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2015-07-04-土

[][][]新幹線焼死事件に見る。自爆テロへの向き合い方は社会的アサーションである

まず、私は自死遺族である。

機能不全家族で育ち2010年にKLab株式会社東京本社を過労退職し、2011年東日本大震災をきっかけに実家に戻ると、父親と母親と母方の祖母がさらに機能不全家庭になっていた。境界例人格障害の母親はそんな家に嫌気がさしたのと銀行屋の甘言にそそのかされて新しい家を買おうと思い込み、常識を家宅信奉するタイプの強迫性人格障害の父親はイレギュラーな母の行動に対処できず無視して逃げ続け、祖母は痴呆悪化させ、私はそんな家から東京に逃げようとしたが、ラブライブ!でヒットを飛ばす直前のKLab株式会社でタイムカードを20時に押した後23時過ぎまで働くというブラック労働を受けて過労になり精神障害3級となった。それでも実家が嫌だったので東日本大震災で地震酔いノイローゼになるまで東京にいた。

母方の祖母が妾をして母親を生んだこともあり、母親は家族に対する執着が強かった。(父方の祖母も妾だったので妾の子同士の結婚は良くない)(母の義理の兄も自殺して、そのせいで祖母が地元を追い出されて私のうちに来た)(家族を作るということは因業である)

そのため私が精神障害になった事は自分のせいだとさらに精神的に追い込まれたし、私も母親のせいだと思っていた。そして父親は知らんぷりをした。

そして、父親の退職金が少なくて母親が見込んでいた住宅ローンが組めないことが分かると、母親は自殺した。

その時のことは当時の記事に詳しい。

純と愛とテレビと政治と世界を呪詛する - 玖足手帖-アニメブログ-



なので、「自殺してはいけない」という「禁止」のニュアンスを多く持つ言い方は好きではない。自殺してはいけないと禁止されているが、自殺は実際にある。

もし母親が自殺して居なかったら借金はもっと膨らんでいたし、母親が自殺した生命保険金が無ければ父親は今まで生き続けることはできなかっただろう。母親が自殺したことで祖母は一親等血縁者がいなくなり優先的に特別養護老人ホームに入所することができた。いいことづくめである。

ただ、私は精神病をさらに悪化させて毎晩寝る前に母親が自殺した時の満足そうな顔をフラッシュバックして泣き、アルコールを飲まなければ眠れず、眠れば母親に生前叱責された時の夢ばかり見る。地獄である。だが、それは単に私の精神的な反応に過ぎず、社会的には母親が自殺して祖母が老人ホームに入った分食費が浮いたというのが事実だ。精神的感情より事実が優先される。


前提を書いた。

本題に入る。


年金が少ないとこぼす71歳の老人が新幹線で焼身自殺をして数億円の経済的損失を出し、巻き込まれた人が1人亡くなった。

私の母親も死ぬ直前に「おばあちゃんは年金がもらえるけど、私は生きていても年金がもらえないし生きていても迷惑をかけるだけ」と言っていて、僕も「僕にはどうしようもない」と思っていて母親から逃げていたし、父親は「もっと普通にしろ!」と母親に怒るだけで母親の追いつめられた感情を無視していた。そして今も私がアルコール依存睡眠障害なのに対して父親は「何故普通にできないのか」と言うだけで辛さを分かってくれない。まあ、それが常識的人間なんだろうな。

ともあれ、そのようなことがあるわけで私は自殺した人や年金で破綻する人や現実の家族や社会から否定されてパチンコや投資にのめり込んで無理な夢を見る人に親のような親近感を感じる。

母親が自殺した直前、父親の退職金が少なくて土地ころがしに失敗した時に母親は「貧乏人は夢を見たらあかんのかねえ」と言っていたので、パチンカスの焼身自殺した人間もただ単にパチンコを娯楽にしていたのではなくそれなりの精神疾患と社会からの見捨てられ体験があったのだろうと推察している。

実際、自殺に至る母親の過程を観察した結果、現実の過程や社会に安心できない人はギャンブルや投資で現状を打開しようという客観的には無理な行動を起こすことが確認された。なので、新幹線で焼身自殺した人がパチンコと金の話ばかりして「年金が足りないのはパチンコをしていたせいで自己責任」と言う人は自殺者の実態を知らないと言える。

また、パチンコをしていなくても焼身自殺した人間は月に12万円の年金で家賃を収めたりしており、実際に貧困レベルだと言える。


それで、次のような記事を書いた。

社会、いや世間の人間は自殺するまで追いつめられた人をどうするのか、同じような人が他にもいるのではないか、なんてことは思わず「オリンピック景気を邪魔するな」である。

テロは必ず発生するから、対策を強化しよう」とNHKテレビで識者が語っていた。

つまり、高齢者の貧困や格差や年金の構造的不具合やこの国の経済政策の失敗、それに伴う個人的破滅から生じる攻撃的行動は「発生して当然」だと言う。

国家の社会の経済運営が弱者を追いつめた結果として、社会インフラに対する恨みをぶつける焼身自殺でも、日本人が気にするのは健全な社会と国民生活の運営ではなく、「オリンピックで外人に褒められたい世間体」だ。「貧困は自己責任」で「年金を収めない奴が悪い」「人を殺す奴や自殺する奴は悪いから人間扱いしない」と圧殺する。それでは何も解決しないだろうが、解決しようという気もないんだろう。

僕も自死遺族だが、「自死は発生して当然」だって世間の君たちは言うわけだね。

新幹線焼死事件に見る。日本に社会はない。世間体が在るだけ - 旧玖足手帖-日記帳-

それに対して、次のような反応を貰った。

世の中がもっと景気が良かったら…などは考えないことはないが、巻き込まれて死んだ人が出たことが、私の中でその考察が無意味となる。

エントリをグダさんが読むことは想定してなかったが、それを踏まえてもなお、私は「自殺してはいけないし、人を巻き込んではいけない」と思う。もしも、このエントリに返信があるならば、巻き込まれて殺された人に関しても書いてみてください。

自殺してはいけないし、人を巻き込んではいけない。 - 大学院卒ニート、しやわせになりたい。

それに対して、自死遺族の観点から私は

「自殺する人は社会に巻き込まれて自殺に追い込まれたので、自分を追い込んだ社会を巻き添えにしても別に等価交換では」

とブックマークコメントした。


それに対して

id:yarukimedesu 価値観が、私とはずいぶん違うようだ。「そうではない」という言及記事も書けるけど、このブコメの先の文章があるならば、書いてみて欲しい。タイミング次第では、炎上するかもしれないが」

というコメントを貰った。

なので書く。




母親を自殺に追い込んで生き延びたクズと言う自覚があるので、他人を殺してはいけないとか自分の命が大事という価値観が分からない。

たまたま見たいアニメがまだあるから死んでないだけで、本当はみんな死ぬべきだよ。少しずつでも地球をスッキリさせんとな。

人を殺してはいけないって言うけど、そんなに人って大事か? 血まみれの月経と鼻水みたいな精液の混合が人だ。

人を殺してはいけないと禁止されがちだが。お前らは許可を得て生まれてきたのか?何か正当な目的や資格があって生まれたのか? 単なる親の性欲や家を存続させるとか言う世間体で生まれただけだろう。それが何十億にも膨らんで資源を食いつぶす。それは許せんのだ。

「自殺はいけない」とか「テロはいけない」と報道される先進国は寄ってたかってイスラム国の構成員を雑に空爆で一度に何百人も殺すよね。 先進国に生まれた国民は自殺してはいけなくて、自爆テロをするしかないような国のものは何人殺してもいいのか。そういう世界なんだよ。人間は殺し合うようにできている。

母親を自殺するまで見殺しにしたような酷薄な家庭で生きてきた人間から言わせてもらうと、人間に愛情やいのちの価値などはない。 母親が自殺した生命保険金で定年後の父親は生き延びている。人間には経済的な価値しかない。そしてそれは紙きれだ。



なので、「自殺してはいけない」とか「人を巻き込んではいけない」と言うのは個人的な意見としては、自殺や殺人を禁止するほどの効力のある意見だとは思えない。なぜならそれらは実在するからだ。

実在する自殺に対しては「自殺するのは不愉快なことだ」「殺されるのは不愉快なことだ」「生きることは不愉快なことだ」という仏陀以来の感慨を持つ程度に留めるのが良いだろう。

それは個人的な感情である。では、社会的に自殺を禁止する風潮と言うのはどういった物だろうか、考えてみよう。

私だって見たいアニメがあるのにそれを中断させられて他人の自殺に巻き込まれて死ぬのは不愉快である。しかし、それは不愉快なだけで経済的に物理的に、あらゆる手段で殺し合い富を奪い合う人間社会という現実の前では無意味だ。人は殺す可能性も殺されるリスクも自殺や事故に巻き込まれるあらゆる場合がある。


しかし、世界保健機構WHO2003年に「自殺は、そのほとんどが防ぐことのできる社会的な問題である」と明言し、適切な防止策を打てば自殺が防止できるとした。

自殺それ自体は病気でもなければ、かならずしも病気の症状でもない。しかし精神障害は自殺に密接に関連している主要な要因である。


結婚は男性にとって自殺防止の保護要因であるが、女性では必ずしもそうではないようだ。別居や単身生活も自殺の危険を高かめる。



自殺は複雑な現象であり、単一の原因や理由では説明できない。自殺とは、生物・遺伝・心理・社会・文化・環境的な多くの要因が相互に作用して生じる複雑な現象である。


「生きているのに疲れた」とか「生きている意味がない」などと打ち明けられた場合、話を逸らしたり、もっと苦しんでいる人もいるのだと反論することがしばしばある。こういった反応は、自殺の危険の高い人にとって何の役にも立たない。


最も重要なのは、誠実に相手の訴えを傾聴することである。真摯な態度で耳を傾けることは、自殺にまで追いやられるような絶望感を少しでも和らげるための重要な一歩となる。


結論

慎重な態度で、自殺の危険の高い人に関わり、心底から相手を心配し、人生には価値があるのだと伝える。これこそがプライマリケア従事者が、自殺予防のためにできることなのだ。

http://www8.cao.go.jp/souki/tebiki.pdf


暴論である。

論理的に解釈すれば、「自殺は防ぐことができる社会的問題である」→つまり→「自殺を防ぐことができなかった俺は社会的に間違った存在である」→つまり→「社会から逸脱したものの自殺は防ぐことができない」という式が成り立つ。なので、私は自殺する。今の私の就業歴や年金の納付金額と予想される支給額を計算すると私は自殺する以外に道はないだろう。それとも、ボケるまでダラダラと税金を食いつぶして老人になっていくのがいいのか?


また、WHOの自殺予防の何が暴論かと言うと

最も重要なのは、誠実に相手の訴えを傾聴することである。真摯な態度で耳を傾けることは、自殺にまで追いやられるような絶望感を少しでも和らげるための重要な一歩となる。


結論

慎重な態度で、自殺の危険の高い人に関わり、心底から相手を心配し、人生には価値があるのだと伝える。これこそがプライマリケア従事者が、自殺予防のためにできることなのだ。

との末文である。無理である。実際に私や父親と言った家人(家族という言葉は母親の自殺以来使いたくない)、母親が通院していた内科、母親とジャニーズのコンサートに行っていた母親の友人、すべてが

「誠実に相手の訴えを傾聴する」「真摯な態度」「心底から相手を心配し」「人生には価値があるのだと伝える」事をしなかった。

むしろ、自殺をしたがる陰気な母親の悩みを「冗談だと無視したり」「反社会的な言動で常識と違うと言って叱責したり」「自分の話ばかり押し付けて相手の話を聞かなかったり」「金銭的価値が無ければ人間関係を断つという態度をしたり」した。


私は精神障碍者なのだが。学生時代から心身症に悩まされ、今も睡眠障害やアルコール依存があるのだが。そう言う私に対して私の主治医の精神科医師は「母親の自殺を防ぐ力はなかった」「あなたの責任ではない」等と言う。ならば、誰の責任だろうか?社会の責任だろうか?


しかし、社会のどこに「誠実に相手の訴えを傾聴する」「真摯な態度で」「心底から相手を心配し」「人生には価値があるのだと伝える」余裕のある人間がいるのだろうか?

もちろん、金銭的に余裕があり精神的障害のない虐待歴のない健康社会人ならば、互いに価値を与え合う余裕がある人もいるだろう。しかし、そのような「健康な社会」に属している人間は自分たちの健康を守るために健康ではない人間を無視する。私の母親の周りにもおそらく健康な人間はいただろうが、母親が自殺のそぶりを見せると知らんぷりをした。母親の金銭を目当てに銀行屋は甘言を弄したが、母親がローンを組めずに自殺すると私たちとすぐに関係を切った。

そういう社会である。



  • 社会的アサーションについて。

アサーティブネスという言葉がある。

「相手が良い、悪い」「自分が良い、悪い」の組み合わせで他者と自分を尊重する社会的態度のことである。

この相手の事を「個人」と「社会」と置き換えると、今回のヤルキメデス氏と私の意見の違いが明確化できるだろう。

私は「個人も社会も悪い」と考えている。

なので、「悪い社会のなかで人間同士が殺し合ったり自殺をしても当然では」「他人の自殺に巻き込まれるのも物理的にあり得ること」だと考える。

「社会は悪であり、個人から搾取して自殺に至らしめる」「個人は悪であり、自殺する際、あるいは犯罪などで社会から逸脱する際に社会に攻撃を加える」という相互敵対関係をイメージして生きているのが私だ。

ここで、私は自殺する人間も社会の構成員であり、自殺も社会の構造に組み込まれていると考えている。

自殺や自爆テロに巻き込まれる人間も社会の構成員として間接的、社会経済として他人の自殺を幇助しており、他人を自殺や戦争させて自分が生き延びる代わりに、テロに巻き込まれるリスクを支払うのが当然、だと考えている。

私の世界観では私たちは常に、そして既に母親や他人の自殺に巻き込まれていてその屍の上に生活しており、その際にこれからも殺したり殺されたり自殺したりさせたりして行くだろうと考えている。

既に、常に、自殺に巻き込まれている。



対して、「自殺をしてはいけない」「他人を巻き込んではいけない」と考える人はどのようなイメージを持っているのだろうか?

人を殺してはいけない。自殺してはいけない。一番一般的な道徳として、共通認識されていると思う。この部分で「そうは思わない」と思うのは自由だけど、私の考えでは、その意見はあまり問題にしていない。そして、この部分がズレているなら、議論を交える意味は少ないと思う。


巻き込まれた人。

グダさんのエントリには、巻き込まれた人に対する言及がない。私の元エントリでは『巻き込まれて死んだ人に対する思いが、それを両立することを拒む』という部分が、感情的に重要だったことが分かる。


仮に焼身自殺した人が、新幹線の中であっても、他に死者を出さないで、一人で死んだとしたら、考え方も変わっただろう。しかし、巻き込まれて死んだ人がいる。「自殺」するしか選択肢がない人がいる一方で、自分とは関係のない人の自殺に巻き込まれて死んだ人がいる。グダさんのエントリには、巻き込まれた人に対する言及がない。しかし、私は、その部分を一番気持ちが揺さぶられていた。


自殺するまで追い込まれて、結果、自殺するとして、一人で死ぬことと、他の人を巻き込んで死のうとするのでは、おおきな差があると思う。焼身自殺した人の境遇などを考える気持ちを押しつぶすくらいに、殺された人が可哀想だという気持ちが大きい。

自殺してはいけないし、人を巻き込んではいけない。 - 大学院卒ニート、しやわせになりたい。

「社会の構成員である自分は悪くない」「社会の構成員である自殺に巻き込まれた人は悪くない」

「自殺をしてはいけない、他人を巻き込んではいけないという一番一般的な道徳として共通認識されている考えがずれている人と議論を交える意味は少ない」=「自殺する人は社会の構成員や議論の相手としての資格が無い」=「自殺する人は社会の構成員から外れているので、社会は悪くない」

という認識である。


私の父親もこの考え方に属する。父親は母親が自殺した後、「辛いのはお前だけじゃないぞ。俺もつらいんだぞ」と私に言った。私は「一番つらかったのは母ではないですか」と言うと、父親は「ポカーン」としていた。

父親は葬式の時に母親が自殺したことを参列者に隠して「自殺したって言うと悪いから事故だと言ってお母さんを守ろう」と言った。僕は「守りたいのは自分の世間体だけだろ」って思った。

つまり、父親やヤルキメデスさんや一般的な社会人にとって自殺者、死人に口なしであり思考能力を認めていない。いや、理屈では「そんなことはない」「私も考えている」と口では言えるだろうが、本質的に自殺者と自分の間に境界線を引いて遮断しているということが言葉の端々や態度から推察できる。

事実、私の父親は母親が自殺してから母親について何も口にしなくなった。

このような一般的社会人は犯罪者や自殺者やテロリストに対して「自分とは全く理解できない思考のイレギュラーである」「イレギュラーの気持ちは勘案する価値が無い」「イレギュラーによって社会が脅かされてはいけない。イレギュラーは社会の敵である」と切断操作を行う。


まあ、自殺する前から父親が、あるいは人間が、母親や他の人間に対して自我や思考能力を認めていたのかと言うと疑問なのだが。われ思う、ゆえにわれあり。ならば思考が認識できない他人は哲学的ゾンビなのでは?


その点で、実は「他人は全て敵である」という私と、「自分の社会的価値観と違う人間は敵である」という社会人は同じ思考なのである。

ただ、敵や味方の範囲が、「他人全部が敵」「社会は敵同士の集まり」と考えるか、「社会的価値を尊重する見方以外は敵」「社会は味方の集まりで、敵はそれ以外」と考えるか、境界線の位置の差にしか過ぎないのである。


また、ヤルキメデスさんのような「この部分がズレているなら、議論を交える意味は少ないと思う」と言い、味方同士だけで寄り集まる方が人間の生き方として楽である。

社会の敵は敵であり、味方を殺す悪であり、殺された人の方がかわいそうで、殺さざるを得なかった人間のことは考えない、という態度の方が楽である。敵の気持ちを考える方がしんどいのである。敵に人権を認めながら戦うのはしんどいのである。この社会は自覚しなくても他人の犠牲の上に成り立っているのであるが、それに対して毎日ジャイナ教徒のように詫びて暮らすのはしんどいのである。


焼身自殺した人を悼む気持ちがまるでない訳じゃあない。しかし、巻き込まれて死んだ人に対する思いが、それを両立することを拒む。もちろん、「一人で死ね」の前に、「死ぬな」という思いはある。

人間爆弾3・キモくて金のない老人ってことかな。新幹線で焼身自殺するなら一人で死んで欲しかった。 - 大学院卒ニート、しやわせになりたい。

自殺した人のことを考えることを拒み、「死ぬな」と思うのは楽である。

「死ぬな」と考えることは「自分がやがて死ぬ」ということから目を背けて死の恐怖から逃れるのに非常に楽な態度である。


逆に私は「私はいつどのように死ぬことを選択しなければならなくなるだろう」と思い、いつも自殺する方法をシミュレーションしていて、非常に精神的に悪い。


「社会は自分の味方で、社会に味方する限り保護される。その保護と対立するものは敵である」と考えるのは楽である。不安が無い。しかし、そんなものは幻想なのである。私の母親は社会に保護されないばかりか年金額や退職金の額で社会から生きる価値を値踏みされ、資本主義社会人の銀行家から「救われたいなら借金をして投資しましょう」と言われて無理な借金を作って自殺した。殺されたようなものだ。資本主義社会は、ついてない誰かの損によって利益を得るゼロサムゲームだ。年金は年金を納付したのに受け取る前に死んだ人の不幸によって成り立つ。


なので、私のように「誰も俺を助けてくれない。むしろ自分が生き延びているのは何かの間違いでいつ死んでもおかしくない」と常に死と直面しているのは生物として非常にストレスが高い間違った生き方だ。

母親は僕の部屋の前で自殺したのだが、毎日毎晩部屋の前で「母はどんな気持ちで首を吊ったのか」と死んだ瞬間の人の気持ちをシミュレーションする僕の習慣は非常に精神に悪い。しかし、精神に悪いからと言って一人暮らしをするために十分な収入を得ることも私には無理なのである。この世は地獄なのである。


アサーティブネス理論によると、コミュニケーションにおいて実体はともかく「自分も相手も善である」という態度を幻想として持つことが円滑な社会生活を送る秘訣だそうだ。そうやって社会は回っているのだ。そして落伍者を悪として無視することでエントロピーを外に排出する。

「自分も相手も悪である」という現実に直面することは苦しいことだ。

「なぜ、何のために生きるのか」と常に考えながら自覚的に生きるのはコストパフォーマンスが悪い。「社会常識として当たり前だから」と思考停止するのが楽である。


だから、脳髄は人間の中の迷宮であるという観点から、僕はあえて社会を許そう。



そして、君たちはそうやって現実から逃げ続け、目を背け続け、そのために社会保障費を削って貧乏な誰かを殺しながらオリンピックに投資して夢を見ていればいい。


精神分析家のラカン曰く、死の瞬間に人は現実を見ることができるらしい。

自殺論 (中公文庫)

自殺論 (中公文庫)

yarukimedesuyarukimedesu 2015/07/05 15:01 少しあとに、このエントリを読む前に書いた文章を公開します。そして、このエントリに関する文章も、時間をおいて公開します。

『この部分がズレているなら、議論を交える意味は少ないと思う。』の部分に関して釈明をしておくならば、自分とは違う考え方を排除しようとするものではなく、そこに時間を費やしても、お互いに歩み寄りはできないでろうと思ったからです。それは、私が歩み寄りを否定するのではなくて、最初から、かなりの距離を置かれたと思ったからです。

このエントリにおいても、私の文章を引用したところは、私の意図しない方向に何かでブーストされて、どんどんと悪い方向に解釈されているように思えます。それも、書いた私の責任かもしれません。

ただし、ここに書かれた思いは否定しません。そして、私の考えが、あなたを追い込むのであれば、その意図はなかったと、謝っておきます。

nuryougudanuryouguda 2015/07/05 16:24 大丈夫です。
ヤルキメデスさんの考えがどうだろうと私はかなり追い込まれているので。議論をしても私の辛さは事実上変わらないですしね。

nuryougudanuryouguda 2015/07/05 16:36 しかし、議論を交える意味が少ない人間同士が利害関係を絡ませながら生きているのが社会なので、現実のボリュームの大きさに圧倒されそうになりますね。

yarukimedesuyarukimedesu 2015/07/07 09:57 IDコールが埋もれて、伝わってない可能性があるので、こちらにもコメントを書いておく。

<blockquote>一連のことを一晩考えたが、【自死遺族】という強い発言力を持つ立場から、私の「二人の知り合いの死」から考えたことを、「軽々しく」と貶めたことを、最初から今までずっとムカついていた。 br /> <br />【自死遺族】という立場は、ネット上において強い発言力を持つだろう。君が辛い境遇にいることは分かる。だが、それは私の考えを貶めていい理由にはならない。 <br /> <br />この件に関しては、文章で正式に謝罪して欲しいが、「謝らなくていい」と思うなら、そうしたらいい。 <br /> <br />私は【自死遺族】ではないが、自分の人生において、最大限に考え、そして書いている。そのことは、知っておいて欲しい。<br /><a target="_blank" href="http://yarukimedesu.hatenablog.com/entry/2015/07/05/170159">自殺してはいけないという言葉は自殺者の【死体蹴り】ではないし、社会(見知らぬ他人)を巻き込むことは等価交換ではない。 - 団劇スデメキルヤ伝外超</a>
</blockquote>


しかし、自分の気に入らない意見は徹底的に悪い方向に解釈を積み上げられては、釈明の余地すらない。そして、【自死遺族】という圧倒的な立場を使いながら、自殺問題に無関心であれば、「目を背けるな」と言い、「ネタかマジかわからん」と言えば、「つらい」と言い、本文では「境界線を引いて遮断している」と書いてあるが、一連のやり取りの中で、こちらの自死遺族ではないというこちら側の立ち位置の違いなどの配慮などは、かなり遮断されているように思う。

自分が怒った時は、怒っていると書く。傷ついた時は、傷ついたと書く。自殺問題に関して無関心と決めつけると、「目をそむけるな」と書く。しかし、私の価値観や、それに関する大切な人や、その死を貶めても、謝罪はしない。悪いことをしたと思ってないなら、それまでだが、そういう資質の人間が私の内面を書いたエントリに否定的言及を行ってくる資格がそもそもあったのだろうか。価値観以前の問題で、相手を傷つけても謝らないのであれば、ブログの間で文章をやりとりをしても、一方的に私が損をすることが多いだろう。

それでも、謝罪しないなら謝罪しないで良いが、今後、私の価値観や人生観に関して言及するのはやめて欲しい。【自死遺族】である、あなたの観測範囲に「自殺」の話題を書いた私も悪かったのか?と思ったが、その気持ちは失せた。

【自死遺族】という辛い立場であることは、家族の死を書いたエントリを読んだ時からずっと尊重してきたつもりだ。しかし、【自死遺族】だからと言って、私の考えを「軽々しく」と切り捨てたのは、自殺に関する事柄では誰よりも辛い立場にあり、問題意識も強いという増長だ。謝罪して欲しい。謝罪しないなら、もう二度と、圧倒的な立場から悪意をばらまくのは、やめて欲しい。

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