たった一つ、そう、たった一つしかないんですよ!真実は!!

真実はひとつ!〜名探偵コナンの弊害〜 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む
コナンのいう真実とは、感情とか立場とかを取り除いた、原因と結果。その冷たい方程式の解なのですよね。
終戦に絡めたというのは、つまり「戦争責任」とかそういうのを言いたいのでしょうが、しかしそれは国に依存する「立場」、戦争に参加した「立場」、戦争によって被害を被った「感情」、戦争そのものに対する「感情」が、物事の「原因と結果」のパラグラフに混じってしまい、解をひとつにできない状態にしてしまいます。また、解を出すとそれが新たな感情を発生させてしまう。
事件に関しては、感情や立場が伴うでしょうが、事故に関しては、誰が見ても明らか、「たった一つの真実」にたどり着くのにもはや脇道は存在しないでしょう。
 
 
いや、ごめんなさい。なんか、北斗の拳を例に出して
『暴力で物事を解決するのはいけない』と言っているPTA等の発言に似たゆがみを感じたのです。
弊害って書くのは反則だと思う。
 
ネタバレになりますが、コナンの事件の一つにこういうエピソードがありました。
ある家族内でのトラブルで、殺人が行われた。その殺人の方法が、「風呂に入っている殺害対象に電気髭剃り(漏電する)でショックを与える」というもの。
その仕掛けに、アリバイ工作で他人にブレーカーのスイッチを上げさせてショック死を発動させたのです。
殺害対象が風呂に入る頃、家電をたくさん機動してブレーカーが落ちた。そのブレーカーをお手伝いさんが上げに行った。その間に犯人は仕掛けをし、もとの部屋にもどる。ブレーカーが上がると、殺害対象は死んだ。
この事件に対して、コナンを含めた捜査陣は、「確かに殺人の引き金を引いたのはお手伝いさんだ。しかし、その事実を明らかにしたくない。(お手伝いさんに殺人の罪の意識を持たせたくない)」その為、犯人を説得し、実際の仕掛けと違った方法での殺人として逮捕となった。
 
何が言いたいのかというと、そこでコナンたちは「たった一つの真実」を自ら隠してしまったのです。
真実は一つ。だけど、事実として公表されているものは、それが真実とは限らない。そしてそれをあえて公表するべきか。
 
利益のための悪意ある隠蔽ならば、それを暴くべきかもしれない。
 
事実を知ることで誰かが傷つくなら、それを隠しておいたほうがいいかもしれない。

2007.08.18.23:20 追記:
accelaratorさんが、この記事に対してお返し記事を書いてくださったので追記しました。
真実をつむげる存在 〜コナンくんごめんね!〜 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

GMとゴールデンルールのない世界でどうやって意識のすり合わせをするのか”

僕らはルールの分からないゲームをしているとしましょう。ある人はこれはソードワールドだというし、ある人はこれをアリアンロッドであると言う。それぐらいならまだましですが、”実はクトゥルフだったんですよ”なんてことになると大変です。SANチェックものですね。

TRPG者はこんなときどうするのか?まぁ普通に考えれば一番まともそうな人をGMにして、裁定してもらいますよね。そうじゃないと遊びにならんわけです。

そうなるのが理想ですが、実際は・・・
「どうする?誰がGMやる?」
「お前やれよ」
「えー、俺いつもGMだからな」
「俺がやる」
「まてよ、俺やるよ。俺の好きなシナリオにできるし」
「やっぱり俺がやるよ」
「どうぞどうぞ」
 
・・・。
やりなおし。
「どうする?誰がGMやる?」
「どうしようね」
しばし話し合い。でも解決にならず。
「俺やろうか?」←いつも切り出すのはこの人に決まっている。
という感じでしょう。あるいは、そのグループで権力の強い人物ではないでしょうか。
関連:Webゲーム人狼から「議論の下手さ」を考える - Try to Star -星に挑め!
信頼とは別に働く力もあるということです。
(例が長いね。夏休みということで。。)
 

真実というものは基本的にはなく、あったととしても人にはたどり着けず、それでも求めるならば、人から信用を勝ち取って作るものなのではないでしょうか。子供たちにそこらへんを踏まえてほしいなぁなんて思う次第でした

んーむ。信頼がなくても、真実は真実でしょう。それでも地球は周っている、ということは違いますか?
それとも、もっと大規模な話で、
「地球という球体に我々がいるというのも、洗脳的なスリコミ情報のせい科学という手段による調査からの情報で、その科学が信頼されているからであり、真実は誰にもわからない」
というオカルトっぽいところまでいきますか?
信用とか権力とかを取得すれば、自分の言うことが真実になるんですよーとか、そういう曲解も発生する可能性が心配です。
 
人には辿り付けない、という風に遠ざけてしまうのも、問題点かなと。
 
御剣:真実なんて、我々に判るわけではない。ならば、すべて有罪にする!
というのが彼の方針でしたね。しかし、帰ってきた御剣は、「弁護士と検事が全力で戦うことで真実がやがて現れる」と変わっています。
 
真実とは、基本的に公表されておらず、しかし、努力すればそこにたどり着けるもの。
私はそう思うし、そうでなければ人間の努力の意味なんてなくなると思います。
 
あと、私は別に熱烈なコナンファンでもなく、「コナンが傷つけられた!この人でなしー!」と怒っているのではないです。
上記の北斗の拳を例にしたなら、『PTAめ!北斗の拳の内容もよく知らないくせに』ではなく、『PTAは暴力で物事を解決すること自体の悪い点問題点を挙げるべきであり、さらに、暴力以外で解決するにはどうすればいいかという実践を含めていうべき』と思うしだいです。
 

僕が最初の記事で言いたかったのは、意見の違いはそもそも現実認識の違いに寄っていて、それらの異なった現実を一つの真実の異なる側面としてとらえ、真実をさぐっていくというアプローチで見つかるほど真実は身近なところになく、二つの異なる現実からスタートして妥協点をさぐっていくというアプローチをとらざるを得ないのではないか。

そうですね、現実認識の違う状態から真実は出てきませんね。
しかし、妥協点とは違うのではないでしょうか。かのホームズの言葉を借りるまでもなく、「まだ結論を出すには早い」という状態でしょう。もっと情報が、手がかりが必要なんです。
そこで重要なのが、証拠品です。こればかりは立場も関係ないものです。(あるいは、「私の国では指紋やDNAは証拠になりません」、とか「科学信奉者め!巫女様の言葉以外は真実ではない」、とか特殊な条件もあるかもしれませんが。。)
 
ここで、私が提案するのは、acceleratorさんが言いたいことは「真実とはなにか?」でなく、人間の現実認識の手段である基本的コミュニケーションのことなので、「現実とはなにか?」ということではないでしょうか?
現実というのは、『人間が認識する情報の集合体、またその情報源』であり、『人間が行動のもとにするもの』です。
 
GMとゴールデンルールのないゲームでどうやって意識のすり合わせをするのか」という場合でも、まずは真実を知ることでなく、現実を知ることから始まるでしょう。自分たちは「何」なのか。自分たちは「どこ」にいるのか。そうして受け取った情報から『現実』を構成します。そして、情報の調査をしていくことで、うまくすれば「真実」が見つかるかもしれない。
 
「コナンが」というと多元世界の問題もからんでくるので、『実際の事件に対しての刑事の行動』と置き換えてしまいましょう。刑事は「どんなことが起きたのか」と事件の概要を知ります。まさかと思うような残酷なことでも、それが「現実」なのです。そして調査を続けると「真実」に突き当たるでしょう(有能か運が良ければ)。
 
acceleratorさんの記事も前半部分の『江川紹子TRPG者』に関するところは「現実」の受け取り方について書かれています。

江川紹子のいう”現実”って言葉を”私の現実”あるいは、”私の経験から認識される世界観”って言葉に置き換えてほしいなぁって思ったくらいでした。そうしてくれると単に二つの文化の人が分かりあえなかったって話になるからです。

まさにその通りだと思います。
 
長くなりましたが、我々はやっぱり同じことを言っていたのだな、と私は認識しました。
言葉の意味について、私は神経質になるキライがあるので、申し訳ないです。