{Ego]危険思考スパイラルR3

「あんたさぁ、よくそれで生きているよね」
「・・・・・・」
「恐るべきマイナス思考、手に負えないほどのマイナス思考、考えていることみんな真っ暗」
「・・・・・・」
「少しずつ積み重ねたプラスから目をそらす、ほんの小さなマイナスばかり見て延々と思い悩む」
「・・・・・・」
「それってさぁ、生きづらくない?」
「・・・・・・生きづらい」
「だったら何で生きているのさ」
「たぶん生きづらいから生きているんだと思う。生きやすかったらとっくに死んでいる」
「あ、そう」

危険思考スパイラルR2

「不安だ」
「何が」
「はっきりしない」
「はっきりしない方がお互いにとって幸せだったらそれでいいじゃない」
「でも僕は不安だ」
「だいたいね、はっきりした時が終わりなのよ」
「解っている、でもこの生殺しの状態には耐えられない」
「そんなにはっきりさせたければはっきりさせればいいじゃない」
「不安だ」

危険思考スパイラルR1

「そして僕の周りは墓標だらけになる」
「それってさぁ、生きづらくない?」
「生きづらい」
「だったら捨てちゃえばいいじゃない」
「捨てられない」
「だからあんたはいつまでたっても前に進めないのよ」
「前に進みたくない」
「だったら一生そこでひざ抱えて座ってな」

墓標

記憶は物に宿る。
正確には物を見たときに記憶が喚起されているだけなのだが、それは物に記憶が宿っているのと現象としては何ら変わりない。
だから記憶を封じるためには、それが宿った物を遠ざけなければならない。
人によってその方法は様々である。
海に投じる者、ゴミ箱に投げ捨てる者、丁寧にまとめてゴミ箱に捨てる者、厳重に包んでゴミ箱に捨てる者、・・・面倒くさくなって回収業者に全てを託す者・・・・・・。


忘れてはならないのはきちんと供養をすること。
そうしないと記憶の宿る物ゆえ、いつなんどき化けて出てくるかわからない。


逆に記憶を手放したくない者は、記憶が宿った物を手元に残しておく。
ただし毎日感傷に浸って涙を流すことが許されるのは平安貴族ぐらいだから、目に付くところに置いておくわけにはいかない。
だいたいそれは何らかの形で包まれた上で、普段目に付くことのないところに封じられる。
供養さえ忘れなければ、突然化けて出てくることもない。
いつか取り出してじっくりと眺めれば、物に宿った記憶が蘇ってくる。
あとは気が済むまで感傷に浸ればいい。

{Ego]危険思考スパイラル13

「やっぱり僕は全てを失う運命だったんだ」
「ええ、あなたがそう望んだから」
「そう、僕は自分の破滅願望に打ち勝てなかった」
「ええ、あなたがそう望んだから」
「黒か白か、1か0か、そんな生き方はきっと破綻すると思っていた」
「ええ、あなたがそう望んだから」
「僕はまた元の殻の中に閉じこもるんだろう」
「ええ、あなたがそう望んだから」
「そうか、やっぱり僕はそうやってしか生きられないのか」
「ええ、あなたがそう望んだから」
「悲しいな、でも、それでも生きていかなきゃならないんだろ」
「ええ、あなたがそう望んだから」
「そう、僕はそう望んでしまったのだ、きっと」
「ええ、あなたがそう望んだから」