ちょっと蛇足ながら、何故株主と従業員の対立構造に私がアレルギーを覚えるかについて

昨日のエントリーには、twitter上でも色々と反響を頂き、ちょっと怖いなあという感じです。
もっとも、ここ数日のつぶやきとブログを見て、この弁護士よっぽど暇なんだろうなぁ、と、思った方もいるんだろうな、と。
ま、ある意味、物理的に時間がとれなければ身動きがとれないので、確かにそういう面があることは否定しないのですが、さりとて「経済がわかっていない相手」に対して知識をひけらかして悦にいるというだけの動機でやるには、時間とかレピュテーションという観点からコストが割高だったりします。

それでも、昨日のようなエントリーを書こうと思った理由について、蛇足とは思いつつ、補足を。

問題のすりかえ

きっかけこそ米国発の金融危機ですが、そこによって浮き彫りとなった日本経済の問題点は成長力の欠如です。(私だけの意見では信憑性がないかも知れませんので、例えば、harry_gさんの記事なども見てください。)
たとえ、一時的に経済がダメージを受けても、成長期待があれば将来の高いリターンを期待した投資資金が集まります。もちろん、事業規模の縮小が余儀なくされる分野はあるでしょうが、その代わりそうした成長性の高い分野への投資が新たな雇用を創出します。
しかし、そのような成長期待がなければ、一時的な経済ショックに対して縮小した事業規模を埋め合わせる雇用が生まれません。雇用が生まれなければ、国内における需要回復が見込めない以上、それを見越した投資家はますます投資意欲を減退させ、投資資金は日本に集まりません。

このような状況の中で働き場所がなく苦しんでいる人を救うには、地道ですが成長政策を立案し、それを実行していくしかありません*1
ただ、このような成長政策は、そもそも効果ある政策立案には相当の労力をかける必要があり、更に成長は経済構造の変化を伴うため既得権益の調整という非常に政治的にリスクを伴う作業が必要であり、少なくとも一時的には予算も必要です。
いうまでもなく、これには王道的な政策立案・実行能力が必要です。

問われるべきは、こうした成長戦略であるところ、それを「今の労働者の窮状は株主から搾取されているからである」「労働者の窮状は株主の強欲さのためである」といった、真の問題とはかけはなれた対立構造の議論に持っていくことは、本来議論されるべきことから目をそらすだけのものであり、結局は、労働者、ひいては国民を幸せから遠ざける途だと信じるから・・・これが、ここ数日私がそれなりのコストをかけてもいいと考えて理由の一つです。

現状のさらなる悪化

もちろん、政策論議は全ての意味が等しいと言うことはなく、なかには無駄なものもあるでしょうし、それにいちいち目くじらをたてるのは重箱の隅をはしでつつくようなものです。

私もそんな話であれば、どうぞご自由に、と思います*2

しかし、労働者の窮状を株主の強欲さのせいにすることは、現在の労働者を更に困窮させる可能性があります。

一つ目は、例えば、そうした対立構造を強調して投資家のリターンの享受を制限したり、従業員への追加分配を強制する制度を導入することは、実効的には、投資に対する課税強化と同じです。ただでさえ、日本への投資意欲が減退しているときに、そのようなことをやれば、ますます日本企業への資金の供給主体は減っていきます。

二つ目は、これ以上日本企業への追加投資をせずに資金を引き上げる方向性を投資家が決めた場合には、投資対象の企業の将来的な成長性を確保するよりも、今の目の前のキャッシュフローを最大化することが望ましい選択になります。株主による残余コントロール権の濫用(例えば、収益性は高いが株式市場の低迷で一時的にPBRが低くなっているような企業の清算や、年金資産等の取り崩し)を防いでいるのは、関係が将来にわたっても続くことに対する期待や評判ですが、そういう関係を大事にする必要がなくなれば、実際に残余コントロール権の濫用が起きる可能性は高くなります。つまり、「株主と従業員は利害対立するものであり、政府は従業員への利益移転を支持する」というアナウンスそのものによって、今まで調整されていた株主と従業員の利害が、本当に先鋭化してしまう可能性があるわけです。

三つ目は、二つ目の裏側です。株主が残余コントロール権を用いて自分たちからの利益移転を行う可能性が現実的に高まると予想すれば、労働者側もそのような動きに対応した行動をとることが予想されます。具体的には、いつ株主がそのような機会的行動をとるか分からないとすれば、その会社にいれば価値があればよそにいくと価値のない技能を習得することには消極的となり、実際の事業に関係するか否かを問わず資格のようなより汎用性の高い技能の習得をすることを優先したりするかも知れません。また、報酬についても、退職金割合を減らすことを要求することになり、結果として企業の資金繰りを更に苦しくすることになるかも知れません。

株主と従業員の利害対立が本当は先鋭化していないにもかかわらず、それを先鋭化しているかのように強調して制度を変更することは、「嘘から出たまこと」になって、今まで存在していなかった利害対立を先鋭化させる契機となり得ると私は考えています。

これが、私が株主と従業員の利害対立をスケープゴートが、単に本題から目をそらすということにとどまらず、それ自体として危険な結果となると思っている根拠です。

デジャビュ〜上限金利規制

もっとも、今回のような議論構造は、実はそれほど珍しいことではありません。
かつても、「消費者金融による借り手からの搾取に歯止めをかける」というスローガンを掲げてなされた上限金利規制について、私は当時ブログ上で、それが借り手保護どころか、借り手を却って酷な地位におくものであることを、何か結構な労力を使って論じました(その時の議論について中間整理をしたエントリーはこちら)。

どうも、「あなたのためです」と一見聞こえのいいことをいい、だけど、それが実はその人の状況を更に悪化させるような政策論というのは、私の中の何かのスイッチを入れてしまうようです*3

というわけで、前の記事にTBをくださったid:dongfang99さんが指摘されているように「貧困や雇用をめぐる悲惨な現実への憂慮や憤りの表明なし」に経済議論を行ってしまったことによって真意が伝わりにくかったというご指摘はその通りだと思いますので、一応今回のエントリーで*4私なりにそうした憂慮や憤りを強く持っているからこそ、そうした困窮している人たちの耳にささやかれる甘言に対して、これだけ強く反応してしまうということを表明したいなと思った次第です。


(追記その1)・・・でも、読み直してみて思ったのは、求められているのは、こういう理屈の話ではないのかも知れませんね。ただ、私の場合、その感情を不特定の人の前でさらすのは、どうも苦手ですのでお許しください。*5

(追記その2)成長戦略さえやれば十分ということではなく、勿論、こういう経済ショックや、成長過程に入っても経済構造の変化で生活基盤が危うくなる人たちは出てきます。こうした人たちへのセーフティネットは必要です。ただ、これもどういう形で行うかというのは非常に難しい問題で、全ての関係者が皆満足するようなキレイな解決方法は見あたらないので、政治的にはウケが今ひとつなわけです。

*1:なお、誤解する人はいないかも知れませんが、経済成長策が大事ということは、金融/財政政策が重要でないことは意味しないと私は考えています。

*2:実際、監査役に従業員代表を一人加えるという話は、理論的な整合性は色々と問題はあるでしょうが、実務法律家である私からすれば、色々な方が指摘されているように、今の日本の現状を大きく変えるものではないので、そのぐらいの話にいちいち嘴を突っ込む気にはなりません。

*3:そういえば、経済成長を目標にするのはもうやめようといった議論に対しても、何だか熱くなった覚えがあります

*4:それでも経済学の理屈が立ってしまっていますが、これは芸風なのでお許しください

*5:お酒のはいったところで、その人の目を見ながらであれば、自分の見た実際のエピソードを交えながら話すこともできるます。ただ、その種の個人的体験を前提とした感情を文章にのせることによるミスコミュニケーションのリスクが気になってしまいます。これはリアルの立場と結びつけてブログをやっているということも理由の一つかも知れませんね