品から発生する利益もリスクも栄誉も罵声も作者が負うべきで、ツールの段階で止めるべきではないと考えます。「エンドユーザーはVocaloidの技術を借りているにすぎないのだから削除は当然」と書いていた人もいました。ではそもそもVocaloidの権利元の人々は上記のようなアーティストを否定していると言うつもりですか?それは楽器を作っている方々に対してあまりに失礼だと思いますが。
つまり僕は法的にどうこうではなく削除の決断それ自体に音楽ファンとして疑念があるということです。
ちなみに爆破予告や脅迫に使われたらどうするんだという意見もありましたが、それは表現の自由利用規約云々以前に、単純に犯罪行為なので論外となります。しかし少なくとも名誉毀損親告罪です。


3、初音ミクをアイドルとして扱うことに反対する
前回書きましたがこういう考えだからこそ、僕はボカロキャラをアイドルの枠にはめ込み続けようとするのに猛烈に違和感を持っていて、そんなくだらない定義でこの創造の爆発に枷をつけて欲しくないと思っています。
要は初音ミクやボカロキャラを愛しているがゆえに、コンセプトをアイドルなんてチンケなものじゃなくアーティストとして扱ってほしいと思います。


以上です。

ボカロキャラのクラスタとしての役割

feat.初音ミク巡音ルカと表記されたCDがオリコンを騒がせることも増えてきましたが、それを買う人の全員が全員、アニメのキャラソンのようにボーカロイドのキャラクターに萌えていると思われるのは少し事実と反します。

ボカロキャラは、魅力はあるけどバラバラになっていた音楽をまとめるクラスタとしての役割も持っているからです。

この世にはインディーズどころか何にも属さない音楽が無数にあります。そこではオリコンビルボード上位には絶対載らないような、音楽の根源的な楽しさを持つ曲を聴くことができたりします。世間には知られずともブームが起こればシーンが盛り上がることもありますが、大抵の場合尻すぼみになっていきます。なぜなら良くも悪くも玉石混交で、数が多すぎて探しきれなくなるからです。基準も尺度もないから当然ランキングもありません。自由と平等といえば聞えはいいものの、ただひたすら砂粒のように拡散していって、初心者には何をきっかけにどう聴いていったらいいかも分からない状態になるんですね。

一方ボーカロイド界には"ミク"、"リン"、"レン"といったアイコンがあるから、メジャー流通以外の様々なミュージシャンの音楽にも比較的容易に触れることができるようになりました。本来出会うはずのなかった個々の音楽を、ボカロキャラがクラスタとして機能することでグループ化して、無限に拡散していくのを防いでいるんですね。これは本当に素晴らしいことだと思います。
ぼくは声や容姿がかわいいからというより、いち音楽ファンとして"初音ミク"はその象徴として好きなんです。

ミクFES’09(夏)で見た光景


ミクフェスでエンタテインメントの世界に「何か」が刻まれる音を聞いた気がする。

なんだろうこの光景は。

透明な板に映された緑の髪の女の子に声援を送って、サイリュームを振る。それはゴリラズみたいな有名ミュージシャンが作り出したものではなかった。
登場するPたち。決してレコード会社に見い出されてデビューしたわけじゃない。失礼ながら言ってしまえば元は一般人だった方々。
そんな人たちが素晴らしい曲を作ったり、またある人は絵やPVを作ったり、ジャンル分け不能のものを作ったり、見て応援したり、そうして各々のやり方でミクやボカロキャラを愛でていき、ついにライブを大成功させるに至った。

2ch痛ニューとかでどれだけ叩かれたって関係ないよ。だって日本に生まれ落ちてこれに面白さを感じないでどうする?あえて言ってしまえば"胸が熱くなった"。本気で。ていうか泣きそうになった。

バンドの演奏もすごかった。ライブアレンジがカッコええ。特にsupercellの盛り上がりは尋常じゃなかった。『ワールドイズマイン』はライブ映えする。一緒にノッたらむちゃくちゃ気持ちいいです!

もう映像が投影されていたからじゃなく、あの時あのステージに、確かにミクは「居た」んだと思う。ライブなんだから代理の歌い手を、例えば藤田咲さんを呼べばいいとかいう意見をよく見かけるけど、ミクフェスにはミクの声で演る理由があった。

別にここから音楽の歴史が変わるとか、ボーカル涙目だとか、そういう事を言いたいわけじゃない。

ただ美しかった。それだけです。


P.S.終わった後にフロアに向けて「また冬に会いましょう!」と叫んでいた方、その行為そのものが熱かったです。ミクFES(冬)、あると信じたいですね。

初音ミク on Animelo Summer Live 2009 -RE:BRIDGE-

アニサマに行ってミクを観てきました。

ミクの出場が決まったときから、どんな形での出場だろうと友達と盛り上がりつつも・・・不安でした。というのもボカロ界隈以外からはやたら叩かれていたのと、どういう形でも寒い結果になりそうな気がしていたからです。

結論から言うとそれは杞憂でした。ミクが登場した途端、会場のサイリュームが緑に染まっていき歓声が上がります。それもはもう嬉しい光景で、ネットの書き込み数は当てにならないと思ったものでした。『「みくみくにしてあげる♪」【してやんよ】』と『ブラック★ロックシューター』。現場からの率直な印象を言えば、初日のラインナップの中でもかなり盛り上がったほうに入ると思います。

話はちょっと逸れますが最近『スルタンの象と少女』というDVDを観ました。平たく言うと木でできた巨大な少女がル・アーブルの町を闊歩する様子を収めたドキュメンタリーなんですが、この映像の素晴らしいところは町の人たちの反応です。みんな巨大な少女が"生きてそこに居る"ものとして接するんですよ。「こっち見たよ!」とか「今日一日遊んだから疲れてるんだろうね」とか。係員(?)の人が周りで必死に制御してるのが見えてるにも関わらず。

アニサマのミクライブからも似た感慨を受けました。つまり画面に映っているのはCGで、声も打ち込みなのは百も承知の上だけど、あたかも実在している歌手のようにサイリュームを振って声援を送る。キモかろうが何だろうが、これこそエンターテインメントの楽しみ方だと思ったのです。木製の巨大少女に向かって「あんなの作り物だろ」なんて言ったってしょうがないわけで。バーチャルが現実をどうたらとかそんな大層なことではなくて、「一緒に盛り上がったほうが楽しいじゃん」そんなしなやかなノリの良さを感じました。

ここからは穿った見方ですが、2日目のゆかりんの年齢チェックで会場の7、8割が10〜20代と判明しました。そういう光景を見てしまうとなんだか「新しい時代を創るのは老人ではない」の言葉がよぎってしまいます。
それを言ったら僕も老人の年齢なわけですが、感性は閉じたくないなと思ったのでした。

ボカロとしては忘れてはいけないあさぽんの『ココロ』も素晴らしかったです。あのイントロが流れただけでぐっときました。