ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

水まで止まる

 朝起きてトイレに行くとどうもタンクに水が出ていないような気がする。あれ!といいながら他の蛇口をひねると何も出てこない。あわてて電話を入れるとこれまで非常用の発電機で回していた小規模水道のポンプが止まってしまったので、これからトイレ用の水を配ろうとしているというのだ。
 この際、家にいても何もできないので、できるだけ外にいようということで、とりあえず顔も洗えないので、「あぐりの湯」に出かける。天気だけはあくまでも素晴らしく、露天からはもちろん浅間山から高峯、湯ノ丸と丸見えだ。小諸の北国街道に昼飯をまかないにいく。この辺ではあまりいったことがないのだけれど、鰻の店があるという噂を聞いたので通りかかると駐車場も開いていたのでラッキーとばかりに入る。カウンターの4席は埋まっていたが、私たちは10人目くらいで余裕で席を取る。後から後からお客さんが入ってこられるが多くは60歳前後とおぼしき二人連れで、あっという間に席は埋まり、後からきたお若い男性はしばらく待っていた。特上と中を注文した。もちろん鰻の大きさも違うけれど、身のふくよかさが全然違う。たれが多少甘めだけれど、そのふくよかさは申し分がない。
 腹ごなしに北国街道をいつものように歩く。そういえば毎年暖簾をくぐっていた「そば七」には今年はまだ一度も入っていないから必ず一度は伺わなくてはなるまい。すぐ隣の骨董屋を冷やかしてから、かつて古い歴史のある旅館で、これまでに何回か手打ちのそばを頂いた「つたや」に「つたやギャラリー」と書いてあるのが気になって、いつも必ず立ち寄る「萬屋骨董店」を素通りしていってみる。入り口に立つと若い男性がいて「どうぞ入ってください」という。「つたやさんはどうなっちゃったの?」と聞くと、佐久平の先の中込に移って、その後をそのまま何軒かの骨董屋のギャラリーになっているんだというのである。ギャラリーにしたのは今年の4月からのことなんだそうだ。私が今年になってから初めて小諸の北国街道に来たことの証明か。
 これまた骨董屋なのかと、あがってみるとすぐ横の部屋の入り口には「萬屋」と書いてあって、古い着物がたくさん、そしていくつかの陶器が並べてある。「向こうの萬屋さんと関係あるの」と聞くと、なんとその若者は「萬屋」さんの息子さんだというのだという。なるほど、「萬屋」さんの左手の一角にどっさり置いてあった古い着物をこちらに持ってきたらしい。
 昔の帳場だったと思われる部屋には「あんせら」とサインが掲げられてあって、現代物の陶器が置いてある。とても刺激的な青を使った蕎麦猪口にびっくりすると中におられた60代と思われる男性が気楽にご説明下さる。陶芸のジャーナリストをしておられた方のようで、元はといえば小諸の出身。奥様を亡くされて小諸に帰ってこられてご自分がとても気に入っておられる作家の作品を扱っておられるのだそうだ。とても気さくな方で話が弾む。一世紀ほど前の輸出産業の一つであったデミカップがいくつも並んでいる。こうしたものが今になって日本に帰ってくるのだそうだ。そういわれてみれば豪州の都会でよく出会う、のみの市でいくつかこうしたデミカップに出会ったことがある。一つだけわが家に持って帰ったものが置いてあるのだけれど、こうした話をお伺いすると改めてそうしたマーケットで探してみたい気に駆られる。「ところで“あんせら”という店の名前は何を意味するのですか」とお伺いすると“アンティーク・セラミックス”の意味ですよとあっけらかん。
 さて、隣の部屋はと入り込むと40代とおぼしき男性がおられた。ここは確か旅館の時は台所だったところではないかとお伺いすると確かにそうだという。こちらは何という名前の店なのか失念してしまったけれど、ポリシーが一つに絞られているようには思えない。ガラス戸の中に「味の素」のずいぶんと古い紙の箱が立ててある。その箱には株式会社鈴木商店と右から書いてある。少なくとも戦前の箱だろう。「これは何でこうしてあるんですか」とお伺いするとこうしたなんということもない日常の消耗品の箱は、だからこそほとんど残っていないのだそうで、それをコレクションしている人がいたりするのだそうだ。たとえば紅梅キャラメル、明治ミルクキャラメルの箱なんてものが今となっては貴重品だというのである。ここから話がどんどん昔話になり、どうも話が私と同じ時代背景を感じ始める。とうとうお歳をお伺いするとなんと私の一歳年下に過ぎないことがわかり、驚愕する。なんとお若く見える方なんだろう。学生時代には弓道部だったというから身体ができているということなのか。話が進むうちに、なんとこの方が萬屋さんのご主人の弟さんだということが判明。「つたやギャラリー」になんと1時間半ほど滞在してしまい、とうとう萬屋さんの本店に上がる気力がなくなる。骨董屋さんにあがって事細かに見ていくのは結構気力を必要とするのだ。今日はいっぺんに初めてお会いする方々とお話しをしてしまったので、頭の中がぐるぐると回る。
 小諸からの帰路、できれば往路で通行止めになっていた千m道路が反対側からだとどうなっているのだろうかと大浅間カントリーの脇道をあがってみる。かろうじて道路をふさいでいた倒木を今、ほんのさっき切り倒して道路を開いたという感じである。松の木の新鮮な香りが辺り一面にぷんぷんする。知人が持っている家の傍を通ったので、どうなっているのだろうかと角を曲がってみると、すぐ傍のイタリア料理屋さんが倒木の始末に忙しそうにしておられる。知人の家に来てみると、なんと庭木が何本も倒れていて、まず入り口を塞いでいた。こりゃひどいと中に入ってみると、くだんのイタリア料理屋さんのおかみさんが車の音がしたからかやって来られた。知人の家には一本倒木がもたれかかっていたのだそうだが、とりあえずそれだけは外したのだという。倒れている木は唐松と白樺ばかりだ。根が浅い樹だからそのままバタァ〜ンと倒れてしまう。その場から彼に電話を入れ、様子を報告する。後で帰ってきてから写メールなるもので写真をお送りすればよかったのだ。もっともどうやって彼の元に送るのか、私はわからないけれど。
 千m道路も私の高校の寮の角までしか行くことができず、そこから下り、追分から国道18号に合流する。まだ電気のつかないセブン・イレブンは中が薄暗い。向かいのローソンは煌々と照明が照らしているというのに。家に帰ってくると・・やった!電気が来ている。つまり水道も出る。しかし、全く食材を仕入れていないので、また外食に出る。塩沢の交差点近くにある「弥栄献立家 0267-46-2559」という食堂に行く。ここのキャベツの浅漬けとクレソン+トマトのサラダが秀逸なのだ。予約なしで飛び込むとここもラッキーなことにぎりぎり席を確保したが、6人席にすぐ後から、われわれとほぼ同年齢とおぼしきご夫妻と相席になる。そちらがクレソン+トマトのサラダを注文すると「台風で水が出てクレソンを取りに行けなかった」のだそうで、今日はこれはない。キャベツの浅漬けもおいしいですよ、とお話しをしたところから台風による停電被害の話になる。このお二人のお宅では月曜日に近所で火事騒ぎで停電になり、それは復旧したのだけれどその後木曜日から台風でまた停電になり、今週はもう外食ばかりなんだそうだ。「ガスは出るんでしょ?」とお伺いすると、なんとそちらの台所は「IH」なんだそうで熱源もない。ただ水は出るのだそうだが、何にもできないとおっしゃる。そうかぁ、文明の機器はこうなると全く無用の長物となるということなんですなぁとキャベツをぼりぼりとむさぼりながら慨嘆する。エビフライ定食とほっけ定食を満喫するうちにすべての席が埋まり、ほぼすべての席で停電の話となっている。友人の家ではまだ発電機を回しているのだそうだ。