ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

お風呂 & お蕎麦

 これまで長野東信地区では、何人もの友達に教えて貰ってはいろいろな風呂に入ってきたけれど、どうも最近は新しいところに行くのは何となく億劫で、行ったことがあるところにばかり行く。特にお気に入りはやっぱり露天風呂からの眺望がどこよりも素晴らしい小諸の「あぐりの湯」である。
 ネットで探すといろいろな名前が出てくるんだけれど、行ってみてとてもがっかりだったらいやだなぁと逡巡してきた。若いときは「そんなたかだか一回の風呂に過ぎないじゃないか」と思っていたけれど、今となっては「あと何回風呂に入れるのかわからないのだから」と真剣になるのだ。これは食事についてもいえるわけで、なんでそんな一回のめしにこだわるんだ、といえるんだけれど、「あと何回食べられるかわからないんだから」と出かけていく。
 一昨日も道の駅「みまき」なるところに風呂があるのを知ったのだけれど、遅くなって帰ってきたものだから探すのは諦めた。今日は友人と朝からそれを探しに出かけた。カー・ナヴィゲーション・システムに従って走っていくと随分奥に入ったようなあたりにやってきて、くだんのポイントに到着してみると道の駅そのものは全くたいしたことがないどころか、駐車場とトイレしかない。そもそもここに通りかかる車がそんなにいるのかといったらとてもそれは考えられない。
 しかし、その反対側には地元の野菜を並べたお店、食事のできる店があり、リハビリ・センターのような施設温泉アクティブセンター(プール、流水歩行プール)もあるし、介護施設も集まっている。風呂は「御牧乃湯」(長野県東御市布下35番地)で、施設そのものは建ってから結構な時間が経っているようだ。入場料はわずか400円でこれは東京の銭湯の料金よりも安い。地元の人たちはパスのようなものを持っている人や、回数券のようなものを持った人たちがやってくる。入り口にある貴重品ロッカーは百円だけれども使用後は戻ってくる。風呂場の中にある鍵のかかるロッカーは百円でこれは戻ってこない。午前中は入口に近い風呂が開放されているだけで、奥の露天風呂を持つ新館は午後零時にならないと利用に供されない。これは清掃してから湯を貯めるからだそうだ。この露天風呂からは多分眺望良く、浅間が横から見えるだろうと思える。
 午前中にはいることのできる風呂はガラスの向こうはちょっとした緑の先は板塀で景色は全くよろしくない。洗い場は10ヶ所程あり、湯船は5-6人は充分入れるもので、他に泡風呂、そしてサウナと水風呂がある。加水、加温だけれども掛け流しのお湯は実に良いもので、こんなことならもっと早くから来れば良かった。 御牧村は東部町と合併して東御市となった。多分このお風呂は合併前からあったものだろう。
 実はこのお風呂の帰路、進入経路と反対側に行くと、なんとすぐそこが先日行った蕎麦屋「ふるさとの草笛」(長野県東御市加沢435-1)だったのにはびっくりした。これなら今度からはなんの不安もなく到着できそうだ。そんなの遠くないところにある小諸の「あぐりの湯」とは比較にならないくらいの小さな規模だけれど、地元に根付いた風呂という印象が強い。

蕎麦「一心」

 あたらしい蕎麦屋があるという話を友人から聞いてむかう。それはサンライン沿いにできた蕎麦屋で「一心」と書いてある。午前11時40分頃に到着したのだけれど、駐車場に車は一台もいない。例によって盛りそばとかき揚げを注文。友人は地鶏蕎麦。この界隈の蕎麦屋でいうと「草笛」の蕎麦と昨日の中込の「藤蔵屋」の蕎麦のちょうど間くらいの蕎麦で、量的には「草笛」と同じくらいではないだろうか。「藤蔵屋」程ではないからわたしは完食。連れ合いの残りをも食べた。かき揚げは180円でこの界隈では標準的かも知れない。午後零時を過ぎると近所の工場の人たちが三々五々食べに来た。この蕎麦はまだあまり知られていないのかも知れないけれど、いける。

オリンピックその後

 星野ジャパンは相当書かれているらしい。金メダルの韓国との待遇の差を相当暴露されている。これが勝っていたらこんなことまでいわれることはなかっただろう。翻って、NHKは「NHKスペシャル」でソフトボール上野由岐子投手の特集を放映。天と地の違い。星野ジャパンのメンバーは帰国後そのままスムースに公式戦に復帰できるのだろうか。
 それにしても思わずテレビをつけて番組が通常のものに戻っているのを確認するとなんだかむなしい気分になりそうで、オリンピック前に自分がいっていたことと随分乖離している。人間なんてこんなもんなんだと開き直っても許されるのがその辺のおっさんの気楽さというものだ。これでマスコミに登場しているような人だったらこんなこと言えないものなぁ。
 中国のオリンピックの観客については多分いろいろなところで書かれているだろうけれど、「敵の国の敵は味方だ」という例の法則に則っていてはなはだ分かり易いけれど、多くの場合それが日本の相手を応援するというパターンになっていたような気がして、やっぱり、スポーツの上でも明確に日本は中国の敵なんだということを認識したような気がする。まぁこれは誰も彼もがわかっていることなんだろうけれど、多分あの昭和前期から始まったことだろう。まぁあれだけのことをしてきたんだし、それをきちんと始末つけずにここまで来ちゃったし、なにかでまた痛いところを突かれたら、そこで居直ることによって済ましてきたんだから仕方がないだろうなぁという気はする。こればっかりはあそこでの解釈は間違っていたんだとか、態度の取り方が間違っていたんだといくらいったとしてもそれは双方にとってもなんのプラスにもならないことは明確だ。だったら決別するのかといえば全くそんなことはなくて、この繋がりがなくては次の世界は成り立たないところまで来ているだろう。打開策が今のところ見あたらないんだなぁ。