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2014-09-14-日

[][][][]ベルサイユのばら第34話「今“テニス・コートの誓い”」革命の始まり

脚本:山田正弘 絵コンテ;さきまくら 演出竹内啓雄 西久保瑞穂 大賀俊二

あらすじ

http://animebell.himegimi.jp/kaisetsu34.htm


スピード感を持って感想を書いていきたい。

私が安穏と無職アニメオタクをできる時間は金銭的に限られているんで、9月中にベルサイユのばらを見終わって寺山修司の主要著作を読み演劇のDVDを見て少女革命ウテナを見て終わりたい。(ユリ熊嵐もあるのだが)

寺山修司も「書を捨てよ、町へ出よう」で「スピード感」を重視していたのだ!

というわけで、あらすじは外注して、出崎統ファンとして出崎統っぽさを強調した感想にして素早く書き終えたい。アニメや原作のあらすじについて解説した文章は世にたくさんある。なので、私がわざわざブログを書く際には、出崎統の変更意図について記述したい。

そういうわけで、原作を貶めてアニメ版を褒めるような書き方に成ってしまう面もあるのだが、ご了承をいただきたい。


オスカルにブイエ将軍が「議場を閉鎖せよ」と命令する。「これをするのは私でも君でもない。国王のご意志なのだ」と、命令系統の権力の本体をぼかしている。

アニメのブイエ将軍は、原作とは正反対でオスカルの父のジャルジェ将軍とは古い友人で、アニメではこれまでオスカルに友好的だった。原作のブイエ将軍はジャルジェ将軍とは仲が悪く、ずっとオスカルに対していじわるな上官だった。

しかし、今回は一変してオスカルが嫌がりそうな平民差別する命令を与えている。しかも、彼個人が悪いから、と言うわけではなく「国王のご意志なのだ」と言うのを原作よりも強調している。ここら辺は第二次世界大戦での日本軍天皇の扱いに似ているかもしれん。

このように、友好的だった上官でも状況が変化したら嫌なことを言ってくる、と言うのも現実なんだ、組織なんだというのを見せることで、単に嫌な奴が嫌なことを言うよりも人間社会のままならなさの深みを描き出している。なので、「悪い貴族の旧体制を打倒して革命したら自由平等博愛が実現するんだ!」という能天気さを排して、人間社会の生々しさを描き出している。


  • テニスコートの誓いへのオスカルの関わり

ロベスピエールがリーダーシップを取ってテニスコートの誓いをするのは今回の前半パートなんだが、この画面分割がいいね。

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原作でのオスカルは議場を閉鎖する命令を発することで平民から石を投げられて「みじめだ・・・」と独り言を言うのだが。アニメではロベスピエールが「ここの責任者はいるか?」とオスカルに声をかけて、画面分割でオスカルに問いかけることで「オスカルが革命を見ている」という感覚を増している。原作ではコマ割りとページ割りが違う。

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まあ、平民議員が「テニスコートに行こう!」と言いだすのは原作と同じくオスカルとは全く関係が無く行われる流れなんだが、アニメではそれを「オスカルが見ている」という意識を増やす演出に変えることで、主人公としての存在感が希薄にならないようにしている。(実際、原作のオスカルは歴史の語り部という点で希薄な架空の人物であるが。出崎統版では語り部は片足の詩人というオリジナルキャラクターを作ることで、その要素を分散させようとしている)

長浜忠夫監督の前半でも、かなり凝った画面分割をしていたけども。

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アランが「虐げられてきた平民は貴族に苦しめられれば苦しめられるほど燃えてくるんだ」と言うのはあしたのジョーっぽい。

少女革命ウテナの予習としてベルサイユのばらを見ているし、寺山修司も読んでいるのだが。

「書を捨てよ、町へ出よう」でも寺山修司は「よど号ハイジャック」を「スピード感のある若者」として支持しているし、よど号ハイジャックの人も明日のジョーを自称していたんだが。そういう点では70年代の時代と出崎統の空気感がマッチしていて、それが幾原邦彦監督に受け継がれて少女革命ウテナにつながったのかもしれん。

しかし、1935年生まれの寺山修司は石原慎太郎高倉健を若者代表としてエッセイに書いていたが、石原慎太郎元都知事がもはや老害となって、「フリーターニート徴兵でしつけるか、蹴飛ばして家から追い出せばいいんだよ」と言っている時代から寺山の著書を見ると哀しい。寺山修司は「元気のある若者をベトナムに送れと言う老人から権力を奪い返すんだ!」と若者代表として書いていたが、寺山の時代の若者も今では老人になっているし、寺山が批判した老人と同じことを言うようになっている。寺山が死んで見れなかった現在を見ると哀しいのだ。

(幾原邦彦監督は輪るピングドラムで高倉健を主人公たち若者の父親のモデルとして描いたので、世代交代についての感覚は持っていると思うが)

そういう点では、ベルサイユのばらのフランス革命も所詮はギロチン王政復古ナチス台頭につながる一幕に過ぎない、と言う哀しさがある。人類史は決して自由平等博愛や理性や人権に向かって直線的に進歩しているのではない、と思う。

だから、やっぱり哀しみのベラドンナ女子大生エンドは嫌いなんだよなあ。


原作のオスカルは「力よわき身分である平民が、なぜこれほどまでに燃え上がるのかわからない…」と言うんだが、アニメはそれをあしたのジョーのゴロマキ権藤のようなキャラに再構成されたアランに「踏まれれば踏まれるほど燃えるんだよ」と言わせることで分かりやすくしている。また、原作ではアランは下級貴族と言う扱いで、ディアンヌの死を通じてブルジョアの台頭も説明する役割だが、アニメでははっきりと「俺たち平民」と言っている。アニメでは歴史の解説をするという原作の要素をかなり減らし、雰囲気優先にしているし、人間ドラマを見せていく方向に演出意図が変化している。

故に、アランが妹を貧乏と結婚の失敗で自殺させた後、貴族が平民にやっつけられる所を見るために半年ぶりに衛兵隊に復帰した、というのも、そう言いつつも「平民議員を議場に入れないように」と言う命令を受けて苦悩するオスカルにアランが「命令だから仕方ねえだろ」とクールに言うのも、彼の人間としての深み、多重性を増す変更と言える。

そのため、原作ではアランがオスカルに恋をして突然任務中にキスをするという展開はカットされている。やっぱり原作は歴史と恋愛がメインなんだなあ。いや、70年代当時の少女漫画に「歴史」を持ちこんだだけでもすごいのだが。アニメではそこに「人間賛歌」の要素を増やしていると思うんだ。そこが出崎統を私が好む理由である。

原作のオスカルは「なぜ平民が立ち上がれるのか わからない」と言った後に若き日のナポレオンとであることで歴史感覚を繰り出してる。また、原作では貴族でありながら平民部会に合流したミラボー伯を強調している。アニメではミラボー伯もカットされて、平民議員代表はほぼロベスピエールに集約されている。

原作でもミラボー伯は特に終盤に活躍したわけではなく、一応名前を出しただけと言う感じなのでアニメではカットしてもいいだろう。


このテニスコートの誓いの後、雨の中で平民議員だけが議場に入れないというシーンに行くが、ここでもアニメの方がオスカルの関わり方が増している。これはアニメでオスカルが主人公と言う軸足の違いなんだろうけど。(アニメでは「ベルサイユのばら」の本人であるマリー・アントワネットの出番が大幅に減っている)

ショワズィエ・ラ・ボーム大佐が平民議員だけを中に入れないという命令を遂行している時、オスカルは怒るんだが、ショワズイエ大佐は「君だって先日、議場を閉鎖する命令を遂行したじゃないか」と言い返す。オスカルも決してきれいな身ではないのだ!と言う風に組織で生きることについて周る仕方ない汚い現実を主人公に味あわせることで、リアル感を増している。

ロベスピエールの「僕らはいくら濡れても冷たくはない」と言う演説は原作通り。アニメではそれに付け足して「僕らは犬でも物乞いでもない。だから決して裏口には回らない!」と言うことでプライド感を増している。出崎統は負け犬の美学も描く監督なので、それを思うとロベスピエールが平民に選ばれたことの誇りは大したものだと思う。

原作では、平民を差別することにアランがキレて剣を抜くが、それをオスカルが止めに入ってオスカルがアランの腕をつかむと、アランがオスカルに不意打ちキッスをして、雨の中の平民議員がどうなったのかは有耶無耶になる。原作のベルばらフェミなんだけど、困った所では「女」を繰り出して有耶無耶にするところがあって、ちょっとずるいんじゃないかなあ。

アニメでは、ロベスピエールの言葉を受けたショワズィエ・ラ・ボーム大佐が「こいつらは好きで雨の中にいるんだ!私の責任じゃないぞ!」と組織人の無責任さを振りかざしたら、オスカルは彼を背負い投げして、衛兵隊の荒くれ者たちに号令して議場の扉を開けさせる。ラ・ボーム大佐は「ブイエ将軍の命令を無視するのか!」とオスカルにキレるのだが、アニメのオスカルは原作を吟味した後出しなので、頭がよくなっている。

オスカルはラ・ボーム大佐に「よく見給え。雨の中をこれ以上平民を待たせていると暴動がおこる。私は警備責任者として緊急措置をしたのだ!そう将軍には報告したまえ!」と男社会の中でも頓智を効かせる。上手いこと言って責任転嫁するのも組織人としての知恵だし、主人公のオスカルも男社会に屈服する純粋な女性ではなく、うまいこと組織の責任論を利用してサバイバルする―みたいなところがある。エースをねらえ!は未見だが。出崎統の少女漫画アニメは少女漫画でも男らしい一本気な所がある。


アニメ演出と言う点でアニメ独自の迫力が出たというのは、今回で言えばルイ16世が旧体制派の貴族に「国民議会を解散する命令を出してください」とせっ突かれる宮廷内の場面から、ルイ16世が実際に「国民議会を解散せよ」と言う議会会場での場面への転換が非常に映像の原則!

って感じでアニメらしい。

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国王が弱者っぽく俯瞰で見下ろされる絵と、国王が上手に立って権力者っぽく座る絵が4回くらいカットで交互に切り替わるのだ。

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これで国王の国民に対する権力者としての属性と、貴族の党利党略に利用される機関に過ぎない人物としての属性が演出として見せられるので、非常にうまい。


また、冒頭に有力貴族と会議する、この国王のジワ引きもじわじわくる。

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さきまくらや富野由悠季監督によれば、アニメは絵コンテが8割!


そして、平民議員たちの平坦な目にさらされて、国王は左右にブレて、

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「いいから解散しなさい!」と叫んでしまって、

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そこからのこの引き。

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で、国王は議会の裏側で有力貴族に押し込まれる弱い立場なのだが、平民は舞台裏は見えないので国王を悪い権力者だと思って、国王に憎しみの目を向ける。

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カットの使い方でこういう状況を非言語的に分からせるアニメってめっちゃカッコいいな。

また、前回書きそびれたが、ルイ・ジョゼフが死にそうで神に祈っているマリー・アントワネットを後ろでフェルゼンが見守っている時、ルイ16世は自分の妻の傍らに行く時に、フェルゼンに「前を失礼しますよ・・・」と言う。国王が色男にへりくだる!ヤバい!

ルイ16世の負け犬としての描き方は出崎統らしくていい。

ルイ16世は負け犬なんだけど、負け犬なりに誇りを持っているし、自分に能力が無いと自覚しているけど、フェルゼンに敬語を使う程度には冷静というシリアスな演出の微調整が良い。

アニメでは原作の、ルイ16世が「ジョゼフはフェルゼンの子ですよ」という密告の手紙をマリー・アントワネットの前で読んで泣く、「僕がもうちょっとスマートなら」と思ったり「子どもを産んでくれた妻がフェルゼンと恋をするのをどうして邪魔できようか」ともったり、というかなり情けない展開はカットされているが、それが無くてもルイとフェルゼンの関係性を「前を失礼しますよ」の一言で説明しきっている!

うーん。わびさび。

そういう謙虚で善良な人物としてアニメのルイは描かれている。(原作でも断頭台に上がる時はそんな感じだ)

原作では国民議会に解散を命じる時のルイはディフォルメされた体型で、いかにも悪そうな顔の有力貴族に怒られて解散の宣言を言わされると言うわけで、かなりギャグっぽい絵柄で済ませられている。が、アニメは解散のセリフは原作と同じく「三部会を開催したのであって国民議会は開いてはいないので、皆は解散するように」と言うのだが、アニメではそれをシリアスな絵柄のまま行うし、かなり演出意図が加えられていて、渋い。


  • ブイエ将軍の呼び出し

議場の鍵をぶち破ったわけで、衛兵隊B中隊ごとオスカルが、三部会の議場警備からブイエ将軍のベルサイユ宮殿オフィスに呼び出される。

原作のブイエ将軍は意地悪だからオスカルを命令違反で逮捕するんだが、アニメではオスカルが「私は軍事法廷など怖くはありません」と言ったら「命令違反で逮捕してもいいけど、君の父上とは友人だから今の言葉は聞かなかったことにしてあげるよ」と組織人の管理職らしい狸腹を見せて、組織に深みを出している。

だが、徐々にブイエ将軍はオスカルと敵対し始めて「議場に居座っている国民議会派を謀反人として武力で排除せよ」という命令を出す。アニメでもオスカルは嫌がって、原作と同じようにオスカルは逮捕される。

で、ブイエ将軍が直接兵士たちに「武力行使せよ」との命令を口頭で伝えるのだが、アニメのオスカルは逮捕されても「私の部下がブイエ将軍の命令をどう受けるか見たい…」と心の絆みたいなのに賭けている。

で、いったんは従う兵士たちだが、親分格のアラン班長が「俺たちはここでオスカル隊長を待つって約束したんだ!陸軍最高指揮官だか何だか知らねえが、俺たちに命令できるのは俺たちの隊長だけだ!」と逆らう。逆らうのは原作通りなんだが、原作での「平民同士で銃を向けるのは嫌だ」というニュアンスから変わっていて、アランの「オスカルとの男の約束」が強調されている。また、アニメのアランは妹が貧乏で死んだことをきっかけに「貴族と戦う」という意思が原作よりもかなり明確に強くなっているので、そのように明確に率先して命令違反をする。すごくカッコいい。

で、逆らったラ・サール・ドレッセルは以前に銃を売ったことをオスカルを通じてブイエ将軍に有耶無耶にしてもらって釈放されたのだが、今回はそのブイエ将軍の前でアランに同調して逆らうので、脇役のドラマも深くなっている。


で、逆らったアラン以下12名は見せしめのために銃殺するってブイエ将軍に言われる。ブイエ将軍は謀反人は近衛隊に排除させると言う。

自分がかつて率いていた近衛連隊が平民議員に武力介入すると聞いて、オスカルはキレる。原作でもここで脱走するんだが、原作みたいに逮捕された部下の名を泣いて呼んだりはせず、冷静なまま「悪いがとおしてもらう」と言って、自分に拳銃を向けている陸軍士官たちを投げ飛ばして格闘する。で、オフィスの扉の前にいたアンドレを呼んで脱走するだが、そのまま二人で「近衛連隊が会議場に突入するのを二人で防ぐんだ!」と雨の中を馬で疾走する。

か、かっこいい!

というか、アニメのオスカルはアホみたいに強くなってますね。ここら辺はアニメの娯楽性なのかなあ。

まあ、平民議員とラ・ファイエット侯とジェローデルの対決の中にオスカルが割って入るのは原作通りなんだが。さて、次回。


そして、原作でのオスカルと衛兵隊の関係性は「30代のバリキャリ女性上司が、若い少年兵士たちに母性愛を注ぐ」って感じだったが、アニメでは「武闘派のオスカルが暴れたいがために兵隊ヤクザの集団の隊長になった」という、士郎政宗版攻殻機動隊みたいな感じなんだが。

原作では逮捕された12人が釈放されるときにオスカルが母のように迎えたのが感動的なんだが、アニメではごついオッサンの兵隊ヤクザなので、どうなるんですかね。

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