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2014-07-25-金

[][][][]ベルサイユのばら第29話「歩き始めた人形」とは誰か

脚本;山田正弘 絵コンテ:さきまくら 演出竹内啓雄 西久保瑞穂

簡単に言えば、今回はオスカルが近衛連隊長を辞めて衛兵隊長に転属する話です。で、オスカルが王宮の飾り人形と言う近衛隊長を辞めて実力主義の衛兵隊に行くので、人形が自分の足で歩き始めた、というのが原作通りの解釈だが。

むしろアンドレですね。

原作のアンドレはオスカルの父のジャルジェ将軍の命令でオスカルを守るために衛兵隊に転属したし、オスカル自身もそういうアンドレが影のように付き従ってくれているから「思うままに動くことが出来る、私一人では何もできない」と言っていて、なんだかんだ言って父と男のアンドレの庇護のもとにいるのだが。

出崎統アニメはそういう甘えの要素を徹底的に摘んでいくスタンス。

アニメオスカルは「誰よりも男らしく激しく生きるため」と言って衛兵隊に転属し、その際に前話で「ひとりで生きることから始めたい」と言ってアンドレに「もう伴はしなくてよい」と従僕を解雇するようなことを言った。(アンドレには馬丁としての役割もあるので屋敷を追い出されることはないだろうが)

前回、アンドレがオスカルに愛を告白して押し倒したということもあり、オスカルはアンドレを避けたいのだ。

衛兵隊に所属する前の空白期間の一週間に一人でノルマンディーの別荘に一人で向かい、海の夕日をぼんやり見ていた、と言うのもある意味みそぎなんだろう。悩んだ時に特に理由もなく海を見に行く、と言うのは実に出崎統的だし、そこでオスカルがアンドレやフェルゼンとの愛のことを考えつつ野良犬に手を差し伸べるが、野良犬は孤高に難破船の寝ぐらに去っていく、と言うのも渋い。アンドレに押し倒されたことを「怒ってもいないし、記憶にも留めない」と言うのも気丈。

で、アンドレはオスカルが別荘に行って離れている一週間の間に飲んだくれて酒瓶を持ってパリをさまよう。やばい。そして地下水道でアコーディオンを弾いている詩人のとなりに行き、「この世には二つの光がある。目に見える光と、心の光だ。大事なのは心の方だ。目なんてのは飾りみたいなもんだ。これさえあれば生きていける。どこまで堕ちても生きていける」という名言を聞き、励まされる。

だが、アンドレは失明の恐怖とオスカルとの恋の悩みから、やっぱり気が晴れず安酒場に行って酔いつぶれようとする。やけっぱちだ。そこで前回アランに教えられた衛兵隊のうたを大声で歌っていると、パリの夜警をしていたアランが店に入ってくる。アランは偶然を装っているが、たぶんアンドレの歌声を聴きつけて入ってきたんだろう。そこで、アンドレを励まして、「もっといい店に行こうぜ」と声をかけるアラン。ここら辺の男同士のメンツを立て合う関係性が出崎統らしい。

そこでアランが衛兵隊員だと思い出して、アンドレはアランに相談して衛兵隊に就職する。オスカルにもばあやにもジャルジェ将軍にも無断で。

アンドレも歩き始めた人形だ。アニメ版は原作の終局と宝塚歌劇団バージョンを受けてのものだし、アンドレはオスカルの相手役とか従僕と言うより、ダブル主人公のような様子だ。

また、アンドレが自分がジャルジェ家の使用人だということを隠してアランに入隊希望を述べた時にアンドレが自分を「大工のせがれだ」と偽ったというのが、また渋い。

明らかにキリストメタファーだ。

アニメ版のアンドレは自分の目を潰したベルナール・シャトレを許す時にキリスト的な振る舞い、目には目を歯には歯をではなく、右の頬を打たれたなら左の頬を、と言うようなところを見せた。

ベルサイユのばら第27話 たとえ光を失うとも…サスペンスと愛と勇気! - 旧玖足手帖-日記帳-

なので、アンドレはキリスト的な受難を受けて真実の愛に向かう殉教者のような面があるのだが、今回アランは「お前は大工のせがれじゃねえ。何故うそをついた。お前には俺の大嫌いな貴族の臭いがする」と言う。

これはこれで、重いセリフ。「お前はキリストではない。お前は裏切り者のユダだ」と言うメタファーなのだ。

日本人なのにこういうセリフを書くのってすごいなあ。舞台はフランスだけど。

また、アンドレが自分を愛の殉教者のキリストだと思い込んで自分を大工の息子だと偽っているけど、ゴロマキ権藤のような兵隊ヤクザのアランはそんな思い込みは嘘っぱちだ、と言ってやっているという風にも見えて、深い。

そうすると、アンドレが歩き始めたのも完全な独立意志ではない、という見方もできるのだが、アランは「まあいいさ。人には誰でも言えない事情ってのがあらあな」と、嘘を許して荒々しい衛兵隊の中でアンドレが生きれるような最低限の忠告のみをする。アランは荒っぽい兵士に見えるが、男同士のメンツを立てつつチームの中の暗黙の了解を新入りに忠告する、微妙な男同士の機微とか距離感の取り方が上手い。だからこそ衛兵隊の実質的なリーダーとして他の兵士に一目置かれるところがあるのだろう。

だから、オスカルが赴任した時に兵士たちがオスカルが女なので閲兵式を拒否して、オスカルが怒って兵士に「私が負ければ隊を去る。私が勝てば閲兵式をするんだ」と決闘を申し込んだ時に、兵士たちはまずアランに代表して決闘することを頼んだ。だが、アランは「女を相手にするのは主義じゃない」と拒否した。

結果、大男がオスカルと戦い負け、他の兵士は逆上し乱闘になりそうになったが、そこでアランが「俺たちは負けたんだよ!閲兵式だけはやってやろうじゃねえか」とまとめた。こういうヤクザな集団での渋いボス、っていう位置づけのキャラクターは出崎統のキャラにいて、彼なりの美学を感じさせる。あしたのジョーでいうとゴロマキ権藤でもあるし、どさ周りの時の稲葉粂太郎でもある。

いいねえ。

ここでアンドレがオスカルに助け舟を出すと、オスカルを女扱いして甘やかすことになるんで、アンドレは黙っていて代わりにアランが男のルールで決闘に収集を付けるって言うのがまた渋い。

アニメのベルサイユのばらは男らしいのだ。アンドレもオスカルを助けたいしそばに居たいから衛兵隊に入ったが、オスカルとの関係を他の男に知られないように、そして男らしくなりたいというオスカルを尊重し、一兵卒としてオスカルと距離を置く。オスカルも決闘となればアンドレの助けを期待せずに一人で勝つ。

男らしさ、メンツでもあるし、誇り、自信とも言えよう。一人一人が気高いのだ。

また、今回のラストでオスカルに求婚に来たジェロ―デルも、オスカルの父や誰に命令されたわけでもなく彼は彼なりに自分で考えてオスカルに求婚を申し込んだので、彼もまた歩き始めた人形かもしれん。

今回の冒頭でジェロ―デルたち近衛隊が最後の一糸乱れぬ見事な閲兵式をオスカルに見せ、ジェロ―デルは「なぜ私たちを見捨てて衛兵隊などに行くのですか?」とオスカルに詰め寄ったのだが。

そのあとジェロ―デルはジェローデルなりに「そうしたらかねてから愛していたオスカルを危険な衛兵隊から助け出せるか?」と考えて「求婚しよう」と思うに至ったのだとしたら、彼もまた能動的な人物と言える。

ちなみに、ジェローデルは原作では求婚話のちょっと前、黒い騎士編の中盤あたりに出てきた近衛隊の隊員なのだが、アニメ版ではかなり前半の長浜忠夫監督パートに登場していた。長浜忠夫パートでのジェロ―デルはオリジナル色の強い活劇エピソードでオスカルとアンドレと一緒に王宮を守る三人組と言う感じだったのだが。

ベルサイユのばらを手掛けるちょっと前の長浜忠夫監督は超電磁マシーンボルテスV闘将ダイモスなど美形ライバルが登場する貴族的なロボットアニメを監督していた。

なので、長浜忠夫監督が降板しなければ、ジェローデルはプリンス・ハイネルのようなライバルとしてアンドレに立ちふさがったのかもしれない。プリンス・ハイネルのキャラクターやボルテスVの革命劇自体が長浜忠夫監督が宝塚歌劇団を参考に作ったものであるし。そういう構想があったのかもしれない。もう、長浜忠夫監督も出崎統監督もこの世にいないのだが。

あと、ジェローデルって少女革命ウテナの西園寺に似てるよな。顔とか。薔薇の花嫁を逃すところとか。

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