労働も社会保障 その3

その3
 日本も含め先進国の企業は、労働単価の安い国を生産拠点にして製品の「国際競争力」を高めようとしのぎを削っています。この「国際競争力」とは低賃金雇用が出来る環境の有無を指す別名で、この労働単価は流動的で常に上昇傾向に有ります。つまり今は安く使えても先のことは分からない、だから安く使える時にせいぜいも儲けておく。その結果、こうした国々に劣悪な労働条件から発生する労働災害をもたらし、企業による環境汚染を引き起こす原因となっているのです。これらのことを放置した状態で先進国の労働環境を議論することはできません。安い労働力の存在が大きな圧力となって私達の上にのしかかってきているからです。国家間の経済格差をよりどころにした経済活動は、いずれ行き詰まり破綻します。他の国で経済活動をするときは、各々の国の自主性を尊重し、先進部分の基準をもとに為されるべきでしょう。そして基本に据えるべき原則は、「国際的な最低賃金保証制度」を確立することなのです。これにより、賃金格差が原因で発生する経済難民も減少させることが可能であり、低賃金が生み出す様々なマイナスを克服できます。生活や文化の程度が異なり、貨幣価値も一様でないこの「世界」と言われる社会に、こういった議論が通用すると考えることは非現実的な妄想かもしれません。しかしこの問題に手をつけない限り、先進国の労働環境が改善されることは難しいと言わなければなりません。まさに此処にこそ前出の「増加した労働人口の受け皿」が有ると言えるのです。
 こう言った考え方は決して新しい訳でもなく、古典的左翼の本を読んでいる方ならすでにご存じの「インターナショナリズム」に近いと思います。今さらマルクスエンゲルスも無いだろうと言われそうですが、結局のところ、私には働く人同士が連帯して行動しなければ解決できない課題と思えるのです。そうすることで、この国の、特に若年労働層が直面している過酷とも言うべき労働環境が改善される可能性があると考えるものであり、延いては高齢化社会の抱える問題の解決にもつながると思えるのです。 
はじめに書いたようにこれは空論です。「国際的な最低賃金保障制度」などどう考えても実現しそうにありません。それでも、もし実現すれば、ヒトはもっと穏やかになれると思ったのですが・・・、まあ無理ですか。

やっと終わったのね やれやれね。