ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ジョーン・バエズ


 ジョーン・バエズは今年で75歳になったそうです。多少声は低くなった気がしますが、私は彼女がもっともっとお婆さんになったのだとばかり思っていたのですが、全然そんなことはありません。
 彼女はNYのスタテン島の生まれで、家はクエーカー教徒だったと聞いて、あ、そうなのか!とひとつ頷いた。クエーカーといっても日本ではほとんどわかって貰えないだろうけれど、とても敬虔なプロテスタントの集団で、日本では普連土学園がそのクエーカー教の学校です。調べてみるととても興味深い教団で、世界中で「フレンド」という名前の学校を運営しています。
 私たちは彼女の「We Shall Overcome」を聞いて心を強く、またこころを持ち直した記憶があります。あれからもう半世紀近くになります。それでも、彼女の「We Shall Overcome」は私の心にまた蘇るものを与えてくれます。どうせ歌を唄うのであれば、そういう歌を唄いたいものだと思います。
 今年のクリスマスは「I'll Be Home For Christmas」をテーマにして、戦場にいる、刑務所にいる、あるいは事情があって帰れない人のことに想いを致したいと思います。

今日の散歩

 十条銀座にいってみよう!というわけで京浜東北線で東十条で降ります。南口を上がります。すると古い古い、サビが浮き出しっぱなしの跨線橋で坂道を登っていきます。交番の向かい側に桜の古木が立派に立っています。突き当たったところの信号を渡って演芸場通りに入りますと、あたかもどこかよそのおたくの私道を歩いているような気分になって、急に話す言葉がひそひそ声になります。しかし、なんだか昔に比べると、開いているお店が少なくなっているような気がします。
 初めて来たときはここから十条の駅横の踏切まで結構あったような気がするのですが、今度来てみるとあっという間です。その途中に篠原演芸場があります。平日は夜の6時から。入り口の看板に打ち上げのお見送りはご近所のご迷惑になりますから午後10までにさせていただきます、と大書されています。それ位、この前の道は路地といって良い程度の細さです。
 十条銀座に入ってみると、確かに前よりはシャッターが降りているお店が目につきます。何しろこの商店街は八百屋さんが、またここにも、あ、こっちにもというくらいにあるのですが、どこもかしこも今は野菜が高くて、思わずため息が出ます。大きなトマトをひとつだけ、ネギ、ほうれん草等を買いました。
 昔から総菜やさんがこれまた何軒もあるのですが、これもなんだか昔ほどの安さ、物量ではないような気がします。かつては圧倒的な圧力を感じたものです。
 今回思ったのは意外と食べ物をその場で食べさせる店が少ないってことでしょうか。ご近所さんがお総菜はお買いになるけれど、それを買って帰ってうちで飯を食う、というコンセプトでしょうか。西通りも閉まってしまったお店が目につきます。かつてはもっと軒並み開いていて、一軒一軒に首を突っ込んでしまってなかなか先へ行かなかったような記憶です。
 駅のすぐ横にある「ランチハウス」で昼ご飯にしました。ここも確か二回目。ご飯の量が半端なく、少なくして貰ったにもかかわらず多い。その上、そのご飯が実に旨い。また、腹一杯に食べてしまったのです。この歳でこんなに喰っちゃいけない、というのでなんと残ったご飯を持って帰りました。今夜の夕飯にしようというわけです。で、今夜のおかずは勿論商店街で買いました。茄子のはさみ揚げ、チキンハンバーグ、軟骨ボール等。
 8,900歩。

付和雷同

 付和雷同の極致といったら、やっぱり幇間ざんしょうねぇ。「暑いね!」っていったら「いや、暑いのなんの、もうぐったりの暑さでございますよ」「でも日陰は風が涼しいよ」「そうそう、これがねぇ、意外というくらいのものですよ、まるでカリフォルニアですな!」くらいのお追従って奴でございます。
 私はそれです。で、それでイヤな思いを何回も致しました。大体、たいして体制に影響がないなぁと思っているときは付和雷同でございます。
 だから、いちいちこだわっている人が中にいると、もう面倒くさくてしょうがない。普通だったらそういう奴がいない環境に移行したい。それを人は「逃げた」なんぞと表現しますが、それは長年の人生の知恵といっていただきたい。
 ところがギッチョン、友達だったらそれで良いかもしれませんけれど、地域の付き合いだとか、生活圏内のおつきあいなんぞだとそうも行きません。面倒なことでもお愛想のおつきあいが必要になります。集合住宅の管理組合なんぞ、イヤで出なけりゃ済むものの、それではすまない局面というのがでてきてしまいます。これがいやですねぇ。
 そう考えると借家で終わってしまう方がなんぼか楽かもしれません。ま、これからの社会はきっとそうなりますね。日本が高度成長期、あるいはバブル期だったときは持ち家を売り払って引っ越すということができましたけれど、日本経済が衰退期に入っていますから、そんなことももはや望めません。売りたくても売れない、という住宅が地方には有り余っていますからね。これからの地方はこの辺は致命傷になります。その上、インフラストラクチャーの更新、修理に膨大な予算が必要となります。これまでの便利さにあきらめをつけるという必要も生じてきます。
 都会の片隅で借家で細々とクラスというパターンになりましょうか。なんだか南米あたりの都市のようでございます。

2016年10月24日のツイート