宮部みゆきの「ソロモンの偽証」

 先日のことだけど、映画化された「ソロモンの偽証」前・後編がともにTVで放映されていた。以前に読んだ原作が面白かったので録画して観た。よくあることなんだけど、原作とかけ離れた部分が目立ち、省略されたシーンも多く、”ちょっと違うでしょう“と茶々を入れたくなる映画だった。ただ私も原作のあらすじ程度しか覚えていなくて、良い機会だから読み直してみようと、”アマゾン“の中古本を漁って取り寄せて読みだした。この原作本は700ページを超える単行本三部作で、おそらく宮部作品では一番の長編ではないかと思う。読みだしてみると、あらすじどころか初めて読む本と同じくらいに記憶は欠け落ちている、と同時に、最初に読んだ時よりも細部に目が届き、この本の作者の思いや言いたいことがいっそう鮮明に見えてきた。読み終えて最初に感じたことは、これを忠実に映画化するには前・後編ぐらいでは無理だし、仮に忠実に映画化したら話についてこられない観客が続出するだろうし、興行的は大赤字が出ること間違いないと思われた。しかし、この作品は大傑作で、めちゃくちゃに面白いことに改めて驚かされた。
 この本の眼目は第3部で、校内で開かれる“学校内裁判”の進行過程がとにかく面白い。中学生が(作者は“中坊”と呼ぶ)これほどまで裁判制度に習熟していることが、“リアリティーねえなあ”と言えなくもないのだが、「とんでもないガキ」がよく登場する宮部作品は、またその辺りが魅力とも言えるのでつい納得してしまう。私は“法廷物”と言われる小説や映画が好きでよく読んだり見たりするが、きっとこの第3部が一番面白くためになったと思う。「未必の故意」の解説などは目からうろこものであった。また、主尋問、反対尋問の目的、その仕方なども“うろこ”がボロボロ落ちた。もちろん本物の法廷でのやり取りや実際の駆け引きはかなり違うだろうし、もっと厳密で正確さを要求されるであろうが、その雰囲気は十二分に伝わった。最初読んだ時にはこんなに興奮するほど面白いとは感じなかった。きっと細部に目が行かなかったからだと思う。弁護人や検事、判事の台詞一つ一つに託された作者の言葉、この本の神は細部に宿る。
 でまあ、再読してよかったなあとつくづく思い、気に入ったところを読み直したりなどしているという、実にこの暇な老人の感想なのだった。