「言い訳をしない」をめぐっての思考メモ

昨日、友人がTwitterでこんなこと言っていた。
「プロとアマの違いは何でしょう。」という問いに対して、
青木功・ランディーバース・千代の富士の三人が三人とも同じ答をしたと。


答が気になったのでググってみたら、下のベージを見つけた。


http://www.m-zec.com/as_co_news/file_name/af2506083904


タイトルにもあるように、答は「言い訳をしない」ということだそうだ。


なるほど、言い訳をしないということは重要ですね、と納得させられたような気がした。
ところが、2秒後に、頭の中に疑問符が湧いた。


「言い訳をしない」というルールないし命題は、たくさんの具体的行動としての帰結を持ち過ぎているのではないか?


「〜をしない」というルールが、直接に具体的行動を生まないということもさることながら、
言い訳という言葉の輪郭の曖昧さもそれに輪をかけているように思うのである。


例をあげよう。
ある日A君は、麻雀(勝敗の付くものなら何でもいい)でボコボコに負けたとしよう。悔しい。
そこで、自分ルールに則って、言い訳をしないことにした。
彼は思った。「運が悪かった」


別の例をあげよう。
ある日B君は、麻雀でボコボコに負けたとしよう。悔しい。
そこで、自分ルールに則って、言い訳をしないことにした。
彼は思った。「次は頑張ろう」


さらに別の例をあげよう。
ある日C君は、麻雀でボコボコに負けたとしよう。悔しい。
そこで、自分ルールに則って、言い訳をしないことにした。
彼は思った。「一手一手、今日の打牌を検討しよう」


A君は言い訳をしている。B君とC君は言い訳をしていない。
僕の見解としては、C君、B君、A君の順番で強くなると思っている。
プロフェッショナリズムの高さの順でも同じだ。


国民的フィギュアスケータの浅田真央は、いつもB君のような発言をしているように思えてならない。
「次の〜大会では、ベストを尽くせるよう、しっかり練習します」


もちろん、彼女の頭の中を覗いたわけでもないし、裏での発言を聞いたこともないので彼女自身がどうこう言うつもりはないが、もし仮に、このようなコメントが試合後の考えの全てなのであれば、非常に残念だと感じるのだ。


確かに言い訳をしないというルールは、センテンスのシンプルさ故、便利だとは思う。
が、やはり何か物足りない印象を持つことを禁じ得ない。


そこで、このエントリのオチとして
それを、多少冗長にはなってしまうが別の形で表現することを試みる。

  • 失敗したときには原因を分析する
  • 自分が解決できるもののみを抽出する
  • 解決策を考え、実行する

より簡潔にまとまった表現があればいいのだが...