Hatena::ブログ(Diary)

蕎麦屋の釜

2010-06-30

宗教法人

07:05

 選挙が始まって政党の皆さんはいろんなことを掲げています。その中で消費税増税が突然登場し、社会保障の安定的確保と並行して論議されようとしています。入る税金と出る税金とのバランスをどうするのかが大きな争点となるようです。

 しかし、増税論議をするのであれば非課税法人となっている団体の洗い直しをするべきではないでしょうか。非課税となっている団体は、学術、宗教、学校などの非収益を目的とする事業を行うことを前提にした法人で、国税法人税をはじめ地方税固定資産税など巨額の課税が免除されています。これら非課税の法人は、公共の目的のためにその運営がされるとして非課税となっているのです。しかし、どう考えても公共の目的とばかりは言えない法人も有り、その最たるものが宗教法人です。言うまでもなく、この法人は観光地の小規模なお寺から巨大な新興宗教団体まで規模や宗派もさまざまで、その実態あるいは資産総額の把握さえ不可能なほど不透明感に溢れています。また、宗派間の対立は激しく、宗門に関係なければ内部に入ることも出来ない団体も多く、とても公共性が有るとは思えない事例が多々見受けられます。オーム真理教が非課税扱いを受けていなければ、その潤沢な資金を利用しての犯罪は起こせなかったとも言えるかも知れません。これらの団体に一般の法人並み課税が実施されると、いったいどのくらいの税金が国や自治体に入るのでしょう。実はそれさえも不明なのです。おそらく消費税率の数パーセントになる金額であることは間違いないと言われています。

 不思議なのは、民主党から共産党までこの問題には一切触れていません。巨大な圧力団体と言われるこれら宗教法人は、これからも税金とは関係の無い世界で好き勝手放題をしていられる訳です。北野 武の映画「教祖誕生」の世界はまんざら作り話では無いのです。

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教祖様 牙が出ています 御隠しにならないと・・。

無宗教老人無宗教老人 2010/06/30 08:31 イヤーいいこと言うね!選挙では膨大な金が動くという宗教法人もあるとか。ここはひとつ、非課税措置などというものは一旦すべて廃止し、必要なところには補助金として交付し、国民の目に見えるかたちにしてもらいたいものですね。教祖になれない老人より。

無宗教老人無宗教老人 2010/06/30 08:31 イヤーいいこと言うね!選挙では膨大な金が動くという宗教法人もあるとか。ここはひとつ、非課税措置などというものは一旦すべて廃止し、必要なところには補助金として交付し、国民の目に見えるかたちにしてもらいたいものですね。教祖になれない老人より。

2010-06-29

もらう の考察2

07:21

 くどいようですがまた「もらう」についてです。

気に障る用法であることは昨日申し上げた通りです。しかしなんで気に障るかについて、少し考えてみました。「もらう」という意味は、他人からの所有権の移動を示しています。今よく使われる「元気をもらった」との言い方は、以前は「元気づけられた」との物言いで無かったかと思います。これはどう違うのか。前者は元気と言う物を他人から貰い、つまり所有権の移動が介在し、それにより自分の精神の高揚を図る、という意味に解釈されます。では後者はどうかと言うと、他人の行動を見たり触れたりすることで、自分に「元気になれ」と叱咤激励する行為を通し精神の高揚を図ることと定義されるかと考えます。換言すれば、他力なのか自力なのかと言うことではないでしょうか。これは消極的に他人のくれるものを待つ暮らしと、自分の食い扶持は自分で稼ぐ暮らしとの違いにつながると言えるでしょう。元気とか勇気を他人からもらい、それを使って何事か行うのは、行動をする自分の意思、判断を曖昧にし、ひいてはその行動の責任の所在も曖昧にしてしまう危険を孕んでいるとさえ思えます。

 例によっての与太話ですから大した意味も無く、これと言った検証にもとづいての話ではありません。草食系人間が増えたとか専業主婦願望が蔓延し始めているなどと聞くにつけ、この「もらう」と言う用法が気にかかったのです。草食系も専業主婦も決して悪いとは思いません。むしろ良い傾向に思えます。ただし、個の確立と経済的自立を前提としないこれらの動きは奴隷願望に近いものを感じることも事実です。

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あら 真面目なんだ。

ボケ亢進症老人ボケ亢進症老人 2010/06/29 08:08 最近ボケが進んできたようで、わけのわからぬ言葉使いが増え、意味を理解することが難しくなりつつあるのですね。この「もらう」という言葉を聞くと、無性にイライラがつのってくるのです。また、「〜させていただきます」も、イライラの種なのです。ほかにも一杯あるのですが、ボケが進んできたようで、すぐには出てこないのです。言語は変化し続けるものとはいえ、今人は、幼少の頃は言語機能が良く、成長とともに言語機能が退化していってしまう結果、このようなわけのわからぬ言葉使いが生まれてくるのではと感じるのです。人という種も退化の一途にあるのかなあと思ったりしているボケ老人なのであります。

2010-06-28

もらう の考察

07:58

 この頃よく使われる言葉で、「○○をもらう」或いは、「・・もらった」といった用法が有ります。「元気をもらいました」、「勇気をもらった」などのように言います。「嫌味をもらった」とか「悪意をもらった」などとは使われないようです。兼好法師さんも、友達で一番は物をくれる友、と言っていますから、かなり昔から「もらう」ことは嬉しいことだったのでしょう。ただ、この「元気」とか「勇気」などは形が有る訳でないので、どの位もらったのか、お返しはどうすれば良いのか、直接会ったことも無ければ、話したことも無い人からもらって良いのか、など様々な悩みを抱えてしまいそうになると思うのですが、皆さん軽くもらうようです。それに、よく考えてみれば相手があげると言った訳でも無さそうなので、勝手にもらうのはまずいのでは、場合によっては刑事事件の対象になることも考慮しなければならない、と言った余計な心配までしてしまいます。

”何をグジャグジャ持ってまわった言い方をしてるんだよ、要するにその言い方が気に入らねえと言うんだろ。はっきりそう言やあいいんだよ、全くくどいんだから。”

”いや、実にどうもその通りでございまして、いつもの癖が出まして相すみませんことで。”

と、突然落語風な物言いで、話をまとめる今日この頃でございます。

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馬鹿ね オホホ・・ね

2010-06-26

休日

07:39

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肉丘もお休み

2010-06-25

雨にも風にも

07:29

雨にも風にも、夏の暑さも冬の寒さにも折り合いをつけ、話題は無理に作らず、自分の意見を押し付けず、いつもさらりと書きなぐる。一日一回は更新し、土日、祭日は休み、あくせくせずに、北にサイレンが鳴れば行って見物し、南に救急車が来れば何事かと確かめてくる。欲は有り余るほど有るけどじっと隠しそしらぬ顔をする。いつもイライラしてしまう自分に反省はするがすぐ忘れてしまうことにする。一日3食腹8分目を守り、早寝早起き昼寝して、病気もせず、褒められもせず、アクセスカウントは気にかかるけど見て見ないふりをする。そんなブロガーに私はなりたい。

 本歌ほどに歯切れもなにも良くないのですが、一つの目標として掲げてみました。しかしこんなものを掲げたところで“意味は何も有りはしない”ことだけはよく分かっています。「書きたいことを書きたいように書く」、これは「言うは易し、行うは滅茶苦茶難しい」ことを別の言葉で表したもので、素人が簡単にできる芸当では有りません。最近亡くなった井上 ひさしさんは、難しいことを易しく、易しいことを真面目に…とか何とか言ってたようですが、達人がさらりと言うから格好いいんであって、生兵法は通用しません。文章を書く極意は、「そんなものは有りません」と確認することから始まるようです。ただ、毎日書いていればそれなりに読みやすい文章をマネることは出来る、のではないかと希望を繋いでいます。ブログという場が文章を整えてくれる、そんな風に言えるかも知れません。

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尾は口ほどにものを言う。

2010-06-24

美観

06:49

 美観と言うのは個人の好みでもあるので、あれこれ良い悪いと言いにくい部分が有ります。“工場萌え”と言うのが有りますが、工場のごちゃごちゃしたところの何処が良いのか分からない人もいます。ガード下建築物が良い人もいる半面、あんな戦後の残骸のようなものに何がモノ好きで興味を抱くのか訳わかんねえ、と切って捨てる人もいます。これは各人の好みの問題で、裏返せば何を言っても言ったもん勝ちとも考えられるのです。

 そこで私の好みから言うと、「東京スカイツリー」とか言うあの鉄塔のどこがいいのか分からないのです。世界一だか何だか知りませんが、いまどき世界一にあこがれる程この国は貧しいのでしょうか。「世界第2位ではいけないのでしょうか」と突っ込みたくなります。鉄塔そのもののプロポーションも間が抜けていますが、立地環境の悪さ、これはもう話題以前の物凄さで、よくもまあ、あんなゴミゴミしたところに建てたものと、建設主の教養さえ疑ってしまいたい程のモノなのです。パリのエッフェル塔と比較するのは論外としても、せいぜい通天閣ぐらいの馬鹿馬鹿しさで止めておけば、まだ救いが有ったと思っているのです。しかし、それにしてもマスコミやテレビなどで提灯記事やよいしょリポートなどを見せられると、全く何を考えてるんだか、いい加減にして欲しい、とここまで書いて、私は何に腹を立てているのかふと考えてしまったのです。スカイツリーに恨みも無ければひどい目に有ったことも無い。ましてや他人様が自分の財布で建てるものに何の権利が有ってケチをつけるのか。大きなお世話、ほっといてくれと言うことではないのか。“まことちゃん”の赤白ハウスだって法律的には何の違反も無いのです。私はとんだ勘違いをしていたようです。前言をすべて撤回します。もう何も言いません。

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私はいつでも美観に配慮してます。

2010-06-23

つぶやき

07:19

 今風に言えばツィッターですか、あちこちで囁かれているようです。携帯電話(これもケイタイと言いますが)が無ければ成立しない世界で、殆ど持っているだけの私などは異次元のような思いと、やっかみ半分でみています。PCも携帯も情報の発信源として一般化し、世界中で様々な情報がそれこそ洪水のように流されているようですが、「ビラとタテカン」と言った世代としては今さらながら驚きを通り越し呆れています。

 不特定多数の人に呼び掛ける行為は、暖簾に腕押し、もしくは糠に釘と言った頼りなさを(これも古い例えですが)感じますが、時として具体に変化するようです。原水爆禁止の署名を訴えた一地域の市民運動が全国的な広がりを見せ、その後紆余曲折が有りすぎるほど有りましたが、世界的な取り組みとして今に引き継がれていることはその一つの例でしょう。少しジャンルは違いますが、イギリスの歌番の動画が世界中で観られ、スーザン・ボイルという歌手が生まれたことは記憶に新しく、不特定多数に呼び掛けることのダイナミズムを感じた出来事でした。これからボイルさんがどうなっていくのか分かりませんが、しばらくは生活に困らないだけの収入は確保されたはずで、羨ましい限りです。

昨日の続きですが、誰か有名人でお金が有って、気前よくポンと寄付などしてくれる奇特な人は居ないでしょうか。そのお金で全国に動物の避難シェルターをつくって運営なんかすると言う、気楽な夢を見たいのですが如何でしょう。ショコたんなんかも一口乗っていただいて、鳩山さんなんかにも呼び掛け名誉挽回も兼ねてもらい、ついでにポンと寄付もしてもらい、全国的な運動として広がりを見せる、となるようなつぶやきをブログで、ツィッターでやってみませんか、一斉にワアーと、ねえ。

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私のシェルター

2010-06-22

殺処分

07:08

 いま宮崎県ではこれが行われています。家畜が口蹄疫にかかると文句なしに殺処分です。口蹄疫そのものは死亡率の少ない(数パーセンらしい)病気らしく、またヒトには感染しないと言われています。では、なぜ家畜は殺処分されるのか、と言う疑問が生じます。どうもヒトの都合と言うか、いずれヒトに食べられるものがウィルスを体内に持っているのは如何なものか、と言うことらしいようです。だから、ワクチンを接種した家畜は、当然ウィルス感染した家畜となり殺処分される。ワクチンを接種することが治療ではなく、感染の拡大を防止するために行われています。さんざん牛や豚を食べておいて、今さら可哀想もないのですが、釈然としません。

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 殺処分は家畜以外にも日常的に行われています。年間40重万頭を超えるネコ、イヌなどが、各地で毎日のように殺されています。これらの動物は病気でもなく、もちろんウィルス感染している訳でも有りません。ヒトの都合で殺されています。殺され方も決して安楽死などではなく、むごたらしい殺され方による場合も多いと聞きます。いま宮崎県で牛や豚を殺処分している人たちもつらい作業をされていると思います。しかし、全国の動物愛護センター(こう言った名称で呼ばれています)などで殺処分を実施している人たちは、仕事としてこれからもずっと続けていかなければならないのです。感染防止とか他の家畜を守るためと言う大義名分も無く、ただ人の都合で捨てられたという理由で動物の殺処分を続けなければならないのです。仕事とは言えつらい作業であることは想像するに難くありません。一日も早くそのような仕事が無くなるよう願わずには居られません。また、ペットとしての商品価値低下を理由に、業者が行う同様の殺処分も有ると言われています。ペットシェルターの開設、ペットの売買に関する規制と虐待の法的禁止の強化などを緊急に取り組む必要を感じます。私の出来ることと言ったら、せいぜい殺処分反対署名に名前を書き入れることぐらいで何とも歯がゆいのですが、テレビや新聞で殺処分と言う言葉を見るたびにやりきれない思いを抱きます。

2010-06-20

みこたん

05:32

 言わずと知れた(そんな大げさに言うほどの知名度は無いですが)このブロググラビアスター、本名を「みい」と言います。この7月で3歳になります(ヒトに換算すれば28歳ぐらいだそうです)。性別は♀、種別はミックス、性格我儘、甘えん坊、自分勝手などなど。容姿端麗、学歴なし。ただし高い教養と知性を備えすでに教育の必要はありません。出生地東京、血縁者不明、既往症・尿路結石による腎不全?(完治済み)、現在健康。食欲旺盛、快食、快便、言うこと無し。この辺りがみこたんのプロフィールです。

ネコ族で一番大型のライオンは群れをつくって暮らしますが、虎は単独で暮らすそうです。身近なネコ族でも野良ネコ族は単独で暮らしていますが、家ネコ族はヒトを召使にして暮らすことがよく知られています。なかにはイヌを母親代わりにする家ネコ族も居て、ネコ族の中では独自の進化を遂げた種として関心を集めていますが、進化生物学の分野では注目されていません。

 うちのみこたんは家ネコ族で御覧の通りの美形ですから、様々な誘惑にさらされる危険を事前に防止するため、完全お家にゃん子として暮らしています。お家外半々にゃん子、3対1にゃん子など様々な暮らし方を選択している家ネコ族ですが、外出時に事故に有ったり、誘拐されたり、何かの都合で帰らなかったりで、その場合召使のヒトは気が狂ったように心配します。専門のネコ捜索探偵も居るくらいです。ヒトの警察は捜査に協力しません。犬のおまわりさんを見習ってほしいものです。

 野良ネコ族は危険と飢餓が常に襲いかかります。また、ペットショップと言う怪しげな売買組織が横行し、ブランド族ネコなどが取引されていますが、取引から漏れたネコには殺処分と言う卑劣な行為が行われます。ブランドネコも野良ネコ族同様に危険が付きまとうのです。人身売買が禁止されているように、ヒト以外の動物も売買を禁止すべきです。また、外でにゃん子を見かけたら事故にまきこまれないよう見守ることが大切です。ついでにヒトの子も見守ってもよいかもしれません。

以上取り留めのない話でした。

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この眼を見て、水晶のようでしょう。ヒトとは違うのよ。

2010-06-19

休日

07:40

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肉丘の熱きぷにぷに触れもみで さびしからずや 道を説く君

今日はおまけのあじさい

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2010-06-18

カウント

07:24

 ここのブログを始めてから既に1ヵ月半ほどになります。これの前に1カ月ほど他所でやっていたので合計2ヵ月半、週休二日、祝祭日休みのサラリーマン並み更新を続けています。たまに他人のブログも見ることは有りますがそれほど熱心ではありません。だから当然自分のブログもそれほど見られることは無いと思っています。アクセス数を表示する機能が有ることは知っていたのですが、そんな思いもあって、それにつけ方もよく分からなかったので表示しませんでした。それが此処にきて、スケベ根性と言うか、本来の目立ちたがり根性と言うか、その辺りのモノが忍び寄り耳元でささやきかけ、今週の日曜日からカウントを表示するように設定しました。

さもしいもので、すぐカウントに目が行きます。このカウントと言うのはアクセスだけ、もしくは私が更新してもカウントされるので、表示された数字がそのまま読者数では有りません。けれど数字が増えてくると単純にうれしくなります。この数字が大きいものになるのか、小さいもののまま終わるのかよく分かりません。でも、仮にカウント数が増えるようであれば、みこたんと言う強い味方の、美人にゃん子の魅力によるところが大きいと率直に認めるものです。

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美人て私の事・・そうなんだ・・・。

2010-06-17

0655 今月の歌

17:25

 0655の今月の歌が心にしみます。「のりこえるの歌」と言います。うたっているグループ名がいい。真心ブラザースと言います。既に名前からして心にしみる。歌の感じは吉田 拓郎の全盛期を彷彿させるもので、私たち世代としてはまあ馴染みが深いと言うか、とっつきやすいと言うか、お腹にすとんと落ちてしみるのです。そうしみてばかりいても仕方ないのですが、朝の忙しい時にこれを聞いて元気が出るかと言うと、これが全く出ない。むしろ“会社休んで寝てまえ”ほどのインパクトで、メロディラインはやや脱力系の決して朝向きとは言えません。けれど全編を貫く深い人間性と慈愛の心(そんな大げさなものではないんですが、ちょっと尾ひれをつけて言うと・・・ね)あふれる詩は、同時に流れるアニメと見事に同調して“少しはやってみるか”と思わせるに十分なやさしさが有ります。2355向きとの意見も有りますが、ここはやはり、あえて朝にぶつけた制作担当者の慧眼に賛辞を送るべきでしょう。来月の歌にも期待が高まります。偶然勝ってしまったどこぞのサッカーチームよりはるかに期待が持てると確信しています。

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私は脱力系ね、どちらかと言うと。

2010-06-16

労働も社会保障 その3

07:21

その3

 日本も含め先進国の企業は、労働単価の安い国を生産拠点にして製品の「国際競争力」を高めようとしのぎを削っています。この「国際競争力」とは低賃金雇用が出来る環境の有無を指す別名で、この労働単価は流動的で常に上昇傾向に有ります。つまり今は安く使えても先のことは分からない、だから安く使える時にせいぜいも儲けておく。その結果、こうした国々に劣悪な労働条件から発生する労働災害をもたらし、企業による環境汚染を引き起こす原因となっているのです。これらのことを放置した状態で先進国労働環境を議論することはできません。安い労働力の存在が大きな圧力となって私達の上にのしかかってきているからです。国家間の経済格差をよりどころにした経済活動は、いずれ行き詰まり破綻します。他の国で経済活動をするときは、各々の国の自主性を尊重し、先進部分の基準をもとに為されるべきでしょう。そして基本に据えるべき原則は、「国際的な最低賃金保証制度」を確立することなのです。これにより、賃金格差が原因で発生する経済難民も減少させることが可能であり、低賃金が生み出す様々なマイナスを克服できます。生活や文化の程度が異なり、貨幣価値も一様でないこの「世界」と言われる社会に、こういった議論が通用すると考えることは非現実的な妄想かもしれません。しかしこの問題に手をつけない限り、先進国労働環境が改善されることは難しいと言わなければなりません。まさに此処にこそ前出の「増加した労働人口の受け皿」が有ると言えるのです。

 こう言った考え方は決して新しい訳でもなく、古典的左翼の本を読んでいる方ならすでにご存じの「インターナショナリズム」に近いと思います。今さらマルクスエンゲルスも無いだろうと言われそうですが、結局のところ、私には働く人同士が連帯して行動しなければ解決できない課題と思えるのです。そうすることで、この国の、特に若年労働層が直面している過酷とも言うべき労働環境が改善される可能性があると考えるものであり、延いては高齢化社会の抱える問題の解決にもつながると思えるのです。 

はじめに書いたようにこれは空論です。「国際的な最低賃金保障制度」などどう考えても実現しそうにありません。それでも、もし実現すれば、ヒトはもっと穏やかになれると思ったのですが・・・、まあ無理ですか。

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やっと終わったのね やれやれね。

2010-06-15

労働も社会保障 その2

07:09

 働くと言うことは、経済的に自立することであり、将来に対する希望を持ちうることです。残念ながらこの国の政府も多くの国民も、働く環境をめぐる問題は社会保障との認識が低く、したがって多くの問題が顕在化し様々な障害が起きた後でないと法律的な対応が出来ない仕組みになっています。しかもその対応は必ずしも有効なものとは言えないケースが多いようなのです。就労もしくは労働の中身が各個人と企業の関係に収斂され、社会的に関心がもたれず放置される状態が今も続いています。これは私たちが徹底した個人主義の洗礼を経験せず、同様に個人の尊厳についても曖昧なまま了解してきたことと無関係ではないと思われます。つまり、各個人の権利を守ることは自分の権利を守ること、と言う当たり前の権利意識が育っていないのです。こうした中で社会保障の議論がされることは、労働の問題と同様に年金児童福祉など各種福祉制度も権利としての観点がないがしろにされ、受給者負担、サービス低下の容認、及び切り捨てなどを中心とした、各個人の負担によって乗り切ろうとする安易な解決法を採用する結果となります。

 働く環境を社会保障の分野として確立することは、労働基本三法の順守と積極的運用、及び若干の法整備によっても可能であると考えます。そのことで不安定な雇用環境を無くし、労働することが生活の安定につながるシステムを構築できるはずです。長時間労働

少なくし、休暇取得を奨励する、非正規雇用などは撤廃させ、勤務時間による雇用条件の差別はしない。こう言った労働環境の整備は若年層だけでなく高齢者にも働く場所を提供し、労働人口全体が増加することで年金や様々な福祉を支える土台の充実を実現するでしょう。では、そうして増加した労働人口を吸収する受け皿は有るのかという疑問が残されますが、答は「受け皿は有る」と言うことになります。

(その3に続く)

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えーまだ続くの、まいったわね。いいわ外見てるから。

2010-06-14

労働も社会保障 その1

07:22

前書き  これから書くことは空論です。私の与太話です。そう思って、読まれる方は読んでください。

 「貧乏の原因になる病気、怪我、老齢による生活上の不安を社会からのぞくために、お金や品物などを国民に与える制度」。これは三省堂1992年発行の国語辞典による社会保障の説明です。岩波広辞苑では1991年第4版に、「国民の生存権の確保を目的とする保障。わが国では社会保障生活保護社会福祉事業、公衆衛生を主な内容として、失業労働災害、出産、死亡などの事故に備える」とあります。同じ国語辞典でもこんなにも記述が違うことに驚きます。前者はどちらかと言うと古い定義、後者は現在の通説と言える定義ではないかと思います。

 辞書の抜き書きまでして何故こんなことを書いたかと言うと、少子化労働人口の減少により社会保障の担い手の負担増大が盛んに言われ、また、高齢化社会が抱える様々な問題の第一に、この社会保障の確保の不安が挙げられ、高齢者を支える仕組みを何とか再構築しないと、社会全体が立ち行かなくなるかのような論調が全マスコミで行われているからです。確かに人口の高齢化に伴い年金受給者が増大し、年金財政は多額の支出を余儀なくされ、それが国の財政全体に及ぼす影響は決して小さくないと十分に承知しています。しかし、社会保障広辞苑にもあるように老後保障だけでなく、若年層も含めた総合的な社会的保障の制度であり、大学3年、あるいは2年あたりから就活を始めるような今の労働環境などは、社会保障の観点からしても到底容認できるものでは無いはずです。また、就職氷河期などと言われる就労の機会減少により、長時間労働派遣労働などの無権利労働環境がまかり通っています。こういった働く環境をめぐる様々な問題も社会保障の対象であり、当然のこととして憲法にうたっている“生存権”の問題でもあるのです。

(その2に続く)

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何かつまらなそうな話ね

2010-06-11

閑中忙有り

07:08

 野暮用が続き与太話のでっちあげが儘なりません。大体が閑な日々を送る毎日なのですが今週は少し勝手が違います。来週に向けて頼り無い脳みそを休ませることとします。まあそれほどのものが出来上がっている訳ではないから、脳みそを休ませたところで変わり映えはしないですが。

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私はいつも忙しい

2010-06-10

まわり道

07:11

 若い時あれをやっても駄目、これをやっても失敗、いろんなことに手を出しことごとく失敗。のび太のような人生を送っていた人が或る日チャンスをモノにする。「いやあ、まわり道したけどそれが役に立った」などとコメントをしながら回想する、と言うシーンを新聞などではよく見かける。しかし、そうコメントできる人はごくごく僅かで、殆どはまわり道のまま終わる。急がば回れ、とは言うが目的に到達しなければあまり誉められることは無い。                               お終い。

えっ それで終わりかよ、なにか突っ込みが有るだろうが、などと言わないでください。世の中甘いものではありません。まわり道なんてしたところでロクなことは有りません。人生短い、余計なことはせず、目標に一直線で突き進みましょう。自らの反省と経験を踏まえた自戒の言葉です。でもまあ、どれがまわり道かその時は分からないのだから仕方ないとも言えるのである。

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人生いろいろよね

2010-06-09

眠ること

07:12

 アメリカ国防総省では、「代謝的に優れた兵士」をつくる方法を研究しているらしい。どういうことかと言うと、ヒトは眠らないと注意力が散漫になり知的能力が低下する、そこで24時間、7日間ぶっ通しで戦える兵士をつくるプロジェクトが有ると言うのです。確かに寝込みを襲われるとやばいので、眠らなければ相手に対しアドバンテージを保てる。24時間営業で作戦を立てられるのだから効率もよい。やはり世界中に軍隊派遣し、常にドンパチやっていらっしゃる国は進んだお考えを持っておられます。しかし兵隊もヒトだから眠らない訳にはいかない。そこで薬を使って眠りのメカニズムを操作してしまおうと言うことらしい。国が覚せい剤の売人のようなことをやる訳ですよね。やはりアメリカはすごい国ですね。こんな国と安全保障の取り決めをしているのですから、うちの国のエライさんもほんとに大変、ほんとに大丈夫、と思わず心細くなってしまうのでした。

 お話変わってにゃん子さんですが、うちのみいたんなんかは好きな時に好きな時間寝ていますから、仮ににゃん子の兵隊さんになっても戦いにはならないでしょう。大体命令なんか出しても聞かないですね。にゃん子たちは要するに徹底した平和主義者であり、非戦論者でも有るのです。ベトナムに戦争が有った頃、その戦争に従軍した開高 健がリポートに書いていました。当時の南ベトナム政府軍兵士は、作戦行動の最中でも午後になると昼寝をする。開高はびっくりして兵士に聞くと、「大丈夫、敵も昼寝の時間だから」と言って何のこだわりもなく昼寝していたようです。“シエスタ”、そうあのシエスタです。ベトナムフランス統治が長く、そういった習慣が生きていたのです。

 「代謝的に優れた兵士」の研究なんかするのは、ベトナムで負けたトラウマなんですかね、USアーミーの。中東では既に薬やっているんじゃないですか、USアーミーは。

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眠りは私の美容法です。

2010-06-08

中庸もしくは中途半端

07:21

 昔のえらいヒトの言葉に、物事は中庸持って旨とすべし云々、などと言うのが有りますが、この「中庸」、別名「ほどほど」と言う物の捉え方は、この国の人たちに愛されているナンバーワン思想ではないでしょうか。さらにこの「ほどほど」は「中途半端」と言ったものに変化し、その後「どっちつかず」或いは「いい加減」一歩進めて「他人のふり見て我がふり決める」、そして「お追従」、「提灯持ち」などに形を変えていくのです。出世魚の様な変身ぶりですが、惜しむらくは変化方向に少し難が有り、世間から相手にされなくなる危険性を孕んでいます。 

この伝統的な思考方法は、現在のこの国の外交戦略の中で遺憾なく発揮され、その成果は全世界の知るところとなっています。よく使われるタイタニックのジョークの中でも、日本人に救命ボートの乗船を遠慮させる殺し文句は、「他の人もそうしてます」と言うくらいです。私はこの伝統を甚だ複雑な思いで持て余すものです。なんと言う寛容の精神、出しゃばらず自己主張せず、何もせずの三ずの心、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし、という賛辞は惜しみません。おかげで、この50年以上の長きにわたってこの国は戦火に晒されること無く、経済成長を果たし、多少の紆余曲折はあったにせよ、世界に冠たる先進国の一角を占める今日を築き上げた事実は、事実として認める程度の見識を暴露することもやぶさかでは有りません。ただ、これから先はと言うと何とも見通しが無いようにも思え、或いはどうにかなるようにも思え、大変ファジーな局面にさしかかっているようでもあります。

「既に厳頭に立つに及んで胸中何らの不安有る無し」と言ったほどの気合いの入れようはともかく、中庸の本筋に沿った路線が期待される今日この頃なのです。えっ、何に期待するのかって、そうですねえ、私も分からないのですよ、本当のことを言って、何に期待すれば良いのか、私は凡庸なので。

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私は凡庸ではありません、勘違いなさらぬよう。

2010-06-06

自然保護

05:50

 よく言われることですが、保護される自然などは無く、そんな概念はヒトの驕り、思い上がりの産物です、むしろヒトは自然に保護されて生きている、などなどいちいちご尤もな御説が有ります。私もそう思います。ヒトが自然に対し出来ることは、周りの環境に与える負荷を少なくしてつつましやかに暮らすことぐらいでしょう。

 ところがヒトの活動は際限なく、地球規模で見れば無政府的に且つ無定見に進められているのが実情で、このまま放置すれば自分の首を絞める事態が訪れるのは必定、西洋も東洋も、南も北も無く一蓮托生となって最後の瞬間を迎える運命のようなのです。そこでヒトは何を言い出したかと言うと、環境にやさしく、自然にやさしい、と言ういやらしいコピーでした。なんてことは無い、自分が助かるために自然をダシに使っているだけの話なのです。二酸化炭素がどんなに増えようと、熱帯雨林が丸裸になろうと、地球地球としての存在に何ら不都合を感じること無く回り続けるでしょう。ヒト以外の他の動植物も、長い生命の歴史の中では十分にありうる事態として対応するだけのことと思います。どうやらヒトだけが大騒ぎしているだけで、それも自分の蒔いた種にびっくりして慌てている、そんな状況に思えるのです。結局のところ、自分のことしか考えられないヒトの特性が“御為ごかし”で自然保護を訴えている、のではないかと考えています。

 地球の歴史の中で、いわゆる大量絶滅は今までに5回ほど有ったと言われています。そしてすでに6回目が始まっているという学者もいます。地球に生命が誕生してから38億年、ひとつの種が連綿と続いたことはかつて無く、きっとこれからも無いのだと思います。だとすれば、ヒトがいくらジタバタしたところでいずれ絶滅の憂き目に会うのは避けようが無く、なるようにしかならない、と腹をくくるのも一つの処し方ではないでしょうか。今さらハイブリットカーに乗り変えてもあまり意味が有るとは思えないのです。

 蛇足ですが、日本に有る自然保護団体は欧米諸国と比較すると、その規模、質ともに小さく貧弱です。最大の団体は日本自然保護協会でその会員数1万5千余り、なぜか私もその末席の名を連ねています。因みに英国ナショナルトラストは湖水地方や各地に多くの土地家屋を所有するなど潤沢な資金と会員数を誇り、米国のシェラクラブの会員数は130万とも言われています。そして、ハイブリットカーが世界で一番普及している国はおそらく日本だと思われます。

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みこたん草創期(みこたん保護協会資料提供 現会員数5名)

2010-06-04

教育テレビ

06:50

 言わずと知れた3チャンネルです。テレビが教育と結びついたのはテレビの草創期で、3チャンネルに限らずその頃の最先端の現場に働く人たちの意気込みたるや、今では語り草となるエピソードが山ほど生まれる活気ある職場だったそうです。中でも教育テレビとしての3チャンネルはその後も独自の路線を歩み、外のチャンネルが視聴率競争とお笑いとバラエティに走り、惨憺たる有様になった今でも文化としての片鱗を保ち続けています。

その3チャンネルで「0655」と「2355」という番組が最近始まりました。5分間のショット番組ですがこれが面白いのです。オープニングタイトル、テーマソング、ショートストーリー、エンディングタイトルすべてに上質なエスプリとジョークが溢れています。かつて「ピタゴラスィッチ」などを生んだ局なので、手の込んだユーモアを扱うのはお手の物だと思うのですが、その伝統がいまだに健在であることをアピールして余りあります。youチューブやツイッターの中でもかなり話題となって、テーマソングをフルサイズで聞きたいと言った書き込みが有るようです。私もテーマソングに同時進行されるアニメの踊りを覚えたいと思っています。完全脱力系の何とも言えない味のあるダンスです。

国営放送」の本流の局はいまいちぱっとしない番組ばかりでうんざりですが、この教育テレビ(いまはEテレと言うのだそうです)の健闘で視聴料も仕方ないかと思います。

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私は脱力系  だから明日はお休み

2010-06-03

信と義

07:27

 “信じて、お願い・・・”などの「信」であり、“渡世の義を忘れちゃ・・・”などの「義」である。ともに当てになるようで当てにならない、蒟蒻のふんどしのようなものである。 にも拘わらず古今東西の様々な格言に使われたり、本のテーマになったりしている。有るか無いか分からないような、でも有ってくれればうれしい、そう言った願望がなせる無い物ねだりのようなモノかも知れない。

 孔子先生はこの「信」と「義」を大変重要なものと考え、君子たるものこの二つを備えていればしめたもの、と思っていたそうである。しかしその孔子先生ご本人にしてからこの「信」と「義」おまけに「知」さえ備えていたにも拘わらず、その晩年は決して恵まれた生活とは言えず、全く世の中のボンクラどもは・・と嘆いていたようなので、どうもこの二つのモノは持っているだけでは駄目で、第三者がそれに応えてくれなければ何の意味を為さないモノらしい。

 太宰 治の“走れ メロス”はこの「信」と「義」をテーマとした小説らしく、私は教科書でその抜粋を読んだことが有る。よく覚えていないが、何か無茶苦茶な約束を守るためにやたら走る話のような記憶しかないが、作者本人が自殺願望の末、心中未遂を繰り返し、その都度相手は死に自分は生き残り、三度目あたりでやっとご本人もめでたくかの地に行かれたというのを後で知り、呆れてきちっと原作を読む気にならなかった話である。だからあまりのことは言えないが、やはり、この「信」と「義」は当てにしていけないモノなのではないのだろうか。

 にゃん子は信も義も超越している。「そんなもの関係無いもんね」といった態度が随所に表れている。孔子先生もにゃん子と暮していれば晩年嘆かずに済んだかも知れない。しかし、あの人は信義に殉じて辞任したのかね?突然。

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なんか私のこと言った?

2010-06-01

調律

07:25

 10何年か振りでピアノ調律する。もう古いピアノだから捨ててしまおうと考えていたのだけれど、捨てるにもお金がかかり、なんせ重くて大きいものだから簡単に処分することも出来ない。そこで場所ふさぎで邪魔だけど調律して使おうと思いなおした。

楽器は普段から使い手入れしないと駄目になる。よい楽器は使い込むほどよい音色で響く。百年、二百年経っても現役で使われるし、むしろ音色は新しい時より良くなっていることが多いと言う。

 パソコンに代表されるデジタル機器は5年もすると陳腐化してしまう。作動はしても道具としては意味を待たない代物となってしまうのだ。携帯電話などはその代表選手みたいなもので、2年もすると買い替える人が多い。次々と新しい機種が出され、ろくに使い方を覚えないうちに壊れたりもする。道具に対する基本的な考え方が変わってきているのだろう。ヒトは様々な道具を造り使ってきたが、こんなに短期間で使えなくなるものはかつて無かったのではないだろうか。

 多くの楽器はアナログな道具の一種なので、デジタル機器とは対照的に位置するものと言える。しかし、ともに最初は使いこなすのに苦労するが、慣れてくると手放すことが出来なくなる点は似ている。アナログな道具は極端に趣味化したり或いは収集されたりするが、デジタルな道具は出来てから日も浅いこともありそんなことは聞かない。どちらが良いとか悪いとかではないが、道具好きとしてはデジタルに一抹の寂しさを感じる。

 だからどうした、調律という主題はどうなったのだ、と言われればどうにもなっていないのだが、ちょっと随筆風に気取って書いてみただけなのであった。

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私はアナログね (しかしいつ見ても寝てるね) あすはお休み