ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

感情論

 原発が非常に危険な施設であると断じる理由は、それを運転することによって生み出される放射性廃棄物や使用済み核燃料を廃棄処理して無害化する技術が現在の地球上には皆無で、仕方がないから技術が開発されるまでの中間的な処置として、人口が集中している地域から隔離されたところに半永久的に隔離保管しようとすることでしか解決ができないという点にすべてが収束する。
 これでは原発を動かしてはならないとする理由として不十分であるという理由が全く理解できない。この地球上に存在するすべての生命体の存続を危うくしているというだけで、全くこの技術がそのまま利用されてしまうことが間違っているということを断じるに十分であると思う。
 しかし、これを感情論だと指摘する人の認識には与することは全くできない。感情ではなくて、論理的に運用されるべき条件を備えていないではないか。まだわからないのか。

ザルツブルグ


 朝から街中を歩き回る。しかし、案内の現地の日本人の方がとても精力的な方で、夜のいわゆる観光客向けのコンサートの売り込みに熱心で、何かというとその案内ばかりであきれ果てた。今日から聖霊降臨祭の三連休になるせいか、街の中は浮き足立っている感じで、朝一番で行ったミラベル庭園ではまだ朝の9時だというのに、もう結婚式を祝う人々で大賑わいである。
 大聖堂は土曜日だけれど、午前中にサービスがあって中に入れていただけなかった。午後になっていって見ると、ここの大聖堂はすばらしい建物でこんな大きい教会に入ったのはひょっとするとロンドンのセントポールズ以来だろうか。入ってすぐに二階に大きなパイプオルガンがあるのはもちろんだけれど、祭壇前の十字になった部分の四隅に小さなパイプオルガンがしつらえてある。こんなのは初めてだなぁ。
 お城にあがり、ヴォイス・ガイドを聴きながら見て回っていると、大司教が権力を持ってこんな城に住んでいたなんて、カトリックの腐敗はきわまれりと、腹が立つのである。なにしろカトリックプロテスタントで30年も戦争をしていたんだから、全く人間というのは大馬鹿野郎なんである。
 朝方ミラベル庭園に行ったときにバロック博物館でコンサートがあるという立て札を見たので、行ってみた。最初に十代の少年のソロピアノがあり、その後は彼のピアノの伴奏で、60代とおぼしきおじさんバスの唄だった。聴き慣れたナンバーが半分ほど。聴衆はわずかに30名ほどだけれど、場所がこぢんまりしたところだったので、あたかもホーム・コンサートのごとしで、大変に楽しい90分だった。
 サンドイッチを買って帰り、得意のスーパーで買うフリーズド・ドライ・トマト・スープの夕飯にする。

2011年06月10日のツイート