政治家の国語力

 つい先日のこと、麻生副総理兼財務大臣が記者会見の席上で、例の財務省の決裁文書書き換え問題に触れた文書を読み上げた際に、「・・・の有無(うむ)について」とやるところを「有無(ゆうむ)」と読んで平然としていました。あの人の誤読は今に始まったことではないのでそれほど驚くことではないのですが、どうも政治家の国語力は中学生あるいはそれ以下という定説は、いよいよ決定的となったなとしみじみ思ったのでした。
 突破口(とっぱぐち)、清水の舞台(しみずのぶたい)、未曽有(みぞゆう)などなど、どなたがとは申しませんが、度々聞かれる政治家の方々の誤読は、ただ単に読み間違えたというレベルではなく、明らかに国語力の不足に起因すると思われるものが多く、それは国会の質疑などを聞いていても感じられるのです。質問にきちんと答えられない、頓珍漢な受け答えを平気でする、まるで関係ないことをだらだら繰り返すなど、これらは話の要点をまとめる力、読解力、論理的思考にかなりの問題を抱えている兆候ではないかと、まあ別の言葉で言えば“老人ボケ”とか○○○などというものに違いないのではないかと、深く憂慮するのです。なんせ高い税金(国会議員一人当たり、年間数億円)を払って雇っている人たちなのですから、もう少ししっかりしてくれなければ、費用対効果を考えればまるで無駄遣いとなってしまっていると考えざるを得ない、そんな危惧を抱いてしまいます。
 しかし考えてみれば、あの人たちは選挙で選ばれている訳で、私たちのレベルにあった人たちが政治家となっているのだから、あの人たちをやれバカだ、ボケだと言うことは天に向かって唾するがごとくの行為でもあり、とは言ってもやはり呆れて腹も立つ訳で、ドツボにハマった間抜けな自分に気が付くのです。

だから寝ればいいの