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2014-08-10-日

[][][][]ベルサイユのばら第31話「兵営に咲くリラの花」男の世界 前編

脚本:杉江慧子 絵コンテ;さきまくら 演出竹内啓雄 西久保瑞穂 大賀俊二

今回のテーマは決闘です。

サブタイトルにある兵営に咲くリラの花はアランの妹のディアンヌの登場についてのものですが、ディアンヌ嬢のエピソードは次回。

今回のエピソードはオスカルとアランの決闘で次回につづくので、感想も次回と合わせて「男の世界」の前後編で書いてみたい。


主人公オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェは「女としての弱さ」で自分が惑わされるのを嫌い、「男の世界」に自分を置くために近衛連隊長地位を捨てて平民兵士を率いるフランス兵隊に転属した。

今回はフランス王室を親善訪問して、フランスの地方都市を歴訪するスペインのアルデロス公の護衛任務のために、オスカルの衛兵隊が抜擢された。おりしもフランスは貴族を憎むテロリストによる爆弾テロが横行しているのだ。爆弾テロに対応するオスカル、という構図は長浜忠夫監督の時期の1クール目の若いオスカル、アンドレ、ジェローデルの近衛隊の活躍と言うのに似ている。

だが、唐突な例え話で申し訳ないが、むしろ馬で遠征して野営しつつテロリストと戦ったり、決闘をしたり、と言うのはジョジョの奇妙な冒険第7部スティール・ボール・ランに似ている!

そして、SBRには「男の世界」というエピソードがある!

君は「男の世界」に登場した「リンゴォ・ロードアゲイン」(スタンド名:マンダム)を知っているか?

知っていなくてもこれはベルサイユのばらの感想なので問題はないが、ベルサイユのばらもSBRも見ていれば、ディモールト・ベネ。

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  • 男の世界のルール

男の世界にはルールがある!

今回のエピソードには2つの「決闘」と、もうひとつ「テロ」がある。

男の世界のルールは「決闘」!

オスカルは女の身でありながら「男」として振舞おうと決める。彼女は女なので男と言うものが何か、直感的には分からない。彼女が男のふりをするのは彼女の想像上の「男」というイメージを追いかけるものだ。だからオスカルは男ではない!だが、それでも男に成ろうというオスカルは、スティール・ボール・ランのジャイロ・ツェペリがリンゴォ・ロードアゲインと決闘して成長を目指した場面に似ている!

ジャイロと決闘したリンゴォは語る。

「『真の勝利への道』には『男の価値』が必要だ。」

「ようこそ…『男の世界』へ…。」


そういうわけで、ベルサイユのばら(ていうか出崎統作品)とジョジョの奇妙な冒険には共通点がある!

貸本萬画家時代の若かった出崎統も、読み切りデビュー直後の荒木飛呂彦先生も「アウトロー」ガンマンを題材にした漫画を描いていた。

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そして、ベルサイユのばらの出崎統編の感想で私が着目しているのも、平民でありながら貴族の屋敷で生活するアンドレ、女でありながら現場の軍人となるオスカル、不倫の恋をするフェルゼンとマリー・アントワネット、という「レール」から逸れた「アウトロー」たちの物語と言う要素だ。


だが!アウトローには美学がある!

ただ、レールから外れて暴力を振るうだけのチンピラは荒野ではすぐに死ぬ!

大事なのは、アウトローでありながらも「掟」は守ることだ!それが「男の世界」なのだ。


  • 裏切り者は殺す

そして、アルデロス公が地方を歴訪している間、衛兵隊は公たちの邪魔にならないように遠巻きに警戒していた。テロリストが潜伏していそうな無人の古城を見つけたオスカルは自分とアンドレとアランの3人で古城を探索する。そこには結局何もなかったんだが、衛兵隊の中に裏切り者がいた。それはオスカルと以前決闘をした頬に傷のある大男だった。彼はオスカルを殺すようにロベスピエールの弟子で前回から貴族の馬車を襲うテロリストとして登場した死の大天使とあだ名される若き法律家サン・ジュスト(実在した人物)に命令されたのだ。

暗殺されそうな要人の護衛任務の最中に裏切っていた部下に後ろから撃たれるとか、ジョジョの奇妙な冒険5部みたいな緊迫感のあるシーンですね!

そして飯塚昭三声の傷の男は古城のベランダに立つオスカルの背後2,3メートルの距離からゲベール銃(ライフリングされていない長銃)でオスカルを撃つのだが、間一髪、床に転がり込んだオスカルは銃弾を避けながら拳銃で彼の肩を撃ちぬいた!

長銃よりも拳銃の方が至近距離での撃ち合いでは有利!というのはSBRの「男の世界」での歩幅による古い銃の威力の問題にも似ていてジョジョっぽい。というか、ハードボイルド。

左手が動かなくなった裏切り者に対し、「お前たちのリーダーの名を言えばお前の処置に多少の手心を加えてやっても良い」と言うオスカル。だが、裏切り者はナイフを振り回しオスカルを殺そうとする。

オスカル「このままでは私を殺す前にお前が死ぬ!」

裏切り者「あの方に頼まれたんだ。お前をやれと。新しい時代のためだ。俺なんかどうなっても構いやしねえ!」


新しい時代とか理想とかボスのために自分の命を捨ててかかってくる刺客とか、実にジョジョの奇妙な冒険っぽい。ディアボロの部下とかプッチ神父とか大統領の刺客とか。

また、ジョジョとは関係なく、ベルサイユのばらの世界観の中で見てもこの裏切り者の男のスタンスと言うのはおもしろい。結局最後はオスカルも部下の衛兵隊も民衆暴動に加わって貴族を裏切りバスティーユ牢獄攻撃するのだ。つまり、彼は裏切り者だがオスカルより先に民衆の味方になる革命思想に目覚めた、と見ることが出来る。実際、原作のベルサイユのばらではオスカルがルソーなどを読みロベスピエールとも親交を深め革命思想や人類平等・自由・博愛の理想主義にかぶれていくのだが。アニメのオスカルはそのような左翼思想へのシンパシーは少ない。むしろアニメではアンドレの方が貧乏教会啓蒙勉強会に参加したりしている。

なので、進歩主義価値観フランス革命を支持するという理屈で考えれば、裏切り者の男の方がオスカルよりも正しい、と見ることもできるのだ。

だが、そうではない。テロリズムは卑怯なのだ。そういう「男の価値観」がアニメのベルサイユのばらにはある。


1890年アメリカパラレルワールドを舞台にしたジョジョの奇妙な冒険スティール・ボール・ランで荒野のガンマンのリンゴォ・ロードアゲインは語る。

「『社会的な価値観』がある。そして『男の価値観』がある」

「昔は一致していたがその『2つ』は現代では必ずしも一致していない。」

「『男』と『社会』はかなりずれた価値観になっている。」

「だが『真の勝利への道』には『男の価値』が必要だ。」

「そして感謝する」「ようこそ…『男の世界』へ…。」


じゃあ、なぜテロは卑怯で裏切り者は殺すべきなのか?

それは「男の世界」では「力あるものが生き延びる」というルールがある一方、「一人の力では生きていけない」という微妙に矛盾するルールもあるからだ。力が支配する男の世界では個人的に強くても組織や集団を敵に回したら負ける。だから、仲間意識が大事。

つまり、男の世界では「力」も大事だが「仲間」の線引き、「敵味方」の区別、その判断と信頼が大事なんだ!


裏切りと暗殺が横行するジョジョの奇妙な冒険第5部でもこういう価値観は述べられている。


ポルポ

人が人を選ぶにあたって……一番『大切な』事は何だと思うね?

それは『信頼』だよ、ジョルノ・ジョバーナ君!

人が人を選ぶにあたって、最も大切なのは『信頼』なんだ。

それに比べたら、頭がいいとか、才能があるなんて事は、

このクラッカーの歯クソほどの事もないんだ…。


この世で最も大切な事は『信頼』であるなら、

最も忌むべき事は『侮辱』する事と考えている。

いいかね……信頼を侮辱する……とは、

その人物の名誉を傷つけるだけでなく、

人生や生活を抜きさしならない状況に追いこんでしまう事だ。

われわれは金や利益のため、

あるいは、劇場やバスの席を取られたからといって、

人と争ったり、命を賭けたりはしない。争いは実にくだらんバカのする事だ。

だが!「侮辱する」という行為に対しては、命を賭ける。

殺人も、神は許してくれると思っている!

ジョルノ

『侮辱する』という行為に対しては、殺人も許されるだって?

なるほど……おまえの言う事は、本当に大切な事だ。

おまえは、あの無関係のじいさんの『命を侮辱した』

ジョジョの奇妙な冒険 49 (ジャンプコミックス)

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仲間か敵か!関係のある者か無関係か!その敵味方の線引き!信頼!これが男の世界なんだ!

ベルサイユのばらのアニメでも衛兵隊のアランたちが初登場したとき、彼らは酒場で歌いながら互いに殴り合いの喧嘩をした。これは無意味に荒くれているのではない。互いに喧嘩しながら、メンバー同士を観察して「こいつはどれくらい強いのか」「こいつはどんな戦い方をするのか」「戦場で背中を任せていい奴は誰か」って愛称や信頼関係を探る流儀なんだな。

だから、この頬に傷のある男がなぜ罰せられなければならないのかと言うと、それはオスカルの敵だからとかテロリストだからだとかそういうことじゃない。男の世界で命を預け合う衛兵隊って言う軍隊の仲間の「信頼」を裏切ってオスカルに後ろから銃を向けたからだ。この侮辱は許してはいけないのだ。


ナランチャ

『この世の中で一番大切なものは何か?』

『それは友情だ!』


だから、オスカルと裏切り者の銃声を聞きつけたアランとアンドレは城のもう一つのベランダに出て、裏切り者を始末する。

「男の世界」をまだ理解できていないオスカルは貴族として指揮官として、頬傷男を捕虜にして尋問するために、また命を大事にする性格から「撃つな!」と言うが、アランとアンドレは撃つ。

ここで、またチェックポイントだが、10メートルくらい離れた隣のベランダからアランとアンドレが発砲するんだが、アランは拳銃でアンドレがゲベール銃。18世紀の鉄砲の射程距離や命中精度を考えるとアンドレの長銃の方が致命傷を与えたと考えるべき。だが、発砲したのはアランの方が先。

つまり、先に「漆黒の意志」で「ぶっ殺す」というケジメを付けたのはアランで、アンドレはそれに対応してとどめを刺したということだ。(アランの拳銃は反動でアンドレの銃よりも大きく跳ねあがっているので命中しなかったと示している演出と見るべき)

アランは衛兵隊B中隊で一番の猛者で精神的にも隊員のまとめ役だ。だから、「信頼」を裏切ってテロリストに内通して後ろからオスカルを撃つ男は絶対に生かしてはおけないのだ。「裏切り者は殺す」という男の掟がなければ衛兵隊の「仲間」は維持できないのだ。これが男の世界だ。

もし、アンドレが頬傷男を一人で殺したのなら「貴族のオスカルを家来のアンドレが殺した」と思われて隊の結束が割れる恐れがある。頬傷男を殺した銃弾はアンドレのものだ。拳銃のアランの弾は当たらない。だが、アランも同時に発砲したことでアンドレが裏切り者を殺すことをアランが他の仲間にも公認するっていう男の世界のルールを示した。命のやり取りを集団で行う兵隊やギャングの世界では、殺しを”認める、見届ける”という公平さが必要なのだ。そうでなければ誰も戦場で背中を仲間に任せられない。

アランは仲間想いの男で頬に傷のある男とも何度も会話していた。だからこそ余計に「衛兵隊」の仲間をはみ出して「テロリスト」の仲間になった男は生かしてはおけないのだ。男の世界には掟で定められた超えてはいけない線があり、それを超えて裏切ったものは始末する。それが掟なのだ。


そんな命のやり取りの掟で生きているアラン。オスカルを救出して仲間を殺した日の夜、アランはアンドレにオスカルについて

「あの女はやめた方がいい。隊の指揮、てきぱきとした命令。なかなか立派なもんだ。だが、ありゃあ懸命に何かから逃れようとしていると言った所だな。だから余裕ってやつが無い。そんな女に惚れちまったら大変だ。男は巻き添えに成っていくら命があっても足りねえ」

と。

オスカルのために仲間を殺した後だと考えると、これはなかなか深みのあるセリフ。また、仲間意識の線引きで考えると、アランはアンドレは同僚で仲間だが、オスカルではそうではない、だからアンドレをオスカルから引き離して衛兵隊の仲間の領分に引き込もうと考えて言っているようだ。


そして、アランはアンドレの目が悪いという事を知っていて、「このことは誰にも」とアンドレに言われて秘密を共有する。これもアランとアンドレの仲間意識だ。オスカルとアンドレの絆は非常に強いが、ここでアランが「貴族で女のオスカルよりも、俺はお前の仲間なんだぜ」って雰囲気をアンドレに伝えているのが面白い。

オスカル抜きにアンドレの方に興味を持つ人間は原作ではアンドレのおばあちゃん以外ほとんどまったくいないのだが、アニメのアランはオスカルに引きずられてアンドレまで過酷な人生を送ることを止めようとしている。また、隻眼片足の詩人もオスカル抜きにアンドレを応援した。原作では中盤まで脇役だったアンドレだがアニメ版ではそのアンドレの描写不足を補うようにアンドレを応援する男たちが付け足されている。

それが「男の世界」の雰囲気で登場するのだ。出崎統は「少女漫画」という女性が女性のために作ったものに男の視点から「男の世界」を付け足すことで化学反応を起こさせる面白さに、おそらく「エースをねらえ!」〜「おにいさまへ・・・」の時期に没頭していたような気がする。また、そういう「少女の世界」に「男の世界」を持ちこむ創作法は「美少女戦士セーラームーンR劇場版」や「少女革命ウテナ」の幾原邦彦監督にも受け継がれているような気がする。

少女革命ウテナはそのまんま「決闘」がテーマだし、今回のラストのベルサイユのばらのアランとオスカルの決闘にも通じるものがありますね。単に男装の麗人というファッションだけでなく、そういうマインド的な後継者みたいな感じがあるんです。


  • サン・ジュストのテロ

爆弾を付けた矢をボウガンで撃って爆発炎上で攪乱している間に、サン・ジュストはナイフでアルデロス公の護衛を刺殺して公たち一家の寝室に侵入して刺殺しようとする。これは決闘とはかけ離れた卑怯なテロ行為だ。

そして、これが「新しい時代を待ちきれない若者」とアニメのベルサイユのばらでは言われる。ベルサイユのばらの原作では、割と革命派に対しては肯定的な描き方をしているし、民衆の暴動も「貴族の贅沢に対する怒り」「マリー・アントワネットの因果応報」という描き方。

だが、アランの「決闘」とか「ケジメ」を重視する所を見せておいて、それに対比するように革命派のサン・ジュストを「男の掟」を無視するテロ行為、剣や銃ではなく爆弾を使って覆面で暗殺をする人間として配置するのは一方的に「革命の自由運動が善なのだ!」というよりは世界観に深みを持たせている。と、言える。

サン・ジュストが自分だけ先にパリに逃げて、部下にオスカルたちの迎撃をやらせるところとかも、決闘よりも戦術を重んじるテロリストって感じですね。騎士道よりも近代的な戦争に近い人間、みたいな。


で、サン・ジュストの部下の爆弾攻撃に遭って、オスカルとアンドレとアランは仲良く朝まで気絶してしまうのだが。

気絶していてもオスカルの手を握っているアンドレを見て、アランは「アンドレ、ガンバレ!」と言う。アランはアンドレに仲間意識を感じて、オスカルから離れさせようとしてたけど、こんな風に目の前で二人の絆を見せられてオスカルを見直しちゃう。


やっぱりアランは「仲間意識」とか「心の繋がり」を大事にする奴なんだな。だから、「アンドレを仲間だと思ってるから、そのアンドレが大事に思ってるオスカルも見直してやるか」って思うんですね。


  • 売られた銃とアランの決闘

だが、オスカルの率いる衛兵隊B中隊の男のラサール・ドレッセルがパリの古道具屋に支給された銃を売った罪で憲兵隊にしょっ引かれて銃殺されそうになる。

オスカルが憲兵隊にラサールを売ったと思ったアランはブチ切れてオスカルの執務室に来る。アンドレも付いてくる。オスカルのところに行くアランに対してアンドレとどのような問答があったのかは謎だが、とにかくオスカルがラサールのことで心を痛めながら夜中まで執務室で事務仕事をしていると、そこにアランが乱入して後からアンドレも入ってくる。

アラン「もしもよ、このアンドレが俺の妹と一緒になりてえって言ったらどうする?」

オスカル「何のことかわからんが、アンドレがそう思い、そうするのなら、それはアンドレの自由だ」

アラン「そう来ると思ったい。なあアンドレ。こいつはお前のことなんかちっともわかっちゃいねえ。…おめえが構ってやる事なんか、少しもねえんだ」

アンドレ「しかしアラン、俺はオスカルがあんなことをしたとは絶対思えない」

アラン「表へ出てもらおうか、隊長さん!」「隊員を売るとはな。大した隊長だ!表へ出ろってんだよ!」「このやろう!残念だぜ。少しはあんたを見直しかけていたのにな」「ラサールは銃殺だ!どう転んでもあんたを許せねえ!」「剣が得意なんだってな、良いぜ、抜けよ!」

アランとオスカルの決闘は原作通りだが、原作の「俺が勝ったら衛兵隊を出ていけ」と言う要求ではなく、アニメでは確実に殺しに来ている。


この変更も、Aパートで頬傷男を殺害した「男の世界のルール」だと考えると一つにつながっている。

アランの中ではオスカルは「仲間を売った」「裏切り者」だと思われている。だから殺す。

オスカルを守ったアランが、一変してオスカルを殺そうとする。だが、男の世界のルールを念頭に置けば、「裏切り者は殺す」、「仲間の命を侮辱する奴は殺す」、「そうやって男同士の仲間の絆を維持する」っていうルールに沿っているのでアランが理不尽に激怒したのではないとわかる。

だからこそ、アランがオスカルを殺そうとする決意が深いものだと感じられる。

だが、アランはオスカルを殺す決意をする前に「もしもよ、このアンドレが俺の妹と一緒になりてえって言ったらどうする?」と聞いた。これは唐突で何のことかわからん問いかけだが、つまり「お前は俺やアンドレたちの側なのか、それともその外側の人間なのか?いっしょなのか?ちがうのか?」という問いかけだ。

で、オスカルは理性で「それはアンドレの自由だ」と答えた。オスカルが素直に「アンドレは私のものだ」とか感情的に言えば、仲間だと認められたかもしれない。だが、オスカルはそういう男の仲間意識が分からず、冷静に「アンドレと別れてもいいよ」と言ってしまった。つまりアランの仲間意識から外れるって言った。だからアランはオスカルは敵だと思い込んでしまった。

だから殺す。

このアランの、殺意と仲間意識の強さに一本侠気が通っている所が非常に恰好いいし、シナリオの構成としても上手い。

原作のアランは女性作家が描いたものだからなのか、オスカルが赴任してすぐに決闘をして敗れるのに、あとからオスカルを集団でレイプしようとするゲスさがあった。決闘をして敗れたのにオスカルを追い出そうと何度もネチネチ嫌がらせをするのがすごく女々しい。それは出崎統の男の世界のルールは許せないわけだ。だから、アランは一度の決闘やケジメを重んじる男として描き直されている。


だが、アニメのアランはオスカルをぶち殺すことを決めたが、暗殺はしない。

仲間が見守る雨の夜の広場に放り出して、オスカルにも剣を与え、対等の条件で殺し合いの決闘を申し込む。

なぜなら、アランは単にオスカルを殺したいだけでなく、「裏切り者には死」というのを仲間に示して命がけで連帯している兵隊の結束を高めようとしているからだ。だから卑怯な殺し方はしない。正々堂々、みんなの前で殺す。


「男の世界」!


ジョジョの奇妙な冒険の「男の世界」でのリンゴォ・ロードアゲインも主人公たちに決闘を申し込む時にこう言っている。

「このオレを『殺し』にかかってほしいからだ。

公正なる『果たし合い』は自分自身を人間的に生長させてくれる。卑劣さはどこにもなく…漆黒なる意志による殺人は人として未熟なこのオレを聖なる領域へと”高めてくれる”。

乗り越えなくてはならないものがある。『神聖さ』は『修行』だ。

だから君たちに全てを隠さずに話している…… 『能力』にも『目的』にもオレにはウソはない」

リンゴォ・ロードアゲインはジョジョの奇妙な冒険の中でも屈指の「自己流哲学」を持ったキャラクターだが決して単なる狂人ではない。その男の世界のルールはベルサイユのばらのような出崎統の作品にも共通した普遍性があるのだ。

血筋や環境から受け継いだ者に過ぎない」「与えられた状況に対応するだけの対応者」と言われたジャイロ・ツェペリがリンゴォと決闘をすることで「ようこそ、男の世界へ」と言われて成長したのは、貴族に生まれ親に従って軍人になったオスカルが男に成ろうとして衛兵隊に赴任したことと非常に似ている。



(ただ、惜しむらくは、リンゴォ・ロードアゲインは「男の世界」に殉じる男でありながら、「いともたやすく行われるえげつない行為」で「『男』と『社会』はかなりずれた価値観になっている」現代社会を作ろうとしている大統領の部下に成ってしまったことだろうか・・・)


そして、アランとオスカルの決闘は、次回の後編に続く。

そして、こんなペースで1話ごとに長文感想を書いている俺は、秋のGのレコンギスタの放送までにベルサイユのばら、少女革命ウテナ、ダイターン3エルガイムを見終わらなくてはいけないのだ。

明らかに、長すぎる。

睡眠時間を削ってアニメ感想を書くしかないのか。(昨日Gレコが配信されてから、アイドルマスターのソーシャルゲームにログインするのを忘れてたくらい、アニメにステータスを全振りしている)


公正なる『アニメ視聴』は自分自身を人間的に生長させてくれる。卑劣さはどこにもなく…漆黒なる意志による感想ブログは人として未熟なこのオレを聖なる領域へと”高めてくれる”。

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