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2014-09-19-金

[][][][]ベルサイユのばら第36話「合言葉は“サヨナラ”」逆シャアに通じる革命開始

脚本:杉江慧子 絵コンテ;さきまくら 演出竹内啓雄 西久保瑞穂 大賀俊二

あらすじ

http://animebell.himegimi.jp/kaisetsu36-3.htm


ほぼ原作通り。が、ニュアンスがやはり微妙に変えられている。

ほぼ原作通りなのに、微妙に変えてきている所が実に微妙なのでリアクションに困る。

原作通りにマリー・アントワネットフランス軍パリに集め、平民派のネッケル大臣罷免され、民衆は武器を取り、オスカルは肖像画を描かせて血を吐く。

軍の具体的な名前と日付を表記した行動が描かれている分、原作よりも歴史的考察が事実っぽく深く見える。

また、軍がパリに来たせいで食糧不足になるという描写もハード。原作では乞食がパリに流れ込んできたからーとなっているが、アニメでは軍事行動が政治経済に影響を与えるって言う所がリアリティがある。

また、オスカルの肖像画を描く画家は原作の3頭身よりもリアルな体つきになっているが、オスカルの顔色を見てオスカルの死期が近いと誰よりも早く察知するので、芸術家だ。

アンドレもオスカルが何かを隠していると気付く。

それと、アランがオスカルに「行くところまで行くしかないんじゃないですかね」「暴動ではなく革命と言ってほしいね…」と言うのもアランが貴族と戦うために軍にいることを補強している。


この二人の革命志士の微妙なすれ違いが良い。今回はオスカルとマリー・アントワネットの別れがクライマックスに向けての大きなテーマだが、サン・ジュストとロベスピエール先生のすれ違いも今回の裏テーマではある。

アニメ版ベルサイユのばら徹底解説

ロベスピエールはオルレアンが尻尾を出したと鼻で笑っている。

オルレアン一派を国民議会から除名しようという部下にも、どうせ誰も支持しないからそっとしておけと、落ち着いている。

ロベスピエールの目的は国民議会の承認軍隊のパリ撤退であり、それまでは内部のいざこざは避けたいもの。

それより大蔵大臣のネッケルが何かしてくれることを期待しようと弟子たちに語っている。


 その頃、ネッケルは国王立ち会いの会議で、王政改革を提案していた。

時の流れには誰も逆らえない。

王家だけでは国の運営は不可能であり、新しい勢力との協力に基づく議会政治なくしては国家の繁栄はあり得ないと彼は言い放つ。つまり国民議会の承認である。

これには集まった貴族の誰もが反対した。

新しい勢力、つまり身分の低い平民との協力など出来るはずがない。彼らはこれまで通り、無抵抗に貴族のしもべであるべきなのだ。国王がそんな平民と肩を並べることは出来ないと。


だが、ネッケルはそうせよとあえて断言する。

現に、我々にこの危機を救える力はあるのかと、ネッケルは同席した貴族たちに問う。だが誰も答えられない。

事実、貴族たちの言葉に惑わされず、国王はこの際、平民たちと手を組んで、立憲王政として王室が生き残る道もあったのだ。

しかし、ここでアントワネットが口を開く(この物語ではアントワネットにかなり権勢があるようだ)。

彼女はネッケルの案に猛反対する。国王の尊厳に傷がつくと。時の流れに負けてはならないと国王にはっぱをかけるのだ。

ロベスピエールは革命派の中での内輪揉めは避けたい、と言ってオルレアン公が権力を握りたがっていることを知りつつ静観する。また、フランス陸軍の中では違う部隊同士がバラバラに行動し、アランもイライラして田舎から来た舞台とケンカを起こす。そして、アランはオスカルに「軍はバラバラだから勝つのは民衆だ。飢えと戦ってきた民衆が一丸となる」と予言する。しかし、革命を先導するインテリと平民派貴族も一枚岩ではない。


サン・ジュストは暗殺人斬りである。彼はロベスピエール先生に「“サン・ジュスト、国王夫妻をやれ”と、なぜ一言お命じになってくれないのですか」「言論よりナイフと銃には力がありますよ・・・」と言うのだが、ロベスピエールは彼を却下する。そして、サン・ジュストに対してベルナール・シャトレを備考に付けて、サン・ジュストがテロを起こさないように見張らせる。


が、サン・ジュストはすぐにそれを察知する。「仲間同士でこそこそ後をつけるのは、嫌いだ」

ベルナールはサン・ジュストに言う。

「時代は変わる。自然にだ。なぜそれを待てない」「ロベスピエール先生は平等な革命が目標だ」

サン・ジュストはそれを「ロマンチストだな、君は」と一笑に付し、

「ロベスピエール先生が望んでいるのは権力さ。何が革命だ民衆のためだ、結局はオルレアンと変わりがない」

「信じられる人間などどこにもいない」

「時代がどう動こうが、人間はある瞬間生まれて、そして死んでいくだけだ。だから、誰もみんな生きている間は自分のことを考えているだけなんじゃないのか。僕はね、とにかく好きなようにしたいんだ」「だから殺しをする」

「見ていてご覧ベルナール。先生はね、話し合いだと議会だのと言っているけどね、本当はチャンスを狙っているのさ。正当な理屈をつけて今の特権階級を皆殺しにするためのね」

「そういう意味で言えばね、先生は僕なんか比べ物にならないスケールを持ったテロリストだ」「はははは・・・はははははは・・・」


ここら辺の革命の中の虚無主義アナーキズム逆襲のシャアを通じて少女革命ウテナに受け継がれているんだろうな。やっぱりウテナを見る前にベルばらを見ていて良かった。


そして、マリー・アントワネットは国民議会を指示する大蔵大臣のネッケルを罷免する。

それを、ロベスピエールは好機とする。サン・ジュストが言った通り「何でもいいからチャンスを狙っている」のだ。

 7月11日、ネッケルはアントワネットの怒りを買い罷免される。彼は自宅謹慎処分を受けた。

ロベスピエールはこの機に乗じて、ネッケルが自宅謹慎ではなく虐殺され、これは国王から民衆への宣戦布告だとデマを流し、人々をあおる内容の演説で、市民の怒りに火をつけようとした。ロベスピエールの弟子たちは街角で次々とデマの演説をあじてーとする。それは歴史上のカミーユ・デムーランたちだったかもしれない。

市民はそれに扇動され、武装を開始した。

市民の飢えと怒りは、これをきっかけとして爆発する。ロベスピエールも民衆も、怒りと皆殺しと権力への意志が燃え盛っているだけで、「正当な理屈」や「本当の事実」などはどうでもいいのだ。とにかくきっかけと適当な言い訳があれば、人は人を殺せる。なので、アニメのベルサイユのばらは原作よりもずっとシニカルに革命と愚民どもを描いている。

原作では熱血漢のベルナールが「国王の軍隊が我々を殺しに来るぞ!月桂樹を仲間として身に付けよう!シトワイヤン、武器を取ろう!」と呼びかけている。原作のオスカルは「ついによわき民衆が武器を取った!」と、武器を取って正々堂々と戦うことを割と好意的に受け止めた。

アニメのベルナールは、サン・ジュストからロベスピエールの本心を聞かされ、ロベスピエールの武装決起を呼びかける演説を離れた所から聞き、やや冷めている。

その上で、「ロベスピエールがどんな男であろうとも、そんなことは問題じゃない。ようは民衆が自分たちのために立ち上がれるかどうかなんだ」と、思う。ベルナールは民衆を信じ、革命を支持する。が、もう「先生」とは呼ばなくなっている。

そして、虐げられた民衆の決起だとか革命だとかきれいごとを言っても、結局飢えた動物が生きるために行う殺人に過ぎないのだ。


革命の嘘っぱちさというのは、ベルサイユのばらと70年代学生紛争に関係した寺山修司に影響を受けた幾原邦彦の少女革命ウテナやノケモノと花嫁でも描かれているし、機動戦士ガンダム逆襲のシャアでもある。


  • オスカルとマリー・アントワネット

「軍をお引きください」とのオスカル

「私を守ってくれますね」とのマリー・アントワネット

「私は近衛を辞めた身でございます」とオスカル

「なぜ、涙が…。もうこれきり会えないというわけでもないというのに…」と、二人とも涙する。

「オールヴォワール」…また、会いましょう…。

だが、これが永遠の別れになることは二人にはわかりすぎるほどわかっていた。一国の女王という壁は、暖めあった友情ですら、ついに越えることが出来なかったのである。

だが、この物語ではこの二人は分かれるのだ。

革命が絶対正義ではないという描き方なのに、時代の流れと人の立場の違いで、マリー・アントワネットとオスカルの20年来の友情は消える。

これ、もしかしたら百合かもしれない。三十路百合。

革命も、地位も富も身分も、友情も人生も命も、儚く消えるものだ。そういうシニシズムがある。

だが、そこで流す感情、涙は、本物だと思いたい…。しかし、これはアニメだ。



あと4回。

死は近いのだ。

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