新国立競技場の一件で、名前をよく聞くようになったザハは、もともとはポストモダンと呼ばれる潮流のなかで、注目されたとのこと。具体的には、部位により基底が変わるような建築物を設計していたらしい。この様な建築は確か江戸川区にアイゼンマンが設計したビルが建った時に話題にのぼっていたのだけど(90年代のこと)、当の布谷ビル自体は既に取り壊されてしまったらしい。
快適や使いやすさを二の次にしているという点では、岡本太郎の“座ることを拒否する椅子”にも通じるところがあったりする。(しかし一は何なのだろう?)
新国立競技場のコンペを仕切っていたのは安藤忠雄で、この人も“住吉の長屋”という、トイレに行くのにも傘をささないといけないという“住みにくい住居”を代表作とする人だったりする点で、類似した思想のようなものを感じる。
しかし、ザハの新国立競技場案はネットに提示されているパースを見る限りで、大きさ以外に本質的に常軌を逸した点がなかったりする点で、ポストモダンも遠くなったのだと逆に寂しさを感じさせる。
とはいえ“大きさ“については自分の躓き石だったこともあり気にならないこともないのだけど、かといってコールハースの一文は読み流してしまっていた。
およそ世の事々に、流行り廃れの激しさを感じるのであれば、自分がよほど適応力がないか、執着心が強いかのいずれなのだろうとは思う。