ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 先日の新宿御苑で撮った写真の中から自分が選んだ写真を10枚ほど選んで持ってくるように、という当日です。これからの写真のプリントのためも考えて、壊れてしまったモノクロレザープリンターの代わりに、インクジェットのプリンターを買ってきた。しかし、残念ながら配達が間に合わずに、今朝到着。到着してみたら、店頭で見ていた時よりも大きなことに驚いた。多分店頭では同じようなタイプのものが並んでいたので、気にならなかったのだろう。
 しかし、今日の講評会には間に合わないので、コンピ二のプリンターで写真をプリントした。
 先日の撮影フィールドワークではホワイトバランスをいろいろ試してみよう、そして露出補正を試してみよう、だったのですが、わたしは自分が気に入ったものだけをプリントしていきましたけれど、何人かの女性の皆さんはちゃんと先生の意図を読んで、同じ構図でいろいろ替えて撮ったらどうなるかをプリントして見せてくれていました。なぁるほど!だ。しかし、どうしてもわたしは青っぽく撮れた写真が気に入らない。しかし、それを試してみなさいということだった。
 今日の話で驚いたのは、パソコンのモニターをもっと気を遣いなさいということだった。アップルのパソコンを使うのにはモニターの再現性をウィンドウズよりも近づけることができるという利点があるんだ、ということだった。25年も前からアップルを使っていたのに、全く知らなかったのはショックでございましたなぁ。
 雨模様で、写真を撮りにどこかへ行くのもなんとなくおっくうで、帰りの電車を上野広小路で降りて、上野のお山の上り口にある三本の桜の写真を撮っておかないと、散ってしまうと近づいていくと、おやおや、もう既に散りかかっています。真ん中の枝垂れ桜が満開で、人がたかっております。よく見るとほとんどの人がアジアからの観光客の皆さんです。皆さん、枝垂れた桜の中に入って撮りたいようで、花を撮るのではなくて、「花の中にいる自分」が撮りたいんですね。それがわたしと決定的に異なるところで、「花の中に爺さん」なんて写真を撮っても面白くもなんともない。

美容整形

 傷跡が顔に残っているとか、大きなイボがあるとか、そういう人にとっては美容整形は助けの神になるかも知れない。わたしが知っている噺家で、そういう処置をした人がいる。どうしても噺を聴いている側はそこを見てしまう。だから、彼にとってはとても有効だった。
 二重にしたいとか、鼻を高くしたいとか、皺を取りたいとか、そういう美容整形はどうしても不自然になってしまって、あぁ、この人はやったんだな、というのがわかってしまって、そういうことにそれほどのエネルギーを費やすタイプの人なんだなと思うと、そこからその人に興味を失ってしまう。
 それがたとえば、男の人のカツラでもそれを感じる。この人はきっと髪の毛がたっぷりある時から、そればっかり気にしてきた人なのかも知れないなと思ってしまうのだ。
 そういえば近頃駅なんかの公衆トイレに入ると、手洗い場でずーっと髪の毛をいじっている若者に遭遇する。手を洗うわけでもなく、手洗いのシンクを長いこと独り占めしている。
 自分も高校生の時に、髪の毛が撥ねていると家を出られないと思ったことがあるけれど、実は誰もそれを気にしていない。自分だけなのだ。
 つまり美容整形もカツラも、自己満足の為のことなんだから、こんな爺が余計なことをいう場合じゃないってことがわかった。

2018年03月19日のツイート