ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

採用減

 野田政権は国家公務員の新規採用者数の上限を、政権交代前の2009年度採用と比較して4割超削減するといっている。なんでそんなことをするのかといったら、消費税を上げるために、国民が「その前にやることがある」とする主張の矛先をかわすためだというのは間違いがないだろう。しかし、よくよく読むと上限を減らすといっているだけだ。
 そして、新規採用を削減することが必要な手だてなのかといったら、それは全く間違った思想だといって良い。現場の人間が余っているにもかかわらずこれまでそんなに採用してきたのだということが明らかになっているのであれば、的を射ているといっても良い。しかし、そんな話はこれまでにこれっぱかりも出てきてはいない。これまでに問題になっているのは、役人が天下りを繰り返して退職金を貪り集めているという現状であり、彼らの渡りを許している存在の必要性のない、業務のトンネル団体たる特殊法人のありようであり、そこにつぎ込まれている特別会計の中身だ。
 それを全く風呂敷をかぶせて隠し覆ったまま、中身を精査もしないまま、また新たに税金をむしり取ろうとするからこそ反対している。官僚の言いなりに考える力しか持っていないから、彼らが死守せんとするところに踏み込もうとすることをしないで、的外れなことをやる。
 

 中条きよしの歌のタイトルだ、というジョークはもう殆ど通用しないんだろうか。

横浜市の南本牧廃棄物最終処分場(中区)に埋め立てているごみの焼却灰から放射性セシウムが検出された問題で、処分場から出た水を海に排出する際に浄化に使っていた鉱物「ゼオライト」を、市が約一カ月で取り外していたことが分かった。同市は取り外し後も、住民や市議会で「ゼオライトを装填(そうてん)中」と説明していた。

市議会の委員会や住民説明会で、ゼオライトを外した後も「装填中」と説明していたことについて、同局の山内泉・処分地管理課長は「説明が足りず、誤解の原因になった」と釈明。9月から、ゼオライトの粉末を浄化過程で混ぜるとした。
東京新聞2012年3月7日 11時02分→こちら

 横浜市が議会でこんな嘘をつかなくてはならない理由というのは一体なんだろうか。面倒だ、ということなのか。セシウムが拡散しても別になんということもないと市は思っているということなのか。
 そして、ゼオライトをちゃんと混ぜるのがなんで9月からになってしまうのか。こうなっちゃったのはもう取り返しがつかないからしょうがないじゃん、という態度は一体なんだ。山内泉も市資源循環局の大熊洋二局長も責任をとる必要があるだろう。

ヨウ素剤

ヨウ素剤を早く配ってほしい」。富岡町は昨年3月12日午後、避難していた川内村などで40歳未満の希望者に安定ヨウ素剤を配った。原発原発関連企業で働く町民が多く、ヨウ素剤の備蓄や効果に関する知識を持っていた。住民の強い要望に押し切られる形での決断だった。

ヨウ素剤は原子力災害対策特別措置法に基づく国の服用指示がないと配布できない。指示は出ていなかった。職員は「指示を仰ぐにも連絡がつかない。線量も分からない。住民の不安を取り除くことが先だった。法に従っている時間はなかった」と証言する。
 双葉、楢葉両町も住民に配布したが、配布数量や服用したかは不明だ。(福島民報2012/03/05 08:48)→こちら

 先日オフサイトセンターが公開された時に机の上にあったヨウ素剤が確認されていたのだそうだ。つまりそこでは各人にヨウ素剤が配られていたことを意味している。

藤掛明先生

 ひょんなことからネット上で今聖学院大学の准教授をされていることを知る。
 2000年に私が入った学校で土曜日に心理テストの授業をされていた。当時、その学部では臨床心理士を目指そうとしている学生達がいたものだから、こうした授業があったのだと思う。印象的な授業の一つだった。先生の真摯な姿勢がひしひしと伝わってきた。
 で、その中で「雨の中の私」という絵を描く、という課題が出されて、確か画用紙が配られたのではなかったかと思う。
 私が描いたのはまだ小学校に上がる前、舗装されていない、殆どひととおりのない、奥まった道路の水たまりの前に傘を差してしゃがみ込んでいた自分だった。
 何をしていたのかというと、その辺に落っこちていた小枝で水たまりに水路を造って下の水たまりに水を導く。すると私が掘った溝に従って水が流れ出すことにいたく喜びを見いだしていたのだった。それをどの様に読み取るのかはもう全く忘れてしまったのだけれど、他にも興味深いテストに関する話をお聴きした。キリスト者だという点でも親しみを感じたのかも知れない。今やこんな具合に思いも依らない方に遭遇するのがネット社会で、かつてでは考えられなかったことばかりなのだ。
 たぶん、問題になっていたのは雨と自分との関係だろうから、この場合私は充分に保護された状態にいて、自分の思うように支配できる範囲を謳歌していたとでもいうことなんだろうか。
 あれはなんであんなところに一人遊びをしていたのかといったら、今は亡き幼友達の家に遊びに行ったのに、彼が家にいなくて、しょうがなく彼の家の前の通りで遊んでいたのだろう。

2012年03月06日のツイート