闇夜(やみよる)13

 こいつを丸め込むのは簡単そうだ、こいつはただの素人だ。加持千草は考えていた。実際、羽鳥隆之はその「力を与えてくれる」マスク以外のことは何もしらないようだった。ますますわからない。こいつの力は本物だ。なぜバットマンを名乗る者は羽鳥に力を与えたのか。なぜ、その後は羽鳥を放置しているのか。よくわからんが、この事態はチャンスだと考えるとしよう。事件は現場で起こってるんだ。このロビンは使える。
「加持さん、手首は大丈夫ですか?」
「気にするな。それとカンチでいい。それより聞け。あーちゃんのことを少し教えてやる…」
 加持は話し始めた。


 週明け。月曜日。あーちゃんは休み。気にはなるが、風邪ひいたとかそんなところかもしれない。
「曇り硝子の向こうは風の街/問わず語りの言葉が切ないね」
 加持の電脳メガネが鳴り出した。げっ、しまった。マナーモードにしておくのを忘れた。寺尾聰の美声に酔いしれて音を切るのがためらわれるが、クラスの女子はクスクスと笑っている。まあいい。キタ。メールは足として使っている鳥取県警の山口からだ。「市内F銀行を武装強盗が襲撃」。よし。すぐに羽鳥にメールを転送。右手は骨折して三角巾で吊ってはいるものの、念力インターフェイスがあれば、もはや体なんて必要ないかもしれない。なんて考えながら。
「ロビン、出撃だ!」


 カンチさんからメールが来る。出撃って。えー。授業中なんだけど。ていうか僕ってヒーローとかそもそも向いてないような気がする。僕は公務員とかになって、のんびりロハスに暮らしたいっていうか、夢っていうか。なんか普通に家庭とか持って、普通に幸せになりたい。ていうか、単純にめんどくせー。チッ。チッ。舌打ちを繰り返す。あー、くそ。行くか。こないだカンチさんから聞かされた話を鵜呑みにしたわけじゃないが、「お前の役目」ってのがあるかもしれない。手を挙げる。
「せんせー、トイレ。」
「おー。みんなー。アナル君がうんこだぞー。」
 ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ。無調の現代音楽の合唱曲のように笑いが起こる。めぐみちゃんも陽子ちゃんもスザンヌも笑ってる。ここに僕の居場所なんて最初からなかったのかもしれない。涙を拭いて僕は出撃する。僕はヒーロー。僕はロビンだ。


 僕はタクシーを降りる。うわ、ちょう近い。チャリでくれば良かった。
「あ、領収書ください。はい。ロビンで。うん、だからロビンで。んー、上様でいいです。」
「はいよー、兄ちゃんまいどー。」
 タクシーはプロプロプロプローとゆっくり走りさった。タクシーの中で着替えたけど、運ちゃんに思いっきり顔を見られたな。うーむ、あんまり考えないようにしよう。道路から銀行の中を見る。男たちが倒れているのがガラス越しに見える。おっ?と思った瞬間、一人の男が吹っ飛んできてガラス張りの銀行の窓を叩き割り、僕の足元に倒れた。ガラスのあった場所から、のそのそと黒づくめの男が出てくる。う!バットマン。でかい。185はあるぞ。なんて威圧感だ。バットマンは僕を見ると、口元をニヤッと歪めた。そして、ラグビー選手がタックルするような姿勢で僕との距離を一瞬で縮めると勢いよく僕の顔面にパンチを叩き込んだ。僕は衝撃で吹っ飛ぶ。道路を横断し、銀行の向いにあるインド料理屋「シャマラン」のドアをぶち破り、中になだれ込む。マリファナを吸いながら本国で開催されているカシミール・オリンピックのテレビ中継を見ていたインド人の店長が驚いた顔で叫ぶ。
「ハプニング!」
 くそっ。どうなってるんだ!バットマンは、なぜ僕を攻撃してくる!?壊れたドアを屈みながら入ってきたバットマンと僕は対峙する。バットマンはイスを掴むと大きく振りかぶって僕に振り下ろした。僕は右回りに回転しながらジャンプして、それをかわす。その回転の勢いを使ってバットマンの顔にローリングソバットを直撃させる。バットマンは微動だにせず、キックを顔面に食らいながら僕の足を掴むと、僕を持ち上げ窓に放り投げた。「シャマラン」の窓ガラスを割って僕は道路に倒れる。すぐさま襲ってくるバットマンストンピングを間一髪で避けると、バットマンの足をキックで払う。バットマンもバランスを崩して倒れるが、柔道選手のように大きく受身を取り手刀を地面に叩きつけると、アスファルトがひび割れた。僕とバットマンは同時に立ち上がり、お互いにパンチを繰り出す。倒されたのは僕の方だった。目を上げると、バットマンは僕をニヤニヤと見下ろしている。くそー!いったいなんなんだ?
 バットマンが口を開き何か言いかけた「よ…」瞬間、僕とバットマンをマシンガン掃射が襲う。パパパパパパパパ。僕とバットマンはすばやく「シャマラン」に駆け込んで身を隠す。弾が飛んできて、テーブルやらテレビやら店内に飾ってる調度品に黒い穴が開いていく。店長が叫ぶ。
「ハプニング!」
 弾が飛んできた方角を見る。ピエロの格好をした男が銀行の屋上に立っていた。あれは?
「ジョーカー…」
 あっ、バットマンしゃべった。バットマンはまたもニヤッと笑うと右肩の辺りから腕の部分のスーツをグラブごと引きちぎった。紫色の右腕が露出する。その皮膚はまるで鱗のように、醜く硬化している。鱗の間にはグジュグジュ黄緑色の体液がうごめいている。ポタリ。黄色い膿が地面に垂れる。肉が腐ったような悪臭がする。
バットマンマキシマム・ザ・ホルモンフェノメノン!!!」
 バットマンが叫ぶと、腕の鱗が細い針のように変形し、ピエロ男に向かって連続して発射された。