旧玖足手帖-日記帳- このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2007-02-15-木 なにやってんだ

[]ヒットしないターンAガンダムがあってこその「ガンダムシリーズ」だと思うが。だからこそ機動戦士ガンダムSEEDにも存在感が見えてきた。

トミノ講演会を自分の中で咀嚼して考えた事を書く。富野の発言は書けませんが、僕の中で咀嚼した事なら書いていいと思うんだ。

んで、

リング・オブ・ガンダムの歴史という構成を作り上げた∀ガンダムは本当に偉大だと思う。

ターンエーガンダムがあるために、今後ガンダムがどのようなものになっても、ガンダムワールドの無限の歴史の内の切片の一つとして許容される安心感がある。

髭・ガンダムもガンダムのデザインがどのようになっても大丈夫だという触れ幅を広げている。

∀ガンダムはガンダム20周年イベントで大戦争物の大ヒット作を望まれたのに肩透かしのヒットしない作品だったといわれ、トミノ自身も∀ガンダムはヒットしないガンダムと言っていた。

だが、ターンエーガンダムがあったために、全てのガンダムは肯定されたし、僕のようにガンダムXとかを認めていなかった者も、「これもガンダム世界の歴史の一部なんだなあ」と認めて安心して、作品の面白さを鑑賞できるようになった。

「これは富野ガンダムじゃないから偽者だ」とか作品としての価値以外のところを問題にする必要も無く、認める事ができるようになった。

これはすごいことで、このおかげで、これから先千年も万年もガンダムは作りつづけられることができるようになった。ということだ。

ガンダムは一つの日本の伝統文化になるのだ。

しかも、すごいのはガンダムを伝統文化にしようとしてなったのではなく、ただただその時々の状況によってとみのを含むスタッフがガンダムを作り続けてきたことが現在のガンダムの可能性を作り出したという事だ。

思えば、富野由悠季Zガンダムからガンダムを潰そうとしてきたし、トミノがガンダムに関わるといつも期待を外してきた。

決してガンダムを続けようとしていたのではなく、むしろ潰そうとしていた。

それでも、作者にすら潰せなかったガンダムは素敵だ!

そして、ターンエーガンダムで富野はガンダムを絶対に潰れないコンテンツにしたということだ。

確かに∀ガンダムはヒットしなかったんだけども、∀ガンダムがあるおかげでガンダムは無限に続けられるし、いつまでも現在進行形のドル箱コンテンツになった。だとすると、作品単体としてのヒットよりも経済効果は大きい。

バンダイビジュアルの人の話を聴く機会があったのだが、「全ての作品をヒットさせようとは思っていない。むしろ、金を稼げる作品を作って、それの金で作りたいものを作って、最後に帳尻だけプロとして合わせられたらそれでいい」

らしい。

また、補足として新訳機動戦士Zガンダムがある。

これも、映画としては成立していないし、大ヒットした大名作というわけでもない。(DVDは売れたらしいが。俺も買ったし)

だが、これもガンダムというコンテンツを千年単位で生き延びさせるためには絶対に必要な作品だという事だ。

まず、第一にガンダムを歴史ものとして製作する事ができるという事例を決定的に示したという事。

というのは、架空戦記ものとか年表のある作品というわけではない。それなら、Zを新約しなくてもガンダムはそういうシリーズだった。

ではなくて、「ガンダムは、物語の中で決着がついた閉じて完成したものではない」

「だから、ガンダムは固有の『作品』ではなく、いくらでも作り変えられるもの」

ということだ。

そして、富野由悠季はこう発言している。

「登場人物の生き死には変える事が出来なかった。彼等は歴史上の人物のように実在していると思う」

これは、物語をいくらでも作り変えられるという事と矛盾するようだが、そうではない。

「イベントは動かす事が出来ないが、その解釈をずらすように作った」とトミーノは言っている。

こういう手法で作られている映像作品は簡単に連想できますよね?

NHK大河ドラマです。

毎年毎年、同じ国の歴史の一部分を、時間と視点と解釈を変えただけで何十年も作られている大河ドラマです。

つまりあれだ。ガンダムは実際の日本の歴史という現実のものに匹敵する「世界」を手に入れたということで凄すぎる!

それは、富野由悠季個人がよく出来た「作品」を作ったとか、ある年代にヒットした「商品」を制作した、という事よりも凄い事だ。「千年も万年も存続できる架空の世界を実在させた」ということだ!富野もそれを認めているし、それはトミノが意図してやった事ではないのだが、トミノはそれをうれしい事だと思っているようだ。

あんなにガンダムを潰したがっていたトミノが、アニメを文化にした男でありながらアニメは文化ではないと思っていた富野が、ガンダムを「これも一つの文化なのだから、しょうがない、認める!」と考えを改めてくれた事はガンダムも富野も好きなファンとして嬉しい!

そして、自分を生み出した御大でさえも考えを変えさせたガンダム様は凄すぎる!


また映画版Zガンダムの功績にはニュータイプ論に一定の決着をつけた功績がある。

実際の結論はガンダムXと、同時期のクロスボーンガンダムで出ていたと思うのだけど、それを改めてガンダムシリーズの中でもトップに近い位置にあるZガンダムでやったという事は大きい事だ。

ニュータイプはガンダムと言う作品の幅を広げたし、ただのロボットモノではないガンダムを、ただのリアルロボットモノよりも高いファンタジーSFスペースオペラにした素敵なものだと思うけど、微妙に分かりづらい物にしてファンの中の論争の種になったり、ニュータイプという概念に取りつかれる中二病が出たりという厄介なものでもある。

そのニュータイプというものを、カミーユを健やかにする事でフラットで普遍性の或る物にした、という事はニュータイプのとんがっているように見えている部分が好きだった当時からのオールド・ファンの人には異論がある部分かもしれないのだが。

やはりそれも、機動戦士ガンダムを千年続く文化にするためには必要なことだったはず。

なにしろ、ニュータイプの解釈はガンダムシリーズの中でも全く一定しておらず、作品ごとに違いすぎる。

人が宇宙に出てニュータイプが発生したファーストガンダム、ニュータイプの未来の可能性に期待した映画版ガンダム、(ダンバインとかがヒットしなかった怨念からか?)わかりあえないニュータイプの刻の涙を見せたTVのZガンダム、ニュータイプを戦いの道具のように量産したようにたくさん出したガンダムZZ、ニュータイプの争いと死と昇華を見せた逆襲のシャア、ニュータイプがほとんど死語となりレーダー能力のような人間だとしたF91、そして、エンジェル・ハィロゥやダンディ・ライオンに乗って地球を捨てた、地球から自立したスターシードの子どもを描き、そのニュータイプの巣立ちに翻弄されたオールドタイプのカテジナと地球に残るニュータイプの芽としてのウッソとシャクティを描いたVガンダム

それに、ニュータイプは環境適応や突然変異の一つだとしたクロスボーンガンダムとガンダムX。

地球から自立しきれず、地球に戻ってきたスターシードニュータイプの子孫のディアナ・ソレル*1と、そのディアナに(他の外宇宙ニュータイプから)守られたオールドタイプの月の民とオールドタイプの地球人を描いたターンエーガンダムがある。

(エレズムを否定したGガンダムもある。)

僕もかいてて分からなくなってきたほど、ニュータイプという存在は変わりつづけていて、いつもいつもその作品の時点での「ニュー」タイプなんだよなあ。

でも、どのニュータイプも間違いではなく、確かに真のニュータイプのありようなんだよな。

はっきり言って、ガンダムをすべて見て、小説も読んで、ガンダム大好きにならないとニュータイプという虚構の概念ですら分からない。ニュータイプややこしすぎ。

で、Zガンダム映画で「ニュータイプは誤解無く理解できる健やかな人」という最初のニュータイプの定義にも適い、それでいて平易な解釈にしたということはZの功績であろうと。

これで、ニュータイプというものが今後のガンダム作品で登場しても大丈夫になった。それくらいニュータイプというものの解釈をも広げる事ができた。(漠然としたという事かもしれないが)



で、ここでやっとガンダムSEEDの話になるんだが。

僕がこれだけガンダムを語れるのは、ここ2年間はガンダムシリーズを順番にすべて見て、小説も読んでガンダムのお勉強をしてきたからだと思う。自分でもかなりガノタになれたと思うのだが。

ここで一つ懸念に思うことは、ガンダムが無限に広い世界観を持つ大コンテンツだということを理解するにはこれだけのガンダムを見なければならないのか、という事ですよ。

もちろん、僕はガンダムというものを理解してきたのは凄く面白いし、好きでやってる事だ。ガンダムは娯楽としても最高だからはっきり言って全人類はガンダムを見て楽しめばいいと思うのだが。

でも普通の人に対していきなりガンダムを全部見ろ、ガンダムを理解しろ!というのはそりゃ、無理だ。

機動戦士ガンダムDVD―BOXが出た時のライトオタク層の一般的な感想として、「話は面白いんだけど、やっぱり絵が古いし、30年近く前のアニメに過ぎないなあ。」という風潮があったわけですよ。

それはそうなんがけど、それってもったいないぜよ。俺は24歳で、ガノタとしては若輩ものなのだが、ここ2年間自覚的にガンダムを見る訓練をしてきて、ガンダムの素晴らしさが分かってきたし、マジでみんなガンダムは面白いから見にこおおおおおい

だから、その、20世紀末の∀ガンダムでガンダムを(一つの物語としては)全否定し、(一つの世界として)全肯定した上で、新しくそこに加わる新作は絶対に必要だという事なんだよな。

その時々の皆が見やすいレベルでの新作、みんなの入り口になるエントランス的な新作は必要。本屋さんの入り口付近にベストセラーが平積みされているような感じで、売れ線のガンダムはあるべきなのだ。

そうして初めてガンダムは無限に続くことのできるコンテンツになるし、絶対に古びる事がなくなる。


∀ガンダムで綺麗に終わったのに、どうして種ガンダムや種死のような蛇足のガンダムができるのだ、そんな風に考えている時期が俺にもありましたSEEDの放送中とか。

トミノがかわいそうだと思っていた。

だが、「逆」だったのだな。富野自身がガンダムを無限に続くものにするためにガンダムに裏テーマをつけて作っていたんだ。それで一つの個々の作品としてターンエーやZがヒットしなかったり中途半端だといわれる物になっても、それ以上にガンダムという全体の物が存続する事が素敵なことだと富野は考えていたようなのだ。


だからオレはガンダムSEEDを認める!

作品としての完成度は確かにガンダムSEEDは全然ダメだと思うが。

ガンダムシードがあってくれてよかった!アリガトウ!

akimanの語るガンダムシリーズは作られつづけなければならないということが、僕にも実感として分かるようになった。この間トミノと会ってわかった。

ガンダムシリーズが千年も万年も続く日本の伝統文化の一つになると共に、絶対に古びない現在進行形のカルチャーでありつづけるためにはどんな形であれ、その時々の新作ガンダムは必要不可欠なものなんだなあ。やっとわかったよ!やっと実感できた。

それに、僕自身がガンダムが好きになったのも、よく考えるとSDガンダムからだったような気もするし。

(∀ガンダムの後、SDガンダムシリーズの世界に繋がるという説はまあ、微妙に支持できるような、∀が最後であって欲しい気もするが)

富野由悠季という男のことをよく知らない中学生の頃はガンダムWをサブタイトルを全部暗記するくらい楽しみに見てたわけだし。

新機動戦記ガンダムWは∀以前に作られた作品であり微妙に目的(ガンダムをプロレスにするとかニュータイプを否定するとか言う目的)が定まらなかった作品だった気がするんだが、ヤングファンの新規取り込みとしては成功してたんだよなあ。何しろ俺がそうだったから。

だから、どんな内容であってもガンダムは作りつづけられなければならないし、どんな内容であってもガンダム世界という物は全てを受け入れる力強い物なのだから絶対に面白いし、ガンダム世界を構築する必要なものになる。

そして、そのような、新世代のための「ファースト(初めて触れる、触れやすい)」ガンダムはここまでガンダムを深くしてしまった富野由悠季本人には作ることが出来ないという事も分かる。

それに、富野以外の人がガンダムを作るのに加わらないと、千年も万年も富野の死後も日本の伝統文化になりうるガンダムを継承する事は出来ないし、そうするべきなのだ。


つまり何が言いたいのかと言うと、水島精二高河ゆんガンダム楽しみ!


そう、ガンダムは多数にして一。

これが、他の仮面ライダーウルトラマンなどの、パラレルワールド的に分断された作品との違いであり、ドラえもん宇宙戦艦ヤマトのようなどこまでも一つで延々と続くものとの違いである。

スタッフも内容も世界観も変貌しつづけているのだが、それでいて一つの世界の歴史でもある。

これはガンダムシリーズの他に類例の無い、唯一無二の物だと言ってもいい要素だと思う。ガンダム凄すぎる。

これから先どのような新作ガンダムが作られたとしても、新しいファンがいかなるガンダムからガンダムワールドに入ってこようとも、それは富野由悠季の手の中に入るということだ。

ガンダムSEEDが最高だと思って富野ガンダムが古臭くておもしろくないと思っている若い子も、自覚していないだけで黒歴史によって繋がれたガンダムワールドの中で、富野の想念が作り出した一種のバイストン・ウェルの中で夢を見ている。

おお。ガンダム!

これからどんなガンダムが広がっていくのか!どんなガンダムでも富野のものだと安心している僕は、非トミノガンダムでも純粋に楽しみになりましたよ!


なのだが。やはり富野新作ガンダムが一番見たい。

というのは、富野ガンダムは全て目的意識が会ったと思うんだよね。

作品としてもすごい面白いんだけど、どれも目的に左右されてたと思うの。

始まりの機動戦士ガンダム、

おたくに愛想を尽かして潰そうとしたZガンダム、

アムロを殺して終わらせようとした逆襲のシャア、

商業的要請から復活させたF91,

ニュータイプを宇宙に放逐したり人を殺しまくって作品としても世界観としても破壊したVガンダム、

ニュータイプに決着をつけたクロスボーンガンダム、

ガンダムを終わらない物にするための∀ガンダム、

一度愛想をつかせたオタクとガンダムの存在を認めて救済するためのZガンダム新訳。

どれも、作品として、物語としての面白さの他に、ガンダムシリーズのための役割がある。


で、何度も言うが次に作られる富野ガンダムこそは、役割や目的から開放されて、自由に純粋に面白い作品になってくれるんじゃないかと期待するのだ。

(クロスボーンガンダムは結構純粋に面白かったかな?)

まあ、そんな感じで!

*1あきまんが描いたターンエーガンダム外伝で、初代ディアナ・ソレルは外宇宙からの出戻りらしい

名無し名無し 2018/02/11 04:41 ターンエーのせいでアナザーガンダムが宇宙世紀から独立させた作品には見えません

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