松本人志の生い立ち①−尼崎

高須さんは、クリエイターに必要な直感、それを培うものは原風景ではないかとラジオ内で指摘している。

高 だからあなたが子供の頃見たものが、
  家にあったもの、おかんの顔、おやじの顔、近所におったおばはん、
  道路、学校、色んな、たぶん原風景が、
松 うん。
高 多分ね、そんなかに、まあ方程式としては出来上がってんのよ。
  あん中に、多分笑いが全部あって、そん中の原風景を、やっぱしね、
  切っては出して、切ってはコントにして、
  切ってはなんか企画にしてみたいにしてるはずなんや。
松 そうなんかなぁ。
高 「やっぱ子供の頃の原風景って、大事やな」っちゅう話なったのよ、こないだ。
(241)

まず、松本人志の生い立ちに入る前に、尼崎という土地が彼らにとってどういう場所だったのかについて書き出してみたい。

悪いとこ 公害の街

松本人志が芸人と話をして、出身地に話題が及ぶと近畿圏から来た芸人はみんな、尼崎は悪いところで行ってはいけない場所だと言われていたと話したそうだ。

松本「みんなに「悪いとこやな〜〜。」言われて」「「尼は行ったらあかん。」言うて、みんな言われてたって言うねん」(241)

例えば松本人志が通った尼崎工業高校は、曰く「悪いやつのインターハイのような高校」であり「悪すぎて逆にピラミッドがかっちり決まっていてケンカが起こらなかった」(112)というような場所だったらしい。
小学校を見てみれば各部屋に空気清浄機があり、「尼崎という工業地帯の排気ガスだらけの町」で「光化学スモッグが出たらぶおーんと」スイッチが入れられるような環境であった。(002)(133)

尼崎の人々

そんな尼崎に住んでいた人間もおかしな人間が多かったという。それはいつも軍服を着ているクリーニング屋の息子、赤帽をずっとかぶっている一つ上のイワオさん、勝手に野球の試合の流れを掲示板に書いているさわらぎ屋のおっさん、小学校の先生である村上トーコー、河合のおっさんなどという奇異な人々の存在からも言えるだろうし、


高 一般の人もおもろかったよ。許してる感じが全然ちがうねん。 … たぶん芦屋とかの距離とは全然違うやんか。 … シミーズいっちょで行けてまう範囲が、まあ半径1キロぐらい行こう思たら、行けてまうやんか。
松 まあそうやな
(114)

奇異な人々をありえるものとして受け入れる雰囲気が、当時の尼崎にはあったようだ。

貧乏な街

また、彼らの話題には貧乏というキーワードがよく話題に上る。ここで彼らの経済状況についても見ておきたい。
松本家の経済状況は、尼崎でいえば、高須はDカップ。松本はBカップ。浜田は貧乳のAカップで「乳首しかあらへん」ようなものであったらしい。また彼らの友達であったボン、ひょっちゃん、フッコがGカップらしいが、彼らも世間で言えばCカップ程度らしい。(254)
こう見てみると、松本人志は尼崎でも貧乏な家で、彼以上に貧乏な浜田家や森岡家、さらに松本家より少しランクが上の高須家や、新しく出たおもちゃはすぐにそろっていた金持ちのボンといったように、松本人志の周りには金持ちから自分よりも貧乏な家までまんべんなく色々な経済状況の家があったようだ。
松本人志はこのような周囲の状況から、より自分の貧乏を意識するようになったのかもしれない。

尼崎は切ない街だった。

高須光聖は、切ない街、という言葉で尼崎を言い表している。
関西中の不良が集まるような高校があり、小学校には空気清浄機、常に駅に漂うホップの匂い。奇異な人間とそれを普通にうけいれている環境、貧乏な人間が多い街。それが松本人志の育った尼崎という街だったようだ。

高 僕はあなたを見ててそう思ったんですよ。
   「原風景っていうのは、間違いないな」と思ったんですよ。
松 うーん。
高 「あ、松本人志が作るものが、切なくなるのは、
   結局尼崎の街が、原風景にあるからや。」
   と思ったのよ。
松 うーん。
高 あの街って、やっぱり切なかったやんか。
松 切ないですねー。
高 な?あの街の臭いはするやんか。
   尼のあのー、なんや駅降りたらすぐ、
   キリンビールのホップの臭いがして、
松 うん。
高 なんの駅前の、その栄えた感じもなく。
松 あのー、なんやろう?小学校、高学年ぐらいまで?どこの駅も、こんな臭いやと思ってた。
高 な?あれが俺らの尼のホップの臭いやったんや。キリンビールから出てた臭いやったんや
(241)